今回は、回復後の「変化」についてのお話です。
【後日談】味覚の変化の記事で、「食べ物の味がわかるようになった」という変化がありましたが、
私にとって一番嬉しい変化が「予約や約束をさほど負担なく実現できる」というものでした。
「健康な状態」を知らなかった
私の発症は大学時代ですが、それまで健康だったかというと、そういう意識はありませんでした。
うつ病などを発症した方々の中で「病気になる前の元気な自分に戻りたい」というお気持ちを聞くことがあります。
それは切実な願いで、今のつらさが伝わります。
一方で、精神疾患の発症が早かった場合や、機能不全家庭で育った場合などは
「前の元気な自分」というのはピンと来ない場合も少なくありません。
私もそうでした。
たぶん高校生までは未成年で、活動の範囲などがもともと限られていたからかもしれません。
私にとっては、大学時代以降の自分が強烈に刻まれ、ゆえに、渦中でもその異常さがわからなかったです。
ゴミ出しもできず、部屋の中は散らかり、友人と約束しても当日に行けず、大学の授業も行くつもりなのになぜか行けず、
ちょっと先の自分の行動が信用できませんでした…。
キャンセルするときも、それを連絡できず、無断になってしまうなど、相手側にずいぶん失礼だったと思います。
なぜそうなってしまうのか、私自身もわからずに、自己否定感を強めていました。
「私はそういう人間なのか」としか思えず、「前はできたのに」とは思いませんでした。
回復後
臨床心理士になり、年月を重ねる中で
「約束と予約を守れる」
ことに今でもとても嬉しくなります。
病院や美容院の予約をほぼ守れるし、もしキャンセルするならそれを連絡できる。
知人との約束ももちろんその通りに実行できる。
それまでも「当日行けるかな…」と自分にハラハラすることもなく、いたって自然に実行できる。
そういった年月の積み重ねで、
「ああ、健康な人はこういう日々を意識せず送れているんだ。だから、例えばうつ病で約束を守れないとしても、それを理解はできないことが多いんだな…」
と分かりました。
私だって、「できる日々」しか経験していなかったら、「キャンセルするなら連絡くらいしろ」という意見を全面的に支持してしまっていたかもしれません。
身体疾患と精神疾患の違い
『日記』のカテゴリーで綴っているように、
私は今年の1月から身体の激痛に見舞われ、4月までに2度の入院と手術を経験しました。
今までに体験したことのないものすごい激痛と強烈な倦怠感でした。
その中で改めて実感したことも「予約は守れる」ということでした。
もちろん身体疾患の程度によるとは思います。
今回の私の身体疾患の場合は遊びに行くことはできないのでそもそも約束はしませんし、
病院の受診など必要な予約は必ず行くことができました。
でもうつ病だったころは、それができなかった…。
そして「予約や予定が守れるか分からない」という状態は、
ものすごく負担になっていたのだと改めて実感しています。
こういう症状は、明記されていないですしね。
気づくことさえ難しいので、自分で自分を否定せざるを得ない状態が続いてしまうことがありますよね…。
そして、「約束を守る」ということは精神的に健康であればそこまで労力を伴わずにできること、
もしキャンセルしなくてはいけないときはきちんと説明できること、それは相手だけでなく、
自分自身のメンタルに非常に良いことなのだと感じています。
一方で、「行けるか行けないかわからない」「その日になってみないとわからない」等といった判断力が低下しているような状態や、
「よくわからないけど、できるときとできないときがある」というような不安定な状態があったら、
それはうつ病などの病気の症状かもしれません。
うまく言えないのですけど、約束を守れないということは思った以上に自己否定感をもたらすのかもしれません。
その自己否定感とそもそもの症状である自己否定感とが相乗効果のように膨らんでいってしまうことを防ぐには、
「自分の特性ではなく症状である」と知れることが1つの策なのかもしれません。
(周囲にはなかなか理解されないのですけれどね…)
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復職直後で疲労困憊しておりますが、がんばっていきたいと思います!!
今日も最後までお付き合いくださってありがとうございましたm(__)m
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