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心理豆知識

「自分が悪い」と自己否定してしまう心理メカニズム 

 

今回は「自分が悪い」「自分のせい」と、

根強く思ってしまう心理について整理したいと思います。

 

この記事は、虐待や性被害などの犯罪被害に遭ったり、機能不全家庭で育って、

気付けば自己否定的になっていたといった場合の

慢性的な「自己否定感」「自責感」に注目します。

 

そのため、「うつ病」などの精神疾患の「症状」としての「自己否定感」とは異なりますことをご了承いただければと思います。

 

また、間違った行動をした際の「反省」の意味での「自分が悪かった」「自責の念」も除外しています。

 

ここでは、慢性的で気付いたら「ただただワケもなく自己否定がある」という場合や

「理不尽な被害に遭ったけれど“自分が悪い”と思う気持ちが強い」という場合を取り上げます。

 

「自己肯定感」を謳う弊害

「自分が悪かったから」に代表される自己否定感は、苦しみの根源となっていることが少なくありません。

病気の回復を妨げることもありますし、

症状との相互作用で強化されてしまうこともあります。

 

よく「自分を好きになろう」「自己肯定感をもとう」といわれるのは、健康に必要だからでしょう。

でも、本当に自己肯定感が必要な人ほど、自己肯定できません。

 

自戒をこめて、支援者は安易に「自信がないことが原因」「自己肯定感を持ちましょう」と言ってしまう傾向があります。

 

けれど、本当に自分の存在を肯定できない人は、

こう言われるとかえって追い詰められてしまうのだと臨床経験から学びました。

 

「自己肯定感を持とう」という、もはやキャンペーンになっているといえるほどのこのフレーズは、

「自己肯定感があれば全て解決」のような印象を与えてしまっている側面があり、

 

裏を返せば「自己肯定感が低いと何も解決しない。ダメなままだ」

というメッセージになってしまうことがあるのだと感じます。

なので、「自己肯定感」を議論しても助けにならないケースは実際は多いのです。

 

けれど、自分のせいではないこと、決して自分が悪かったわけではないのに、決して劣っているわけでも弱いわけでもないのに、

ただひたすらに自己否定しているのは、とても苦しいということも事実です。。。

 

ただ、自己否定してしまうのには理由があるのだと思います。

 

「自分を知る」ことは、それだけで「肯定」になります。

好きにならなくても、無理に肯定しなくてもいい。

自分を誤解していることは実はとても多いと思います。

 

だから、慢性的に広範に「自分なんて」と思う気持ちがある場合は、

「自己否定してしまうメカニズム」を知れれば、少しは意味があるかもしれないと思っています。

 

今の結論としては「慢性的な自己否定のメカニズムは1つではない」ということです。

 

そこで、考えられる「自分が悪いと思う心理作用」を列挙していきたいと思います。

特に、性被害やDVなどの犯罪被害を受けた際の「自己否定感」「自責感」に注目しています。

 

ご自身を理解するきっかけになれば幸いです。

 

認知的不協和

「認知的不協和」とは、

「人は既に持っている認識や行動に合わない事柄に不快感を感じる」という心の基本作用です。

 

そしてその「不快感」はストレスになるため、不快感を軽減するために

認識を一致できるような理由を作り出したり

合わない認識を過小に受け止めようとします。

 

自分の既存の認識や行動と、新たに得た情報とのつじつま合わせをする心理作用です。

 

(詳しくは「認知的不協和」の記事でご説明しています)

 

この作用は、理不尽な被害の際にも生じます。

 

被害に対する認知的不協和

「認知的不協和」とは、

「既存の認識(認識1)」と合わない「新たな認識(認識2)」が生じた際、

両者の認識を一致させようと働きます。

 

「理不尽な被害」を受けたときにどう作用するか考えます。

 

自尊心がある「認識1」

犯罪の被害など基本的人権を蹂躙する行為を受けた「認識2」

 

