今回は「人に良く思われたい」「人に好かれたい」と思う心理を掘り下げたいと思います。
この記事は、「人に好かれよう」とすることはご自身にとってしんどいことであり、
好かれた分だけ元気になっているというわけではないのに、
どうしても「嫌われるのが怖い」といった苦しみが根底にある場合に注目しています。
そして、「八方美人」という言葉が持つネガティブな印象や、
「誰からも好かれようとして!」というような批判的な意見に代表される
「誰からも好かれようとすることは非難されること」という見方に対する反論も含んでおります。
このように非難されて傷ついたことがある場合や、
「“嫌われてもいい”と思えばいい」とは分かっていても、そうできないときの自己理解に繋がれば幸いです。
目次
「人に好かれないと」という心理とは
「八方美人」とは、「誰に対しても良い顔をする」という主旨で、あまり良い意味では使われません。
あまり良い意味で使われないのは「誰にでも良い顔をする」ことがまるで悪いことのような先入観がまず存在していると思います。
けれど、そもそも「誰にでも好かれようとする」というのは悪いことでは決してないですし、
社会性の高さの表れであると思います。
だだ、この言葉からは「能動的に人に好かれようとして幸せな人」というようなイメージを持ちますが、
実際は、合わない人ばかりに気を遣っていたり、
嫌われることばかり恐れて日々の対人関係が不自由で苦しいものであったりするケースが少なくありません。
このような「苦しみ」を伴う「人に好かれないと」という心理はなぜ生じるのか、その由来や意味を整理したいと思います。
機能不全家庭
他の記事でも述べていますが、
機能不全家庭で育ち、親の不機嫌さなどに振り回されていた場合、
子どもの立場では親に好かれないと居場所がありません。
親に限らず、自分よりも大きな身体を持った相手が身近に居た場合、
その人が自分に保護的ではなく攻撃的な側面を持っていたら、
その人にも好かれなければ攻撃されてしまいます。
弱い子どもという立場では、自分で自分を守ることはできません。
そのため、「好かれるかどうか」は意識にあがる以前に生存本能として「生きるか死ぬか」ほどの問題になります。
攻撃から身を守る唯一の方法は、自分より強い相手と友好的な関係を築くことになります。
そのときの生存スキルが、大人になっても引き継がれていることがあります。
「孤立」はトラウマ的
近年、「トラウマ」となる出来事は、事件や事故等の大きな出来事に限らないことが明らかになっています。
その中で、人間は生まれてから長い年月を誰かに依存して生活していくことが求められます。
そうした人間の特徴を踏まえると、「孤立」というのはトラウマ的な出来事なのだとされています。
虐待を代表とする機能不全家庭であると、人と関わることは怖いことになり得ます。
一方で、人と関わらず孤立しているという状態も、同様にトラウマティックな傷となり、
「人と関わろう」とする本能が働き続けるといいます。
もし過去に、「自分を見てくれない」「理解してもらえない」等という「孤独感」を強く感じ、
それをなんとかしようと自分からがんばって関わりを持とうと努力していたら、
そのおかげで関心を持ってもらえたことがあったかもしれません。
「1人は怖い」という思いは、意外なほどにトラウマを抱える人に深く刻まれていることがあります。
今、もし自分でも理解できないほどに、大切ではない誰かの機嫌を取ったりしているとしたら、
そのときのトラウマ反応が出ているのかもしれません。
「グレー」がない
過度なストレスになっていても「人からどう思われているか」を気にしてしまうとき、
「なんとも思われていないだろう」といった「グレー」な状態が思考にないことが少なくありません。
ご本人にとって、「嫌われてもいないけれど好かれてもいない」状態は「安全」とは認識できないといえます。
頭では「嫌われてもいい」と思っても、それは受け入れがたい恐怖や緊張を連れてくる場合、
「好かれていない」=「自分の存在が脅かされる」
という反応になっていることがあります。
また、「そのままだと嫌われる」という信念を抱いていることもあります。
「普通にしていてはダメだ」「努力しないと好かれない」という刷り込みがあり、
そのために無理して他者に合わせていることがあります。
「正解」を求めている
先ほどの「グレーがない」ことと重なりますが、
子ども時代に感情や意志をそのまま肯定してもらえる体験が少ないと、
無意識に自分の気持ちや振る舞いに対して
