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心理豆知識 感情

感情表現の難しさ ~「黙るか半狂乱か」の極端な表現になるのはなぜ?~

 

今回は

「気持ちを言葉に出そうとしてもうまくできない」

「言いたいことはあるはずなのに、黙り込んでしまう」

「ときどき相手に泣き喚いたりしてしまってうまく伝えられない」etc。。

 

といった『感情表現の難しさ』を取り上げたいと思います。

 

この記事は、「アサーション(適切な自己表現)」について述べるものではなく、

感情の成り立ちを通して自己理解に繋げようとする内容です。

 

また、「激しい感情表現を相手から受ける」という受け手側については触れていません

ここではあくまでも「うまく言葉にできない」と悩むご本人の自己理解の一助になることを目指します。

 

※始めから途中まで、幼少期のつらい状態を重ねて想起させてしまう内容になっており、しんどいかもしれません。その場合はどうかご無理ならないでくださいね。

 

感情の発達過程

「感情的になるな」という言葉があるように、

「感情=あまり良くないもの」という先入観を実は多くの人が持たされているような気がします。

 

感情の中でも特に、怒りや悔しさや悲しさやツラさといったネガティブな感情を「好ましくないもの」と思っていることが、

心が苦しくなってしまう原因の1つになっていることがあります。

 

けれども、感情は「自分を大切にする」ためには欠かせない、とても大切なものですよね。

 

そして、感情というのは、体の成長や知識の広がりと同様に、時間をかけて豊かになっていくものです。

 

この項目では、まず感情の発達について理解していきたいと思います。

 

未分化から細分化へ

小さい子どもをイメージすると分かりやすいと思いますが、

産まれたときは「泣くか喚くか、喜ぶか」といった単純な反応ですよね。

 

「恥ずかしい」とか「悲しい」等といった感情はもう少し後から育っていくかと思います。

 

「泣くか怒るか」しかない状態は、感情はまだ未分化だといえます。

 

未分化の状態から、「恥ずかしい」「悔しい」「寂しい」等といった多様な感情を感じられるように発達していきます。

 

「羞恥心」

感情の発達に環境が影響する代表例に「羞恥心」があげられます。

「羞恥心」は生まれたときにはない感情とされ、成長する中で芽生えていくものだと考えられています。

「羞恥心」はときに呪いのようにその人の人生に影を落としてしまうケースがあります。

「心身への暴力的な介入」「嬉しかったことや楽しかったことの否定」などが「羞恥心」が深く刻まれてしまうとされています。

これはトラウマともいえ、ご自身が「恥ずかしい」と思っていることは、それだけ過去に深く傷ついたという表れであり、「嬉しかった」「頑張った」等といったそのこと自体は恥ずべきことではない大切なことである場合も少なくありません。

 

聞かれて感情は耕される

身体の成長が環境因に左右されながらも発達してくように、感情も発達していきます。

 

ただ、充分な栄養が与えられなければ身体の発達に支障が出てしまうように、

感情も環境からの働きかけがとても重要になります。

 

身体が栄養や運動によって発達することと並べると、

感情は「聞かれて」「呼応されて」耕されていきます。

 

「美味しい?」「具合が悪いのかな?」といった単純な伺いから「何が欲しい?」「どう思う?」等々といったものまで、

人は誰かに聞かれて初めて答えることができます。

 

「人は聞かれないと答えられない」という基本原則があって、

「答えるためには分からないと答えられない」ので、答えるために自分の気持ちを自分が理解しようとする過程ができます。

 

そのような体験の積み重ねによって、聞かれなくても自分で自分の気持ちが理解できるようになっていきます。

 

苦しい環境では

機能不全家庭を代表とする苦しい環境で育った場合、

幼少期に自分に対し純粋な関心を大人から向けられることが少ないため、感情や意志が耕されていないことがあります。

 

「自分がどう感じているのかわからない」「“無理しない”が分からない」といったように、

「自分で自分がわからない」状態であることが珍しくありません。

 

そういうときに「本当はどう感じているのか」と問われてもしんどくなってしまうことがあります。

 

未分化のまま(怒るor泣く)

幼少期に自分の感情に養育者が呼応してくれないと、感情が未分化なままであったり、

言語化する練習を積めなかった為に言葉が出てこないという状態になることが珍しくありません。

 

