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性被害サバイバーの1事例

ある性被害サバイバーの話⑥ ~友人の死~

2021年3月5日

「ある性被害サバイバーの話」を最初から読むときはこちら

前回の記事「ある性被害サバイバーの話⑤」はこちら

夏休み始めに被害に遭い、直後は眠れないなどありましたが、

2学期が始まると普通に登校していました。

回想:友人の死

このとき、仲の良い子が長期間入院していて、

授業のノートをときどき届けていたので、

そういう励みがあったため、夏休み明けから普通に登校します。

しかし、2月にその入院していた友達が亡くなります。

そのことをきっかけに、不登校になりました。

 

当時覚えているのは、亡くなった子の葬儀のとき、

生きているときに何もしていなかった子や、

ほとんど関わりのなかった子たちが激しく泣いていました。

そうかと思えば、翌日には他の同級生の誕生日を明るく祝っているのです。

それで人間不信になりました。

私はお通夜や葬儀で全く涙が出なかったです。

 

解説:怒りと孤独

葬儀の場での同級生の話、

大人になった今なら「死」ということに対して多感な時期の子どもが、泣くことはさほどおかしなことではないと思えます。

でもそのときの私は、「どうして私が2度も性被害に遭うんだ」という抑え込んでいた気持ちに、

「どうして14歳で友達は死ななきゃいけなかったんだ」という激しい憤りが加わって、

幸せそうにしている同級生に対して敵意を持つようになっていきます。

このとき、「この世は不公平だ。理不尽だ」とはっきりと自覚します。

そして、涙がでなかったのは、軽い解離だったのだろうと考えています。

 

回想:不登校に。

そして、「入院している友達にノートを届けるんだ」という「生きる意味」を失ったことで、

糸がきれたように学校に行かなくなり、自分の部屋から出られなくなります。

そんな私をみて、放置が得意な親でしたが、「外部機関に頼る」ことは考えてくれたようで、

私に「児童相談所に通ってみない?」と勧めてくれました。

それで週に1回、自転車に乗って片道30分くらいのところにある児童相談所に通うことになりました。

 

解説:専門機関はない時代

この児童相談所のカウンセラーさんは「元教師」という、

なんというか、加害者が教師である私にとってはどうなんだ、と思っていましたが笑、

「女性」ではあったこと、当時は今よりもはるかにカウンセリングや心療内科が認知されていなかったので他に選択肢がなく、

仕方がなかったと思います。

文字通り「温和に話しを聞く」だけで、当時の私は担当のカウンセラーさんを慕ってもいなかったです。

ただ、嫌な思いはしませんでした。もともと期待もしていなかったことが良かったのかもしれません。

だから「なんとなく」通っていました。

自分がカウンセラーになり、改めて振り返ると、

当時のカウンセラーと私の間にラポール(信頼関係)はなかったなと思います笑

 

回想:外出することの効果

そうやって毎週通うにつれ、1ヶ月2ヶ月と経ったときに、母親にふと「帰りにスーパーでトイレットペーパー買ってきて」と頼まれます。

深く考えず了承し、相談所の近くの激安スーパーでトイレットペーパーを購入し、自転車で抱えて帰りました。

 

この事実に、強烈に感動したのです。

 

何気なく家に帰り、母親に渡し、1人になった瞬間、

「あれ?私スーパーで買い物できた?」と。

 

2回目の被害に遭うまではもちろん普通に買い物していました。

というか学校に行けていたわけですしね。

それがいつの間にか、スーパーどころか、外に出ることも怖くなり、

自室から出ることすら億劫になっていました。

 

そんな私が!スーパーでトイレットペーパーを買えた!!

 

そのうち、相談所に行くときは「今日は晴れだな」「今日は曇りだな」と

天気に気づいていることに気がつきました。

最初のころは、地面しか見えてなかった。

その日の天気なんて気にする余裕がなかった。

もう少し経つとさらに「相談所の日は何を着ていこう?」と服装を気にしだすようになりました。

 

そして、私は「カウンセリングそのものにはさほど効果がなくても、外に出るということで人は回復できるんだ」と学びます。

そして、このとき、「カウンセラーになろう」と将来の夢を持ちます。

 

解説

「その日の天気に気づく」「服装を気にする」というのは、

回復過程に顕著にあらわれますね。

特に女性は、回復するにつれて服装やお化粧がしっかりしていきます。

逆にいうと、服装やメイクに気を配れなくなる、できなくなっていたら、

それだけ状態が良くないということでもあります。

そんなときはとにかく休むようにして欲しいなと思います。

 

このとき持つことができた「カウンセラーになる」という夢に、その後の人生支えられます。

そして、このときの「外に出ることの重要性」の学びは、今でも私の支援する際の基礎になっています。

「用事のために外出する」そのことがもたらす作用って、あなどれないと思っています。

 

回想:相談所の終了

相談所通いは、内容自体は特に惹かれていなかったこと、担当のカウンセラーが異動になるということで、

中2の3月までで終了となりました。

 

小話

担当カウンセラーとお別れになるときに、

カウンセラーの人から「連絡先を交換しますか?」と母に連絡があったそうです。

これは「ザ!教員」の文化ですね。

教員は、生徒や保護者に住所や連絡先を公開することが普通ですが、

心理職ではこれは許されない禁止事項ですよね。しかもカウンセラーから言い出すという…。

何が言いたいかというと、今から25年以上前はこの程度が「カウンセリング」だったのです。

今はずいぶんと適切に拡大していて嬉しいです。

ちなみに連絡先は交換していません。

 

この後、中3になり受験をむかえます。

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