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トラウマ 性被害サバイバーの1事例

ある性被害サバイバーの話25 ~孤独感・性嫌悪~

2021年4月29日

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今回はエピソードの続きではなく、普遍的にずっと抱えていた「孤独感」と「性嫌悪」についてのお話です。

 

基本的信頼感の欠如やPTSDの症状の1つ「未来の短縮化」などによって、

被害に遭うと、将来を明るくイメージすることができず、

「生きることは苦しいこと」という意識になります。

 

今回は、私のケースを例に、被害者が抱える絶望感や孤独感について整理したいと思います。

 

孤独感と絶望感(幼少期)

幼少期は自分と周りとの差がわかりません。

でも、だんだんとわかってきますよね

いつから「普通になりたい」と思い始めたか、覚えていませんが、

理屈ではなく感覚的に「自分は普通ではない」という認識を持っていました。

 

「自分は普通ではない」という認識

「普通とは?」という哲学的な問いはさておき、性被害に限らず、

幼少期から苦労が多いと「普通になりたい」「普通にならなきゃ」と強く思うようになり、

自分よりも周りを見ているので常に我慢やムリをしがちであると思います。

「自分は普通じゃない」という認識は、寂しさと孤独感を伴います。

なにをどうしようと、根本的に「自分はなにか劣っているんだ」という気持ちが付きまといます。

そしてそれを誰かと分かち合えることは稀です。

特に子ども時代は、はっきりと言語化できないままで、孤独感や劣等感を募らせます。

 

選択肢が持てない

「この職業につきたい」とか「結婚して子どもは2人欲しい」という将来像をもてません。

 

生きていく中で結果的に「その職業は諦めた」「結婚しなかった」ということになったことと、

小さい頃からその選択肢を持てなかったり、

大人になってからであっても被害によって将来の選択肢が奪われてしまったケースとでは、

意味合いが違うのではないかと思います。

 

孤独感・絶望感(成人以降)

大人になると、自分以外の人にも触れ、幼少期児童期より世界が広がることで逃げ場や見識は増えます。

ただ、だからこそ、自分の傷がどういうことであるのか突きつけられていきます。

 

友人との縁がきれる

精神疾患を抱えると、それまでの対人関係を維持できなくなることが少なくありません。

それ以前に、幼少期から機能不全の家庭で育つなどして苦しい体験が多いと、

分かり合える友人を見つけることが難しいこともあります。

 

また、性被害に限らず、成人してから精神疾患を発症した場合、

生活がまるで変わってしまいます。

自分の体調がわからず、約束を守れなくなり、不誠実な対応をしてしまいます。

また、こちらの状況や気持ちを理解してもらえず、溝ができることも珍しくありません。

かといって、新たな対人関係を築けるような気力体力もなく、

それまで信じてきた人を失うことで、人間不信になることもあります。

孤独感はいろいろな面から深まってしまいます。

 

性嫌悪・男性嫌悪

性被害に遭うと、ほとんどのケースで「男性恐怖」「男性嫌悪」「男性不信」が認められます。

 

私は「男性嫌悪」と「性嫌悪」が顕著でした。

激しい男性嫌悪や性的行為に対する生理的嫌悪感が強かったです。

でも、被害者であっても恋愛はするし「性被害者」としてだけで生きているわけではありません。

それこそ「普通」に日々を生き、被害以外の「普通」のこともたくさん考え、経験し、

うれしいことや楽しいこともそれなりに体験して生きています。

 

「男性嫌悪」「性嫌悪」であっても、男性を好きになります。付き合うこともあります。

私の場合は、そういうときに、「被害」が幸せを邪魔していきました。

 

好きになった人を心から好きになることに嫌悪感を持ったり、

性的接触に関しても好きであろうと嫌悪感が強く、

性的行為を自分が認めてしまうことは、犯罪行為を認めてしまうことと同じことになってしまうという気持ちもありました。

 

「加害者とは全く別の男性」だということはわかっているのです。

でも、そういう単純なことで解決できるようなことではありませんでした。

 

