前回の続きです。
被害内容を振り返る前に、
被害の傷の回復に大きく影響する家族についてのお話です。
家庭背景
私の家庭は、普通の家庭だったのだろうと思っています。
でも、私にとっては、憎しみや恨みが強く、縁を切りたい家族です。
ただ、機能不全や毒親だったかというと、
はっきりとそうだとは言えない、微妙な、
つまりは「よくある家庭」だったのだと思います。
小さいころ、両親は不仲で、父親が気難しくギャンブル依存気味で、
1円でも多く自分のギャンブルにつぎ込みたい人だったので、
家庭の経済的状況は余裕がなかったことから母はたびたびヒステリックになっていました。
さらに父は自分の母親が幼少期に自死していたり、持病があったり、
結婚前は外国籍だったりと、社会的にもいくつもハンデを抱えていて、
職場でも出世できずイライラしていたそうです。
父本人の気質も意固地だったこともあり、母親は苦労したようです。
今の知識で考えると、父親は「モラハラDV」に該当すると思います。
加えて、父は、重めのASD(発達障害)だったと間違いなく思います。
しかし、団塊の世代ですから全く気づかれぬままです。
そのような父の状況で、母親は情緒不安定でヒステリックだった。
きょうだいは兄がいて、私にとって兄は「いつもえばっている人」でした。
母は兄を可愛がり、それは大人になるにつれてより顕著になっていきました。
母は、「夫が頼りにできないので息子に依存していくパターン」ですね。
親子関係ときょうだい関係は、元を辿れば夫婦関係ですね。
夫婦関係の悪さや夫婦の関係性の不健全さが子どもに向かう。
そして、親が平等に子どもに接しないことで、きょうだい仲が悪くなる…
とにかく、私にとって家庭は「安心してわがままを言える場所」ではなかったですね。
家族の脆弱性
「機能不全家庭」や「毒親」という状態は、
線引きがあいまいですよね。
明らかにそうである場合ももちろんありますが、
グレーゾーンにいる家庭はものすごく多いと思います。
トータルで考えると、
私は、原家族を「機能不全」というより、
「何もなければ普通の家族だったが、家族の1人に何か不幸が起きたことで家族の脆弱性が露呈する」
ケースであったと捉えています。
私のケースであると、私の性被害が「家族の1人に何か不幸が起きた」ことに該当します。
心理士として働いて、このような「何もなかったらきっとなんとか回っていただろうご家族」を目の当たりにしてきました。
お子様がいじめや不登校になってしまったり、
発達障害であることが分かったり、母がうつ病になってしまったり、父がリストラされたり、
そうしたある出来事で崩れていってしまう家庭があります。
もっと正確にいうなら、崩れるというより、その家族の弱さが露呈する。
そしてそれらの家庭全てが機能不全であったか、
親としてことさら能力がなかったのかというと、
そうとは言い切れないというご家族たち…。
私の家族の場合は、両親は、私の事件をまるでなかったかのようにすることで、
なんとか「普通の家庭」であろうとしたのではないかと捉えています。
つまり、「私だけ原家族に入れなかった」という表現が、
一番しっくりくる感じです。
父母兄の関係性が極めて健全だったとは思いませんが、
「父母兄の3人は、家族という特別な関係性で繋がっていると認識していた」とは思います。
私は、被害に遭ったことで、彼らと同じテーマを共有できず、
私の傷を共有してもらえず、「彼らのもつ家族の認識の中に入れなかった」という感じです。
仕方がなかったのだろうと思う反面で、
私から精神的に逃げるか追い詰めるかしかしなかった家族たちを、
今でも憎んでいるということも事実です。
人の「向き合うことのできない弱さ」というのは、いろいろな場面で遭遇しますね。
「家族だから支えあえる」なんて一部の話しで、
家族だからこそ支え合えない、という家族の脆弱性を考えさせられます。
私は「もうほぼトラウマからは解放された」と言えるくらいになった今でも、
家族のことは憎んでいるのです…。
「家族」がもたらすものって、甚大ですね…。
私でさえそうなのですから、虐待や機能不全の家庭で育った方々のお気持ちはどれほどだろうと想像を絶します。
ただ、このブログでは家庭の問題よりも、
あくまで「性被害」における私のその後に絞っています。
それでは、この後から、1回目の被害を振り返りながら心理学的考察をしていきます。
続きはこちらです。5歳時の被害を振り返ります。