「完璧主義」「~しなければならない」「~すべき」といった『すべき思考』は
「認知の歪み」として有名になっており、
ストレスを抱えやすいと指摘されています。
今回は、その「すべき思考」に代表される「自分を思考で律する」ことについて掘り下げて整理してみたいと思います。
目次
学習の結果
他の記事でも「今は自分を苦しめるものでも、かつては有効な適応策だった」と、
トラウマ反応について述べています。
「すべき思考」「完璧主義」などの思考に関しても、同じことがいえるのではないかと考えています。
「すべき思考」などの「自分を律するあり方」は、
それまでの日々で「学んだ」結果であるということを基本として、
どのような環境でどんな心理状態であったのか、
「すべき思考」の由来を理解していきたいと思います。
自然な感覚への抵抗感
「完璧主義」や「○○しなければorしてはいけない」という思考が強い場合、
ご自身の気持ちや感覚に関しては軽んじる傾向があるように見受けられます。
自然な感情や欲求を「悪いもの」と捉えていることが多く、
自分を律する「べき思考」や「完璧主義」が強化されていることがあります。
ではなぜ、自分の自然な感情や欲求にネガティブになり、抑えるようになったのか、
思いを巡らせてみたいと思います。
誰かの欲求を押し付けられた
「今のあり方は過去からの学習」と冒頭に述べましたが、
「トラウマ」になる体験も「強烈に刻まれた学習」と捉えることができます。
天災や事故もトラウマになり得ますが、
人的な被害の方がPTSDを発症しやすく悪化させやすいと指摘されています。
親も含む対人関係でのトラウマ体験は、
「誰かの欲求を押し付けられた」
という側面を持っています。
その被害体験から、「感情や欲求は人を傷つける」と刻まれ、
自身の自然な感覚や欲求を「悪いもの」だと捉えていることが少なくありません。
そのため「自分がどうしたいか」「何が好きか」といった感情的要素を軽んじたり、
「好きな事をするなんてダメなことだ」と無意識的にも意識的にも抑圧したりする傾向を持つことがあります。
そうすると、自身の行動を決定する際の判断基準は「すべきorしてはならない」といった思考になり、
それが強化されていくと考えられます。
条件つきの愛情
「自身の感情や欲求に抵抗感を抱く」場合、
生育歴で「共感されなかった」「肯定されなかった」ということがやはり影響していると思います。
加えて、「親が望む結果を出すと優しくしてくれる」というような
「愛されたければ○○しなさい」という「条件つき愛情」の暗黙のメッセージを出されていたら、
「すべき思考」や「完璧主義」になることは自然な反応ともいえると思います。
「親が望む結果を出さないと優しくされない」「失敗が許されない」「結果を求められるのに100点であっても褒められない」etc。。
他の記事でも繰り返していますが、子どものころは、親に好かれなければ生きていけません。
この生物学的反応である初期学習は、大人になってからもご本人が思っている以上に「生存戦略」として刻まれていることが本当に多いです。
こういった場合のポイントは、
まるで自分自身で「すべき思考」「完璧主義」という傾向を持っているようで、
実際は基準が自分ではない
ということです。
だから、しんどいのですよね。。
小さい頃から「○○したら優しくしてもらえる」「最低限、怒られることは回避できる」という学びを重ねると、
自分の行動の評価基準が「常識的には」「一般的には」といった形に変わり
「自分ではない誰か」という見えない他者になっていることがあります。
リラックスがわからない
「すべき思考」や「完璧主義」であると、
基本的に「リラックスすることが苦手」である傾向になるように思います。
先に述べた生育過程であったら常に緊張していなくてはいけなかったでしょうし、
「自分の状態に合わせて活動を調整しよう」などということは許されなかったと考えられるので、
「リラックス」という状態はなじみがないとしてもおかしいことではありませんよね。
ただ、「すべきorしてはならない」という傾向が強いと、
どれほど厳しく律していてもご自身の粗を見つけようと思えばいくらでも見つかってしまうので、
どうしても「自分を律する思考や行動」「自責感や自己嫌悪」が強化され続けてしまうことになりがちであります。
そのため、さらにリラックスからは遠ざかってしまうという循環になり、
心身ともに多大な疲労を抱えやすく、癒されにくい中で、日々をがんばられているケースがほとんどです。
正しいモデルがいなかった