未分化とは、「快か不快か」という両極端の状態が最初だと思いますが、

そのように「不快=怒るorフリーズ」といったように、認知できる感情が限られて漠然としていることをいいます。

 

でも実際は、「不快」と感じた中には「怒り」だけではなく、

「悔しさ」や「悲しさ」「残念さ」といったようにいろんな種類の感情が細分化されて存在しています。

 

「細分化」というのは「具体化」と言い換えることもできます。

 

感情の消化や整理、相手に伝えるためには「具体的」であるほうが漠然としているよりもはるかに容易になります。

 

そのため、感情が耕されなかった場合には、どうしてもご自身が抱えるストレスが溜まりやすく解消されにくくなってしまう傾向になりがちです。

 

他者の気持ちを伺う日々

ご自身の気持ちへの対応が少なかったことに加えて、

自分より親などの周囲の気持ちを伺う日々であったことが重なって生じているケースが多いです。

 

親や兄弟姉妹といった家族を代表とする「自分以外の誰か」の機嫌を伺うことにエネルギーを遣い、

「どうしたら怒られないだろうか」「今日は不機嫌ではないだろうか」等と自分よりも他者の気持ちを考えなくてはならなかったとすると、

自分の気持ちを感じる余地がありません

 

そうしたことの積み重ねで、他者の不機嫌さや場の空気の悪さには敏感になっていく反面で、

ご自身の気持ちは鈍感になっていき、

無意識のうちにご自身の気持ちが蔑ろになってしまっていることがあります。

 

気持ちの報告の否定

ツライ体験の記述が重なってしまいますが、大丈夫でしょうか?

 

まさしくご自身の気持ちを大事に、この記事も途中で止めても進んでも自由ですので、ご自身のお気持ちを聞いてみてくださいね。

 

続けますが、先述した環境下ですと、ご自身なりに精一杯伝えた気持ちが否定されてしまっている経験を少なからずされているケースがほとんどです。

 

それによってなおさら「気持ちを言っても更に傷つくだけ」と、

感情をより抑えてしまうようになってもおかしくありません。

 

年月の経過によって

冒頭の「極端な感情表現になってしまうのはなぜ?」というところに戻りたいと思います。

 

これまで述べた環境であると、

自分の気持ちを感じ、大事にし、どう言語化するかという自然なトレーニングが積めないままになってしまいます。

 

そうしますと、気持ちの「具体化」がうまくできず、言語化も極端になってしまうことはおかしいことではないと思います。

 

そのような状態をもう少し掘り下げていきます。

 

常にストレスフルな状態

ここまで述べた状況を想像すると苦しくなってしまうこともあると思います。

 

ご本人は我慢に我慢を重ねており、

今さら「我慢しないで言って」と言われても、心の傷が積もっていて、

端的な言語化では追いつかない状態になっていることが少なくありません。

 

たくさんの心の傷を抱えていて、なおかつそれは具体的ではない漠然とした感覚であることが多いため、

いくつかの出来事を具体的に話したとしても、それはほんの一部に過ぎないために、「話して解消される」という体験がなかなかできないことがあります。

 

どれが傷なのかどこが痛いのかもわからなくなっていき、何かの拍子にどうしようもない強烈な感情として出ることもあります。

 

グレーを抱える困難さ

『認知の歪み』の1つとしても有名な「白黒思考」は「ストレスがかかる考え方」として有名ですよね。

 

ただ、そもそもグレーを抱えることは白黒つけるよりも短期的にはストレスになるため余力が要る思考です。

 

長期的にはグレーを持っていたほうが柔軟でストレスがかからなくなっていけると思います。

けれども、ストレスが高いほど物事を白黒つけたくなります。その方が、瞬間的・短期的には、ストレスが少ないからです。

 

つまり、物事を決めつけずにあいまいさを持ちながら捉えるという「グレーをもつ」という思考は、一定レベル以上の健康さが必要だといえます。

 

重いうつ病の方にいきなり「ゼロか百かではなく“60点で良し”と思いましょう」と言っても、ほとんど意味をなさないことと同じで、

既にストレスフルで限界いっぱいであったなら、些細なことも「白か黒か」という捉え方をしてしまったとしても、自然なことです。

 

心の傷が蓄積されているとその場を生き抜くことで精一杯であるので、

グレーを抱える余力がなく、敵か味方か」「全否定か全肯定か」になりがちになります。

 

