今回は、性被害者に二次被害を与える偏見について書きたいと思います。
私も犯罪被害者の1人として、犯罪被害、特に性犯罪被害は、いつも「被害者側にも何か要因があったのでは?」という歪んだ目がついてまわります。
それはなぜなのか、偏見をもつ人の心理について解説します。
偏見をもつ人を理解するためではなく、
それは間違っているということを論理的に理解することで、
被害者の方が自分を責めてしまうことが軽減されればいいなと思います。
目次
『認知的不協和』というストレス
性犯罪被害への偏見の心理として、『認知的不協和』が考えられます。
認知的不協和とは、「人は既存の認識とは異なる概念が入るとストレスに感じ、認知的に協和しようと働く」という心理原則です。
↓『認知的不協和』に関するツイートです。
「認知的不協和」といって、人は自分の認識と異なる認識が入るとストレスに感じ、認識を一致させようと働く。この作用がよく起きるのが、自己否定が強かった人が回復し始めたとき。「自分は悪くない」と分かったと思えば強烈にモヤモヤしたり再び自己否定に向かったりする。
悪化ではなく自然な反応。— 寝子 (@necononegot) March 12, 2021
この「認知的不協和はストレスを生む」という心理原則は、実はあらゆる場面で人の心に作用しています。
「認知的不協和」に関するブログ記事はこちらです。
「自分は犯罪とは無縁」という認識
この心理原則にそって考えると、偏見を持つ人の心理が読み取れます。
「被害者にも落ち度が」と言う人は、「この世は安全で、自分は理不尽な犯罪被害には遭わない」
「自分が犯罪者になることなどない」という認識を持っています。
ところが、誰かの犯罪被害について「被害者に落ち度はない。誰でも被害に遭う。」という認識は、
「この世は安全で自分は被害に遭わない」という既存の認識とは異なり、『認知的不協和』を生みます。
そのため、一瞬にして無意識に無自覚に、「この世は安全で自分は被害に遭わない」という認識に「協和」させるために、
「この世は安全。危険な目に遭う場合は特別な要因があるのだろう(=被害者側に落ち度が)。だから自分は大丈夫」
と協和させ、ストレス状態を回避していると考えられます。
同様に「自分は犯罪行為を行っているはずがない」と揺るぎなく思っていたら、
自分が日ごろ行っている性的行為が「もしかしたら犯罪かもしれない」とは断固として思うわけにはいきません。
そのために、「被害者側に不適切な行動があったのでは?」と、自分を正当化しようとします。
「強盗」と「性犯罪」の違い
よく「夜道で強盗に遭って財布を奪われたら同情されるのに、夜道で痴漢被害に遭っても同情されにくい」といわれます。
これも認知的不協和で考えると、「自分は強盗はしない」と認識している人がほとんどで、
「強盗をする人は自分とは別世界の人」と認識され、
「自分も強盗に遭うかもしれない」と認知されるので、被害者側に寄り添えるのです。
一方で、「痴漢」と「自分が普段行う性的行為」の違いがきちんと区別できていない方が多いです。
「人のものは盗まない」ことは「認知」できていても、
「性的行為」は「なんであろうと性的行為」のままの認知であるということ。
「合意のある性的行為」と「合意の無い性的行為」の区別がついていない人が偏見をするのです。
つまり「自分の認識はどれも性的行為であるので、それが犯罪行為とはされたくない」ということ。
「性犯罪」の偏見の難しさはここで、合意があってもなくても行為そのものは同じだと無意識でも捉えられてしまうことです。
まったく違う事柄であるのに、そこの区別を脳ができない(人がいる)。
だからまるで、自分が日ごろ行っている合意のある性的行為を批判されたかのように受け止める人がけっこういるのです。
だから、どんなに説明したところで、なくならないのです。
なぜって、「認知的協和」はほとんど無意識に無自覚に自動的に行われる自衛反応なので、
本人も気づかず、あたかも真実かのように意識されます。
偏見は無知でストレスに弱いということ
つまり、「自分は犯罪とは無縁」「自分は安全」だとどうしても思いたい人や、
「性的行為の合意ありなしが実はわかっていない」というときに、
「被害者にも落ち度が」という偏見をもっているということです。
加えて、無知であることもいうまでもありません。
ただ、無知の部分に関しても「既存の認識に一致する概念しか取り入れない」ということであれば、「認知的不協和からの回避」で説明できますね。
「因果応報」といった世界観
もう1つの偏見の原因は、「因果応報」という言葉のように、
「正しい行いをしていたら良い事が起きる。悪い行いをしていたら報いを受ける」という教えが、偏見を増長してしまっている面もあると思います。
ただこれも結局は「既存の知識への当てはめ」ですので、『認知的不協和』の理屈で済むかなと思います。
犯罪行為は100%加害者が悪い
ここでもう一度確認しましょう!
加害行為は、100%加害者が悪い
これは信田さよ子先生がDVの場合に論理的に説明してくださっていますね。
注意ポイント
「妻(子ども)が言うことを聞かなかったから殴った」
言うことを聞かなかったら、
話し合う・諦める・その場を去る、などいくつもの行動の選択肢があったのに、
「殴る」という行動を選んだことが100%悪い
この教えのように「被害者は悪くない」ことを理解するのはものすごく大事です。
偏見や加害者の言い分は間違い
これまで書いてきたように、「被害者にも落ち度が」とか「悪いところがあったから」というのは
加害者側の心理的防衛反応であって、事実ではありません。
被害者の人が「スカートを履いていた」だろうが「酔っていた」だろうが、
犯罪行為を一ミリも認める要因にはなりえません。
偏見などに傷つくことはあっても、それをどうか信用しないで欲しい。
上記のような人が自分に都合の良いように脳内誤変換しているだけなのです。
ただ、こういう人たちに立ち向かうのはものすごくエネルギーが要りますし、
分かり合えないと思いますので、偏見や言い訳に傷つくことがあったら、
安全な相手に聞いてもらうなどしてケアしたいです。
いわゆる「器が大きい人」「頭が良い人」というのは、
「認知的不協和」を抱えることができ、さらに考えをめぐらすことができる人なのかもしれません。
なので、偏見を持つ人は
「ちっちぇえ人間だな!!!」
と思います。
ただ、こういう偏見を是正する発信をしていくことも私たち心理職の職責の1つですね。
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今回は、偏見を生む心理について解説しました。
次回は、『過剰適応』についてまとめています。続きはこちら
「ある性被害サバイバー」の続きはこちら
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