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心理豆知識

【報酬と動機づけ】「報酬」と「自己評価」と「認知的不協和」による心理現象

 

今日は、人の行動の原動力となる「動機づけ」について、

「報酬」「内発的動機づけ」の関連、さらに「自己評価」「認知的不協和」の視点を踏まえて整理したいと思います!

(「認知的不協和」の記事はこちら

 

よく「モチベーション」といわれるように、「やる気」は人の行動に大きく影響しますよね。

 

そして、先日の記事「認知的不協和」という心理原則は、この「動機づけ」のときにも作用しています。

 

この記事では、「やる気や質の高い仕事を不当に安い報酬で搾取されないように」という視点に重きを置いて

「動機づけ」と「報酬」と「認知的不協和」の関係を整理し、心の理解に繋げたいと思っています。

 

動機づけとは

心理学では、「目標を達成するために行動を維持しようとする心理」を「動機づけ」といいます。

よく言われる「モチベーション」のことですね。

 

動機づけには「外発的動機づけ」「内発的動機づけ」の2つがあります。

「動機」は、人の行動の原動力となるため、この2つのバランスはとても大切です。

 

外発的動機づけ

外発的動機づけとは、「報酬と罰」に大別できる、外部からの働きかけによる動機づけを意味します。

「給料」「他者から評価される」等といったプラスのものと、

「叱責」「罰則」などのマイナスのものがあります。

 

外発的動機づけのメリットとしては、

実施方法が「報酬を与える」「罰を与える」といったように分かりやすいため、

関心や興味がない場合にただちに効果を発揮できる点です。

「報酬が欲しい」「罰を受けたくない」などは、ほとんどの人のモチベーションにつながるため、短期間で効果が表れます

 

外発的動機づけのデメリットとしては、「効果が長続きしない」「努力を止めてしまう」「手段を選ばなくなる」「課題そのものの価値を高めにくい」など、

行動そのものに対する意識は浅いレベルに留まる傾向があります。

 

内発的動機づけ

内発的動機づけとは、物事に対する興味や知的好奇心など、人の内面的な要因によって生まれる動機づけを意味します。

損得に関わらず、自分の内面から起きる気持ちが行動維持の原動力になります。

 

内発的動機づけは、課題に対する興味や関心、そこから生まれるやりがいや達成感など、自分自身の内からなる動機づけです。

行動をすること自体が目的になるので、積極的に質の高いパフォーマンスを発揮でき、自ら進んで長く続けられるというメリットがあります。

 

内発的動機づけの代表的な行動は「趣味」になるかと思います。

 

内発的動機づけのデメリットは、内発的動機づけが生まれるためには「その課題に対する強い興味関心」が必要となるため、

意図的な動機づけを目指した場合に実施方法が明確でなく、短期的には効果が出にくいという点があげられます。

 

認知的不協和と動機づけ

一般に、「内発的動機づけの方が外発的動機づけより好ましい」という印象を与えがちだと思いますが、

プラスの外発的動機づけがほとんどなく、内発的動機づけだけという場合は、

時に他人に利用されたりブラック企業に居続けたりといった、不適切な状態に自身を導いてしまうことがあります。

 

これは「動機づけ」と「報酬」のあいだに生じる「認知的不協和」で説明されています。

「認知的不協和」の記事で細かく説明しておりますが、「認知的不協和」という心理原則は、

「動機づけ」にも影響を与えます。

 

動機と報酬との関係

動機と報酬の関係に関して、有名な研究結果があります。

 

ポイント

研究結果

「人は報酬が少ないほど、自分の行っている作業そのものに価値を感じる

報酬が多いほど、自分の行っている作業そのものの価値を低く評価する

 

これは、「自分の仕事」に対する「報酬」との間での「認知の協和」で説明されています。

 

「認知的不協和」をおさらいしますと、「心のつじつま合わせ」ということがポイントです。

 

