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性被害サバイバーの1事例

ある性被害サバイバーの話35 ~父の不在と母への愛情希求~

2021年6月23日

 

「ある性被害サバイバーの話」を最初からお読みいただくときはこちら

前回のお話はこちら

 

「ある性被害サバイバーの話」では、家族のことは話の散らかりを避けるためにあまり書くつもりはなかったのですが、

「散らかさないで書ければいいんだ!」と気付いたので、まとめられる範囲で書いていきたいと思い直しました笑。

 

今回は、エピソードの続きではなく、原家族と私自身の関係性や内面についてのお話です。

 

父の不在

父親は「重いASDだった」と私は確信しています。

そのエピソードの1つに、「必ず同じ時間に帰宅する」ことがありました。

「予定の変更が苦手でルーティンを好む」という特性だと思います。

 

父本人も忘れられないエピソードに、

「会社が火事になったのに上司に知らせずそのまま帰宅した」という出来事がありました。

重いASDだと捉えれば理解できます。

ただ、当時は当然ながら父は大目玉をくらった模様です。

 

父親は平日は1830に帰宅し、土日も1日中家にいることが多かったです。

 

なので、父親は居たのですが、

私にとって、精神的な意味での「父」というものは不在だったんだなと、この歳になってわかります。

 

私は父と、情緒的な交流をした記憶がありません。

また、父は感覚過敏?のせいだったのか、スキンシップに拒絶を示す人でした。

なので、ある程度大きくなって、言語的な関わりがしっかりできるようになるまでは、

父とコミュニケーションを取った記憶がありません。

機嫌の波が激しく、家族で父の機嫌を伺っていました。

小さい頃は「父と兄は居なければいいのに」と思っていたことを覚えています。

 

母への愛情希求

私の心に、母は居たんだなと最近わかります。

多少なりとも「母の愛」を小さい頃は受け取っていたように思います。

 

だからこそ、私は母を求め、私を見てくれない母に「こっちを見てよ!」と何度も試みていたんだと思います。

 

私は母に愛されたかった。

そう思うのは、母にはそれができる能力があると私は思っていたからでしょう。

無意識的にも「お父さんはなんか違う…。でもお母さんは愛を持っている」と私は思っていたんだと振り返っています。

 

母は、持っている愛情をほとんど全て、兄に注ぎ、それが時の経過とともに顕著になっていき、

私は大人に向かって歳を重ね、子ども特有の可愛らしさがなくなっていき、母とどんどん溝ができていったのだと思います。

 

家庭外での母の振る舞い

母は兄を褒めるために外で私の悪口を言っていました。

「親は子どもを謙遜するのが美徳」とされる文化の中では、

「誰か一人を褒めるために他の子どもを貶める」そうです。

 

「娘の寝子は全然何も手伝わないけど、息子は本当になんでもやってくれるの!」と。

 

なんというか「お母さんは実はあなたのこと褒めていたのよ!」なんてことは起こりません笑。

母は私を「家のことを何もしない自分勝手な子」と思っていました。

でも、日常的に家事を一番やっていたのは私でした。

けれど、母の脳内は事実よりも感情的な決めつけが多かったです。

 

兄との関係

私は、兄が大嫌いです。

それは、「兄は母に愛されたから」という理由ではなく、

兄はすごく偉そうに、無自覚に私を傷つけることが多かったからです。

 

母親が息子を恋人のように扱うと、息子は父親にかわって「一家の柱」の意識を強めると思います。

兄は第一子の長男でしたし、なおさらだったと思います。

 

よく「末っ子は甘やかされる」と言いますが、そういうケースもあるでしょうが、

一方で、家族の中で一番の年少者は、八つ当たりの対象にされるのです。

これは会社でもクラスでも、集団内の弱い者いじめの原理と同じですよね。

そして弱い者はそれを表明できない。

 

兄は兄で、不安定な両親の下、彼なりに情緒不安定さを抱えていたと思います。

ただ、そう理解したところで、私の気持ちは消えません。

 