相手にとっての「正解」を探すようになっていることがあります。
これは「親の機嫌を悪くしないように」「怒られないように」ということが最初だったかもしれません。
「親に嫌われたら生きていけない」子ども時代であれば、「親に好かれるor喜ばれる」ことが正解になります。
基準が「自分がこうしたい」というものではなく、
他者に評価を委ねているために不安定になってしまいますが、
ご自身で必死に適応しようとした証であるといえます。
心の飢餓状態
「人から良く思われたい」「認められたい」という欲求を「承認欲求」ということは有名ですよね。
単に「目立ちたい」ということもありますが、
「人に良く思われたい」という気持ちからの行動が「苦しみを連れてくる」場合、
心が飢餓状態であるために何とか埋めようと他者からの評価を求めていることがあります。
子どもの頃、優しさや思いやりといった情緒的な愛情を充分に得られなかった場合、
心は常に寂しく満たされていない状態のままです。
その心を少しでも埋めるために、他者からの情緒的関わりを過度に求めてしまうことがあります。
反動形成
「人を嫌ってはいけない」というような『すべき思考』が強いと、
自分が感じた違和感や不快感をなかったことにして、抑圧することがあります。
本心を意識しないようにした結果、
自分の抱いている気持ちが「相手がこちらを嫌っている」と思ったり(投影)、
全く逆の言動をすることで本心を押し殺し適応することがあります。
本心と逆の言動をする無意識の作用を『反動形成』といいます。
例えば、希望に満ちてポジティブな気持ちで入社した会社で、上司からパワハラに遭ってしまったというような場合、
内面のショックが大きく、現実をすぐに認められず、自分の傷つきを抑圧して、
まるで心から慕っているかのような態度を加害者的な相手に取り続けることがあります。
詳しくはこちらの記事でフロイトの防衛機制について説明しています。
生存スキル
どのような思考や行動も、かつては適応策であったといわれています。
「人に好かれなくては」という思いも、先に述べたような意味があり、
そうする必要性があった時期が存在したのだと思います。
そういった過去も踏まえた上で、「今」の自分の特性との関連としての「適応策」を考えたいと思います。
前もっての防御
「人からどう思われても(攻撃されても)大丈夫」となるには、
一定以上の体力が必要となります。
「八方美人」と言われる人の中には「好かれたい」というより
「他者からの攻撃に耐えられないから未然に円満な関係を作る」というものであることがあります。
攻撃性の少なさゆえの“前もっての防御”として、
円満な関係を築こうという生存スキルである場合は少なくありません。
この場合、「危険を感じる人ほど円満な関係を築いて攻撃される危険を回避する」ことが必要になるので、
常に「機嫌が悪い人」や「攻撃性の高い人」に気を配り続けていることになります。
そのため、周囲からは適応的に見られていても、ご本人は常に警戒心を持っており、疲弊したストレスフルな状態である傾向があります。
傷つけたくない
感受性が強かったり、「自分は自分」と他者と分けられなかったりするとき、
誰かを傷つけることに敏感で、
「傷つけたくない」という優しさによって、他者に合わせて過剰に自分を抑制することがあります。
この場合、ご自身の傷つきや苦労はぐっと内面に留めて、振る舞いはいつも穏やかである傾向が見受けられます。
そのため、ご自身のストレスは周囲に気付かれにくく、面倒な人の世話役になってしまっていることも少なくありません。
対処法
「誰からも好かれようとする」という傾向は、
社会性の高さや優しさや適応力を示しているといえ、「治しましょう」ということでは決してありません。
ご自身の強みとして捉えることもできると思います。
ただ、「人に好かれようとし過ぎて疲れる」といったお悩みを抱えていることも少なくないと思いますので、
「軽くしたい」という場合に向けた対処を整理したいと思います。
相手の要因
まず「八方美人」「誰にでも良い顔をする」等と、誰かに非難されたとしたら、
それを言ってきた人の問題であると捉えましょう。
「八方美人」「誰にでも好かれようとする」というのは、かなり適応能力がある証拠です。
そのため、そこまでの適応能力がない人たちから見れば、ときに妬ましく、
「自分はそこまでうまく振舞えない」「人に好かれない」というコンプレックスを刺激されてしまうのです。
誰もが「誰にでも合わせられる」スキルがあるわけではないのです。
