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家族 性被害サバイバーの1事例

ある性被害サバイバーの話38 ~「家族」というもの~

2021年7月12日

 

「ある性被害サバイバーの話」を最初からお読みいただくときはこちら

前回のお話はこちら

 

今回は、エピソードの続きではなく

「家族ってなんだろうね?」というお話しです。

 

虐待や機能不全家庭は苦しみの元凶が家族であることが多いですよね。

 

機能不全や毒親なのかはっきりとは分からないけれど、

グレーゾーンの家庭は多いと「ある性被害サバイバーの話②」でも書いていますが、改めて私の家庭もそうだったと思います。

 

「家族」が持つ特異性

「家族だから支え合える」のではなく、

「家族だから支え合えない」という事象を、この仕事をしているとたくさん見ます。

 

「家族」という組織は、ものすごく脆くもあり、とても強固でもあり、あまりに独特な集団だと思います。

 

「家族」が持つ特異性は、1つのメカニズムや理論では整理できないほど、特殊な集団だと感じます。

 

私も「家族の危うさ」の原因ははっきりと分かっていません。

いろいろな理論や考え方を学んでも、今の時点では「家族の特異性」に対して明確な答えは得られていません。

 

そんな中で、

今回は「家族に傷つけられた」ときの傷の深さや複雑さ

「家族の中の甘えや距離」などを考えてみたいと思います。

 

「家族」だから自己中心的になる

「どうしてうちの家族はこんなに優しくないのだろう」と思うことがあります。

でも、「家族だから自分本位」「家族だから優しくしない」のであって、

外では本当に「良い人」だったりします。

 

「良い人」の部分が「仮面」であって、本人が無理して作っていることもあります。

 

しかしそうではなく、優しさや理解力を持っているのに、

それを家族だから遣わない家族だから暴君になるというケースもたくさんあります。

こういう人は、暴君になれる場所がなくなったらなくなったで、それなりに過ごせていたりします。

 

「家族」となると、なぜが心のブレーキがきかなくなって、「大人の幼児」みたいになるケースがあります。

DVの加害者の多くは「力を持った厄介な幼児」です。

でも本人は気付いていない。「立派な大人」だと自分を認識している。本当にタチが悪く、怖い存在ですよね。。

 

こういうおかしな心理作用が起きるのも「家族」の持つ特異性といえるのかもしれません。

 

心の距離が取れない

基本的に、家族だとうまく精神的な距離が取れないのだろうと思います。

だから他人であれば優しい言葉をかけるときでも家族だと冷たくなったり、

甘えゆえの自己中心性が目立ったりしてしまうのだろうと思っています。

 

「家族」という仕組みや、代々受け継がれてきた考え方にも大きく影響を受けながら、特別な状態を生み出しますね。

 

「家族」の対応が及ぼす影響

家族の脆さは、家族メンバーの誰かに精神疾患や不登校などの不適応状態や事件事故が生じたときに初めて露呈することがあります。

 

それまでそれなりにうまく回っていたと思っていた夫婦関係や親子関係が、

誰かの「うつ病」であったり「いじめ被害」であったり、

そういう危機的状況に見舞われて初めて、その家族の真価が問われることがあります。

 

回復に大きく影響する

精神疾患になったり何らかの被害にあったりした場合、

そのときに親やきょうだいが自分にどう接したかは、回復に大きく影響します

 

PFA

「PFA(心理的応急処置)」という対処を広げようと、国や心理士業界ががんばっています。

これは「災害や事件事故にあったとき、その後のソーシャルサポートが適切であれば、心の傷の回復が早い」という研究結果から、

支援する人の姿勢に関してマニュアル化された対策です。

「ソーシャルサポート」とは、言葉通り「社会的なサポート」を意味します。

第三者の対処がそこまで影響するのであれば、家族であればもっとですよね。

家族の対応が適切だったか不適切だったかで、予後はかなり変わるということを示しています。

 

うつ病などの精神疾患の発症やいじめや犯罪の被害などに対する家族の理解や対応は、

その人の回復の大きな助けになることもあれば、二次加害となって一次被害よりも深い傷を与えてしまうことにもなります。

 

