心療内科を受診した後は、良くなるどころか一気に悪化していきます。
悪化の原因は、向精神薬中毒による多量服薬だったと思っていますが、
では服薬を適量に守っていたら良くなっていたかと考えると、
そうではなかったと思います。
しかし、薬の多量服薬は危険です…。
そうはいっても仕方がないこともありますので、
もし処方以上に飲んでしまうことがあれば、
そういうことを正直に主治医にお話しできるといいなと思います。
そういうことを隠さずに話せる主治医やカウンセラーがいれば、
きっと良い方向に向かっていけると思います。
ちなみに私は全く話していませんでした。
(みなさまにはオーバードースしていただきたくないので、説教くさくなってすみません汗)
回想:向精神薬中毒が加速
そして一見すると悪化の一途を辿ります。
すごいハイペースで薬が増え、うつ状態も酷くなり、学校も行けず、
薬を飲んでも眠れないことが不安で仕方がなくなり、オーバードースするようになっていきます。
当時は薬の処方が今よりゆるかった気がします。
それで溜め込んだ薬で1日50錠~80錠を一気に飲んでしまったり。
それがまた不安を強くして…。悪循環でした。
そんな私を家族は冷たい目でみて、傷つく言葉を発してきました。
解説:向精神薬への依存で生きられた
向精神薬への依存は、状態を悪化させていきました。
それでも、そのときは、薬に依存することが必要だったのだろうと思います。
そうすることでなんとか生きていたのだと思います。
そして何年間も抑え込んで我慢していた被害の傷が、
膿となって表に出てきた。
今だから言えますが、「症状」は大事ですね。
高校のときに無症状だったのが健康ではなかったように、
「症状」として出てくれるから「病気」だと分かる。
とてもしんどいけれど、強制的に休まざるを得なくなることで、
回復の1歩になっているのだと思います。
今思うと、この時期に症状が出てくれなかったら、大学時代も無症状だったら…、
と想像すると恐ろしくなります…。
最も苦しんだ「性嫌悪」
不眠症のような明白な症状にももちろん苦しみました。
けれど、症状が表面化する以前からずっと私が「死にたい」と本気で思い詰めていく原因は、
ほとんど毎回「性嫌悪」という症状なのかそうでないのか微妙な思考(?)でした。
性被害に遭うと、自然な恋愛ができなくなることが多いですね。
私のように「性嫌悪」になることもあれば、
自傷行為のように性的行為を繰り返してしまうケースもありますね。
これについては、またこの後の記事でも触れたいと思います。
【番外編:家出】
心療内科受診とほぼ同時期の大学3年のとき、
あまりの家族の不理解や幼少期からの家族への恨みなどが、
兄の心無い一言で爆発し、「家を出よう」と決意します。
しかし、高校1年からバイトして少し貯金はあったものの、
当然、自活していける蓄えではないですし、大学生であったし、
短絡的に「水商売をしてやっていけないだろうか」と思い、
寮が完備されているキャバ嬢になろうと思います。
当時、ほとんど物が食べられなくなり、水でさえ吐いてしまうほど、
ストレスでおかしくなっていました。
キャバ嬢になろうというのはとても短絡的で、
楽して稼げるわけがないとその後痛感しますが、
当時の私は、男性嫌悪、男性不信が強かったので、ものすごく怖い中、面接を受けに行きます。
夜の仕事に対する偏見も当時は強かったため、すごく怖かったです。
結果は、キャバ嬢は断続的にやるものの、寮には入らず、現実的に可能な範囲を検討し、
それまで貯めた貯金でレオパレスのマンスリーマンションを借ります。
そこで半年過ごし、金銭的に破綻し、実家に戻るという流れになりました。
実家に戻らなければいけない時期には、見たことのないニキビが顔中にできました笑。
そして実家に戻り、大学4年になりますが、
もっと悪化していき、うつ状態もかなり重くなり、
私自身の行動も「混乱きわまれり」といった感じで危ない状態になっていきます。
この頃は、向精神薬の多量服薬とうつ病で、常に朦朧としていて、
みなさまの参考になるような考察ができず申し訳ないです・・・。
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しばし、ひたすらに悪化していきます。
大学4年になると、「悪化」が目に見える形、
「まっすぐ歩けない」「貧困妄想」「目の焦点が合わない」
「夢遊病のように睡眠薬を飲んでから出かける」など、
見るからにおかしい状態になっていきます。
続きはこちらです。