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トラウマ 性被害サバイバーの1事例 発達障害

【発達障害と生育環境】前編 ~父の家庭環境と時代背景~

2021年6月27日

 

今回は、父親のことを詳述したいと思います。

 

「ある性被害サバイバーの話」を最初からお読みいただくときはこちら

前回のお話はこちら

 

私の家族の話なので「ある性被害サバイバーの話」に分類しますが、

私は出てこないので、「父の事例」としました。

 

私は、「父は重いASDだと確信している」と何度か書いています。

 

最近は「複雑性PTSD」が広がり、発達障害は今まで「先天的」とされていましたが、

現在はトラウマ体験との関連が指摘され始めています

そもそも「先天的か後天的か」「発達障害かトラウマの後遺症か」等と区別しようとすることが意味が無いと言われ始めています。

 

それくらい、どこまでが先天的で、どこからが後天的なのかを判別することは不可能に近いということなのでしょう。

 

なので、父のASD特性を整理すると同時に、父の生い立ちも一緒に辿りたいと思います。

 

ただ、「父のこの特性は先天的。この特性は家庭環境」というような答えを出しているものではありません。

心理の事例検討らしく(?)、一事例が誰かにとっての共通点や普遍性の理解になれたらと思います。

 

※家族は私のクライエントではありませんので、守秘義務の対象外です笑

 

父の生い立ち

父は、かなり複雑な環境で育ちました。

また、健康にも恵まれず、てんかんを幼少期に発症し、当時の治療の後遺症もあり、

一生てんかんと付き合うことになります。

 

てんかんは、ずっと薬を飲み続けるため、その副作用で眠ってしまって事故を起こしてしまったり、

服薬していても「てんかん発作」はゼロにならないため、会社や電車などで発作を起こしてしまうことが幼少期から老年期まで続きました。

 

「てんかん発作」は、目の当たりにすると胸が痛みますね…。

対処法を知っていても、父が発作を起こすたびに、ドキドキハラハラしていたことを覚えています。

 

家庭環境

父は戦後の貧しい時代に生まれました。まさに「団塊の世代」です。

 

父の実母は父が小学生のときに自死したそうです。遺体の第一発見者は父だったそうです。

 

父の実父は「飲む・うつ・買う」で、お酒にギャンブルに女性狂いだったそうです。

 

小学生のときに亡くなった実母からは身体的虐待を受けていたようです。

父自身はそのことを虐待であるとは思っていなかったそうですが、

その後、歳をとって、現在のいろいろなニュースで「虐待」ということを知り、

「自分が実母にされていたことは虐待だったのか」と認識するに至ったようです。

 

父の実母は自死するほどですから身体的虐待だけでなく、精神的にも不安定でヒステリックだったそうです。

実母が子どもを虐待していた原因も自死の原因も「父親の女性問題が原因だろう」と父は回想していました。

 

祖父(私の父の父)はかなりの浮気性で女好きだったそうです。

また、当時は、今より家電製品やコンビニなどがなかったですし、子育てには女手が必要だったこともあったのかもしれません。

それもあったのか、祖父は、再婚を繰り返したそうです。

 

父の継母は、何人も変わり、そういう環境も彼の発達に影響したでしょう。

 

父には、母の思い出がほとんどないようです。

継母に対しても特に情緒的なつながりは持っていなかった様子です。

1人の継母と何年も一緒に生活したわけではなく、コロコロと変わったのですから、関係性が希薄なのは当然なのでしょう。

でも、それぞれの継母は継母なりに、父たち子どもの面倒を見てくれていたのかなと、父の話から推測しています。

 

継母が出て行ってしまう原因はいつも、「父親(祖父)の浮気」だったそうです。

 

祖父は、途中までは働いていたそうです。

それが、どこからか仕事がうまくいかなくなり、その後は「人に金をたかるしかしなくなった」そうです。

父が働いて稼ぐようになると祖父からお金を取られたようです。

 

父は、実の父ですから、しばらくはお金の無心に応じていたそうです。

けれど、祖父の行動はエスカレートし、遠い親戚や父の友人たちにまで、詐欺を働き、多額のお金を騙し取り、

そのことで父は大事な人間関係を壊されてしまったそうです。

 

