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性被害サバイバーの1事例

ある性被害サバイバーの話53 ~「原家族」という元凶~

 

「そういえばアニバーサーリーだ」とふと気づきつつ、

(2回目の被害が7月下旬)

 

もう記念日反応はないので大丈夫なんですが、

先週に原家族から落とされた爆弾から、またいろいろと考えをめぐらせていました。

 

 

私にとって、「父への気持ちはストックホルム症候群だった」という最近の気づきは非常に意味のあるものだったようで、

それに気づいてからは「実家に行かなければ」という強迫的思考はかなり和らぎました。

 

先週の父兄のケンカの連絡があり、それ自体に対する私の動揺は2日程度で治まったので、よかったなと思ってはいます。

 

でも、何かが引っかかったまま、わたしの中でまだ出てこれない抑圧されたモヤモヤを感じています…。

 

それはまだ何か分かりませんが、

後ろめたい感じ、自分の主張が正しいと言えないような感じがあって、

それは私にとって直面することはまだできないのか、心の中でくすぶっているようです。

 

トラウマ

まだ正体がわからないくすぶりはそのままですが、それをきっかけに思い返していると、

 

私のトラウマは本当に性被害が主だったのだろうか?

 

という思いがでてきました。

 

確かに、それによってPTSDになり、人生が大きく変わり、「普通の日々」を送れなくなったことで家族との溝もできたのでしょう。

 

でも、私が一番傷ついたのは、原家族から受けたものではないだろうかと。。

 

無視

彼らの心無い対応で傷ついた出来事はたくさんあります。

 

それらをまとまると、彼らは私に起こった事件の重要性を「なかったこと」のようにし、

その後に私が抱えることになった苦しみも「見なかったこと」にして、

 

「無視」し続けたのだという結論に至りました。

 

「口をきかない」という分かりやすい無視ではなく、

私の苦痛の訴えを、存在を、「ないこと」のように見事に無視し続けた。

 

それが私にとって非常にトラウマになったのだろうと思います。

 

役割の強要

私に起きた事件、発症した精神疾患を、わかりにくく、でも完璧なまでに「無視をし続ける」一方で、

 

彼らは(特に母と兄)は、私に「家族成員の役割を果たせ」と暗にプレッシャーを与え続けていました

 

それは「手伝い」であったり、家族と一緒に旅行に行く、などであったりしましたが、

とにかく「ここに居るなら役に立て」と、はっきりと明言はしないけれど、態度で示し続けていました。

 

だから私は、つい最近まで、「実家に行って父の面倒を見る」という「役割」を強迫的に行っていたのだと今やっと理解できています。

 

統合できない

私はこの家族の反応によって、私自身に起きている内的な課題を統合できなかったのだと思います。

 

私自身も自分の苦しみを無視し、他者には健全に振舞うようにした。

 

結果として、誰にも心を開かずに、自分の殻に閉じこもっていたのだと思います。

 

以前の記事で

「臨床心理士になるんだから自分に向き合ってきたと思っていたけれど、勘違いだった」

 

と書いていますが、本当にその通りで、私は自分の問題から目をそらし続けてきたのだと実感を伴って分かるようになりました。

 

隠れる母、出しゃばる兄

家庭に居場所はなかった。

でも居るしかないから、私は兄の機嫌をとっていたのだと。

 

私が家庭に居てよいかどうかの実質的な発言権が親ではなくなぜ兄なのか、

正しく言うと、母が後ろに隠れて兄が代弁しているという構図です。

 

父は自分のことしか考えていない。

 

父や私に文句を言いたくても、表立って言う労力をかけたくない母が出しゃばりの兄に頼り、兄の攻撃性が発揮されるというパターン。

 

そこには、彼らの意に添わない行動をしている私への糾弾しかなく、なんの理解も寄り添いもなかった。

 

 

彼らの行いで、何度も不思議に思うことがあります。

 

例えば、人が大量の向精神薬剤を飲みながら働いたり学校に行ったりしていることを

 

「あいつ、また薬飲んでいるよ」

「それは甘えだ!」

 

となぜ罵倒できるのか。。

 

なぜ「こんなに飲むなんて何かあったのだろうか?」と考えられないのか。。

 

「私の苦しみは全てスルー」「彼らの理想像になっていないと糾弾」という一貫したパターンだった…。

 

では、彼らも家族からは情緒的サポートを得ていなかったかというと、決してそうではありません。

 

母と兄は、毎夜長々とお互いの愚痴を話して寄り添い合っていた。

けれども母親の本当の望みは父の変容ですので、それは叶いませんので、

「私ばっかり苦労して」と不満ばかりが増幅し、母はいつも「被害者側」に立っていました。

 

父は、一家の長で日々の食事から何から彼の希望が優先されました。

 

今だから

原家族から愛されていなかったという事実を、心の底から本当に受け止めるのは、ものすごくつらいことなのだと思います。

 

どんなに頭ではわかったつもりでいても、無意識ではある程度のところまでで蓋をしたくなるものなのかもしれません。

 

 

このブログを書くために、「臨床心理士になってあんなに安定したのはなぜだろう?」と考えて、

「居場所ができたのだ」という答えに辿り着きました。

 

 

居場所ができて、気づけばもう15年くらいです。

 

私はようやく「居場所」の量が足りてきたのかもしれません。

 

だから、向き合うことのできなかった傷が痛み出したのかもしれません。

 

エネルギーを取り戻す

私はずっと、自分のことを「体力が人よりも格段に少ない」と思っていました。

そのせいで、日々の活動量が限られてしまい、不便だし、けっこう生活に支障がでることもありました。

 

それが、昨年ワクチン後遺症になって「実家に行きません宣言」をした後に、

精神量が増えたことに気づきました。

 

そして、「父親へのストックホルム症候群」に気づいたら、さらに体力気力が増えたのを感じています。

 

 

全く気づいていなかった。。

彼らに吸い取られていた精神量はとんでもない量だったのだと痛感しています。

 

できることならもっと取り戻したい

 

だから、どんなにツライことでも、時期が来たら気づきたいと意欲を持っています!

 

 

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話が変わりますが、

 

明日から来週末まで仕事が通常業務に加えてイレギュラーな業務が重なって忙しいんですね…。

 

体調崩さず乗り切れますように!!

 

みなさまも、また暑くなってまいりましたので、心身大事にされてくださいね♪

 

またブログでお会いできるのを楽しみにしていますm(__)m

 

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