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トラウマ 心理豆知識

【基本的信頼感の欠如】被害が奪う根源的な安全感 ~強い不安感と恐怖心~

2021年7月31日

 

人の感情や思考、身体などのあらゆる機能の発達は、

心身が完成するまでの環境や経験の影響を極めて強く受けます。

 

能力面だけでなく、「この世を見る目」ともいえる「世界観」についても、

安全に育った場合と、安全を脅かされる体験をした場合とでは、さまざまな面で異なります。

 

幼少期の家庭環境や被害体験の有無は、その人の世界観に大きな影響を及ぼします。

 

ネガティブな世界観を作り、重い生きづらさの原因として「基本的信頼感の欠如」が考えられます。

「基本的信頼感」は、人の心の基盤となるとても重要な感覚です。

失われると、PTSDや不安障害などの症状の原因にもなります。

 

そこで今回は、理不尽な被害に遭った場合や、

機能不全の家庭で育った場合に失われるとされる「基本的信頼感」に関して、

トラウマの影響をご説明したいと思います。

 

「基本的信頼感」とは

今回取り上げる「基本的信頼感」とは、

まさに「この世に対して基盤となる信頼感」を意味します。

 

「基本的信頼感」は人の心の土台となる安全感です。

 

人の心の基盤となる感覚ですので、「基本的信頼感」があるかないかによって、

自分を含めたこの世全体に対する認識がまるで変わります。

 

「信頼」か「不信」か

基本的信頼感を得られることができると、希望を持ち、その後に出会う様々なものを「信じる」ことが可能になります。

自分自身のことも「基本的に」信頼できるでしょう。それは自己肯定感にも繋がると思います。

 

これに対し、基本的信頼感を得られなかった場合、不安や恐怖心といった負の感情は消えず、

基本的不信を持ち続けることになるとされています。

 

生育過程で育まれる

子どもの頃を思い返してみたとき「雷がすごく怖かった」「真っ暗が怖くて夜中にトイレに行けなかった」というような不安感や恐怖感が、

大人になったときに比べて強かった人は多いのではないでしょうか。

 

それは、子どもであるとまだ経験や知識が少なく、この世の仕組みが分からないこと、

さらに心身の状態が未熟で「自分ではどうにもできない」という無力であるために、

大人よりも不安や恐怖に敏感だからです。

 

そのような「不安」「恐怖」を養育者に代表される周囲の大人が「大丈夫だよ」と安全の経験を積み重ねてあげることで、

「基本的信頼感」が育っていき、世界に対する不安や恐怖が和らいでいけます。

 

「基本的信頼感」が欠如した状態

「基本的信頼感」が「欠如」した状態というのは、

「この世に対する基盤となる信頼感がない」という状態です。

 

基本的信頼感は後天的に育まれるものです。

そのため、劣悪な家庭環境であったり幼少期に犯罪被害に遭ったりした場合、

基本的信頼感が獲得できないとされています。

 

「安全の経験の積み重ね」がなかったら、「基本的信頼感」の欠如した状態になります。

 

それは具体的にどのような状態であるのか、基本的信頼感の欠如が及ぼす根底の心理状態を整理していきます。

 

「この世は危険」という世界観

まだ人格ができる前に被害に遭ったり、機能不全家庭で育ったりすると、

必要な「安全感」を得られないままになり、強い不安や恐怖心を抱えたまま過ごしていくことになります。

 

「この世は安全ではない危険な場所だ」という世界観を持ちます。

 

もし「虐待」など「直接的な加害者が親」であった場合はなおさらです。

「安全」を感じられることはなく、とても苦しい状態で不安や恐怖に耐え続けることが「普通」になります。

 

また、成人後に犯罪の被害にあった場合でも、

それまで抱いていたこの世に対する基本的信頼感が崩壊してしまうことも珍しくありません。

 

意識に上がらない深い世界観

私たちは日々生活する中で、

いろいろなことを意識せずに生活できるから健康でいられるという面があります。

 