この状態は、明らかな不一致になります。

事実は「被害は理不尽」であり、被害者になんの落ち度もありません。

しかし、心理原則としては「人権を蹂躙された」という「認識2」に合わせるには

「自分は人権を蹂躙される存在なのだ」「認識1を変更する」と無意識に動いてしまうことがとても多いです。

 

「人権の蹂躙」という加害に対して、「自尊心の崩壊」が起こります。

 

虐待などの幼少期からの被害であれば、根本的に「自己肯定感」を持つことができなくて当然です。

 

その場合は、「否定的な関わり(認識1)」の連続ですから、

それに合う「自分は価値がない(認識2)」という自己認識が強化されていくことは避けがたいことです。

 

「認知的不協和」は「その不協和の程度が大きいほど“協和しろ”という圧力が働く」と

「認知的不協和」の記事でご説明しております。

 

「理不尽な犯罪被害」における「不協和」は、

まさに「大きすぎる不協和」を生じさせます。

 

仮にそれまで「自己肯定感」がきちんと備わっていたとしても、

理不尽な犯罪被害に遭ってしまうとそれまでの自尊心や自信も全て壊れてしまうことが珍しくないのは、

それほどの人権蹂躙を受けたということの証です。

 

この「認知的に協和しようとする」という心理原則は、

「自分が悪かった。だから被害にあった」とするような「自己認識」だけでなく、

それまで抱いていた世界観に関しても生じます

 

そのため、全般的に「人が信じられなくなる」「不安感が強くなる」など、

被害体験に合わせた世界観になります。

 

「自分で積極的に選んだ行動」

「自分で選んだ行動の結果、被害に遭った」場合、

よりストレートに自責感を強めてしまうと思います。

 

例えば、性犯罪のほとんどは見知らぬ人ではなく知人によって行われます。

 

そのため、「自分から会った」「親しくしていた」過程で被害に遭った場合、

 

「自分で積極的に選んだ行動(認識1)」「加害者を“良い人”だと思っていた(認識1)」に対し、

「理不尽な犯罪被害(認識2)」が認知的不協和を生じさせます。

 

そのため、被害を過小に評価しようとしたり、

自責感などから「被害」と認めることができにくくなるなどの心理が生じます。

 

このときも「自分が悪かったから」と思うことで「認知的に協和」しようとすることが多くなります。

 

強者弱者の構造

虐待も性犯罪もパワハラも、「強者から弱者へ」という構造をもっています。

「パワーは下へ流れる」という原則があります。

 

これは、「子どもは個人の努力ではどうにもできない」という例から分かるように、

被害者側はご本人のせいではなく、構造の中で弱い立場だったということがとても多いです。

 

それは、被害者側の落ち度ではありません。

 

しかし、「耐えるため」「なんとか生き延びるため」に、

「自分のせい」「自分が悪かったから」と思い、その思いをその後も持ち続けてしまうことが少なくありません。

 

暴力の威力

理不尽であっても「暴力」というパワーは、

一度でも行われると「弱いものはさらに弱く。加害者はさらに強くなる」という

「構造」を作ると小西聖子先生は指摘しています。

 

これは、いじめやDV、性犯罪で顕著に現れると思います。

 

理屈ではなく、たった一度でも「暴力」は無条件で強者弱者を心に刻みこませるパワーになってしまうのです。

 

加害者は「自分の方が上だ」とさらに勘違いし、

被害者は「自分は弱いのだ」と思い、認知的不協和も絡み合って、自己否定を強めていってしまいます。

 

そのため、被害者側がなかなかDVから抜け出せなかったり、

酷い扱いを受けていても加害者との関係性を切れずに何度も被害に遭ってしまうということはおかしいことではなく、

それほどに「反抗できない弱さ」を暴力によって植えつけられてしまったということであることがあります。

 

