" />

心理雑談

「倒れるまでできない」のはストレスの質の違い ~「そこまでがんばってない」んじゃない~

 

 

・・・やっべ

 

もう6月も終わるではないか!

 

今月は一回もブログを更新していないではないか!!

 

週末にいくつか研修があった月だったけど、決していつもより忙しかったわけではない。

 

ただ、「父と会う」という定期イベント化している本当に憂鬱になる行事がございまして、

その前後からこれも恒例になっておりますが、

私がジワジワ不調になっていき、

父と会い終わってから前回のようなフラッシュバックの再燃がちょっとあったりし、

 

そんなこんなしていたら、6月が終わるっていうね。

 

 

早いね!!

 

 

ということで、お久しぶりです♪

 

 

今年は「ザ☆梅雨」という感じでジメジメして天気が悪く、雨は少ないですがスッキリできないですねぇ。。。

 

 

今日は、

「“突然倒れて病院に運ばれ、過労だと言われて働き過ぎに気づきました”っていうのを聞くけど、自分はそうはならないから、無理してないのかな」

という疑問について、

寝子の見解を気楽につづりたいと思います!

 

 

「倒れるほど頑張る」という幻想

私、実はこの現象をずっと考えていたんです。

 

精神疾患の場合、

「急に職場で倒れて運ばれて、点滴うけて自他ともに働き過ぎだと認知してもらって、数日間休めば元通りに働ける」

ということにはまずならない

 

だから、患者さんも含めたかなりのストレスを抱えて限界を超えている場合でも

「まだ自分は働けているからそんなに大したことじゃないんだろう…」と休むことに抵抗を強く抱いていたり、

 

休んだとしても「倒れるほどがんばれないタイプなんだ」と

ご自身のがんばりを過小評価してしまうことがあります。

 

だから、「違うよ!」っていうことを説明したくて考えていて、

私なりの結論を出したなーってことをふと思い出したので、記事にしてみました。

 

この記事での「倒れる」というのは「貧血で急に立っていられなくなった」というような文字通りの意味をイメージしています。

 

ストレスの質の違い

「職場で倒れて運ばれて過労認定されるケース」と「倒れることはできないけれど行けなくなるケース」は

「ストレスの質の違い」だと私は結論付けています。

 

(もちろん、厳密にはケースによって異なります。この記事は「倒れるまでは働いてないのに」という場合へのエールを目的としていることをご了承くださいませ)

 

前者は肉体的疲労が顕著であること、

後者は精神的な負のストレスが顕著であることが特徴だととらえています。

 

加えて、前者は数日間休んだり治療を受けたりすれば元通りに戻れるということ、

あるいは、見つかった時にはガンなどの重い病になっていることがあるように感じています。

 

一方で後者は、精神的な疲労と傷つきが著しいために、「身体症状」としてあからさまにでることができず

身体的な病名がつかず、精神疾患であり、みなさまもご存じの通り、復帰までには長くかかることが一般的です。

 

精神的な作用への違い

肉体的な疲労はわかりやすいと思います。

 

では、精神的なストレスに関して、

「突然倒れるパターン」と「倒れるのではなく会社に行けなくなるor日常生活ができなくなるパターン」の違いを考えてみました。

 

これは、「精神的なストレスがポジティブかネガティブか」の違いであると私は考えています。

 

「倒れる」パターン

「肉体的な疲労が顕著で急に倒れるパターン」では、もちろん全てではありせんが、

自分の仕事や生活にポジティブな意欲が強い傾向にあるように見受けられます。

「こうしたい」「もっとやりたいことがある」という感じで、

精神的にも身体的にももともと健康で「できる」という自負もあるように思います。

 

前向きな意欲がエネルギーとなっていますので、

それこそ「倒れるまで身体疲労に気づかない」となるのではないかと考えています。

 

もちろん、活動量が多ければ精神的にも疲れますが、基本的に健康なので、

環境が異常でなければ心は健康に保たれる。

 

逆に、精神力に頼りすぎてしまうために体の疲労に気づかずに「無理ができる」のではないだろうかと思っています。

 