では、「報酬が低い場合」・「適切な場合」・「高い場合」、それぞれに起きる心理について整理します。

 

報酬が低いパターン 

「自分の仕事」を継続的に行うには通常多くのエネルギーを要します(「認識1」)。

それに対し「報酬が低い」(「認識2」)。

 

これは、自分の行動「認識1」「認識2」が合いません。

 

そこで、人は、「認識1」と「認識2」の整合性を取れるような「新たな認識」を取り入れます。

 

「新たな認識」の例

・「自分の仕事はお金以上の価値がある」

・「自分がやりたいからやっているのだ」

・「自分がいなくてはこの会社は回らない」etc。。

 

このように「認識1」の行動の価値を「多く」見積もると指摘されています。

そうすることで「自分の行動を正当化」し、維持できるように気持ちを調整します。

「給与ではない内面的な価値が高い」と考えることで「報酬」とし、「認識1」とつり合わせます。

 

これは言い換えれば、

「プラスの外発的動機づけがほとんど得られないと、内発的動機づけをひねり出す」とも解釈できるかもしれません。

 

これがときに、ブラック企業で責任感を強く持ち、健康被害が出ていても働き続ける原因(モチベーション)になっているケースがあります。

 

報酬がふさわしいパターン 

自分の仕事「認識1」に対し、報酬が適切「認識2」の場合。

 

「エネルギーを費やして行っている自分の仕事」に対して、「報酬が適切」となると、一致しています

そのため、自分の行動に対して無理に価値を上げる必要も下げる必要もない。結果、内発的動機はそのまま維持されるといえます。

 

報酬が高額なパターン

一方、報酬は「高額」ならば良いかというと、

「認知的不協和」の観点では「認識に合わない高額な報酬」は「不協和」になりストレスを生じさせると考えられます。

 

自分の仕事に対して「あまりエネルギーを費やしていない(「認識1」)」等であったら

「多額の報酬(「認識2」)」は「認知的不協和」を呼び、「罪悪感」「金銭感覚の麻痺」などを生じさせるでしょう。

 

そのため、「多額の報酬」に代表される「外発的動機づけ」のみでの行動は、

「態度変化」に向いやすいと指摘されています。

仕事全般に対して「楽して稼げる」と誤解してしまったり、

「罪悪感」から「自分には不相当」と思い辞めてしまったり、そういった行動変化を起こしやすくなります

 

これは、「お金持ちでも心は寂しい」「ボランティアでも心が満たされている」という現象を理解できる心の動きですね。

どちらが良いという話しではありません。

ただ、「報酬」は「モチベーション」に無意識に影響を与えるということです。

 

もし、「自分の仕事」に対してほとんど意欲を持っていないのに、多額の報酬を得られたら、全般的な仕事そのものを過小評価してしまうかもしれません。

あるいは、逆に、むなしい気持ちになるかもしれません。

 

一方、「自分の仕事」を真面目に意欲的に行っているのに報酬が低かったら、内発的動機づけを無理に高めながらも、

後述する深い部分では別の「不協和」が働き、「無理が無理を呼ぶ」という状態になるかもしれません。

 

自分の仕事に誇りを持って、しかも報酬もしっかりもらっていたら、素晴らしい認知的協和状態になり、モチベーションも維持できるといえるかと思います。

 

自己評価と報酬と認知的不協和

この項目からは「やる気や質の高い仕事を不当に安い報酬で搾取されないように」という視点で解説していきます。

 

少し「動機づけ」から話がそれますが、「仕事に見合った報酬を得る」ことを考えた際、

根本的な「自己評価」は無視できない要因です。

 

「認知的不協和理論」という心理原則から考えると、そもそも自己評価が低かった場合、自分の行動全般に対する評価が低いです。

そのため、報酬が低すぎても納得したり、

仕事に対する相応な報酬であっても「私なんかがそんなもらえるなんて」と、過剰に頑張ろうとしてしまったり、

「自分はできていないんじゃないか」と強い不安感を抱えたりする現象が起きます。

 