でも、兄への憎しみや怒りは「無くしたいな」と思います。

偉そうにいえば「兄を許したい」です。

 

加害者や理不尽な世の中に対する負の感情は無くさなくていいと思っていますが、

「兄は兄で子どもの立場だったんだ」ということもありますし、

何より私自身が怒りを抱えていたくはありません

 

…でも、「怒り」の記事でも触れましたが、

「無くなって欲しい」と思ってなくなるものではないんですよね…。

仕方ないので、抑圧はせずに、付き合っていこうと思います。。

 

夫婦関係の問題

そもそもは父と母の夫婦関係のひずみが原因です。

兄や私の問題ではありません。

でも、親の接し方が子どもによって変わると、兄弟の仲が悪くなります

 

そして、父と兄が不仲になったように、

夫婦関係のひずみは家族間の他の関係性に大きく影響します

 

今は、「母は、私より兄を間違いなく愛していた」と事実を認められます。

そして、だからといって、私自身の価値がそれで決まることではないと思えます。

 

どんなに母の背中に「私を見て!」と叫んでも、無駄だったんだなぁと、今はわかります。

 

母が求めていたものは、「自分を見てくれる人」だったんですから。

 

子ども側の問題ではない

しっかり理解しておきたいのは、

母が私を無視し兄を愛したのは、私の行いのせいではありません。

母以外のせいにするなら、父親のせいです。

もっと正しく言うと、父と母の関係性の問題です。

 

子ども側にはなんの責任もありませんし、あるはずもないのですよね。

 

親から愛されたくない子どもなどおりません。

親を嫌いになりたい子どもなどいません。

 

だから、「愛されなかった」という事実は、言いようがない感情を連れてくると思います。

 

ただ、それは自分のせいではないということは、それで悲しみや寂しさなどのいろんな感情は払拭されないけれど、

子ども側の問題ではないことだけは、そう認識することが逆に苦しみを生むことがあっても、ちゃんと理解したいと思っています。

 

苦しみを起こすのは置かれた環境下での相対評価

少し、私のエピソードから離れ、一般的な話になります。

 

人の苦しみは、「置かれた環境内での相対評価」によって起きる部分があると思っています。

もちろんそれが全てではありません。

 

でも、育った家庭内で待遇の差があったなら、「もっと酷い虐待を受けた人はいる」と思ったところで

なんの意味もありません。

同様に、「アフリカではその日食べる物もないんだから」などと言われても、

今生きている場所は飽食の日本なのです。

周りの子たちが可愛い服をきて、流行のキャラクターグッズを持っているのに、

自分は一切持っていなかったら、それは充分にみじめな気持ちになり得ます。

周囲の人のほとんどが働いていたら、無職でいることはどんなに励まされても自己否定的になってしまうと思います。

 

「他の人と比べてしまう」ということも含めて、

苦しみはその人だけのものです。

見ていない世界や人を想像して、自分の苦しみを過小評価することはないと思います。

ただ、そう思うことで耐えられる時期や生きられる期間があることも事実であるとも思います。

 

でも、できれば、自分の傷に「大したことではないのかも」等と疑いを持つことなく、

置かれた環境で、どんな風に思い、考え、

がんばってきたか、

軽んじることなく取り上げたいなと思っています。

 

 

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ちょっと暗い内容になってしまいましたでしょうか…。

でも、できるだけ何かしらの心の整理や理解に繋がるように今後も書いていきたいと思います。

 

次回の「ある性被害サバイバーの話」は、「父の発達障害と生育環境」について取り上げています。

私のエピソードではありませんが、生育歴が発達に及ぼす影響について、父の事例とともに検討しています。

ご興味があればぜひ!

 

私のエピソードの続きはこちら「「ある性被害サバイバーの話36」になります!

 

本格的な梅雨で、だんだん「梅雨疲れ」になっているかと思います。

どうか心身を大切になさってくださいませ(^o^)丿

 

 

今日も最後までお読みくださって本当にありがとうございました!

 

 

 

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