「完璧主義」や「すべき思考」は、ストレスの関係からは「緩和したほうがいい」と指摘されているのはご存知かと思います。
けれど、必ずしも「良くない傾向」というわけではありません。
「ご本人にとって苦しいだろうからストレス軽減のためには少し緩められるといいかも」ということであり、
決して欠点などではありません。
ここまで、“学習”の影響を考えてきましたが、
機能不全的な家庭であると、考え方も行動もリラックスなどにおいても「正しいモデルがいなかった」ということです。
さまざまな事を新たに学んで吸収していく時期に、見本にすべき大人がいなかった中で、
ご自身なりに適応し、生きる方法を見出していたことは素晴らしいリソースであると思います。
さらにいえば「してはいけないorすべき」と心がけ続けて行動できるというのは、
誰にでもできることではなく、そうできる能力がある証です。
心理状態
ここからは「すべき」など極端になる心理について、
“学習”以外の側面を整理してみたいと思います。
「今を生き延びる」ことに精一杯
『感情表現の難しさ ~「黙るか半狂乱か」の極端になるのはなぜ!?~』という記事で詳しく整理していますが、
「グレーをもつ」というのは余力が必要であるので、
「今を生き延びることで精一杯」な環境であれば、「白黒思考」になることは当然であるといえます。
「あいまいさ」は人のストレスになると指摘されています。
そのため、短期的には白黒つけたほうがその瞬間は新たなストレスを抱えずに済みます。
ただし、長期的には苦しい状態になる可能性があるので、
ある程度の「あいまいさ」を抱えられるスペースを持てるとよいとされています。
つまり、「とにかく今をやりすごす」というような切迫したストレスフルな状態であったなら、
「完璧でなくてもいい」「やらなくてもいい」という「グレーな状態」を抱える余裕はないために、
自分に厳しくなり続けることがあります。
日常のサインとして
これは、「現在のストレスのサイン」としても気づきたい視点です。
「日ごろは他者からの指摘や自分のミスもそれなりに受け流せる」にも関わらず、
それができなくなっていたら、かなり疲労していてストレスフルな状態である表れであることが多いです。
逆に「決断できなくなる」という症状がうつ状態では認められます。
いずれにしても「決断がうまくいかない」というのはSOSのサインになります。
「余裕がなくなっているな」と感じたら、早めに休むなど、
ご自身を労わる対処をとれると回復に繋がるかと思います。
自分が「どうしたいか」がわからない
感情も思考も行動も、聞かれて感じて考えて試して耕されていくものです。
人は自分1人で自分を知ることは難しく、
小さい頃から「嫌だったんだね」「嬉しいんだね」等と言葉を当ててもらい、
「どうしたい?」と聞かれて考え、
実際に行動してみて自分がどう感じるかによって合う合わないなどを知っていくことができます。
そういった他者からの関わりが少なかったら、自分がどうしたいかわからなくてもおかしくありません。
そのため、以前から「すべきorしてはいけない」と強化されていた行動規範があったとき、
「そこまでしなくてもいいんだよ」等と言われても、
「ではどうすればいいのか」と分からなくなってしまうことが少なくありません。
思考や行動の基準を「自分の気持ちや感覚」とする習慣がないので、
「自分がしたいことをする」という指針には、励まされるどころか困惑してしまうこともあると思います。
「選べる」体験のなさ
「完璧主義」や「すべき思考」には、「選択肢がない」という特徴が含まれていると思います。
この「選択肢がない」という心持ちは、根深いものであるかもしれません。
子どもの頃は、養育者が子どもに選択権を与えなければ
子どもは自分に関することに選択権を持つことはできません。
また、トラウマ的な出来事を体験するということも、
行動の選択肢は与えられずに「戦うことも逃げることもできなかった」体験であります。
こういった「受けるしかなかった」体験は、身体に深く刻まれると指摘されています。
トラウマ反応で有名なフラッシュバックや過覚醒や抑うつ状態を考えれば、
それらは自分の意志に関わらずに起きていることが理解できるかと思います。
そのため、余計に「自分のことでも選ぶことはできない」となり、
「すべきorしてはいけない」といった1つだけを支えにせざるを得ないことがあります。
対処法
「完璧主義」や「すべきorすべきでない」という思考や行動を選んでいるのであれば、
それは信念であり、その人らしさであると思われますので、