父は「オレの親友を騙したことで最終的に許せなくなった」と語っていました。

ただ、もう1つ、あまり感情を出さない父からショックな気持ちが伝わってくるのは、

「父と母の結婚式のご祝儀を祖父は全て持ち去った」というエピソードです。

 

当時の結婚式というのは盛大に行われました。

今の「スマート婚」などはなく、高度成長真っ只中で、何百万円もかけて行い、それは借金をして挙げたそうです。

式後、ご祝儀である程度は返済するつもりが、祖父に全額を持ち逃げされ、父は、会社に頼み込んで新たに借金をしたそうです。

 

ただ、お金のこと以上に「本当は親に一番祝ってほしいのに」と年老いてからポツンと言った父を見ると、

「きっと父は、祖父を何度も信じようと試みたのだろうに」と、裏切られ続けた子どもの気持ちを考えてしまいます。。

 

戦後の日本社会の差別

さらに、父の父(私の祖父)は外国人で、父はハーフでした。

国籍は日本ではなく外国だったそうです。

国籍は帰化していなかったのですが、氏名は日本名、日本にしか住んだことがありません。

 

しかし、戦後すぐに産まれた父は、その後の学校生活で「外国籍だから」と予防接種を受けられないなど、

国ぐるみの差別を受けたそうです。

 

小学校の集団予防接種などの公的サービスの際、父を含め、外国籍の数名の子ども達は、

名前を呼ばれて予防接種や健康診断などを受けさせてもらえず帰らされたそうです。

 

今なら信じられないですよね。

 

父はハーフといってもアジア系のハーフなので、外見は日本人そのものです。

それでも多くの差別を受けたのですから、欧米系などで外見もすぐに分かる人が受けた差別は、

もっと酷かったのかもしれないと想像します。

 

 

このような差別は就職時までずっと表立って行われたそうです。

隠されもせずに、

「キミは外国人だから、試験は普通の合格者よりはるかに点数を取らないと学校に入れないよ」

「キミは外国人だから、こことここまでの上のランクの企業には応募しても無駄だよ」と教員から言われ続けたそうです。

 

もちろん、教員は父の進路選びを助けようと親切心で事実を伝えているだけです。父も普通に受け止めていたようです。

 

高度成長という時代

父は、私が小さい頃、ものすごく機嫌の波があって、陰湿な攻撃性を放っていました

そして、私が小学生くらいのころ、当時の診断では「心身症」になり、一度も会社を休んだことがなかった父が、部屋から出てこなくなった時期がありました。

きっと「うつ病」だったのだと思います。

 

注意ポイント

「心身症」というのは診断名ではありません。

母が医師からそう言われたそうです。

当時は精神疾患の医療は今と比べものにならないほど遅れていたでしょうから、

なんでもかんでも「心身症」と告げる流れがあったのかもしれません。

 

40度の熱があっても会社を休まなかった父が、突然部屋から出てこれなくなりました。

病院を受診し、「心身症」という説明の是非はともかく、この医師に救われたそうです。

ゆっくり長い時間、父の話を聞いてくれたそうです(母談)。

 

この時代は特に「男は愚痴を言うもんじゃない」という風潮が強かっただろうと思います。

父は、気質もあり、決して弱音を言いませんでした。

 

でも、少なくとも私としては、

意味も分からず不機嫌でいられるよりは、上手に愚痴るスキルをもってほしかったなと思わなくもありません。

でも、仕方が無いことだったのだと思います。

 

父の場合、時代背景だけではなく生育歴としても、

「一体どこで自分の気持ちを言えたのだろう。言う以前に認識できただろうか。そんな場があったのだろうか」と思うほど、

父の気持ちを引き出してくれる大人はいなかったとしか思えません。

 

祖父は外国から戦後の日本に移住したので、親戚がいません。

父の家庭に福祉サービスはもちろん届きません。

なので、父の近くにいた大人は、祖父しかいなかったと思います。

継祖母たちは、それなりの理由があって祖父と結婚したようで、やはり孤独だったようです。

 

これが、後述するASDの特性となったとしてもおかしいことではないなと思います。

 

8050問題

現代の話を取り上げながら、父の時代に戻ったりしていきます。

 