そして、そのときの家族の対応の記憶は、その後も消えることはほとんどありません。

 

家族の対応の記憶が鮮明に続く

「学校に行けなくなった」「死にたくなるほどつらい目に遭った」というとき、

家族が理解して支えてくれると、一生恩に感じるケースが多いです。

 

「あの時、お母さんが自分の味方になってくれた。あれがなかったら今の自分はない」というように。

 

反対に、「ものすごく苦しいときに家族が助けてくれなかった」「さらに追い討ちをかけるように傷つけてきた」という場合、

一生恨みに思う場合が珍しくありません。少なくとも、忘れたりはしません。

 

私もそうです。彼らが私にしたことを一生忘れないと思いますし、今も彼らを憎む気持ちで苦しい思いを抱えています。

 

それだけ傷ついた

親への怒りが消えないとき、

親を自分より上だと思っているから許せない。自分より下だと思えば怒りがなくなる」

という一説を聞いた事があります。

確かにそういうケースもあると思います。

ただ、そうではないケースもあると思っています。

 

私は単純に「それだけ傷ついたから怒りが消えない」のだと思っています。

不理解の家族であると、1度や2度ではなく、継続的に傷つけてきます。本来は安全なはずの家の中で。

 

回復すればするほど

彼らへの怒りや憎しみは、私の場合は、自分が回復すればするほど「許せない」という気持ちが強くなっていきました。

 

それは、当時の自分がどれほどに病んで異常事態であったか、

自分が健康になると、当時よりも理解ができるようになったからです。

 

「あんなに酷い状態だった私に、彼らはどうしてあんなに非道な言葉や態度を投げつけることができたのか」と、

当時は怒る気力がなかったかわりに、後から怒りが沸いてきました

 

それぞれ経過は異なると思いますし、もちろん「負の感情がない」ほうが生きやすいです。

 

ただ、原家族に対する怒りや憎しみが強い状態が、必ずしも「回復が足りない」「まだ縛られている」ということではないと思います。

 

「家族」に対する複雑な感情

どう考えてみても、「家族」は絶対的な存在です。

産まれた時から物心ついてからもずっと関わり続けるのです。

人格形成や能力に絶対的に影響します。

 

だからこそ、愛情や憎しみ、幸福や傷つきが外のそれよりも大きくなることは当然なのだと思います。

 

家族を求めるのは本能

家族に対して強い怒りや憎しみなどを抱くことと同じくらいかそれ以上に、

「家族に理解して欲しい」と思います。

 

「誰よりも家族に分かって欲しい。認められたい」と思うのは、

本能的な自然な気持ちなのだと思います。

そこに理由はないような気がします。

 

たまに「そんなに嫌なら縁を切ればいい」とか「いつまでも親を批判していても仕方ない」等といいますが、

そういう単純なことではないと思います。

 

割り切れない気持ち

見捨てたくても見捨てられなかったり、すごく嫌いでもどこかで期待していたり、諦めていても本心はわかってほしいと思っていたりetc。。

 

それは、遺伝子に組み込まれた家族に対する反応なのかとすら思います。

 

多くの人が、「家族へのなくしたい負の感情」を消せずにいます。

 

それは執念深いのでしょうか?

その人が殊更こだわっているのでしょうか?

 

私はそうは思えないのです。

 

「家族」と「複雑で深い感情」はセットで脳内に組み込まれているんじゃないかと思うほど、それ以外で答えが見つかっていません。

 

そして、親やきょうだいという家族を、最初から嫌いになりたい子どもなどおりません

 

矛盾する気持ち

家族との間に嫌な記憶や苦しい思いをたくさん抱えていながらも、

家族との関わりを完全に絶つことはせずに、その人なりに関係性を維持していく場合が多いです。

 

回復の過程で、家族からの傷に怒りや悲しさやむなしさなどを感じ、負の感情が強まり、なかなか無くならないのは、

本能的に「家族を好きになりたい」からなのかもしれません。

 