有名な例えですと

「人は誰しも死ぬ。でもそのことを意識しないようにできている。だから健康で生きられる」

という言葉を聴いたことがある方はいらっしゃると思います。

 

これは、「死ぬという恐怖」を、

多くの人は「通常は意識しないで済むことによって恐怖を感じないで生活できる」ということを端的に伝えていますよね。

 

それだけ「恐怖」という感情は、本来いくらでも生じうるもので、

多くの事柄に対して抱いてしまうと「生きていくことを苦しくする」という感情であるといえるかと思います。

 

「基本的信頼感」は、「可能性の低い危険性については安全感の方が勝つ」という機能で人の心を守ってくれるものです。

 

ところが「基本的信頼感」が失われていますと、んなに可能性が低い危険とはいってもそれに勝つ「安全感」がないのです。

 

そのため、通常は意識しないでいられることに対しても恐怖感や不安感を抱き続けることになります。

 

この無意識レベルを言葉にするなら

「突然天井が落ちてくるかもしれない」

「道を歩いているときに突然道路が陥没するかもしれない」

等といった普通の日常を脅かす不安感恐怖感です。

 

このような恐怖や不安を抱きながら生きているとしたら、どんなに苦しいか、想像を絶しますよね。

 

意識に上がる状態

「基本的信頼感」は通常は意識されない深い世界観ですので、

本人も「空から隕石が降ってくるかもしれないから怖い」「歩く道に落とし穴がしかけられているかもしれないから怖い」といったようには意識されていません

 

意識上には、漠然として慢性的な不安感や強い警戒心、緊張感などとして表れると推察できます。

 

これは日常生活や社会生活上において広範にわたってさまざまな影響を及ぼします。

 

得体の知れないの不安や恐怖

意識に上がって認識できるのは

「よくわからないけど、とにかく不安。怖い」といったような「得体の知れない不安感・恐怖感」であり、

漠然として原因もわからないことがさらに不安感を強めてしまいます。

 

幼少期からですと「安全」を知りませんので、その不穏な心中が「当たり前」と思っていることがほとんどです。

大人になるにつれて周囲と比べることで違いに気づき、自身の不調に気づくことも多いですが、

原因がわからず苦しみを抱えたままになりがちです。

 

体力や気力の消耗・体の不調

基本的信頼感が基盤となっていれば「安全であることへの自信」によって、

新しい事柄へ挑戦していくこともできますし、出会う人たちに対して「安心」からスタートできます。

 

一方で、日々不安や恐怖に占められていたら、身を守るために何事にもまず「警戒」する必要があります

 

そして、このような深い不安感や恐怖感を抱きながらなんとか自分を守ろうと必死に生きる日々は、とても消耗します

気力体力のほとんどを費やします。

本当に「生きているだけで精一杯」という状態です。

 

日常的な体力気力の消耗によって、

同世代の平均より活動量が減ってしまったり、

体の凝りや腹痛などの身体的な不調も抱えやすく、

自覚している以上に疲弊した状態になっていることが珍しくありません。

 

「基本的信頼感」が得られている人たちは、このような深く重い不安感や恐怖感を抱えないで済んだことで、

自分のエネルギーのほとんど全てを他のことに遣うことができただけです。

 

病の原因となる

「基本的信頼感の欠如」は、不安障害やPTSDなどの何らかの症状の原因となりえます。

 

例えば、PTSDの『未来の短縮化』という症状は「長生きできる気がしない」という感覚を引き起こします。

この感覚を生じさせる原因は「基本的信頼感の欠如」による「この世は危険」という感覚によるものではないかと推測できます。

 

未来の短縮化

PTSDの症状の1つに「未来の短縮化」があります。

「積極的に死のうとは思わないけれど、危険だらけのこの世で長生きできる気がしない

普通の職に就いたり幸せな家庭を築いたりできる気がしない」といった感覚です。

健全に育った人たちが当たり前のように将来の夢や目標を語ることができる一方で、

無理に話を合わせながら「自分は将来を想像できない」と不思議に感じていたり暗い気持ちになっていたりすることがあります。

 