なので、非難されたら「妬まれるほどのコミュニケーション能力、適応能力があるのだ」と自信に繋げられたら
何も言うことがないベストな落ち着き方だと思います。
トラウマ反応」であると気付く
ここからはその人ご自身ができることをまとめていきたいと思います。
今の自分を苦しくさせる思考や感情があるとしたら、そのほとんどはトラウマ反応かもしれません。
先に触れたように、「かつて」好かれようと頑張らなければ居場所が得られなかったのかもしれません。
嫌われてしまったら生活が脅かされてしまう子ども時代を過ごしたのかもしれません。
でも今は大人になり、自分の命は自分で守ることができるようになりました。
そういった視点を持ち、「好かれなくては」と強く思って苦しくなってしまう自分を観察してみて欲しいと思います。
きっと何かが不安になっている部分があるのだろうと思います。
その不安を今の自分が「大丈夫だよ」と優しく理解してあげられると
根本的に苦しさは軽くなることが多いです。
「選択」する
「自分の振る舞いは今の自分が選んだことだろうか」
と一度立ち止まってみたいと思います。
「できるだけ誰からも好かれたいと思い、その価値観を基準に行動していく」と「選んだ」のであれば、
それは個性であり、ご本人らしい生き方となるのではないかと思います。
一方で、先ほど触れた「トラウマ反応」である場合、選んでいるようで実際は選べていません。
反射的に同じ行動を繰り返してしまっていることが多く、その場合は、そういったパターンに気づき、
ご自身の中に癒されていない傷があるのだと理解し、
改めて「自分はどうしたいのだろう」とご自身と話し合ってみたいと思います。
体力を取り戻す(消耗する事柄をしない)
先ほどの『前もっての防御』の項目で述べましたか、
自分の心を守るためには一定以上の体力が必要になります。
「心を開く」という表現を聞いたことがあるかと思いますが、
「自分の心を守る」という視点からは「心を閉じる」という機能を働かせる必要があります。
これは、ある程度健康であれば、外部からの些細な攻撃であれば自然に跳ね返すことができるようになっています。
ただ、何らかの病気を抱えていたり、慢性的にストレスフルであったりしますと、
跳ね返せるだけのガードを持つことさえできなくなっていることがあります。
こういった場合は、ある程度体力が回復するまで、あまり人と無理に関わらずに、
ゆっくりと静養することが第一に必要になるケースが少なくありません。
思考の極端さに気付く
先ほどの『グレーがない』の項目で述べた「好かれなければいけない」といったような極端な考え方があったら、
それに気づくだけでも緩和されることがあります。
「好かれるか嫌われるか」「敵か味方か」となっていたら、
「嫌われてもいい」と考えようとしても馴染まないことが多いです。
そんなときは、まさに「グレーを持とう」ということで「好かれなくても嫌われなければいい」くらいに徐々に緩めていけたらと思います。
ただ、思考が極端になっている場合、その多くはかつての適応的な思考であり行動であったことがほとんどです。
そのため、「直すべき悪いところ」とするのではなく、
「人との関わりが安全ではなかったのだな」と思い、
ここまで頑張られてきたご自身に労いの言葉をかけてほしいと思います。
関心の方向を変える
生育歴から身についた適応行動が「人に好かれようと頑張る」であった場合、
無意識に「一番ストレスになっている人」に関心を向けて、
その人と良好な関係を築くことに多大なエネルギーを注いでいることがあります。
その場合、ご自身が安心できる人たちや場所に向けるエネルギーはほとんど残っていないということがあります。
もしそうであるなら、「関心の方向を変えよう」と意識してみるといいかもしれません。
「安心できる人や場所にエネルギーを向けよう」と、
少しずつ従来の“癖”を変えていけると苦しみが減り、喜びや楽しさが増していけるかもしれません。
↓押してくださると、寝子が皆さまの暖かい応援にエネルギーを全振りできます!!
↑いつも手間のかかる一押しをしてくださって本当にありがとうございます!
押してくださったあなた様は神様天使様!!
ぐっと秋らしくなってきましたね。
秋にしては梅雨のような天気が続いて、体調不良に悩まされている方が多かったですが、
ようやく晴れの天気が続きそうですね♪
温かい飲み物や食べ物は心にも良いので、ぜひ心身を温めてあげてください。
今日も最後までお付き合いくださって本当にありがとうございました。
またのお越しをお待ちしております♪