「なんとかわだかまりを解消して家族を理解したい。和解したい」という強い思いの裏返しであることもあるのかもしれません。

 

「家族」に関してこそ、「白黒思考」にならなくていいのかもしれません。

 

「完璧にどうでもいいと思う」「許すか許さないか」という白黒にはなれないことが自然なのだろうと思います。

 

「許せないけど認めて欲しい」「関わりたくないけどたまに面倒は見に行く」「大嫌いだけど楽しく過ごせると嬉しい」etc。。

 

そんな矛盾も含めた豊かな気持ちを抱かせるのが「家族」なのだと思います。

 

実際の行動上の対処は別として、自分の中の気持ちには決着をつけようとし過ぎなくていいのかもしれません。

 

感情の意味

「怒りの防衛機制」の記事でも触れましたが、

人の感情は、ネガティブな気持ちを抑え込むとポジティブな気持ちも抑え込まれるという性質があります。

 

なので、家族に対して怒りや憎しみや寂しさなどを強く感じているとしたら、

感情が耕され、本来の自分が表れることが出来始めたのかもしれません。

 

あるいは、PTSDなどの「症状」の一種であることも少なくありません。

 

いずれにしても、感情はとても大切な意思表示であり、

負の感情の知らせがあるからこそケアできることがあります。

 

感情が消えないのは当然

「家族を好きになりたい」というような気持ちがなかったとしても、

家族の心無い対応の傷は深いものです。

 

だから、原家族に対し、彼らに言われた言葉ややられたことを忘れられずに感情的に揺れてしまうのは、普通のことだと思います。

場合によってはフラッシュバックであることもあります。

 

思い出したくないし、忘れたいけれど、そうできないからといって自分がおかしいわけではない。。

 

「怒り」の記事で書いているように、目には見えにくいけれど、

長い年月をかけて怒ったり憎んだりという気持ちを抱くことで、取り戻している自分の尊厳があるのだと思います。

 

だからきっと無駄じゃない。

 

感情は振り子

もし今までは感じていなかった家族に対する怒りや憎しみを感じるようなって苦しいときは、

他のことに対する気持ちの変化を考えてみてほしいと思います。

 

感情は振り子のようになっています。

 

自分の尊厳を取り戻すために今から怒りや憎しみを感じ出したとしたら、

別のところで「楽しい」「嬉しい」といったポジティブな感情が以前より感じられるようになっているかもしれません。

 

前よりも「食べたいものが浮かぶ」とか、「動画をみてつい笑ってしまうことが増えた」とか「今いる場所は前よりも安心できる」とか。。

 

きっと、プラスの方向にも耕されているのではないかと思います。

 

「自分が親のようになったら」という恐怖

原家族の影響は、成人後に自らで作る家族イメージにも影響しますよね。

「子どもを産んだら(毒)親のように子どもに接してしまうのではないか」とご自身を不安に思う人は少なくありません。

 

原家族は選べませんし、血がつながっているからといって気が合うわけでもありません。

それでも、一生の関わりになりますよね。心から消えることはない。

ここでも述べているように、家族に対する感情は深くて複雑です。

 

でも、別の人間です。

 

人の特性は、ほとんどが「程度問題」です。

質ではなく量

だから例えば「毒親と同じことをしてしまった」という質的なことはあって当然です。

大事なことは、「程度」と「内省力」です。

 

「同じことをしてしまうかも」と内省できている時点で、毒親とは程度も内容も同じではないと思います。

 

どうか、ご自分の行動を親に結びつけて責め過ぎないで欲しいなと思います。

場合によっては成功恐怖の不安であるかもしれません。

その都度、自分に気付いて、心惹かれる方向へ歩いていけたらと思っています。

 

 

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家族にまつわる感情や行動は複雑で、でも単純で幼児性も含んでいて、検討しがいのある集団だと思います。。

 

次回の「ある性被害サバイバーの話39」はエピソードの続きになっています。

続きもぜひ!

 

最後までお読みくださってありがとうございました!

またいらっしゃってくださいませm(__)m

 

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