再演

繰り返し被害に遭ってしまう無意識の作用として「再演」があります。

何度も被害に遭ってしまう場合、

「強者弱者の構造」の問題や「再演」という無意識など、

いくつかの複雑な心理や状況が背景に考えられています。

「再演」についての記事はこちらです。

 

洗脳

「マインド・コントロール」という言葉が流行ったことがありました。

ただ、何か特殊なことをしないと洗脳できないわけではないと思います。

 

広い意味での洗脳になりますが、

「育った家庭環境」「母国の文化」などの影響は必ずといっていいほど

その人の思考や価値観に影響しますよね。

 

そういう広い意味でいえば

「“自分が悪い”と洗脳されるような環境だった」というケースはとても多いと感じます。

 

罪悪感

「罪悪感」も広い意味での洗脳の一種だと捉えることができると思います。

 

「人を思い通りにしたい」「コントロールしたい」と欲している人は、

無自覚だろうと意図的だろうと「相手に罪悪感を与える関わり方」をたくさんします。

罪悪感は「自分が悪い」という気持ちです。

 

人は「恐怖」「不安」「罪悪感」にコントロールされやすい特性を持っています。

そのため、「罪悪感」を抱くとそれを軽減できる行動を取ろうとすることは自然です。

ただ、それにより、もっと消耗してしまうなど、

さらなる傷を負ってしまうことが少なくありません。

 

「罪悪感」には注意が必要です。

 

大事なことは、罪悪感や自責感は、必ずしも事実ではないということです。

本来は、親や加害的な人の問題であって、ご自身が背負うものではない。

 

けれども、「罪悪感」は「気にしなくていい」等と言われても、なかなかなくならないと思います。

 

ただ、「罪悪感は行動をコントロールするほどの威力がある」という特性を知り、

「それは自分から出た感情ではなく、思わされている部分があるのだろう」と止まってみる。

 

そして「他者のことはその人の責任」とし、その上で、

ご自身の行動を選ぶことができるように、ゆっくりとなっていけるといいのかもしれないと思います。

 

加害者の言動の内面化

「広い意味での洗脳」と意味合いは同じですが、

自己否定感や罪悪感には「加害者の言動の内面化」という要因が指摘されています。

 

「あんたのせい」「被害者にも落ち度がある」「断らなかったじゃないか」等という

加害者側の言動が自分の中に知らず知らず入ってしまった結果、

それを内面化し、自分の本心かのように感じてしまう状態です。

 

親子間でなどで頻繁に否定的言動を受けていると内面化してしまうのは当然だと思います。。

 

決しておかしいことではありません。

 

もしそのような可能性があるなら、もう一度ご自身でご自分に寄り添ってみてほしいと思います。

簡単なことではありませんが、他者の言動の侵入によって心に刺さったたくさんのトゲを

少しずつ丁寧に抜いていけたらと思います。

 

「主体的に生きる」という原則

特殊な状況に限らず、

「認知的不協和」に代表されるような人の心理の基本原則は他にもいくつかあります。

 

その中で「納得したい」「コントロール感覚を維持したい」という

「人は自分の人生を主体的に生きようとする」という原則があります。

 

「主体的に」生きようとする人の心理原則は、とても素晴らしい特性であります。

けれども、それがときに、不必要な「自己否定感」「自己責任」に繋がってしまうことがあります。

 

納得したい

人は「納得したい」という基本的な欲求があります。

これは「認知的に一貫性を持とう」とする先ほどの「認知的不協和理論」と重なる部分があります。

 

「納得できない」という状態は、非常にモヤモヤしてストレスです。

 

犯罪は総じて「理不尽」であります。

「理不尽」は、そもそも納得できるものではありません。

 

そこで被害に遭ったことに対して納得できる理由を作ろうとする心理が働きます。

それが「自分が悪かったから被害になったのだ」あるいは「加害者にも事情があったのだ」等となり、

自分で自分を納得させようとすることがあります。

 

「耐える」意味

人は「意味のないことに耐えられない」ようにできています。

そのため、「意味」や「理由」を無意識に見出そうとする特性があります。

 