このように被害による傷は、未来の展望にも大きく影響します。

 

また、PTSDの過覚醒やトラウマに起因する不安障害は、

「基本的信頼感の欠如」が原因となった「過度の緊張状態」

「日常生活に支障をきたすほどの不安感」である可能性が考えられます。

 

二次的な影響

劣悪な家庭環境で育ったり、理不尽な被害に遭うなどによる直接的な苦しみははかりしれません。。

さらに、世の中は「安全に育った健康な人」を一般に「普通」と見なすため、

そうではない自分に対して

「何かおかしいんじゃないか」「自分が過敏で弱いのではないか」「どうしてこんなに体力がないのだろう…」

などのさらなる負の感情を背負ってしまうといった二次的な苦しみを伴います。

 

自分への不信感

基本的信頼感の欠如によって

「頭では“安全”とわかっているのにどうしても不安で怖い…」

「なにが不安なのか自分でもわからない…」という状態に苦しむことは少なくありません。

 

ご本人はそれがトラウマの影響であるとは分かりません。

ご本人にも「得体が知れない負の感情」のために自分を理解できず、

周囲からも責められることが多いなどもあいまって、負の感情そのものの苦しみだけに留まらず、

自己否定感や劣等感などを強めてしまうことに繋がってしまいます。

 

周りの人たちと自分を比較して、

「自分は人よりも過度に不安になってばかり」「他人を信頼できない自分は疑い深い性格なのだ」

「どうして自分はこんなに臆病なんだろう…」「分かっているのにどうしてできないのだろう…」

と自分を否定的にみて、さらに苦しみを深めてしまいます。

 

孤独になる

基本的信頼感の欠如は、当然ながら対人関係にも影響します。

 

トラウマティックな体験をしたり機能不全家庭に育ったりしますと、

そもそも同級生と話が合わないことが多いです。

世界観が違うのですから当然のことですが、

学童期から青年期の当時のご本人にとっては、友人関係は死活問題といえるほど重要だった時期もあるかと思います。

 

「同世代と話が合わない」という影響に加えて、

基本的信頼感の欠如によって、

他者に対して信頼が先にくるよりも不安感や警戒心が先に来ます

 

警戒心が強いため周囲に馴染めないことも多く、心を許せる友人ができにくいため、

世の中に対して「信頼」を感じられない経験を重ねてしまうことになり、

どうしても「不信感」を強化させてしまう状況になりがちです。

そのことでさらに劣等感や自己否定感を強めてしまうことも少なくありません。

 

先ほどの「周囲と自分を比較する」ことにも関連し、

周りとの差に気づいていくと、なおさら分かり合える同年代を得られにくいということが起きます。

 

他のトラウマ反応とも関連し、どうしても孤独になりがちであると思います。

 

本能的な適切な反応

ご本人はとても苦しくしんどいことは言うまでもありません。。

ここまで述べたように「自分はおかしいのではないか」と考えてしまうことも当然です。

 

しかし、「基本的信頼感」が失われた状態であるとしたら、

「得体の知れない不安感」を抱えるのは、なんらおかしいことではありません

 

身を守るための人間の本能的な反応です。

 

一見すると「普通ではない反応」は「当然の反応」であるから、心理学的にも名前がついて概念化されています。

 

そして「不安」と「恐怖」は人が生きるために必要で、無くすことはできない感情として有名です。

 

当然の反応である

大事なことは、自分を苦しめている要素は、身を守るために必要な反応であり、

なんらおかしいことではないと知ることなのではないかと思います。

 

むしろ、そのような恐怖や不安を持ち続けながら、

本当によくがんばってここまで生きてきたのだと思います。

 

