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性被害サバイバーの1事例

ある性被害サバイバーの話39 ~大学院受験に再挑戦~

2021年7月19日

 

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メンタルケア心理士に合格して、とても嬉しい気持ちを感じ、年明けを迎えます。

 

回想:季節は1月

メンタルケア心理士の合格は嬉しかったです。

一方で「一般事務職」というその時の仕事が精神的にかなり限界にきていました。

毎日朝から晩まで働くことができなくなり、早退したり休んだりするようになっていきました。

 

解説:気力の限界

このときの勤怠は、「他職種をやる続けることへの意欲の限界」だったと思います。

フルタイムで何の興味もない仕事を3年間途切れ途切れながらもやってきて、

私なりに職場の人たちに多大な気を遣い消耗し、

はっきり言えば「もうやりたくない」という気持ちになっていたのだと思います。

 

回想:正社員への誘い

院浪人時代は、スタートが不動産・建築業の受付事務だったので、その後もその職種になりました。

当時、20代半ばだったこともあり、勤務する先々で「社員にならないか」と声をかけてもらいました。

その都度「臨床心理士になりたいので」と社員を断っていました。

 

3年目の会社では、私のような派遣の人が別の派遣会社から来ていて、

その人に「うちの仕事をしないか」とアルバイトですが誘われました。

 

アルバイトですのでお引き受けしたのですが、

「どうでもいい仕事の縁はくるのに、どうして臨床心理士の縁は結ばれないのだろう」

と思っていました。

 

解説:正社員への憧れ

大学院に受からずに派遣やパートで働いていることに、全く迷いが無かったわけではありません。

「正社員コンプレックス」がありました。

 

気持ちは「臨床心理士になるんだ」とどんなに強く思っていても、

大学院に落ち続け、歳だけはとっていき、「絶対に受かる」という保証はないので

「3年チャレンジしてダメだったらどこかで社員にならないともう雇ってもらえないかもしれない」というような不安もありました。

 

私の世代は「ロスト・ジェネレーション」と言われる「超就職氷河期」だったため、

正社員になったところで厳しい雇用条件であるところが多かったです。

 

今だったら正社員に憧れなど持ちません。

 

けれど当時はまだ「ロスト・ジェネレーション」と認知されてもおらず、

不況真っ只中だけれど、親世代の価値観が根強く残っていました。

 

大学院浪人3年目の時期は特に、不安が強くなっていたように思います。

 

そのため、大学院受験に突き進むことも、他職種で働くことも、

どちらにも迷いや不安が強くなり、踏ん切りがつかなくなっていたと思います。

 

その中で、「他の仕事をやり続けることの限界」を感じたことは、

踏ん切りをつける要因の1つになったように思います。

 

回想:奮起

当時「置かれた場所で咲きなさい」的なフレーズも流行っていたような気もします。

だから「縁があるほうにいったほうがいいのかな」と迷いが強くなっていました。

 

どっちつかずの状態であった「院浪人3年目」ですが、

メンタルケア心理士に合格してすごく嬉しい自分を実感したことで、

「やっぱり臨床心理士を諦めるわけにはいかない」

ともう一度奮起します。

 

「建築業は縁があるのかもしれないけれど、他の仕事の全ての縁を切っていいから、なんとか臨床心理士との縁を結びたい」と気持ちを新たにします。

 

解説:メンタルケア心理士資格の意味

メンタルケア心理士資格は、そのものにはほとんど価値がないと思います。

しかし、当時の私には必要だったと振り返っています。

 

「心理学が楽しい好きだ」という気持ちを蘇らせてくれ、

「心理カウンセラーという職業には結びつかない」と分かっていても、

それまで生きている中で一番嬉しいと言っていいほど、合格したときは嬉しかったのです。

 

そういう自分を知ることができた。

 

そのことで、何度も大学院に落ちたショックや母のガンや家族との軋轢や自分の体調などのことで

疲弊していた私にパワーをくれました

 

余談ですが「置かれた場所で咲く」ことが適切なこともあれば

「置かれた場所では咲けません」と判断することもとても重要であると、この歳になるとつくづく思います笑

 

回想:大学院受験をする

どうするか決められなかった春(2月ころ)の大学院受験をしようと決め、

勉強を再開します。

 

ただ、2年目のときのような「毎日徹夜」みたいな勉強はできず、

仕事から帰って1時間程度しかできていなかったような記憶ですが、それでも細々と再開します。

 

大学院は、それまでは「自分がやりたい研究が行える研究室」を探して受験していました。

そのため、自分の興味と受験先の教授の専門を擦り合わせて研究計画書を作成していました。

 

でも、願書出願まで時間がなかったですし、「どこでもいい」という気持ちになっていました。

そのため、過去の受験で使用した「研究計画書」でも受験できそうな大学院を探しました。

 

解説:諦められるところは諦めた

「自分が行きたい研究室に行こうとするのは諦めよう」と、

良い意味でも妥協したのだと思います。

 

でも、私はお金と脳みそがあったら「博士課程に進みたい」と思っていたほど、研究がしたかった。

だから「どの教授の下で学ぶか」というのはとても大事なことですし、

それは大学院であればどの学問でも同じだと思います。

 

けれども、「臨床心理学の大学院」というのは少し異なる側面を持っていました。

それは「臨床心理士資格取得には修士号が受験資格に必要」なために、

「研究者になるつもりがない学生でも臨床心理学科では大学院に進む」という特徴です。

むしろ、「学生のほとんどが修士で卒業することを目的として、研究者になるつもりはないことが多い」のが

「臨床心理学科」の大学院でありました。

 

そのため、研究の色は薄い大学院も多かったのです。

 

そうはいっても大学院は本来は研究する場です。

私はお金もないし頭も良くないので、大学院は修士までで終わることがわかっていました。

だからこそ、「せめて2年間は最初で最後の研究をしたい」と強く思っていました。

 

でも、これまで受からなかった。

 

だから研究の側面は一部諦めて、とにかく大学院に入ることを目標とし、受験する大学院を決めました。

 

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なんとか受験できる大学院を見つけて願書を提出し、受験日を迎えます。

 

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