身近な例でいえば、仕事において自分が行っている作業の意味を感じられないと、

極めてストレスになります。

 

人は、自分に起きる事柄に意味を感じられないことは耐え難いことで、

ましてそれが犯罪被害といった人生を左右する出来事に見舞われたらなおさらに「意味」や「理由」を考えようとします。

 

なんとか自分なりの「意味」を見出して、乗り越えよう耐えようとします。

 

その「意味」が時に「自分が悪かったから」「自分が頑張れば」となることがあります。

 

加えて、「耐えない」という方向に行くことは、なぜか「罪悪感」を感じさせます

本当は何も悪いことではないのに、「我慢しない」「耐えない」「逃げる」という行動には、

文化的な背景も絡んで、根深く人の心に「罪悪感」として居座っています。

 

そのためどうしても罪悪感から逃れさせてくれるような気にさせる「耐える」方向にいってしまうことは、

無理もないことなのだと思います。

 

コントロール感覚を維持するため

「自分のせい」と思うことは、決して無意味なことではありません

突然の被害や、劣悪な環境下で過ごさなくてはいけなかったとしたら、

現状の苦しみが自分以外の問題であると認識することは、

自己統制感を失ってしまいますし、

生きる支えがなくなってしまうことである場合も珍しくありません。

 

そのため、「自分がダメだから」「自分ががんばれば」と苦しい状況の原因を自分におくことで、

立っていられる時期があります。

 

「自分のせい」なら、今後気をつければ防げると思うことができます。

また、トラウマがあると「克服しなきゃ」という気持ちが強くなるとされていて、

「自分が悪かったから」とは思わなかったとしても「自分で何とかしないと」と思う強い気持ちが

何事も自責的になることに繋がっていることがあります。

 

「乗り越えないと」「自分ががんばれば」という気持ちは、

なんとか人生の主体を取り戻そうとしている表れであることがあります。

 

そのこと自体はなにも悪くなくおかしくもありません。

おかしいどころか、どんなに労っても足りないほどのがんばりであります。

 

ただ、そういった自分への厳しさが、自分にもう少し優しく接しても大丈夫になってからも持続していると、

自己否定感と苦しさが多くなりすぎてしまうかもしれません。

 

体力のなさ

自分が悪くないことに対して「悪くない」と適切に思えるためには体力が必要です。

 

加えて、「認知的不協和」を「協和せず」に抱えることができるには、

さらに体力気力という余裕がなければできないことであります。

 

被害による衰弱

自己否定的になってしまう根本的な問題に、

理不尽な被害体験や劣悪な環境下での生活による消耗によって、

思考力や対抗するエネルギーがそもそも失われてしまうことが多いです。

 

人が適切に感じ、適切に思考し行動するためには、

ある程度まで「エネルギー」がある必要があります

 

うつ病の症状に「思考力の低下」「落ち込み」などがありますが、

ある程度まで回復しなければ「認知」や「行動」に介入することはできませんし、

しても逆効果になってしまいます。

 

まず休むことが強調されるのは、このような「エネルギー補充」のためです。

 

逆にいえば、衰弱が徐々に軽くなり、少しエネルギーが溜まりだすと、

自然に「認知」や「行動」が良い方向に治っていくことが珍しくありません。

 

攻撃性のなさ

体力のなさにも影響されますが、もともとの気性として攻撃性がない場合

非難の向きが他者ではなく自分に向う傾向があります。

 

あるいは、他者にも自分にも向わずに、

無気力になってしまったり、不要に相手側に寄り添う思考になることもあります。

 

これは、もともと体力が少なく、優しく、共感性が高い場合に見受けられることが多いです。

 

このような場合、理不尽な被害にあった際に、

その人の心の中がパニックになり、整理がつけられない時期が比較的長くなる傾向があるように思います。

 