例えば、「低賃金」「自己評価の低さ」と「過重労働」が継続されると、最初は「協和」していたとしても、

毎日多大なエネルギーを費やし続けてはいるために「不協和」となっていきます。「行動:認識1」に「報酬や評価:認識2」が一致していません。

そこで「自分しかやらないから」「自分が辞めると周りに迷惑がかかる」等と

何らかの「新たな認識」を加えて、そこで頑張り続けることを強化していくこともあるでしょう。

 

このような状況に拍車をかけてしまうのが、

先ほど出てきた「自己評価の高低に関わらず、自分の課題に対して報酬が少ないほど価値を見出す」という認知的不協和となります。

 

 

不協和がエンドレスで押し寄せてる!!!

 

 

繰り返しになりますが、「認知的不協和」というのは瞬間的に働きます。

それゆえ、矛盾したり重なって生じていることもあります

 

人は「健康でいようとする」という原則

自分に自信がないと、「不当だと思う自分がおかしいのでは」

「自分がやりたかったから引き受けた仕事。報酬がなくてもやりがいがあるんだから良い」と不当な給与でも我慢しがちです。

 

でも、心の奥底では「不適切さ」に気付いていることが多いです。

 

忘れがちですが、一番重要なことは、

「人は健康でいようとする」ということです。

これは生物としての根本的な生存本能です。

 

「不健康な状態」の方向へ、短期的な「不協和の圧力」を「協和」させていますと、

根本的な「健康でいる」という生存本能と「大不協和」が起きています。そしてそれが「病」に発展することが多々あります

 

「病気」は知らせ

「病気は良くなるための知らせ」と言われることがありますが、あながち間違っていないと思います。

「表面的な不協和」を「協和」し続けて「健康でいる」という基本原則に反し続けていたため、

心身が「こっちは大不協和なんだよぉおぉおお」と表明してくれて、

やっと根本的に協和の方向へ行くことができると捉えることもできます。

 

短期的な「不協和」の「協和」を重ねることが「不適切な状態への慣れ」の強化になっていたら、それは短期的には落ち着きますが、

土台の「大不協和」を抱え続けますので、本当にしんどいばかりになってしまいます・・・。

 

だから、自分の感覚をサインを、信じましょう。

 

「不適切な慣れ」による「適切な状態への不協和音」は、土台の「健康でいようとする」に一致していますので、

いずれ「不適切な慣れによる不協和」はなくなっていけます。

 

 

給与に代表される「報酬」はとても大事です。

自然な意欲を保ち、正当な自己評価の維持の土台になります。

「報酬」の中には「感謝される」「褒められる」などの「肯定的な他者からの関わり」も含まれます。これもとっても重要ですよね。

 

「報酬」と言うとなんだか「意地汚い」ような気持ちになってしまいますが、それは搾取する側が作った呪いなのではないかと思っています。

 

人が普通に尊重され、見合った報酬を得ることは、極めて健全な関係性です。

「尊重」されるためには、「見合った報酬」が不可欠なのです。

 

「外発的動機づけ」も、けっこう大事なんですよね。

 

 

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この記事は当初、「外発的動機づけ」と「内発的動機づけ」の話のつもりだったのですが、

書いているうちに「認知的不協和」の話になってしまいました笑

 

「寝子の思考はどうでもいいわ!」かとは思いますが、

自分の心と行動、これまでの生き方を理解するには、応用よりも基本原則が欠かせないと私は考えています。

 

「認知的不協和」の記事も併せてぜひ!

 

ということで、後日、「犯罪被害と心理原則の関連」みたいな記事を書こうと思っています!

 

ただ、次回は「家族療法の背景理論」「防衛機制②」とかになるかもです。

 

いずれにしても、またいらっしゃっていただけることを心待ちにしております。

 

今日も最後までお読みくださってありがとうございましたm(__)m

 

 

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