そのような状態ですと、「否定」や「非難」「注意」に対する過敏性に繋がります。

 

自身の気持ちのアウトプットも感情面では「黙るかor半狂乱か」といった両極端にならざるを得なくなることも無理もないのだと思います。

 

他者の気持ちがわからない

この記事では、「感情の極端な表現」に焦点を当てていますが、ここで違う視点にも触れたいと思います。

 

極端な感情表現の有無に関わらず、

「人の気持ちがわからない」という人の中には「自分の気持ちがわからない」ことが原因であることがあります。

 

ご自身の気持ちが耕されなかった環境であったために、他者の気持ちに実感が伴わず、自然な共感や想像ができないことで、ご自身を「自分は変だ」等と思ってしまうことがあります。

 

けれど、決して自分のことだけ考えているわけではないケースがほとんどです。

「気持ち」というあいまいさに対し、むしろ思考をめぐらして一生懸命対応していることが多いです。

 

「共感」を「他者の気持ちを精一杯想像し、考えること」と定義するならば、

それを実践しているといえるほど自分より他者の気持ちに寄り添おうとしているケースは少なくありません。

 

対処法

「感情表現」という課題は、立場によって抱く感情や対処法は異なる場合があると思います。

 

ここではあくまでも「うまく言葉にできない」と悩むご本人に、何か少しでもヒントになることがあればと対処法を整理したいと思います。

※「激しい感情表現を相手から受ける」という受け手側については述べません。ただ、「受け手側はこのような内容を理解すべき”ということではない」ことを付言しておきたいと思います。「受け手側」にも気持ちがあり、選択権があります。いずれにしても、ご自身の気持ちを大切にしてほしいと思います。

 

自分を理解し労う

もし、ここまで述べたような要因に心当たりが少なからずあるとすると、

ご自分で自覚されている以上に頑張り

我慢し

気がついたときには限界を超える心の傷を抱えていたということなのではないかと思います。

 

そのようなご自身を理解し、なによりもまず労うことが第一なのではないかと思います。

 

気づく

「黙るか泣くか怒るか」といった極端な表現の仕方になってしまうことに対してできる意識として、

 

「感情に触れると出し方と受け止め方の両方が極端になってしまうことがある」

 

と気に留めておいてあげることはとても重要だと思います。

 

言葉にすると溜まったたくさんの感情を満足に言い表すことができる言葉がないために、

 

「過度な攻撃性として相手に向けていないか」

 

あるいは、「相手の一言を“全否定された”と無意識に受け止めていないだろうか」

 

あるいは、「今は涙で覆われていて、言葉にしようとする前に、ゆっくりと泣くことが必要なのではないか」

 

あるいは、固まってしまっていたら、小さい頃からそのように頑張って耐えてきたのかもしれません。。

 

端的で落ち着いた言語化では追いつかないために、ときに激しい出し方になっているかもしれないこと、

 

グレーを持てる余力がないほどいっぱいいっぱいで、感情に触れるような刺激に直すると、つい全否定されてしまったかのように傷ついているかもしれないこと、

 

そのような自分に1つずつ気づいていくことは、しんどい営みである反面で、癒しにもなるのではないかと思います。

 

「少しずつ」を意識してみる

先ほどの「気づく」ことと同じ意味合いになりますが、

「一度にわかってもらおうと思わない」という視点は大切かもしれません。

 

人が自分の気持ちを「誰かにわかってほしい」と思うことはごく普通のことです。

 

ただ、心の傷をたくさん抱えていると、

「わかってほしい」という気持ちが満たされていませんし、自分自身でも自分のことがよくわかっていないこともあり、

信じられそうな他者に出会うと「分かって欲しい」が激しく強い衝動として出ることがあります。

 

もともと気持ちを抑える習慣があり、自分のことを言葉にする練習がない状態ですので、急にうまくできないことは無理もありません。

 

感情を相手に出すときに「全部わかってほしい」というような無意識の「救い」を求めていることがあるかもしれません。

 

ただ、今までの痛みや苦労の全ては、1回や短期間の何かで解消できるほど、軽いものではないと思います。

 

なので、「一度にわかってもらおうと思っていないだろうか」「それが叶わないので“やはり誰にもわかってもらえない”と一気に結論づけていないか」等と

 