「他者を悪く思いたくない」という気持ちが強ければ、

「認知的不協和」になり、加害者を「加害者だ」と認識することに抵抗感が生まれます。

 

「これは被害だ」「加害された」と認知することは、表立って行動しなかったとしても、

他者を否定することと同じ心理になります。

 

また、事実がどうであれ、「批判」「非難」は、攻撃性が必要です。

攻撃性は、もとをたどれば「体力」です。

 

加えて、どんなに当然な「他者批判」であっても、

その前提には「自分で自分を優先する」という段階が必要になります。

 

これは、できる人はなんの意識もせずにできますが、できない人には極めて難しいことなのです。

 

「自分を守る」ということは、攻撃性が必要で、そのためには体力が必要です。

そして、ある一定程度は、他者を尊重せずに自分を優先できないといけないという、

実はいくつかの段階が必要なのですよね。

 

八方美人

「八方美人」は「誰にでもいい顔をする」という意味で、「誰からも好かれたい欲」というイメージですが、

実際には、「皆と温和な関係を結びたい」という心理であることが多いように思います。

攻撃性のなさや共感性の高さによって、

「他者からの攻撃に耐えらない」から、攻撃されないように前もって穏便な関係を結ぶ努力をしていることがあります。

人に嫌われようと人を傷つけようと自分の好きなように行動できる人がいる一方で、

そうはできない人がいます。それは、決して非難されるようなことではなく、

むしろ、とても優しく、人を傷つけることを避けようとする人なのだろうと思います。

 

対処法

これまで述べたように、自分のせいではないことを「自分が悪い」と思ってしまうのは自然な反応であること、

その程度が強い場合にはそれだけ過酷な状況であったということなのだと思います。

 

自分を取り巻く環境や状況、出来事に対して、適切に「おかしい」と思うことは、

実は簡単なことではないのですよね。。

 

衰弱からの回復

「体力のなさ」で述べたように、

自己否定的認知は、それだけでもご自身のストレスになっています。

何より、そもそもそうならざるを得なかった事情を抱えています。

 

そのため、思っている以上に疲労していると考えて欲しいと思います。

 

「考え方」も「行動」も、疲弊していると不適応的になってしまうことは自然です。

 

なので、まず「全体的な回復」のために、休むことが本当にとても重要です。

 

ただ、「どれくらい休めばいいのか」という期間は、それぞれのケースごとに異なりますよね。

休み方や休む環境もそれぞれ違うかと思います。

 

自分のことは自分だけではどうしても良くない方向に考えてしまいますし、

できていないところが気になってしまうものだと思います。

 

そのため、カウンセリングなど、他者と共に経過を振り返ることができると、

良くなっているところや変化したところがその都度発見でき、より安心して過ごせるのではないかと思います。

 

それが難しい場合には、一行日記でもよいので、その日の具合を簡単に記しておくと、

後から振り返ることができ、良い変化や回復を確認できる材料になれるかと思います。

 

今を記しておくことは、少し先の未来のご自分の安心に繋がるかもしれません。

 

理解する

他の記事でも「自分を理解する」ことの重要性を繰り返しておりますが、

今、自分を苦しめている思考があったとしたら、それには理由があるのだと思います。

 

「自分が悪かったから」と自責的に思ってしまうこともその代表です。

 

「無意味に苦しい思考を身につけたわけではない」と、

ご自分を理解してあげることはとても大切なのではないかと思います。

 

自責感があることは普通

過剰にご自分を責めたり否定してしまう時期が長いと、とても苦しくなってしまうと思います。

それは、できれば少しずつ緩和できたらいいと思います。

 

ただ、この記事で取り上げたように、そう思ってしまうことは普通であり、

自責感や自己否定感をゼロにすることを目指さなくていいのではないかとも思います。

 

大事なことは「自分に悪い方向に考えてしまうのはダメだ」と思い詰めて、そう考えてしまう自分を否定してしまい、

「変われない」とさらに自己否定感を抱いてしまうことを防ぐことだと思います。

 