「倒れられない」パターン

一方、精神疾患を抱えるなど、精神的に思い詰めてしまう場合、

「前向きな意欲がエネルギーとなって倒れるほど身体的に疲労した」わけではないのですよね。

 

心の栄養となるポジティブなものはないため、エネルギーが作り出されず枯渇していってしまう

むしろ苦しい思いを重ねているという精神的なストレスゆえに、

体がわかりやすく倒れられるほど動ける精神的エネルギーがそもそもないのですよね。

 

だから「倒れるほどがんばれない」ということでは全くないのだと思います。

 

精神的なエネルギー

精神的なエネルギーも広くは「体力」でくくられるのだと思いますが、

一般的には神面がもたらす「原動力」は誤解されているように思います。

 

まるで「気合」や「根性」でなんとかなるという非科学的な「精神論」がまだ根強いですし、

精神的に元気であることがどれほど活動に影響するかということは取り上げられないことですとか…。

 

でも実際は、「体力がある」と称されるケースのほとんどは、精神的に健康で、

ナチュラルに意欲や前向きさ、楽しさや喜びという「心の栄養」を補給し続けられていると思います。

 

それは「体が突然倒れる」ほどに体を動かすエネルギーになり得るということだと思います。

 

(ケースによっては「壮大な躁的防衛だった」ということも考えられると思います。

ただ、そうだとすると、他の症状が併存していたり(「働けるけど様々な身体症状に悩まされている」など)、

倒れたあとの回復は簡単ではなかったり、やはり何か重さが見受けられるように思います。)

 

一方で、精神的に苦しい状態というのは、ただ「心がツライ」ということにとどまらず、

体を動かすエネルギーを作れないのだと思います。

 

だから、そもそも「直前まで忙しいスケジュールをこなしていたのに突然倒れる」というところまでいけないのだと思います。

 

「体が動かない」という症状

うつ状態などでツライ症状の1つに「思うように家事ができない」「起きていられない」という

倦怠感、体の重さがあります。

 

「急に倒れて救急車で運ばれた」というような様相ではなく、

断続的に起きていられるし、少しは動くことができるものの、

思うようには動けずに、心身共に落ち込んだ状態になってしまいます。

 

この苦しさは、自分も「怠けているだけでは」と思ってしまうし、周囲からの理解も得られにくく、

さらにストレスを増やしてしまうのに、どうにもできない状態ですよね…。

 

それなのに、「本当に限界だったら倒れるだろう」という認識にあったら、

あまりにもそれは日々のがんばりが報われないし、痛みに痛みを重ねてしまうようで、

 

 

 

「倒れる」だけが限界の印じゃないし、

「倒れる」ことが重いということでもないよ!

 

 

 

と言いたくなることがあるので、ここで言ってみたw

 

 

 

「“倒れられない”という症状」としてみると、精神疾患らしいなと思ったりします。

 

わかりにくく、治りにくく、抱えにくい…。

 

だからこそ、少しでも自分の状態をわかってあげられたら、抱えやすくなれたら、それは回復に直接つながるのではないかと思っています。

 

 

 

 

↓押してくださると寝子が「喜び」という心の栄養をもらえます!!

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 心理カウンセラーへ
にほんブログ村

↑いつも応援ありがとうございます!!

みなさまの一押しがブログ更新の励みです!!

 

 

 

梅雨の時期は天気と同じように心身もスッキリできにくくなりますよね。

 

私はもう少しブログを更新して、文字にしてスッキリできたらと思います!

 

冒頭に触れた「父との定期面会(あ、これからこう呼ぼうかな)」についての今回の体験も、近いうちに書けたらなぁと思っています。

 

 

今日も最後までお付き合いくださってありがとうございました<m(__)m>

 

 

更新が滞りがちですが、ぜひまた覗きにきてくださるととてもうれしいです♪

 

またのお越しをお待ちしております(*^_^*)

 

 

 

-心理雑談

© 2024 心理カウンセラー寝子の寝言 Powered by AFFINGER5