無意識の作用、『防衛機制』について
「防衛機制①」で代表的な防衛機制の具体的な働きをまとめました。
「防衛機制②」では、「怒り」に注目して「怒りの防衛機制」として記事にしました。
今回は、『躁的防衛』に注目したいと思います。
目次
「躁的防衛」とは?
躁的防衛とは、抱えがたいストレスをないことにするために、
明るく元気に振舞おうとする無意識の作用です。
「無理して明るく」ですね。
ただし、無意識ですのでその最中はご本人は「無理している」と自覚していません。
「躁的防衛」は、「過剰適応」の傾向がある頑張り屋さんに作用しがちであったり、
機能不全の親が自身の抱える本題から目を背けるために長期的に抑圧をし続けた結果として表れていたり、
さまざまなパターンが見受けられます。
「防衛機制」の多くは「適応的な反応」とされているように「躁的防衛」も適切な対処であることがほとんどです。
ただ、後から自身を振り返ったときに「どうしてあんな状態で楽しいと思っていたんだろう…」等といった疑問の整理や、
親などの他者理解、長期間の抑圧を防止するなどの役に立てばと思います。
「反動形成」との違い
「防衛機制」などの無意識は、単独で作用するよりは、実際は複数の要因が絡み合っていることが多いです。
そのため、「躁的防衛」も「反動形成」として解釈できることもあります。
違いは、「反動形成」は特定の事柄に対する本心の抑圧であること、「躁的」な反応に限定されないという特徴があります。
一方、「躁的防衛」は、「置かれた状況における全般的な反応」であり、「軽躁状態」という反応に限定されます。
ただ、厳密に区別することが大事なのではなく、
無意識の作用を知った上で、ご自身が腑に落ちる見解を得られることが大切であると思います。
「躁的防衛」は、短期間で作用した場合と、
人生のほとんどを防衛して自身の内面と向き合うことを避け続けた場合とでは、
人物像がかなり異なります。
短期間の場合
短期的な例では、
「不慣れな環境で心の奥では緊張や不安や居心地の悪さを抱えているけれど、まったくそういった負の気持ちがないかのように、ハイテンションで振舞う」
というようなケースが代表例です。
躁的防衛は、上記の例のように一時であれば適切な対処になることが多いです。
ただし、「数ヶ月間から数年間」といった人生の一時であっても、
犯罪被害や過重労働などの何らかの劣悪な状況下を乗り切るために「元気で明るく」という躁的防衛が作用している場合は、
その後、うつ病やパニック障害などとして反動が大きく出てしまうことに繋がります。
「短期的」に起きる場合はどのような状況が考えられるか整理したいと思います。
思春期の人間関係
「躁的防衛」が必要であり、機能的に作用するといわれている代表的な時期が「思春期」です。
小学校高学年から中学生にかけての第二次成長期は体の発達と共に心も不安定になり、
今まで盲目的に信じていた周囲の大人の価値観を疑うようになり、自立心が芽生える時期です。
学校のクラスや授業での優劣もより明白になり、外見も気にするようになります。
他者と自分を比べるようになり、思春期は自分に対して「ネガティブ」になります。
そしてそのような不安定で張り詰めた状態は自分だけではなく
クラスメイトや部活動で共に生活する同世代の人たちも同じです。
いじめが起きやすいのもこの時期です。
そのため、合わない人たちにも無理に合わせたり、明るく振舞わなくてはいけない状況になりがちで、
「躁的防衛」が働き、ハイテンションになって乗り切ることが多くなるとされています。
大げさなほどにキャッキャッと騒ぐ様子がクラスなどで見かけられますが、
それは「普通のテンションでは学校に居られないから」と解釈がされることもあります。
期待が裏切られたとき
「躁的防衛」は、基本的に「元気で明るく頑張らないと」という気持ちが強いときに起きやすいです。
かつ、「防衛」になっているということは、内心では抑うつなどの負の感情が存在し、それを否定している状態です。
このような心境になることが多いのが「新しい環境を迎えた」ときです。
例えば、新入社員として希望や意欲を持って会社に入ったときや、転職直後、結婚直後など、
それまでの環境とは変わったときです。
希望も意欲も持っていなければ、例えばパワハラなどの酷い扱いを受けたらそのままストレス反応が出せることが多いと思います。
けれど、希望を持って「がんばろう!」と思っていたのに、想像とはまるで異なる環境であったなら、