私は、今の臨床現場で「8050問題」を痛烈に感じます。

父のような「団塊の世代」が、子ども世代に押し付け続けた「根性論」のせいで、

心を病んでしまう「団塊ジュニア」がたくさんいると感じます。

 

それぞれの時代背景

父親世代を想像したとき、「終身雇用」「年功序列」が保証され、給料はどんどん上がっていき、

一生が保証された右肩上がりの世代だったのだと思います。

 

一方で、団塊の世代の子ども「団塊ジュニア世代」は、「ロストジェネレーション」と言われるほどの不況でした。

そのために就職が極めて難しかった。

けれど、高度成長の親世代には就職難の実感はわからない。そのことも、「8050問題」の一因であると思います。

 

父の時代は、華やかさの一方で、今のような「転職」「副業」「非正規」という選択肢はほとんどなく

それこそ「根性」で一度勤めた会社に居続けるしかなかった。

起業したり転職したりしたとしても、男性の価値は「仕事で多くのお金を稼ぐこと」だけに集約されていた時代

 

そのラインから、落ちることも登ることもできなくなった人は、

今のようないろいろな選択肢がなかったことを想像すると、

「根性」だけでしがみつくしかなく、その価値観を崩すわけにはいかないのかもしれないと、

父を見ていると思います。

 

父が「うつ病」になったのは、「出世レースから明らかに外れたから」です。

当時は知りませんでしたが、父自身も忘れることはない苦しみだったようです。

 

「出世だけが人生じゃない」という世の中ではなかった時代。

しかも、父は自分が出世できないことを「外国籍だから」「てんかん発作を起こすから」等とは考えておらず、

理由をいくら考えても思い当たらず、「自分より仕事ができない人間にどんどん抜かされていく」ことに、

悔しさや混乱や納得のいかなさなどを抱えたままだったのだろうと推測しています。

 

そのイライラを家族にぶつけてしまっていたのだと思います。そしてそれは本人が後に認めています。

 

「考える力」の弱さ

そしてこの世代は、テレビと新聞しか情報源がなく、ネットやSNSがなかった。

「黙って働く」ことが洗脳といっていいほど推奨され、

実際に給料が上がっていき、目に見えて物が豊かになった。

だから思考力を持たずに済んだ。そのために

 

自己内省力が低い

 

自分を省みることをしていない。それが、「8050問題」の一因であると思えてなりません。

「発達障害など昔はいなかった」「子どもには厳しくすればいい」「甘やかしはよくない」等というような、

思考停止し続けている場合が少なくないのではないかと思います。

 

父の場合、「自分を省みる」ことのできなさが、

母を苦しめ、私たち子どもも含めて、家庭をいびつにした原因の1つになっていたと思います。

 

ただ、それが生きる術であった時代だったのだろうとも思います。

 

父が、生育環境やASD特性に全く気付かれなかったのは、精神医学の遅れだけでなく、

それなりの犠牲者を出しても国が発展することが最優先だったからでしょう。

個人など、どうでも良かったのです。

だから父個人だけの問題ではないなと思います。

 

「生き残れないのは弱いからだ」という意識を知らず知らずに内面化し、

人や人生そのものを「強いか弱いか」「勝ちか負けか」で判断する価値観をもたされたのかもしれません。

 

父の場合は、そういった時代背景に加えて家庭環境によってさらに「自分を考えない」ということが強化されてしまったのだろうと思います。

 

私たちが今持っている価値観も、どこまで自分の意志であるのか疑わしいものです…。

 

 

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父は、成育歴の何かがトラウマとなって病になることはありませんでした。

それは「精神医学の遅れ」や「情報のなさ」「考えないで済んだ」といった要因もあったのかもしれません。

あるいは、父も気付かなかっただけで「症状」があったのかもしれません。

ただ、目に見える現象としては生育歴に起因した精神疾患は発症していません。

 

でも、もしかしたら、父の顕著な「ASD」特性は、

先天的なものだけではないのかもしれないと、今の時代の精神医学的観点からは考えたりしています。

 

この父の成育歴を踏まえた上で、次回は「父のASD」について詳細に解説しています。

 

またのお越しをお待ちしております!

 

最後までお読みくださって本当にありがとうございましたm(__)m

 

 

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