変える必要はないのだろうと思います。
ここでは、「変えたい」という場合に参考になる対処法を考えたいと思います。
安心感を増やす
この記事で書いてきた状態をイメージしたとき、
「完璧主義」や「すべき思考」は表面的な現れであるだけで、
その人はおそらく緊張し、自身の内面や行動に気をつけ続け、
周囲に気を配り、基本的に警戒しながら
日々を過ごしているのではないかと想像することがあります。
緊張し警戒し、自身の行動を批判的にチェックしているなら、柔軟なイメージを抱くことは難しいですよね。
そのため、「安心できること」を増やすことは遠回りにみえて、
実は最も効果があるケースが少なくありません。
「したいこと」はすぐにわからなくても、
「少し安心できる状態」はいくつか思い浮かぶのではないでしょうか。
それは「1人の時間を持つ」ことであったり「ペットと遊ぶ」ことであったり、
「推しのキャラクターを眺める」ことであったり、
今の生活の中に見出されているのではないかと思います。
そういった時間を増やしたり、
「安心できているな」という感覚を意識してみたりできると、
自分自身と穏やかで優しい対話が促進されるかもしれません。
選択肢をあげる
先ほど触れたように、「ねばならない」というような理性で自身を律する傾向が強い場合、
子どもの頃から「選択肢を与えられていなかった」ことがあります。
そのことで大人になってから「自分で選んでいる」ようにみえて、
実際は「選べていない」ということがあります。
そのため、「選択肢を持つ」という権利が自分にはあるのだと実感させてあげられると有効に働くかもしれません。
できるだけ、ご自身の思考や行動に、多少無理やりでも2つ以上の選択肢を提案してあげる。。
「その時に応じて選ぶ」ことに慣れていないことが多いので、
始めのうちはいつもと同じ結論かもしれませんが、
「選ぶ」ことに慣れていく練習を重ねていく。。
結果として同じ行動を選んだとしても、選択肢をあげることを続けていく。。
今は自由に選んで大丈夫になっているかもしれません。
そのことを実感していけたら心身に広がりを感じられるかもしれません。
詳しくは『人生の選択権を取り戻す』でまとめてあります。
身体をほぐす
トラウマに特化した治療法の中には、
トラウマは「手続き記憶」となると考え、その解除を目標とする療法があります。
例えば、トラウマを受けた当時、「身体が固まった」とすると、それが「手続き記憶」として脳に刻まれます。
そのため、その後も「身体反応に付随した認知や行動を同時に引き起こす」と考えられています。
簡単にいえば、何かトリガーされる状況になれば既に記憶された「固まる」という身体反応を繰り返す傾向になります。
また別の作用では、身体が固いと「恐怖」「抑うつ」などの感情と結びつき、
「ミスしてはいけない」「気を抜いては危険だ」等といった認知や行動も同時に連れてきて連動するというメカニズムになります。
この観点から考えると、「すべき思考」や「完璧主義」の由来は、
「身体的緊張」が起こったときにそれを「○○せねば」という思考や行動と連動したことで、
その後も「身体的なこわばり」を「思考や行動の固さ」という連動した「手続き記憶」になっていることがあるようです。
逆に、理性で厳しく自身を律していたら、身体も自覚している以上に力が入って固くなることがイメージできるかと思います。
そのため、身体感覚に注意を向けたり、身体を動かしたりほぐしたりすると、
少しずつ変化が起きることがあります。
今回のテーマに限らず、生きづらさを抱えている場合、
「自己嫌悪」や「自己批判」などに代表される「自分自身との関係が傷ついたまま」という状態が見受けられます。
なので、ここに書いたことに限らずですが、
ご自身のためにいろいろと試してみること自体が「自分に聞いてあげる」ということになりますので、
「選択肢」にもなり、自分自身との関係が良くなっていけることになるのではないかと思います。
↓押してくださると寝子の思考が柔軟になります!!
↑いつも応援ありがとうございます!!
みなさまの一押しだけがブログ更新の励みです!!
今月に入って寒暖差が激しくなり、2月らしい気候になっていますね。
花粉症も始まり、ツライ症状に悩まされている方も多いと思います。
これから4月ころまでの季節は精神的にも抑うつ気味になりやすいといわれていますので、
調子がでなくてもご自身を責めすぎず、季節のせいにしていきたいと思います!
今日も最後までお付き合いくださってありがとうございました!
またのお越しをお待ちしておりますm(__)m