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心理雑談 感情

トラウマに関する「怒り」 ~「怒りを出す」ことにこだわらなくていい~

 

こんにちわ~。

 

先週末まで天気の変化が激しく気圧が乱高下、

強風も続いていて体調に響いた方もいらっしゃるかと思います。

 

今週は安定しているかなという感じですが、今度は暑いですね汗

でも朝晩はまだ冷え冷えするので、温度調整が難しいですねぇ。。

 

 

 

今日は、「怒り」について、今までの記事とはちょっと違った角度で気楽に書いていきたいと思います!

 

 

「うまく怒りを出せていない気がする」

“回復のためには怒ることが必要”と聞くけれど、どうしたらいいかわからない

「治療者に身体症状の原因は“感情を抑圧しているから”と言われたが、どう出していいかわからない

 

といった気持ちになってモヤモヤしていることがあったら、

少しのモヤ晴らしになれたらと思います♪

 

 

「怒り」という感情の扱いづらさ

「怒り」というのは扱いが難しく

不適切な形で行動化してしまうとそれこそ犯罪に走ってしまうなど人を傷つけてしまうものです。

 

「怒り」というのはそもそも「交感神経」の活性化による「戦うか逃げるか」という可動化のための情動です。

 

なので、そももも「危機的なサイレン」を体に起こし「勢いよく」行動するように促すものです。

 

なので、体力がなかったり「強い衝動」に慣れていなかったりすると、

自分自身の反応そのものに「恐怖」を感じ

封じ込めることもあります。

 

「仲良く」「穏便に」という状態からは反対で、その場を打破しようとする「破壊力」をもつものです。

 

なので、実際には戦うことも逃げることも他の動物のようにはできない人間にとっては、扱いが難しいのですよね。。。

 

支援者側の問題

他の記事で「怒り」に注目している通り、

トラウマからの回復において、特に虐待や性被害、いじめなどの犯罪被害にあった際には

「怒りを感じる過程は重要」とされています。

 

 

ただ、自戒をこめてになりますが、これは

「じゃあ怒ったら怒っただけいい」

「ストレートな怒りを感じて納得が来るまで表出できないと良くならない」

ということではありません。

 

 

ただ、どの支援者も本でも、まっとうであれば「怒ることは大事」と助言します。

 

その主旨は「正しい知識の提供と応援」なのだと私は考えていますが、

支援者側が強調して言い過ぎる傾向があり、

そのせいでクライアントさんの中には「うまく怒れない自分は良くなれないのか」「どうしたらちゃんと怒れるだろうか」と、

返って苦しみを生んでしまっていることがあると思い、

今日、このようにツラツラと書いてみたいと思いました。

 

 

支援者は言い過ぎる

誰より私たち支援側が「怒りを抑圧せずに出しましょう」「ちゃんと怒ることが回復に必要」と言い過ぎなのですよね。。

 

「うまく怒れない・・・」とモヤモヤされている方がいらっしゃったら、代表して(?)謝りたいです。

 

では、なぜ「怒りの重要性」を強調しすぎてしまうのでしょうか。

 

それは、「怒ることは良くないこと」「自分が悪かったから」という呪いが非常に深いケースが多いので、

軽く1回「怒りは大事ですよ~(アッサリ)」と伝えたぐらいでは、そうは入らないことが当然だから、

 

どうしても「呪いを解く!」的な勢いでもって

強調し言い過ぎてしまう傾向になるんだろうと自戒を込めて振り返っています。

 

「ちゃんと怒らないと回復できない」

そもそも「ちゃんと怒らないと回復できない」とされているのは、

トラウマに苦しむ被害者の方々が「自分が悪かったから」と不要に自分を責めてしまっていることが多いこと、

一般的に「怒ることは悪いこと」という教えが洗脳的に身についてしまっていることに対する、

 

正しい事実の提供と、怒りを少なからず感じた場合に「それで良いですよ」という応援だと私は考えています。

 

ですので、例えば認知行動療法の思考や行動を日々記録して「いつも注目し続けて、ちゃんと日常的にトレーニングしなければいけない」という類の主旨ではないと思っています。

 