そのショックや傷つきはダイレクトに感じることができないほど強く深くなってもおかしいことではありません。
そのため、現実を否認し、置かれた環境の「良いところ」を無理に見つけ、
自身のストレスに蓋をして「明るく元気に意欲的に」自分の役割を果たそうと懸命に動くことがあります。
これが「躁的防衛」であり、そのこと自体は「適応しよう」という前向きな気持ちです。
ただ、やり過ぎてしまうと、ご本人には「急に」体調不良や精神的な落ち込みが襲ってきて、
気づいたときにはかなり苦しくしんどい状態で、
どうしていいか分からなく混乱してしまうことになってしまうことがありますので、注意が必要です。
大切な何かを失ったとき
信じていた人に裏切られたり、希望の進路が叶わないなどの広い意味での「喪失体験」は
躁的防衛を引き起こしやすいといわれています。
ショックをあまり感じず、いつも以上に元気で過ごすことがあります。
これは、「軽い解離」や防衛機制の「合理化」などとも作用しあっている場合が少なくありません。
ツライ話を明るく冗談めかして人に聞かせたり(軽い解離が起きていることも)、
「本当はやりたいことじゃなかったし、叶ったって大変だっただろう(合理化)」と自分に言い聞かせ、
元気で過ごそうとすることがあります。
ある程度限定された場面に対する適応のための「躁的防衛」は、程度が長く重い場合は、
先に述べたように「うつ病」や「原因不明の身体疾患」などの
「病」となってSOSを発することが少なくありません。
それは、「負の感情を抑圧していたから」という面だけでなく、
行動そのものが過活動になっているために心と同じく身体もとても疲弊しているからと考えられます。
ただ、「病で出る」ということは、決して無駄なことではなく、
自分を癒し、本来の自分を取り戻すことに繋がります。
一方で、病気にならずに人生のほとんどを「防衛」していますと、
ご本人の範囲に留まらず他者を巻き込む困った事態になってしまいます。
長期的な場合
「躁的防衛」は、先に述べたように限定的な場合は多くが適応的であり、懸念がないわけではありませんが、
そのときの負の感情を受け止められるようになるまで必要な作用であることがほとんどです。
けれども、これが長期に渡って、「自分の内面にある負の感情を否定し続けて、明るく元気でい続ける」と、
ときには周りを巻き込むほどに厄介な人になってしまうことがあります。
「躁的防衛」の範囲がその人のほとんどになってしまっている場合です。
この項目は、もし誰かからのモラハラやパワハラ的な関わりに苦労しているなどの場合の他者理解に繋がればと思います。
長期で躁的防衛している場合、
ぱっと見は、よく話し、自信満々に見え、活動的で明るく元気な印象です。
けれども心の奥底には、
否定し続けているコンプレックスや不平不満、劣等感などの本心が渦巻いていますので、実際は空虚です。
誰かと比べて「あの人より自分のほうがすごい」というように、
攻撃的で人を見下すことで自分の優位性を保とうとすることが普通になってしまうことがあります。
本人は、「躁的防衛」であると気づいていませんので周りはどうすることもできません。
自分の持つ苦しみ、望んだ人生とのギャップ、自分の能力に対する劣等感などを否認し、
「躁的防衛」をすることで自分を守ろうとします。
そのため「自分はなんでもできる」というような万能感や「他人とは違う」という優越感を抱くようになります。
誰かを支配することでそれを証明しようとすることも稀ではありません。
しかし「万能で他者より優れた自己」というのは虚像です。
ですので、どれだけ威圧的に振舞っても、誰かを支配しても、元気に活動し続けていても、満たされることはありません。
根の部分の「不安定さ」はそのままですので、
外見的には自信満々で活動的に見えても、
実際は情緒不安定で怒りなどの攻撃性を家族など外からは見えない場で出していることも多々あります。
いわゆる「毒親」と言われる人の中には、躁的防衛が長期化した結果だと捉えられるケースがあります。
人が、自分も周りもそれなりに安定して過ごすには、
「自分の内面と向き合う」ことは、極めて重要であると思います。
人物像の違い
「躁的防衛」は、「過剰適応」傾向がある「自分に厳しく一生懸命頑張ろうとする」性格傾向の人が
厳しい環境を乗り切るために作用することが多いです。
一方で、「自分はすごい」という自己愛が強い場合に、
高い自己評価と社会的評価の低さのギャップを受け入れられずに「躁的防衛」をして現実を否認し、