少し立ち止まってご自身に思いをはせ、「少しずつでいい」と、

ちょっとだけ気持ちの修正ができると自分も他者も傷つけてしまうような出し方が減るかもしれません。

 

「すぐに止める」のは難しい

極端な感情の表出が課題になるのは、そうすると自分も他者も傷つくからです。

誰も傷つかず、良い方向に進めるのであれば、止めることはないといえるのかもしれません。

 

ただ実際には、そのことで大事な対人関係を失ってしまったり

「やっぱりわかってもらえない…」といった孤独感を強めてしまうといった苦しい結果になることが多いですよね。

 

なので、「すぐにこのような表現を止めたい」と思われることがあっても無理もありません。

 

ただ、そう思えば思うほど、うまくできなくなってしまうことがあります。

 

それは、「また我慢に我慢を重ねる」ことになるからかもしれません。

 

加えて、表面的な言動を否定することがご自身の根っこのところまで否定してしまうような感覚になってしまうこともあるのではないかと思います。

 

 

なので、まずは

 

気づいただけでいい

 

と止まってみる。

 

 

また苦しい出し方や捉え方をしてしまうかもしれません。

けれど、それも含めて、ご自身の気持ちや状態を知る手がかりにしていけば、ゆっくりと進んでいけるのではないかと思います。

 

事後に話せる場を

事前に「爆発することを止めないと」「黙らずにちゃんと言わないと」等と考えることも重要ですが、

 

「爆発してしまった(固まってしまった)後どうするか」という手立てを持っていることはもっと重要かもしれません。

 

「相手に攻撃的な言葉ばかり言ってしまった」「黙るしかなく、何を言っていいかわからなかった」「涙が溢れてきてしまって話したかったことがうまく話せなかった」etc。。

 

このようなことがあったとき、その後にそのことについて話せる場をもてるといいかもしれません。

 

直接のお相手と落ちついてから話ができれば非常に良いと思いますし、

カウンセリングのような場があるとより整理ができるのではないかと思います。

 

そうでなくとも、「自分との対話」のような形で、ツイッターなどで文字にして振り返ってみたりすることも充分に意味のあることだと思います。

注意ポイント

「直接的な相手と話せると良い」と書きましたが、それが大切なパートナーなどご自身にとってかけがいのない人であればその通りだと思います。

けれども、「自分の嫌な部分が刺激されてしまう」「その人といると落ち着かない」「いつも固まってしまって合わせてしまう」等という場合には、そもそもの関係を見直して離れた方がいいことがあります。

 

練習していく

漠然と積ったストレスを癒していくことは時間がかかります。

ストレスを認知して言語化するというのは実はハイレベルなことなのですよね。

 

まずは話しやすいことから「自分の気持ちを言葉にする」という試みを重ねていけるといいのではないかと思います。

 

「嫌だったこと」などのネガティブな感情の吐露がしんどいようでしたら、

「嬉しかった」「楽しかった」「今は○○にはまっている」「飼っているペットが可愛い」等といったポジティブな感情から、言葉にする頻度を増やしていけたらと思います。

 

ツイッターや日記などで文字としての言語化もとても有効だと思います。

 

何事も「慣れ」るまで、ちょっとぎこちないかもしれません。

ご自身にとって安全な場で、「言語化」の練習を重ねていけるととてもいいと思います。

 

 

「自分の気持ちをできるだけ少しずつ言っていこう」と意識するだけでも、

「自分の感情をキャッチする」「必要であればそれを言葉にする」という練習を重ねていける方向に歩いていけるのではないかと思います。

 

 

 

感情を感じることは、決して楽な作業ではないと思います。

始めのうちはポジティブな感情よりもネガティブな感情のほうが先に出てきますしね。。

 

ただ、感情は振り子です。

 

蓋をしていた苦しい気持ちを少しずつ出していってあげていくと、

今までは感じられていなかったポジティブな感情もゆっくりと耕されて深まっていけるのではないかと思います。

 

 

 

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先に触れた「羞恥心」に関わる「ポジティブな感情の否定」についての記事はこちらです。

「嬉しかったこと」「がんばったこと」を否定されたり揶揄されたりすることによる傷つきについて整理しています。

ご興味があればぜひ!

 

 

 

最後までお読みくださってありがとうございました!!

 

またこのブログにお越しくださることを心待ちにしております♪

 

 

 

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