トラウマ反応

もう一つ忘れてはいけない視点は、「トラウマ反応」ということです。

「基本的信頼感」が失われるということは「安全感の崩壊」であり、トラウマ体験と深く関連します。

 

仮に「安全な環境」になっても「トラウマ反応」は継続してしまうことが多いですし、

「安全になったから治療できる」という意味合いで、PTSDやうつ病の発症など、

苦しい症状が強くなることがありますよね。

 

回復するには

「基本的信頼感」は一朝一夕に獲得できるものではないことは事実だと思います。

 

それでも、「基本的信頼感」はトラウマと関連が深いため、

「トラウマ治療」を行うことで同時に回復していけると思います。

 

トラウマ治療

現在はさまざまな治療法があります。

直接的に治療できる症状を治療していくことで、他のトラウマ反応も軽減することができます。

トラウマに特化したものに限らずとも、心理療法やカウンセリングなどを受けることで症状の軽減がある程度見込めると思います。

一方で、例えばPTSDの症状はほとんど改善されたけれど、被害に対する怒りや、外出時の不安や恐怖、自己否定感などはなかなか軽くならないという場合もあります。

そういった部分に、自己理解を深めることが助けになることがあると思います。

 

病気の症状に関してもそれ以外の特性に関しても、

ご自身を理解することは苦しみの軽減に繋がると思います。

理解できただけで充分であることもありますし、適切な対処に繋がることもあります。

 

ここで書ける範囲で「基本的信頼感の獲得」について整理したいと思います。

 

安全な経験を積む

「安全な場所や関係性を持つ」ことは、

直接的に「基本的信頼感」を取り戻すことに繋がります。

 

少し気をつけたいなと思うのは、

トラウマがあると「不安や恐怖が強いのが通常」「乗り越えなきゃという気持ちが強い」「自分の感覚を信じられない」等といった要因によって、

「自分を傷つける環境に居続けてしまう」傾向があると思います。

 

けれども、人は「健康になろうとする本能」が根底にあります。

なので、根本的には良い方向へむかおうとし、危機的な環境下では「病」となって知らせるなど、

なんらかの「サイン」を発しています

 

なので、どうかご自身から発せられているサインをスルーせず、信じて、危険な場所からはできるだけ離れ、

安全な居場所を増やしていけたらと思います。

 

タイムラグがある

トラウマがあると、その場その場で自分の感覚を感じることが難しくなっています

そのため、不快な出来事があったとき、その場では何も感じずに受け入れたりスルーしたりします。

時間が経ってから、違和感や不快感を感じることがあります。

ご自身にとっては自己矛盾などを感じてしまうかもしれませんが、

不快な感情はタイムラグがあることを知り、

感じられたタイミングで、その感覚を拾ってあげることが大切であることがあります。

このタイムラグに関しても、全体的に回復していくとだんだんと縮まっていき、

タイムラグがなくなっていけるようになれるかと思います。

 

「不安感」への対処

「基本的信頼感の欠如」はさまざまな影響を及ぼします。

その中で、意識できる部分で最も顕著に現れるのは「不安」だろうと思います。

 

「不安」は、

「漠然としていればいるほど膨らんでしまう」

「不安に関心を向け過ぎてしまうと行動が不安に牛耳られてしまう」という特性を持っています。

 

そのため、一般的な「不安感」への対処は、

“漠然”より“具体的に”する」

「不安を肯定しながらも関心を向けすぎずに行動していく

といった対処が一般的です。

 

ポイント

・不安の中身を書き出すなどアウトプットして具体化する

・一旦、具体化を試みた後は、不安を肯定しながらも構い過ぎずにやりたいことをやっていく

 

(詳しい対処法は「不安障害②」の記事で解説していますのでご興味があればぜひ)

 

理解すること

先ほどの「不安は漠然としていると膨れ上がる」ことにも通じますが、

直接感じる不安に限らず、

全般的に「知らないから」「わからないから」ということが根本的な不安感を強めさせる要因の1つになっています。

 