自身の内面から目を背けるために作用することもあります。
どちらも、「負の感情」を抑圧して「明るく元気に振舞う」という行動をとることは同じです。
しかし、性格傾向は全く異なり、他者への関わり方もまるで違うことが特徴です。
他の無意識との関連
「短期的な場合」の項目で、
「軽い解離」や「合理化」などの躁的防衛だけではない無意識や症状との関連に触れました。
そのように、「躁的防衛」は、他の心理作用とも絡み合うことが多い作用です。
言い換えれば、それほどに「抑うつ」や「傷つき」といった負の感情をそのまま感じることは、人にとって意識できる以上に困難で重いことだと捉えることができます。
軽い解離
先に触れましたように、他の作用と似ていたり合併していたりしますが、
そこを厳密に見極めることは重要ではありませんし、区別は不可能だと思います。
大事なことは、「腑に落ちる見解に出会うこと」だと思います。
自己理解のヒントを増やすという目的で、「解離」と「躁的防衛」の類似点に触れたいと思います。
まず「解離」も「躁的防衛」も無意識の心的作用です。
意識的にコントロールできるものではありません。
「解離」は医学的な用語であり、
「躁的防衛」は精神分析の用語です。
また、「解離」の症状は多岐に渡り、その一部が「躁的防衛」と類似しています。
「軽い解離」の症状として、「ツライ話を普通にor明るく話す」「大事な人の死に悲しみが実感できない。気丈に振舞う」などがあります。
「あまりにショックな出来事で感情に直面することができない」から
「なんでもないことのように明るく振舞う」という結果として「躁的防衛」が作用したとも解釈でき、
この意味では「軽い解離」と「躁的防衛」は用語の違いだけで同じ現象といえるでしょう。
ストックホルム症候群
機能不全家庭で育ったり、アカデミック・ハラスメントの被害に遭うなど、
明白な上下関係が構築されている状況下で、「その環境から逃げられない」という場合、
加害者に対して「ストックホルム症候群」という心理状態になり、
全般的に「躁的防衛」が作用して、置かれた環境を全面的に肯定し、
場合によっては劣悪な環境や加害者を「崇拝」するかのように絶対視することがあります。
「ストックホルム症候群」は場合によっては「躁的防衛」とも関連し、
後に自己嫌悪感や自責感を強めてしまう原因となってしまうことがあります。
けれど、それは「その時生き延びるために必要だった心的作用」であり、
決してご自身が悪いわけではありません。
他の例では、機能不全家庭の親が宗教に入り、それを妄信するケースを多々見受けますが、
厳密に「躁的防衛」といえるか明言できませんが、それもある種の「防衛」だといえる場合があるかと思います。
対処法
ここでは、苦しい環境に適応するための「躁的防衛」に絞って、
自己理解と対処法を整理したいと思います。
「躁的防衛」は負の感情を抑圧し、「無理して明るく振舞う」心理作用であります。
かつ、他の心理作用とも絡み合いながら、その作用を強めることがあります。
ということは、言い換えれば、それほどに「抑うつ」や「傷つき」といった負の感情をそのまま感じることは、
人にとって意識できる以上に困難で重いことだということだと捉えられます。
だとしたら、ご自身に向き合ってきちんと治療したり、ご自分の深い傷つきやショックなどの負の感情を感じているとしたら、
それはとても尊く貴重な営みであり、精神的に強いといえるのだと思います。
また、短期的であれば、劣悪な環境下で自分の本心よりも「適応しよう」という意志が優先されたということであります。
それは適応能力が高く、頑張ることができるというリソースであります。
当時の自分を理解する
「躁的防衛」は無意識の作用ですから、リアルタイムで気づくことは極めて難しいと思います。
ですので、気づかなかったとしても無理はありません。
程度によりますが、「躁的防衛」で受けたストレスがある程度重かった場合、
「うつ病」や「パニック障害」などとして後に「反動」がくることがあります。
そのときに、病の発症の原因などの自己理解の助けになれば治療がスムーズにいくかもしれません。
「あんなに元気だったのに」「やらなきゃいけないのに」等と、
病を押して適応を続けてしまいがちですが、
「躁的防衛だったのかも」と気づくことができると、
元気ではなくなったご自身に対して理解ができ、
無理して頑張り続けて病気になったご自分に少しでも優しい気持ちを向けられるかもしれません。
