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心理豆知識

「自分への厳しさ」の理由 ~「自分を大切にする」が分からない~

 

今回は、

「もっと頑張らないと」「周りから“がんばり過ぎ”と言われるけど自分ではそう思わない」

「“自分を大切に”って言われてもどういうことかわからない」というような

「自分に対しての厳しさ」に注目したいと思います。

 

「“心身に不調が出るほど自分を酷使してしまう」という場合、

ご自身のことを「頑張っている」「自分に厳しい」とは認識していません

 

そのため、ご自身の不調に気づくことも遅れがちで、

「一人でがんばり過ぎないように」とアドバイスされてもピンとこないので、

同じことを繰り返してしまうことが多いです。

 

今日は、そのような「病気になるほど自分を酷使してしまう」のはなぜか、

理解していきたいと思います。

 

ここでは、「周囲に強要されて」という側面ではなく、

「自分で自分に不寛容」という心理について取り上げます。

 

自分に対する根性論

高度成長時代、団塊の世代は、まさに「根性論」で生きた時代だったと思います。

日本の文化としても「我慢は美徳」「継続は力なり」などの忍耐を賞賛する傾向が強いです。

 

近年は「悪しき風習」と取り上げられることが増え、

健康を害するような「精神論」は以前より軽減されていると思います。

 

けれども、まだまだ根強く残っているのが現実です。

 

そして何より、誰よりもご自身がご自分に対して「根性論」で叱咤し続けているケースがとても多いのです。

 

生き抜くためのスキル

ご自身がご自分に対して「根性論」で叱咤し続けている場合、

「かつてそうするしかなかった」という、

過去の環境が影響している場合がほとんどです。

 

もちろん、それぞれの特性は異なりますから、全員がそうだとは限りません。

しかし、「なんとか適応しよう」という気持ちと能力があり、

加えて、否定的な関わりをし続けられた場合、

「根性論」を自分に課して生き抜くことが唯一の対処になることがあります。

 

機能不全家庭で育ったり、家庭に限らずとも学校や部活などの情緒的な絆で成り立つような集団において、

否定ばかりされた場合が代表例になると思います。

 

世界観になる

その後の人生に大きな影響を与える場合、

「否定され続けるという経験」は子どものころの経験であることがほとんどです。

 

それは、子どもであると大人に比べて世界が狭く、1人では生きていけない無力な存在のために、

逃げることができません

そして、置かれた環境が客観的に劣悪であったとしても、他に経験がないので、

そこでの体験が全てになります。

 

よって、「自分をないがしろに否定される」ということが、その人の世界観になってしまいます。

 

そのような環境の中で、何とか生きていこうと頑張れば、

「否定された自分を直そう」「怒られないように気をつけよう」「他者の機嫌を常に伺う」「うまくできない自分が悪い」

等となり

“自分に優しく”という対処とは全く異なることをするしかありません。

 

逆にいえば、

「無力な存在なのに、一人で目上の立場の人の機嫌まで伺い、厳しい環境に適応した。自分に優しくなどしていたら生きていけなかった」ということで、

「我慢が足りたい」とか「適応能力がない」等ということでは全くないと思います。

 

慢性化する理由

生きるために誰かの機嫌を伺うことを優先し続けていたり、頻繁に否定的な関わりをされていると、

「自分は何が楽しいのか」「何が嫌なのか」ということを知ることができません

 

「自分を大切にする」には、自分の感情、感覚を認識し、信じることが必要になります。

 

「心地よさ」「安全」「嬉しい」などのポジティブな感情も、

「苦しい」「危険」などのネガティブな感情も、

自分に対するサインです。

サインは、「感情」「感覚」として発せられるので、

「感情の認知」が非常に大切になります。

 

この「感情の認知」が適切にできなくなることが、

「自分を酷使してしまう」ことの大きな原因であると考えられます。

 

ポジティブな気持ちの否定

劣悪な環境に置かれても、その中で自分なりに苦しみを緩和したり、

楽しみや喜びを見出したりしているケースがほとんどです。

 

「自分を大切にする」ことの中には

「嬉しい、楽しいといったポジティブな気持ちを大事にしてそれを増やしていく」という視点がとても重要になります。

 

