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日記

「がんばってるね」「熱心だよね」に伴う不快感 

 

今日も気ままに寝子の心境についてつづりたいと思います♪

 

今はもう中年になって、

心理士としても

「がんばってるね」「熱心だよね」

なんて言われることはなくなっていました。

 

それが去年、トレーニングや原稿など、イレギュラーな業務があって、

周囲に「熱心だよね」「がんばっているね」的な声掛けをもらうことが久しぶりにありました。

 

それで、

 

 

「そう言われると、なんか嫌!!」

 

 

っていう不快感を久しぶりに感じた、というお話です笑

 

 

誉め言葉に伴う不快感

「熱心だよね」「がんばっているね」「できていますね」という言葉は、

褒めているのだろうと分かってはいます。

 

でも、私はそう言われると

「不安定だってこと!?」とか

「バカにしているのかな?」とかって疑ったり、

 

そこまででなくとも

「…そう言われるとなんか嫌…」という不快な感じ

になってしまう自分を久しぶりに体験し、

「これって前からそうだったな」と思って、

「なんでかなぁ?」と改めて考えてみました。

 

それで、まず「褒め言葉」すべてに不快感が伴うわけではないことがわかりました。

 

例えば、心理士としての評価としてポジティブなフィードバックは素直に嬉しく思います。

 

でも「熱心」とか「がんばってる」とか「意欲がある」とかっていう感情面というか、

そういう言葉がけに抵抗を感じること、

あとカウンセリングでの常套句の1つ「すでにできていますね」も、

同じような不快感を伴うんです。

 

きっと、これは私に限ったことではなく、似た感覚になる人もいらっしゃるように思い、

私を例にちょっと整理したいと思います。

 

「快」が「不快」とセット

トラウマがあると、

「安心」や「喜び」という感覚を“安心してしっかり感じる”ことができなかった環境だったので、

ポジティブな感情にはネガティブな感情が伴うことが知られています。

 

「人から褒められると疑ってしまう」などが代表例です。

 

私の場合もこれと同じで、人からの好意的な感想を素直に喜べず、

不快感が伴って「嫌味かな」などと考えてしまうところがあります。

 

この反応は意外と根深いなぁと、

最近改めて再認識しています。

 

「マインドフルネスがわからない」の記事でも書いたように、

「その場の感じ」にあまり居られないし、

内心「これどうしたらいいの?みんなは良い感じなの?私だけできてないの?」

みたいになっちゃってました。

 

つくづく「喜ぶことや笑うことを抑圧してきたんだなぁ」と思います。

 

子どもの頃の家庭環境が機能不全だと、

 

「本当に喜びたいときに喜びを抑え、本当は嬉しくないときに喜ぶ」という適応策が

連続的に求められてしまっていることが多いと思います。

 

「怒り」や「悲しみ」などのネガティブな感情を出せなかっただけでなく、

「楽しい」「笑いたい」という反応も閉じ込めざるを得なかったことで、

 

より苦しい感情や思考に慣れていってしまい、

 

本当に嬉しいときや楽しいときにそれを抑え

本当は嬉しくないし楽しくないときに場の空気や相手のために喜んだり楽しそうにしたりするという

 

真の感覚と逆の反応をして適応するようになっているところがあります。

 

孤独感

「頑張ってるね」等に対する私の反応として、

もう1つ、

「頑張ることは私にとって寂しく孤独だという感覚を連れてくる

と気づきました。

 

中学生のときに「臨床心理士になる」と決めてから、

その夢を叶えるまで15年近く、

「独りぼっちだったんだなぁ」と。

 

「がんばる」に「孤独感」がセットになるのは、一般的というよりその背景によると思います。

 

私が人生で「がんばった(頑張らなければできなかった)」と自覚できるのは

「臨床心理士になったこと」だけでした。

 

そして「臨床心理士になる」という夢は、ものすごくストレートにトラウマに直結します。

 

「がんばる」という状態や言葉はトリガーになり、

 

「がんばる」→「臨床心理士なる」=「性被害トラウマ」

 

だったんですよね。

 

トラウマというのは孤独ですからね。

 

「がんばってるね」と言われると

「たった一人で誰も助けてくれない」

「別にがんばりたくてがんばってるわけじゃない。こうしなければ生きられないから」

等という思考や感情のフラッシュバックするんだな、と。

 

他人に興味がない

ちょっと話がそれますが、

今はもう中年になって、心理士としても「がんばってるね」「熱心だよね」なんて言われることはなくなりました。

 

でも、「若いとき、行く先々で言われてたな…」としみじみ思い出しました。

 

大学院(パワハラ)でも、同級生に「情熱がすごい」とか、

仕事先でも「熱心な先生」と職員に言われたり。

 