生活リズムをチェックする
「躁的防衛」による「過剰適応」が起きているときに最も心配なことは
「一気にどーんと落ちてしまう」という危険性があることです。
「仕事は楽しい」「人間関係もいい」等とポジティブに思っていますが、
実際は、過重労働であったり、すごくストレスになっている人間関係があるなど、
ご本人が抱えているストレスや疲労は通常以上です。
だからこそ、「無意識」が作用するといえます。
そのため、意識せざるを得なくなったときにはすごく悪化してしまっているということがります。
なので、「躁的防衛」そのものに気づくことは難しくても、
「過剰適応」になりがちであるなら、
生活リズムがどうであるか意識してあげていると早期発見が可能になると思います。
人は、本当には自分の心にウソはつけません。
なので、「1人になるとどっと疲れてしまって気がついたら時間が経っていた」「熟睡できなくなっている」「運動を急に始めてみた」など、
これまでとは違う行動が増えていたら気を付けたいです。
特に「入眠困難」「中途覚醒」「早朝覚醒」などの「睡眠障害」が心の異常には見受けられることが多いので、
「睡眠」がどうであるかを気にしてあげていると自身のサインに気づけるかもしれません。
人に話す
無意識の作用でなくとも、自身の状態は、自分ではなかなかわからないものです。
もし、パワハラや過重労働などの劣悪な環境に適応するために「躁的防衛」が作用していたら、
ご本人は環境の不適切さに気づいてないことが少なくありません。
誰かに話し、「それはおかしい」と指摘されて始めて気づくことができることがあります。
なので、信頼できる人に話してみることは、ストレスの消化にも状況の理解や整理にもなって非常に有効な対処です。
ご自身を労って
「自己愛の保全」のために人生全般を「躁的防衛」するケースであれば、
自己の内面を知るような記事は読もうとしないと思うので、そういったケースに向けてではなく、
「過剰適応」としての「躁的防衛」や、何らかの被害を耐えるために「躁的防衛」をした場合に向けております。
そのようなご経験があったら、ぜひご自身を労ってほしいと心から思います。
そういった場合であれば、
後に「反動」のような「うつ状態」「パニック発作」「身体の不調」などが表れると思います。
それはとてもツラく苦しいことは言うまでもありません。
「躁的防衛」の期間が長かったり、その間に受けたストレスが多大であったなら後の苦しみも比例して増してしまいます。
けれど、それだけ頑張ったということであります。
自身の負の感情に気づいてしまったら生きていけないほどの環境だったというケースもあります。
だからこそ「PTSDは安全な環境になり、受け止められるようになってから発症する」といわれています。
「躁的防衛」による反動としての「苦しい状態」も同じメカニズムといえると思います。
特に「ストックホルム症候群」や「解離」と関連していた場合や、
大切な人の死に代表される「喪失体験」などの場合には「躁的防衛」が作用したからこそ、
なんとか過ごすことができたのだと思います。
どうか後から振り返ったときに、
当時のご自身や病となったご自身を責めることのないよう、
ご自身の痛みを過小評価しないようにしてほしいなと思います。
ご自身を労い、今から当時の傷を癒し、
当時、適応的な防衛機制が作用してくれたことを「よくがんばった」と認めてあげられたらと思います。
↓押してくださると寝子が過去の自分の「躁的防衛」を認められます!!
↑いつも皆さまの一ポチに優しさを感じ「躁状態」になっております!
貴重な一押しを本当にありがとうございます!!
「うつ病」の原因はがんばり過ぎであることが多々ありますよね。
今回の文中に出てきた「ストックホルム症候群」の詳細はこちらの記事で解説しています。
「仮面うつ」の記事も参考になるかと思います。ご興味があればぜひ!
「防衛機制」については「防衛機制①」の記事で代表的なものを解説しています。
「防衛機制②」では「怒り」に注目して「怒りの抑圧」に関する防衛機制をご紹介しています。
具体的な事例として、私の場合を
「ある性被害サバイバー⑦」と「ある性被害サバイバー⑳」にて解説しています!
今日も最後までお読みくださって本当にありがとうございました。
今週末には、「基本的信頼感の欠如」というトラウマに関連する心理状態についての記事をアップする予定です!
またのお越しをお待ちしております♪