むしろ「怒り」などの感情は「考え方」や「行動」のように選べるものでもないですし、

本来は意図的に出すというものでもないので、

本当はもっと気楽にとらえて、「出てきたときに対処しよう」くらいでいいのですけど、

なかなかそうはできない“重さ”を伴う感情が「怒り」ですよね・・・

 

「怒り」に対する多様な分析

もう1つ、クライエントさんを悩ませてしまう可能性があるものに「怒りは多様に解釈できる」ために、

支援者側が様々な見解を述べるということが思い当たります。

(関連記事「怒り」に対する防衛機制

 

この「専門家による多様な解釈」にクライエントさんが戸惑ってしまうことがあると思います。

 

「感情が教えてくれること」でも「怒り」を取り上げていますが、

「怒り」には大事な役割があります。

 

ただ、これまでも述べたように、その扱い方は簡単ではないため、

心理学的にも「怒り」はあらゆる分析の対象となっています。

 

「怒りは外に出されないと内向きになり自己否定や自己嫌悪になる」とか「怒りを抑圧していると身体症状が出る」とか。。

 

もちろんこれらの解釈はそれなりに妥当だと考えられています。

 

でも、実際は、そう単純ではないということと、支援者側の「言ったもん勝ち」な短所があります。

 

専門家に「それは怒りを抑圧しているから」と言われてしまえば、証明のしようがありませんので、「そうなのかな・・・」と思わざるを得ません。

 

忘れないでおきたい非常に大事なことは

 

どのような解釈も学術的な説明も療法も、

 

 

あなたの状態を良くするためにある

 

 

ということです。

 

ですので、私たち支援者はあらゆることを提案したり分析したりしますが、

それが合わなかったり逆にモヤモヤを増したり負担になったりするなら、

取り入れなくていいということです。

 

先ほどの「言ったもん勝ち」的な分析でいえば、「自己嫌悪は怒りが原因かも」等と言われて、そのときに「ああ、そうかも」と腑に落ちたのであれば、きっと適切な気づきに至れたのだと思います。

 

「どうだろう?」的なよくわからない感じであれば、その解釈にこだわらず「ふーん」くらいで受け流していいのではないかと個人的には考えています。

 

被害者側の傾向

今回の「怒りを出しましょう」と同じように

「自己肯定感を上げましょう」にも同様の問題が起きていると思います。

 

支援者が言い過ぎることで、「自己肯定感が低い自分はダメなのか」と落ち込ませてしまう逆効果。。。

 

これは、支援者側はもちろん、受け手側のクライエントさんの特性との相互作用で起きる部分もあるかと思います。

 

次からは、クライエントさん側の要因について整理したいと思います。

 

「期待」に応えようとする

支援者と「怒ることは必要」と話題になるということは、

前提が「あまり怒ってこなかった」「怒れる環境ではなかった」

というクライエントさん側の歴史があるのだと思います。

 

そうであれば、「怒り」という極めて率直な自己主張は許されなかったということで、そうなると、

「自分がどうしたいかよりも周囲の期待に応えようとがんばってきた」傾向があると思います。

 

なので、それがカウンセリングなどの治療場面でも出て

「カウンセラーや医者の言うことをきかないと」と無意識に合わせていることが少なくありません。

 

「それは違います」なんて支援者に言えませんし、

言えたとしても一大決心して何か月も主治医やカウンセラーの助言を反芻して検討してやっと申し訳なさそうにおっしゃられることもあります。

 

逆に、比較的抵抗なく「そうでしょうか?」というような感じで支援者側が提示したことに対し、

ご自身が「合ってないかも」と感じてそのような見解ややり方に異を唱えられ、

そういったやり取りがスムーズに支援者とできているなら、非常に良い関係性だと思います。

 

ただ、「期待に応えようとする」傾向が強い場合、「自分に合う解釈や方法」を提示されたときよりも、

「合わないかも」「違う気がする」と

当は違和感を覚えたことに関してのほうに「合わせないと!」と働いてしまうように思います。

 

「自分に良いものよりも、合わない方をより検討し続けてしまう」

 

という傾向がご自身にあるかどうか、

もしそういうところがあるのであれば、その傾向があると気づくだけで充分です。

 

