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心理豆知識 性被害サバイバーの1事例

【こぼれ話】「人に頼ることは簡単ではない!?」 ~寝子編~

2021年8月8日

 

前回の「人に頼ることは簡単ではない!?」という記事は、

始めは「ある性被害サバイバーの話」か「日記」として自分のことを書こうと思っていました。

 

それが書いているうちに広がっていきまして、

途中で、「私のことではなく、広く多くの人が読めるように」と変えました。

 

なので、ここでは、前回の記事から削除した私に関する「頼ること」を追記したいと思います。

 

被害者として

私は性被害者としては、「誰にも助けてもらえなかった」と思っています。

 

もちろん、中学のときの担任の先生や、友人に、要所要所助けられたかもしれません。

 

それでも、感情的にというか、感覚的にというか、「孤立無援」でした。

 

それは、周囲の人たちとの体験の違いによる「共感のなさ」だったのかもしれません。

 

「私の気持ちは誰にも分からない。でも私だって人の気持ちはわからないんだから同じだ」と、

まるで悟ったかのように、「わかってもらえなさ」に関して自分を納得させていました。

 

「人に話して返り討ちにあった」という二次被害経験も山のようにあります。

 

でも、そういった明白なズレに限らず、何気なく過ごす日々の中で、

「圧倒的な違い」を、家族を含めた他者に感じていたのだと思います。

 

それは、基本的信頼感の記事に書いた「未来の短縮化」であったり、

体力のなさによって皆のように日々を楽しめなかったり、

そういった周囲との数々の「ズレ」は、人に孤独感や疎外感を与えるのだろうと思います。

 

「臨床心理士になる」という防衛

「私を救ったのは家族でも恋人でも友人でもない。

“臨床心理士になる”という夢だった」

と、迷いなく断言できます。

 

裏側には「他人には助けられなかった」という強い気持ちが存在します。

 

これは、今までもこれからもきっと変わらないと思います。

 

それくらい、「臨床心理士になる」という夢は私の全てでした。

 

「臨床心理士になる」という夢のおかげで、私は生きてこられたことは事実です。

 

けれども、その心の中は、認識していたものと違っていたかもしれないと最近気づいています。

 

向き合わなかった

私は「臨床心理士になるんだから自分に向き合ってきた」と思っていました。

 

でも、それはとんだ勘違いだったと、最近気づきました。

 

私はむしろ、「性被害に遭ったから臨床心理士になる」と決めたことで、

心の中にある多くの気持ちを塞いだのだと今ならわかります。

 

「カウンセラーになる」と決めた中学2年のときから、

自分の心の中にどんなに強い負の感情が渦巻こうと「カウンセラーになるんだから」で止め、

わかってもらえなくても「人はしょせん分かり合えないんだ」等と心理をかじった知識で知ったように知性化し、

自分の感情を抑え込んできたのだと思います。

 

私にとって、「臨床心理士になるんだから」というワードは、

正当で誇れて、人にも話せることでした。

 

「臨床心理士になるんだから、わかってもらえなくてもいいんだもん」

 

と、自分の孤独感や寂しさを直視しないようにし、

内面に抱える苦しみからも目を背けられる口実になっていたのだと思います。

 

「信襲性」の恐ろしさ

私は決して、そうやって生きた自分を否定的に捉えていません。

 

むしろ、私に限らず人が持つ「生きるための無意識のパワー」に感心します。

 

「臨床心理士になる」という「大義名分」が、自分の心をカモフラージュする作用があったとしても、

それが生きるために必要だったのであって、

なんでもかんでも「自分の心を直視しましょう」が良いわけでは全くないですよね。

 

私が「人に頼れなかった」ことの要因の1つは、相手の反応がどうであれ、

非常にデリケートな人生の根幹に関わる被害体験をアウトプットすることそのものに

「信襲性」を強く感じたためだったのだろうと思います。

 

「信襲性」とは

「侵襲性」とは「心に与える影響力」で、

「侵襲性が高い」というときは、ポジティブには「心に響く」ということになり、

ネガティブには「傷つける」「刺激が強い」ということになります。

 

誰かに言葉にして発するということそのものに、信襲性があると思います。

それはすごくデリケートな部分をさらしてしまうような、微妙な感覚です。

 

例えば、「学校でいじめられている」「職場でパワハラにあっている」というとき、

人に相談できないのは、「二次被害を受ける危険性があるから」「わかってもらえないかもしれないから」というような相手の反応に対する不安ばかりではないですよね。

 

話をすること自体が追体験となってしまったり、

「自分は被害者なんだ」ということがはっきりと事実として突きつけられるような気持ちになってしまったり、

 

「誰かに話す」ということは、

傷ついている中でも自分を守るために懸命に張っている薄いガードを破る行為でもあると思います。

 

だからこそ、「助けが必要なときほど助けを求められない」というように、

「自分以外の外部に相談する」というのは、そう容易なことではないのだと思います。

 

あの頃の私は、自分が抱える心の傷や二次的に生じた深く重い孤独感などに直面し続けていたら、

生きていけなかったと思います。

 