この要因は「子どもの頃は不安感や恐怖感が強い」ことにも通じます。

 

なので、「知る」「理解する」ことはそういう面でもとても意味があるのだろうと思います。

 

「基本的信頼感の欠如」は「安全感の欠如」ともいえますので、「不安」「恐怖」として感じやすいです。

もしそれが「トラウマ反応」だとしたら、それを知るだけでも意味があると思います。

 

コンプレックスの原因

「苦手」「不安」への対処としてだけではなく、

「知らない」「経験がない」ということは、

それだけで劣等感やコンプレックスになり得ます

実際は大したことでなくても、経験できなかったことや知らないことに対して、

人はコンプレックスを抱き、不必要に劣等感を強めてしまう傾向があります。

この傾向についても「経験のないことに対して“とても価値があることに違いない”と過大に見積もってしまう」という心理を知っているだけでも

苦しみが緩和されることがあるのではないかと思います。

 

「自分を誤解せず、知る」だけで、癒しになります。

さらに、それこそ「安心」を連れてきてくれる要因にもなります。

 

できるところから知っていく

少し浅いレベルの話になりますが、

「苦手を克服したい」となった場合、「その苦手な物事について徹底的に調べる」ことで不安感や苦手意識が和らぐと指摘されています。

 

例えば、飛行機が苦手であったら飛行機について詳しく知る。

「知識を得る」ことと「苦手」は心理的に両立しにくいといわれています。

 

「わからないことは苦手意識や不安感を強める」という心理作用があります。

そのため、深層だろうと表層だろうと「理解すること」は不安感を和らげる対策になります。

 

注意ポイント

ただ、情報過多によってかえって不安を強めることもあります。

「テレビやネットは見過ぎない方が精神安定に良い」というのは事実です。

ご自身の状態に合わせることが必要かと思います。

「調べて知ることが精神安定に繋がる」場合は、状態が悪くなく、知りたい対象が特定されていて、

正しい情報源であるなどの条件が必要かもしれません。

最も大切な基準は、シンプルに「自分は知りたいかどうか」で判断されていいのではないかと思います。

 

ご自身のリソースに気付く

現在の対処以上にとても重要なことは、今日までの道のりがどれほどに過酷であったかを知り、

ここまで歩いてきたご自身の苦労や努力、能力などのリソースに気づくことだと思います。

 

今まで述べたようにこれまで

「自分が普通とは違っておかしいのではないか」「心身が弱い」等とご自身を誤解していることが多いです。

 

重ねますが、それは当然で、自己否定が強いことも含めてそうならざるを得なかったのだと思います。

 

基本的信頼感の欠如による一次的な困難さに加えて、二次的な苦痛も重なった上で生きてきたことは、

「がんばった」という言葉では到底表現しきれないことです。

 

そのようなご自身のリソースに気づくことは回復にとても重要だと思います。

 

大人になるにつれて獲得している部分

「基本的信頼感」について「子どものときほど不安や恐怖が強い」と先に述べましたが、

それは経験や知識や自己効力感がないためです。

 

幼少期に被害に遭ったり、家庭環境が劣悪であると、

大人になっても「基本的信頼感」という基盤を強固に持つことは難しいかもしれません。

 

けれど、それでも、少しずつは獲得できていることが多いです。

何か特別なことをしなくても、ご自身が何十年もとても苦しい中で生きてきた中で、

小さい子どもだったときには知らなかった知識や経験を身につけていっています。

 

もしそれが実感できないとしたら、自己否定が強いことが原因である可能性が高いです。

 

もちろん「一切の不安はない」という状態ではないですし、苦労は多いかと思います。

 

それでも、苦しい中で「無力だった幼い自分」から「ある程度は自分で決めて行動できる」という自己効力感を

ご自身でちゃんと育てられてきたケースばかりです。

 

そのことに気付くだけでも、「自分への信頼感」を強めることができ、

それが「基本的信頼感」を強化することに繋がります。

 