この場合、「支援者側の言ったことをしばらくグルグル考えている」としたら、

裏返せばそれは「合っていないので採用しなくていい」ということなのかもしれません。

 

これは、「自分の感覚を信じられない」等といった要因も関係していると思います。

(関連記事「自分への厳しさ」の理由

 

「怒っている状態」が合わない

また、「怒っていい」と言われる場合のほとんどは、

そもそもは「怒ることが好きじゃないし、落ち着かない」こともとても多いと思います。

 

トラウマ関係なく、できれば怒りたくない、穏やかにいたいと思い、穏やかな状態が合っているので、

「怒る自分」がどうしても落ち着かないということがあります。

 

一方で、「断続的に怒っていないと日々が送れない」というタイプの方々も存在します。

 

分かりやすく書けていないかもしれませんが、

「怒る」といっても、身近にも居ることがある「怒っていないといられない人」のようにならないといけないわけではありません

 

むしろ、「穏やかで優しくいたい」と思うなら、それも大事に注目できると、

「怒り」も「一部分」として少し感じ易くなるかもしれません。

 

 

「怒り」「焦り」など、可動化への変化の前兆になれる

「怒り」というのは、「自分を守るための力強さ」です。

 

それが発揮できなかった環境が長いと、これまでも繰り返しておりますが「慣れていない」のですよね。

 

特に「怒り」は、「波風を立たせるもの」ですので、

それが発揮できなかったときに過去に「怒り」と共に生じた「恐怖」や「無力感」なども一緒に生じることが多いです。

 

その「恐怖」や「無力感」もトラウマ反応ですので、

どうか「今」と誤解せず、

少しずつ、「怒り」が持つ強さに慣れていけたらとてもいいと思います。

 

 

 

本来、「怒り」は「動こう」という可動化のための前兆です。

 

エネルギーの現れともいえます。

 

ちょっと見方を変えて、「怒り」を感じたら「どう動きたいのかな」という捉え方をしてみるのもいいかもしれません。

 

 

こだわり過ぎず待ってあげる

これはまず支援者がクライエントさんを置き去りにしているのに、

「怒り」だけでなく、何か特定のことにこだわって言い過ぎたりやり続け過ぎたりすることに気を付けなければいけません。

 

その上で、クライエントさんご自身はご自分の変化や反応を見守ってあげる

待ってあげるという関わり方ができるといいかもしれません。

 

 

不快感は軽減したいです。

霧が晴れるような答えを得たいものです。

 

でも、苦しみがトラウマからきているのであれば、「問い詰められること」はもっと萎縮するだけで、

「じゃあ出すよ!」とはなれないですよね。。

 

「怒り」に対しても、「怒っていいんだ」「怒りがある」と思えたら、一旦はその気づきだけで充分なことも多いと思います。

 

もちろん、トラウマに起因していれば、そうすぐに「怒り」は解消されないでしょう。

 

ただ、急かしても苦しいだけかもしれません。。

 

「怒り」に対する気づきのまま、今の自分がそっと寄り添うようなイメージで、これからどうなっていくか、

ぜひ微笑みながら待ってあげられたらいいなと思います。

 

かつての小さな自分に「早くちゃんとして!」「どうしたら良い子にするの!?」みたいな

「大人側の都合の良いように子どもを振舞わせようとする」感じにならないでいることは大事だと思います。

 

 

「怒りを感じる」よりも何よりも、自分に優しく声をかけてあげようとし続けることが、

結局は怒りの適切な表出にも繋がるのだろうと思っています。

 

 

 

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<関連記事>

「遅れてきた怒りの意味」

「自分を大切にすることの難しさ」

「感情が教えてくれていること」

などなど

 

 

今月は先月よりも更新できると思っていたのですが、前回の記事後、思ったようには回復せず、予定が狂いました(;^ω^)

 

でも、また徐々に更新頻度アップしていけたらと思っておりますので、また覗きにきてください♪

 

 

来週はGWが近づいてきて、お休みを楽しみにしている方もいらっしゃるかと思います♪

 

天候も落ち着いて、みなさまがリフレッシュできますように・・・

 

 

今日も最後までお付き合いくださってありがとうございました!!

 

 

またのお越しをお待ちしております(*^_^*)

 

 

 

 

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