「臨床心理士になる」と思うことで、「自分の傷に向き合っている」と錯覚でき、

負の感情を抑え込む必要があったのだと思います。

 

会話の糸口にもなった

私は被害体験に限らず、気づいたら、自分のことを他人に自然に話せなくなっていました

 

しかし、学生時代のコミュニケーションは「自分語り」が主ですよね。

 

でも私は、一緒に盛り上がれるような話題はなく、心の内を話せず、

同世代と同じように活発に過ごすこともできず、趣味もありませんでした。

 

そういう中で、被害体験や自分の心の内を話すことはできなくとも、

「臨床心理士になる」という夢は学生時代に唯一自信をもってできた「自分の話」だったと振り返っています。

 

「将来は臨床心理士になるんだ」ということは、自信を持って人に言えました。

学生時代は、それぞれが将来の職業を考えますから、それは奇異なことではなく、

知人との話題にも「臨床心理士になるんだ」ということは役にたっていました。

 

「臨床心理士になる」という夢は、本当にあらゆる側面で私を守ってくれたと思います。

 

心理士として

私は今、心理士として、ツイッターやブログで「自分を理解することは大事」と何度も強調していますし、

自己理解に役に立ちそうな内容を発信しています。

 

でも、「自分を理解することがその人の利益になる」と気づいたのは、

心理士になり臨床経験が10年は経過した後のことでした。

 

つまり、自分以外の人たちをたくさん見て、初めて実感したのです。

 

もちろん、カウンセリングとはそういう営みです。

けれど、カウンセリングの中には、特定の心理療法を用いた症状の軽減に重きをおくこともありますし、

「共感」「傾聴」によって支えていくことが主となることもあります。

 

そういった中で、自分を理解することはその人を健康に導くということをちゃんと実感できたのは、実は最近です。

 

そんなものです。

 

「自分を理解する」ことの大変さ

私は、心理士として「自分で自分を理解することはその人の助けになる」と確信しています。

 

けれども、ここで私の例を述べたように、「いつでも誰にでも有効」という意味ではありません

「誰にでも合う対処法」は存在しませんし、同じ人であっても「時期(タイミング)」があると思います。

 

自分をそこまで理解していなくても、心の傷に真正面から挑んでいかなくても、もちろん良いと思っています。

 

 

私が病んでいたときは、ネットがやっと普及した程度で、トラウマ治療はもちろんのこと、

カウンセリングや精神疾患などもまだまだ広がっていませんでした。

同時に、ツイッターなどのSNSがありませんでした。

唯一触れられるのは本ぐらいでしたが、具合が悪いときに難しい本を読むことはできないことが多いですよね。

 

でも、

「じゃあ当時、SNSがあったら私は自分と同じ体験をした人たちと交流しようとしたのだろうか」

「ツイッターで愚痴や悩みをつぶやけただろうか」

「カウンセリングがもっと普及していたら、トラウマ治療が今くらいには発展していたら、当時の私は受けたのだろうか」と考えると

 

できなかったのではないかと思うのです。。。

 

私が当時、専門的な治療を受けられなかったり、誰かを「頼れなかった」のは、

必ずしも時代のせいばかりではなかったと思います。

 

何が言いたいかといいますと、

「自分で自分を理解しよう」「自分の状況を知りたい」と思って、行動することは、

とても貴重で、そうできるという素晴らしいリソースを既にもっていらっしゃるということです。

 

 

「自分を知る」「向き合う」というのは、本当に、楽なことではないですよね。

 

 

カウンセリングを受けたり、SNSで同じ体験をした人たちと交流したり、私のブログを読もうとしてくださったり、

そういった方々が持っていらっしゃる「自分と向き合う」という強さは、本当に敬服しますし、

当たり前のことではない、素晴らしいパワーなのだと心から日々感じています。

 

そして、仮に気づくまでに長い時間がかかっていたとしても、その時間はとても大切だったのだと思います。

 

自分の内面に構っていられない時期もあります。自分の内面を直視してしまっては生きられないこともあります。

 

そして自分と向き合うためには、その必要性や余力や病気や周囲の環境など、自分以外の要因も絡んでくる、

実は「流れが必要」な作業でもあると思います。

 

自分と向き合うことは労力がいる反面で、非常に有益だと思います。

一方で、そうはしないで過ごす日々も、同じように大切なのだと思います。

 

 

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↑そういえば、10年前だったら「押して」なんてお願いできなかったと思います。

皆さまの一押しのおかげで「頼っていいんだ」という体験を積めています。

本当にありがとうございます!!

 

 

この「人に頼ること」に関しては、スクールカウンセラーとして行政に反発を抱いている件などもございまして、

「人に頼りましょう」というアナウンスに対する「SC編」を書くかもしれません。

 

「人に頼る」「相談する」ということは、意外と奥が深いですね。

 

 

今日も最後までお読みくださってありがとうございました!!

またのお越しをお待ちしております。

 

 

 

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