しかし、機能不全家庭の親に代表される「不適切な対応」として

「子どもの喜びを否定する」「嘲笑する」という反応をすることが

悲しいことにたくさん起きてしまっています。

 

例えば「テストで良い点をとった」「先生に褒められて嬉しかった」と純粋な喜びを子どもが示したとき、

「そんな点数当たり前でしょ」と喜びを否定する、

「ちょっと褒められたからって調子にのるな!」と叱る、

楽しんでいる趣味を「そんなこと何が楽しいの?」とバカにする…。

 

こういった「喜びの否定」は、「喜んだ自分が恥ずかしい」という気持ちにさせてしまいます。

そのため、傷つくだけでなく「羞恥心」も心に刻まれてしまい、

「二度と恥ずかしい思いはしないように」と、

喜ばないように、嬉しいことがあっても表に出さないようにと隠すようになってしまいます

 

ポジティブな気持ちは、本来はとても健全なエネルギーで自分を支えてくれるものです。

それを否定したり笑ったりすることは、許しがたいことです。

 

苦しい状況下で、少し感じられたとしても、このように吹き飛ばされてしまい、

ポジティブな気持ちを強化できないことが多いです。

 

感情の否定

劣悪な環境下では、感じている感覚は「苦しい」「怖い」「不安」などのネガティブな感情がほとんどです。

それらを意識はしていなかったとしても、自分の中に抱えています。

 

そして、先ほど述べたように、ポジティブな感情は否定されてしまうことが多いです。

 

そうなりますと、ご自身にとって「感情」というものは「自分を苦しめるだけの嫌なもの」

無意識的に判断したとしてもおかしいことではありません。

 

自分の感情を大事にしたら立ち行かなくなってしまうのですから、当然ですよね。

 

そうなると、自分の感情を抑圧するようになります。

ポジティブな感情は「恥ずかしい」ので増幅しないように律し、

負の感情はあまりに出てこられては立っていられなくなってしまうので無自覚に抑え込むようになります。

 

なので、感情には構わずに、

「もっと頑張らないと」「悪いところを直さないと」「こんなのは大したことじゃない」と

「根性論」で自分を叱咤し続けていくことが自分を支えてくれる唯一のものになります。

 

「ちゃんと認識したら苦しいだけ」の感情よりも、「根性論」の方が自分を助けてくれる体験を重ねます。

 

そのように過ごすうちに、それが自然になり、

「自分を大切にする」ときに欠かせない「自分の感覚を拾って信じる」ことが難しくなると考えられます。

 

「苦しさ」に鈍感

このように、置かれた環境で生きていこうと感情を抑えて頑張り続けていると、

ご自分の感情に鈍感になっていきます。

 

「苦しさ」も「疲労」も、実際は許容量を超えていたとしても、

ご本人の認識では「そんなにつらくない」と感じていることが珍しくなりません。

 

なので、気づいたときにはかなり状態が悪くなってしまっていることが多いです。

 

実際には、心身の健康にハンデを抱えながら普通の人の何十倍もがんばって仕事などをこなしていることがほとんどです。

 

しかし、自分の苦しさに鈍感であるために、

ご本人の認識としては「大してがんばっていないのに」「こんな程度のことで自分はダメになるのか…」と、

自分への厳しい視点だけが強化されてしまいます。

 

トラウマの影響

機能不全家庭に育った場合とも重なりますが、

トラウマがあると「がんばらなくては」と過度に思い、自分に厳しくなる傾向があります。

 

それは、トラウマがあると「乗り越えなくては」という意識が生まれ、

「乗り越えるためにはがんばらなくては」「嫌な思いやしんどい思いをしなければ乗り越えられない」となり、

イバラの道を選択する傾向があるいわれています。

 

トラウマに関することに限定して抱くのではなく、ご自身の生活全般に対して抱くことが多いです。

 

「乗り越えなくては」

この「乗り越えなくては」という感覚は、

「がんばっていると思える状況にする」あるいは「しんどいことや苦しいことがあっても大丈夫になる」「前の自分より向上している」というような

「ストレスに自ら向っていく」というイメージのものです。

 

例えば「ゆっくり休む」というような

「優しい対処」は、ご本人にとって「乗り越える」ことに該当しない

ということがポイントだと思います。

 