そして、最近、久しぶりに受講生同士で「寝子さんは臨床に生かそうとする情熱がすごい」とか

純粋だなって思う。自分は寝子さんほどこの療法を信じられない」とか言われまして。

 

それで考えてて、私が一番引っかかるのは、

「見てるところが違うからだ」と気づきました。

 

向こうが悪いということでは決してなくて、

私はいつも「同級生や同僚、他の心理士がどういう心持で学んでいるか、仕事に取り組んでるか」なんて全く見ていないし、考えてない。

 

どうでもいい。。

 

だから、私には、私の心理に対する姿勢をわざわざ見て考えて言ってくる同業者にちょっと驚いていたんだろうと。

 

…私、自分のクライアントさん以外の人に全然興味がないんですよね…。

 

それを改めて認識して、

 

 

「横の繋がり」とかマジでどうでもいい、

世間話をするだけの心理士仲間とかいらない、

私は教えてくれる人が欲しい。。。

 

 

この自分の傾向をずっと「私はおかしいんじゃないか」って思ってたんです。

 

でも、このことを「根っからの臨床家なんですね」「それは天職ってこと」って言ってくれた人たちがいて。

 

それからは、「興味があるのはクライエントさんだけ」ということを前向きに捉えられるようになりました。

 

相手側の要因

…なんで私はこういう言葉に引っかかるんだろう?って思って、

私側の要因があるにしても、

 

向こう側にも何かあるよなと。

 

私側の要因がありつつ、他者との交流は相互作用ですから、

相手側の要因が関わっているのも事実であります。

 

「やりたいことがある」ことへの妬み

若いとき、「臨床心理士になりたい」と言うと、

さまざまなところで「夢があっていいね」「がんばってるね」等と言われてきました。

 

…これって、私の受け止め方の問題とは限らず、

 

本当に嫌味で

「あなたは夢があるだけいいじゃない。こっちはもっと不幸なの」

というメッセージが込められていたり、

 

「そんなにがんばって楽しいの?もっと遊べば?」

みたいな微妙なマウント取られていたりしたことも実際にあったと感じています。

 

心から「夢があっていいね」「がんばっているね」と言ってくれた場合は分かるから不快には思いません。

 

ただ、悲しいことに、

記憶に刻まれるのは、

前者の「褒め言葉の裏に込められた嫉妬や嘲笑」というネガティブな体験の方なのですよね…。

 

だからどうしても、このような言葉かけには構えてしまうようです…。

 

「一生懸命さ」に対する警戒

もう1つ、相手側の要因として

 

例えば職場で仕事を頑張っていると

「そんなに頑張ったって給料かわらないんだから」とか

「あなたは真面目過ぎる」とか言ってくる方がいます。

 

本当に親切心で言ってくれる方々もいる一方で、

 

「さぼってる自分が刺激されて、近くで頑張ってる人がいると癇に障る」という、

相手側の「さぼる自分を居心地よくしたいから他者の足を引っ張る」ということも、

実際ありますよね。

 

そもそも「頑張ってるね」「熱心だね」「純粋だよね」って、

自分より目上の人には思わないし言わない傾向がありませんか?

 

だから、私の場合も先生とか先輩とか関係性が上の人から言われれば、そんなに違和感はない。。

 

でも、同僚とか同級生とかに言われると、「ああ、馬鹿にしてるんだな」って思っちゃう…。

 

歪んでる???(自爆)

 

同じ立場の人にこういう言葉を数回言われると

 

「え、じゃああなたは?あなたは心理士としてがんばってないの?熱意はないの?心理療法に関して純粋に学ぼうという気持ちはないんですか??」

 

っていう内心「?????」状態になって、その言ってきた人の心中が理解できなくなる。。

 

そうするとモヤモヤするから、結果的に不快になるんですよね…。

 

心理士として

心理士として考えると、

 

「褒め言葉って言えばいいものじゃないな」って自分の体験を踏まえて再認識しています。

 

心理士としては、どうしても励ましたくなってしまうし、

その人の素晴らしさに気づいてほしくて強調して伝えてしまったりしがちです。

 

もちろんこういったポジティブな声掛けも大切だと思います。

 

でも、言い過ぎないように、押し付けないように、

その都度クライエントさんの反応をちゃんと見ることを忘れずにやっていきたいと、

気を引き締めました。

 

 

あと、一般的な褒め言葉や、他者からの何気ない言葉に引っかかってしまってもよいんだと思います。

 

「思考の歪み?」「私の受け止め方が偏ってる?」「素直に受け止められない自分が嫌…」等という視点も助けになるけど、

あまりにいつもだと、さらに自己否定を重ねてしまうことになって、

自分のどんな反応も良しとできなくなってしまう…。

 

だから「不快になる…」ということに気づいたら、

それだけで充分な気づきなのかもしれないなって思います。

 

 

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