「将来、普通の幸せは望めない」という絶望感

私は、小学生のころは「普通のお嫁さんになりたい」と言っていましたし、

お嫁さんに憧れていたというより「自分が働ける気がしない」といった感じでした。

それが被害の傷が明白になる中で、

「性嫌悪」や「男性嫌悪」が原因で「結婚できない」と思い詰めるようになり、

「一生1人なのか」と言葉では言い表せないほどの孤独感を抱いていました。

 

「この世に生まれるのは不幸」という認識

私自身は「生まれてこなければよかった」と思い続けます。

そして、公園や安全なはずである学校行事で被害に遭ったこと、その後大人に正しく対処してもらえなかったことで、

自分が将来子どもを産むことは「産まれて来た子が可哀想だ。だから産まない」と思います。

成人する前からこんな風に決意し、うつむいて寂しそうな表情をする被害者の方は、私だけではありません。

 

複雑な気持ち

私の「性嫌悪」や「結婚できない」「子ども産まない」という内面には、

「男性が嫌だから」という感情や「将来は不幸に違いない」という考え方だけではありませんでした。

「意志」が存在していました。だから、ややこしかったのです。

復讐心もからんだ「心から軽蔑し続けるぞ」「こんな被害にあって将来は暗くするんだ」みたいな、

男性や性行為を認めない、自分が幸せになることも認めない積極的な意志があった。

一方で、「普通の私」もいるのです。「被害者としての意志」に振り切れない…。

具体的には、「男性をちゃんと好きになって結婚して幸せになりたい」と思う一方で、

被害者の私が出てきて「こんなに傷つけてきた男性を好きになるなんて!ダメだよ!信用しちゃだめだよ!認めてはダメ!」と言ってきて、

「認めない意志」となっていました。

 

意志となりますと、それはまあ、強固ですよね。

「『認知の歪み』で片付けられたくない!」みたいな笑。

 

この「振り切れない感じ」に苦しむ人は、私だけではなく、

「結婚なんてできない」等と言っていても、それを望む気持ちはなくなっていないケースは多いと思います。

それはとても自然なことで、矛盾する気持ちですから「認知的不協和」で苦しいですが、

無理になくさずに矛盾したまま歩いていきたいと私は思っています。

(※「認知的不協和」については詳しくはこちらの記事で説明しています)

 

男性不信や性嫌悪に悩む人へ

誰一人、全く同じケースや気持ちはありません。

だから、このようなデリケートな問題に一方的にアドバイスすることは適切でないと思います。

ただ、ブログですので、当時の私自身に言うつもりで書きます。

 

もし今、男性不信や性嫌悪で将来を悲観していることがあったら、

それ自体にはあまり目を向けないほうがいいかもしれません。

まず、他の症状や苦しみを緩和していきたい。

PTSDに限らず、トラウマから起因している自分を苦しめる事柄で、

比較的取り組みやすいものからまず軽減していけたら。。。

 

その先に、もう一度、男性嫌悪や性嫌悪に関して、

どのように向き合ったらいいか、選べるときが来るのではないかと思っています。

 

だからどうか、今の時点で絶望しないで。。

 

「普通に幸せになること」という気持ちを持っていると疲れたら、置いてもいいと思います。

ただ、もしかすかでも望む気持ちがあるなら、

部屋の机の引き出しに閉まっておこうみたいなイメージで、捨てないでいいと思います。

 

 

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ものすごくお優しいですね。

嬉しいです。私も見習って人に優しくできるようがんばります!

 

 

今回の「男性不信」「男性嫌悪」は、性被害にあった方のほとんどに見受けられます。

けれども、その度や内容はそれぞれ異なります

また、「性嫌悪」に関しては、さらに様々な気持ちや考え方、意志があります。

なので、ここでは私の場合を取り上げましたが、単なる「一例」ですので、

同意できないことなどあるかと思いますが、ご自分の気持ちや意志を大事にされてくださいね。

 

次回は大学院受験に落ち、仕事もクビになった後をつづっています。

続きはこちら「ある性被害サバイバー26」

お読みくださって、本当にありがとうございます。

 

 

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