病気からの回復期に「がんばらなくては」と焦り、

早々に就職しようとするなどをして再び悪化してしまうというケースの中には、

少し回復したときにこの「乗り越えなくては」という気持ちが出てきて、

がんばり過ぎてしまって病を繰り返してしまう、ということもあります。

 

「あのころよりはマシ」

「トラウマ」とは、本当に人生を変えるものです。

その痛みや苦しみは言葉では表せないと思います。

 

なので、トラウマがある人にとっては、それ以外の過酷な状況が「あのころよりはマシ」と思えて、

ご自身のストレスや不調に気づいていたとしても「まだマシだから」と、

理不尽な環境でも我慢し、ご自身の不調をそのまま放っておいてしまうことがあります。

 

これは先ほどの「苦しみに鈍感」であることや、

「ポジティブな感情」の体験の少なさなども関連します。

 

自分にとって「健康に居られる場所」が分かるということは、そんなに簡単なことではないのかもしれません。

 

「自己評価」

ここまで述べたように、

劣悪な環境下で生きるために自分の感情を抑えて「もっとがんばらなくては」とご自分を厳しく叱咤してきた場合、

多くの場合は「できる」という体験をしています。

 

それは例えば、学校の成績かもしれません。仕事の成果かもしれません。活動的に動いているということかもしれません。

内容はそれぞれ別々だとしても

「社会的に評価される実績」を持っている、かつて持っていたことが少なくありません。

 

それがその人にとっての「自己評価」という支えになっていることがあります。

 

裏返せば「成果をあげていないと価値がない」という自己評価です。

 

これは「自己肯定感」とは異なることが有名だと思います。

 

「少なからず評価される何かに取り組んでいる自分」だけは、自分でも少し「良し」とできる。

そうでないと自分で自分に「×」をつけるような、常に自分を採点している状態です。

 

この「自己採点」は、終わりがありませんし、もともと「自分に厳しい」のですから、

「もっともっと」と、ご自分を追い詰めてしまうことになることも想像に難くないかと思います。

 

ただ、このようにがんばることが悪いわけでは決してありません。

 

がんばることが悪いのではなく、その「厳しさ」に気づいていないことが苦しみの根底であって、

そのように懸命に取り組んできたご自身の凄さに気づくことが大事なのだと思います。

 

自分を大切にするには

「自分を大切に」というフレーズはいろいろなところで聞きますよね。

その方法もたくさんのことが謳われていることと思います。

 

なので、正解はないのですよね。

 

「ご自分に合うやり方で」ということなのだと思います。

 

「自分に合うやり方」がわかるには、

「感情」「感覚」を感知して信じることが必要になります。

 

ただ「簡単ではないな」と感じるのは、「感情」「感覚」というのは、抑圧してきた人にとって、

すぐに適切に感じられるわけではないということです。

 

先に述べたように「感情」を「嫌なもの」と抑えていたら、

ちゃんと出てこられるようになるまで少し時間が必要になると思います。

 

「好きな事をする」と言われても「好きな事」がなかったり、

「居心地のよい人と一緒にいるようにする」と言われても、「居心地の良い」が分からなかったり…。

 

こういった場合に気をつけたいと思うのは、世に溢れている対処法にピンとこなくてできなくても、なにもおかしいことではないですし、悪いわけでもないのです。

 

むしろ「良さそうな対処」をやってみて、合わないと思ったら

「合わないんだ」というご自分の感覚をキャッチできたと捉えて欲しいと思っています。

 

自分を理解する

「自分を大切にする」ということを具体的な対処法にするときの正解はありません。

 

なので、ここではあくまでも私の見解になりますが、私は、

「自分を大切にする」とは「自分を理解すること」だと考えています。

 

例えば、『認知の歪み』は有名ですが、必ずしも『適応的思考』にする必要はないと思います。

仮にストレスが多い「捉え方」だとしても、

ご本人が「自分はこう捉えるんだ」と選んだのであればそれがその人の生き方です。

 

ただ、そのように「選択」するためには、まず「気づく」ことが必要です。

そして、なぜそう思うようになったのか、行動するようになったのか、

「理解」が深められたら、自分と付き合いやすくなると思います。

そして、この先の「選択」のときに、より適切に決めていけるのではないかと思っています。

 