家庭環境が劣悪であったり、理不尽な被害に遭ったりしますと、それは一生に影響します。

 

なので今現在も苦しい思いを抱えていてもおかしくありません。

ただ、丁寧に振り返ると、きっと変わっていると思います。

 

大事なことは、

「自分はダメだ」「自分はどうにもできないんだ」という症状というべき思考を信じ過ぎないことだと思います。

 

「基本的信頼感」が失われていたのなら、それを当然のように持ち合わせている人たちとは異なって当然です。

それは、ご自身が悪いわけでもおかしいわけでもありません。

 

荒野を地図なく歩いてきた

基本的信頼感が無自覚に備わっていた人は無意識的にも意識的にも「安全なロードマップ」を得られて生きてきたといえます。

それは「明るい道筋」ともいえます。

 

一方、何の土台もなく、地図を持たず大まかな道筋など全く分からなかったら、

とても不安で怖くて大変ですよね。

 

基本的信頼感がない状態は、

マイナスの状態から自分で作っていかなくてはいけないしんどさや、

分からないことへの不安や恐怖があります。

 

最初から安全を持っている人たちよりもはるかにしんどい状況の中を生きてきて

自分で基本的信頼感を少しずつ少しずつ獲得してきていることは、本当にすごいリソースです。

 

どこに時限爆弾や地雷が埋まっているかわからない、

例えるなら出口のない戦場の中を生きてきたというような過酷な道を歩いてきたことは、

どんなに労っても足りないほどだと思います。

 

周囲と世界観は異なって当然

得体の知れない強い不安感を抱えていたとしても、

自分がおかしいわけではありません。

 

ただ、確かに、被害に遭っていない人や機能的な家庭で育った人とは、世界観は異なるかもしれない。

そのことによる寂しさや孤独感、自己否定感を抱えていたらちゃんと癒したいと思います。

でも、おかしいことでは決してないし、自分で自分を必死で守ろうとしていたという証なのだと思います。

 

世の中の人へ

犯罪は、冒頭に述べたように、

普通の人が当たり前に無意識で得られている「床は突然抜けない」「歩いているときに爆弾が落ちてこない」といった

意識にすら上がらない「安全感」を被害者から奪うのです。

 

虐待や性犯罪などの犯罪被害に遭うということは、この「基本的信頼感」を失わせるのだということを、世の中の人に知ってほしいと思っています。

 

「突然家の天井が落ちてきたらどうしよう」「歩いていたら落とし穴に落ちたらどうしよう」というような不安や恐怖を抱えて生きることが、どれほどのことか、

世の中の人に想像して欲しいと願います。

 

もちろん、このことだけで加害行為の酷さを表すことなど全然できていません。

 

それでも、一部だけでも想像して欲しいなと思います。

 

 

そうは言っても、世の中の「普通の人たち」は全く見ないのだろうと分かっています。

(寝子の弱小ブログだし…)

ただ、届かなくても、言い続けることが職責の一つだと思っています。

 

 

心身に表れるSOSは、1つの原因や病名で説明しきれることのほうが少ないと思います。

けれども、「自分で自分を理解できない」という状態は、

意外なほどにご自身を追い詰めてしまう要因になっていることがあります。

 

自分自身を責めてしまうときや、誰かから非難されたときなどに、

せめて心の中だけでも自分で自分の味方ができる理論を持っていることは、

ご自身を守ることができる力強い武器になりえると考えています。

 

 

心理学の知識が、苦しんでいる人の力に少しでもなれることを願っています。

 

 

 

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トラウマ反応として、

トラウマティックな出来事を繰り返してしまう「再演」の記事

加害者を好意的に思う心理である「ストックホルム症候群」の記事などもございますので、

ご興味があればぜひ!

 

 

長くなってしまったのに、最後までお付き合いくださってありがとうございましたm(__)m

 

暑い日々が続いておりますので、皆さまどうか心身を大事になさってください。

 

またのお越しをお待ちしております!!

 

 

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