「そう思ってしまうのは仕方ない」と理解することで、自分に対して寛容になれ、

それだけで少し自己否定感が和らいでいけることがあるのではないかと思います。

 

「友達だったらどう?」

「過剰適応」の傾向が強い場合にも当てはまりますが、

他者に対しては客観的に優しい気持ちで判断できるのに、

ご自分に対してはなかなか優しくできないことは珍しくありません。

 

なので、「自分がおかしいのか?」とグルグルしてしまうことがあったら

「これが知人の話だったら自分はどう言うか」

と考えてみてほしいと思います。

 

これは「何もしなくていいのか」「怠けてるだけなんじゃないか」と自分に思ってしまったときにぜひ思い出して、

「知人が同じ状態だったらどう思うだろうか?」「どう声をかけるかな?」と使用してほしいなと思います。

自分を責めてしまう思考は、病気の症状でもあり、それまでの「クセ」でもあります。

 

「症状」であっても「クセ」であっても、

すぐには変えられないから「症状」や「癖」なのですよね。

 

なので、つい自責的になってしまうことも「自然なこと」と受け止めながら

強化はしないようにその都度「ストップ」をかけて

新しい「癖」に変えていければと思います。

 

「誰が言ってる?」と自分に話しかける

少し侵襲的な方法になりますが、

「インナー・チャイルド」という言葉をきいたことがある方もいるかと思います。

 

「自分が悪い」という気持ちに限りませんが、罪悪感や怒りや自責感など、しんどい感情が出てきたとき、

「誰が言っている?」自分の中にいる「チャイルド」に話しかける方法を用いる療法を

「スキーマ療法」といいます。

 

スキーマ療法とは

「スキーマ」とは、

「物事の捉え方」という「認知」よりも

深い部分に該当する価値観や世界観を意味します。

スキーマ療法については、簡単な内容ですが

こちらの記事でご紹介しています。

 

「誰が言っている?」と問いかけてみると、

たいていは「大人」であり、ご自身が子ども時代に言われたことや今も親などの

「大人」から言われていることであったりします。

 

つまり、自分の声ではないかもしれないのです。

 

もちろん、この記事で述べたように、人の心理原則として苦しい状況を生き抜くために作用した結果が「自己否定的思考」である側面があります。

 

けれど、そうなるにはたった一人ではなりません

「苦しい状況」「理不尽な被害」「劣悪な環境」など、

自分以外の原因があったからです。

 

そういう意味で、もう一度、「誰が言っている?」と聞いてみて、もし「大人」であったなら、

「本当は自分はどう声をかけてほしい?」と今からご自分に優しい言葉をかけてほしいと思います。

 

ただ、これは過去のとても苦しい記憶と向き合うことでもあります。

 

そのため、方法の1つとしてご紹介させていただきましたが、どうかご無理なさらず。。

 

まずは何よりも体力気力の回復を意識してあげることが第一に優先したいことであります。

 

 

 

「自己否定感」に限らず、人の気持ちは、具体的になるまでに、実はいくつか段階があり、時間が必要なのですよね。。

 

体力の回復も大事ですが、感情もいっぱい抱えなくてはいけないと、何がなんだかわからなくなるものです。

その結果として「自分が悪いから」「どうせ」等と、極端にまとめてしまうことがあります。

 

時間の経過と共に、心の動揺が鎮まっていき、質的な痛みになっていきます。

 

状態によって対処法は異なります。

けれど、状態にあった「休み方」の種類をいくつか持っておくことや、

ご自身を理解することは、助けになることが多いのではないかと思います。

 

 

 

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トラウマに関わる記事で「ストックホルム症候群」

「再演」などもご興味があればぜひ!

 

文中にでてきた「認知的不協和」の詳しい記事はこちらです。

 

 

今日も最後までお付き合いくださってありがとうございましたm(__)m

またのお越しをお待ちしております!!

 

 

 

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