「理解」は「肯定」に

また、「自分を理解する」ということは、自然と「自己肯定」に繋がります

「どうしてこんなに疲れちゃうんだろう?」「なんで人の不機嫌さにこんなにおびえてしまうのだろう?」

といったように自分で自分を理解できないということは、

どうしても自己否定感を連れてきてしまいます

 

「自分は自分を苦しめる」とすら思ってしまうこともあるかもしれません。

 

けれど、それは「自分で苦しめている」のではなく、「自分を助けようとしていたのだ」と分かったら、

自分に寄り添えるようになれることがあるのではないかと思います。

 

仮に「苦しめていた」としても、その「苦しみ」に自分なりの理由があるのだと分かったら、

今までより暖かい目を自分に向けられるようになれるかもしれないと思います。

 

「選択権」を取り戻す

劣悪な環境下で生き抜くために身につけた対処が、

気がついたら必要なくなっていて

自分で自分を苦しい状態にしていたということの課題は、

 

「がんばったことが悪い」「自分を大切にしていなかったことがダメだった」ということではないと思います。

 

課題は「選択権がなかった」ということだと私は考えています。

 

自分で選んでいるように見えて、大人になっても実は

「置かれた状況に耐える」状態に自動的になっていたということがあります。

 

家庭環境に恵まれなかったりトラウマがあったりしますと、

「自分の人生は自分で選択していい」という感覚が意識には上がらないレベルで失われてしまいます

 

それは無理もないことです。

 

そのような日々を重ねていく中で、大人になっても「自分で選んでいるように見えて選べていない」という状態になっていることが少なくありません。

 

繰り返しますが、それが悪いというわけではありません。

 

ただ、そういった「自分」について「理解」することが、

自分の人生に対して「選択権」を取り戻すことに繋がると思います。

 

「選択していい」と意識する

例えば、「がんばり過ぎる」というときに、

「もっと手を抜けばいい」というアドバイスを聞いたことがあるかと思います。

 

大事なことは、ご自身にとって「手を抜く」ことが「選びたいこと」なのか

「手を抜かずにやる」ことの方が「選びたい」のか、ということだと思います。

 

「手を抜けない」のではなく「手を抜かない」と選べたら、

同じことをしているように見えてもまるで違った日々になるのではないかと思います。

 

あるいは、「選択」までしなくても、

「選んでいるのかわからない」ということも含めて「今の自分」の成り立ちを理解するだけでも

「大切にする」ことに充分繋がると思います。

 

身近なところから

「人生の選択」というと、仕事や結婚などの大きな事柄が浮かびますが、

そのような一大イベントばかりが「選択」ではありません。

そして、仕事や家庭などはそれこそ「運」や「他者」などが関わる、自分だけでコントロールできることではありません。

 

それよりもまずは、すごく身近なところを意識していきたいと思います。

 

子どものころの家庭環境やトラウマによって「劣悪な環境下で生きるしかない」となり、

自分の人生に関する選択意識が低くなっているとき、それはごく身近な場で起きています。

 

例えば、コンビニやスーパーで「今日のご飯を買おう」としたとき、ちゃんと選べていますでしょうか。。

「なんとなく」で、実は大して選んでいないということがあります。

 

同じ物でもいいので、「選ぼう!」と意識してみてほしいなと思います。

 

「選んでいい」のです、好きな物を。

 

「選んでいい」という気持ちを強くすることは、自分を知る機会を増やすと思います。

そして、自分にとって良いことを増やしてくれると思います。

 

ときには「なにも選べない」ということがあっても、そういう自分を知ることができたということで、無駄ではありません。

 

今までと違うことを選択したほうがいいということではなく、

日々の中で何気なく行っているご自身の行動に、「選んでいい」と意識してみるだけでいいと思います。

 

「今日は昨日と同じ道順で出勤するぞ。違う行き方は選ばない」でいいのです。

 

もし、「選択権」をあまり持てていなかったら、そう意識するだけで変わらないと思っていた日々が、

少し楽しくなれることがあるかもしれないと思います。

 

 

 

 

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ご自身に合ったいろいろなアプローチ方法で自分を理解していくことは、「自分を大切にする」ということなのだと思います。

 

 

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