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トラウマ 心理豆知識

フラッシュバックを癒しにかえる ~「触発は複数」「ドミノ倒し」に気づく~

 

今回は、フラッシュバックに気づくことから、

解離していた部分を見つけることで癒しに繋げられたらというテーマになります。

 

「フラッシュバック」はトラウマの症状として広く知られていると思います。

 

特に「映像」としてのフラッシュバックは周知されていると思います。

一方で、身体感覚や情動、思考としてのフラッシュバックは非常に多いものの、

フラッシュバックであるという認識はあまり広まっていないこともあり、気づきにくいものです。

 

私たちが考えている以上にフラッシュバックは、

まさに「今起きているかのように感じさせる」と表現されている通りに体感されます。

 

「過去の反応である」と分からず、今と分けられないことで苦しみを深めてしまうことがとても多いと思います。

 

そこで、今とわけられるよう、ご自身の「部分」を1つでも多く見つけていきたいと思います。

 

はじめに

この記事では「フラッシュバックに気づく」ことを大きな目標とします。

 

けれど、それは「今は耐えられる強度」である必要があります。

 

また、フラッシュバックが起きた時の対処を述べるものではありません。

 

そのため、ある程度回復し、その上でなお苦しみを抱え、

「自己理解したい」という方に向いている内容となっています。

 

「耐性をこえているかどうか」の一例として、

例えば「カウンセリングでずっと泣き続けてしまう」という場合を上げたいと思います。

 

これを「カタルシス」だと捉えて泣くままにしたほうがいいというやり方が主流だった時代がありました。

 

しかし実際は、この状態は「カウンセリング中、ずっとフラッシュバックした状態であった」と捉えるほうが適切であると見直されるようになっています。

 

これは、「トラウマが喚起されて耐性を超えてしまっている」ゆえの「泣く」というトラウマ反応であるため、

カウンセラーはそのままにするのではなく、トラウマ反応を和らげる関わりをし、今に戻ってこさせる、

つまり「落ち着けるようにする」ことが求められます。

 

このような状態のときに「何がつらいのか」「トリガーは何だったのか」聞いても、

それを検討できる機能が低下した状態になっていますので、混乱してしまうだけです。

 

「カタルシス」と「フラッシュバック」の違いの見極め方は、

ご本人が「落ち着いていくか」「不快なまままか」という違いかと思います。

 

この記事も、読んでいてつらくなるようであれば、無理をせず、他の落ち着ける対処を優先してくださいね。

 

一方で、トラウマ反応が起きても、今は対処可能であり、気づくことでもう一段回復できる可能性があります。

 

ご自身の反応をよく見てあげて、選んであげられるといいなと思います。

 

それでは進めていきたいと思います。

 

解離

この記事は『パーツアプローチ』に基づいてトラウマ反応を理解していきます。

 

関連記事『トラウマによる解離を理解する』

 

フラッシュバックが起きているということは、かつて許容範囲を超えた体験をしたということで、

それは「解離」することで生き延びたと捉えます。

 

精神医学的にも「解離」の概念はあいまいでありますが、

本当に「解離」というのは抽象的に定義付けすることが難しい様相として現れます。

 

大事なことは、「解離」は異常な反応ではなく、

きっとほとんどすべての人に実は起こっている基本的で本能的な作用であるということです。

その程度が頻繁で重い場合が「トラウマ」として後の人生に影響するのだと考えられます。

 

「解離」は、

「当時は受け止めたら生きていけなくなってしまうために“自分ではない”と切り離した部分

とここでは定義させていただきます。

 

そして、「フラッシュバック」というトラウマ反応を手掛かりに、

トラウマ反応が喚起されるとどういう状態が起きているのか、深い理解をしていきたいと思います。

 

葛藤

「解離」を理解するときに、「葛藤状態にあった」ことが少なくありません。

 

基本的な例では「逃げたいのに逃げられない」であったり、

「助けてほしかったのに一人で居なくてはいけなかった」りといった

相反する心境を抱えざるを得なかった状況に置かれた経験を重ねることが少なくありません。

 

こういった葛藤は、強い混乱も発生させ、「達成できなかった本来の反応」があるといわれています。

 

この状態を深刻に引き起こす関係が「親子関係」ですよね。

 

機能不全家庭では、子どもにとって親は「一番近い人だけど怖い」であったり、

「好きだけど傷つけてくる人」だったりします。

 

これは、心に大きな影響を与えることはいうまでもないかと思います。

 

「解離」は対処

こういった状態に置かれると、

生き延びるために「解離」することで葛藤状態を一時的に緩和して対処するとされています。

 

「生きるためには面倒をみてもらわないと」と関係性を結ばなくてはいけない生存本能と、

「近づいたら傷つけられるから距離を取らなければ」という回避する生存本能2つが同時に発生していたら、

この2つを両立しながらできることなどないですよね。。

 

そのため、どちらも適切な反応でありながら、

どうすることもできない強い葛藤を避けて適応するために「解離」するとされています。

 

こういった親子関係を代表とする対人関係でのトラウマは、大人になってから複雑になって現れます。

 

この記事では、「フラッシュバック」は「解離を教えてくれるもの」と考えます。

 

この点を具体的に紐解いていきたいと思います。

 

フラッシュバック

冒頭でも触れましたが、フラッシュバックは「映像」として脳裏に現れることが有名ですが、

映像だけではありません。

 

思考、身体感覚など、心身のあらゆる反応として

「ありありと」

「まさに今起きているかのように」

何度も蘇っています。

 

思考や身体反応、情動としてフラッシュバックすることで、行動に繋がり、行動も過去を反復します。

 

身体感覚、情動、思考として「まさに今の自分かのように」繰り返されていること、

そのことにトラウマ治療の観点では注目されるようになっています。

 

基本的な情動

人には生存にかかわる基本的な情動があります。

それは「恐怖」「怒り」「不安」といった「戦うか逃げるか」という行動の源になるものです。

 

一方で、人間には「人と繋がりあって生き延びる」という「社会性」が必須となります。

 

そのため、「恐怖」や「怒り」が生じ、

その情動のままに行動すると対人関係に支障をきたす

さらには生活や生命が危険にさらされるということが日常的に起こります。

 

それが「親子関係」に代表される「絶対的な上下関係」であれば、その対人関係は命に直結します。

 

問題は、それが幼少期から経験され、重ねられてしまうことが、解離を生じさせトラウマとなると考えられます。

 

思考

先の「逃れられない葛藤状態」も含め、

それらをコントロールしようと自動的に作動するとも捉えることができるものが「思考」といえます。

 

その場に適応するために

「自分が悪いんだ」

「もっとちゃんとしたら認めてくれるだろう」

等と考えることで混乱を抑え、

怒りや恐怖で圧倒され続けることを防ぐことができたかもしれません。

 

あるいは「自分には何もできない」といった無力感により、怒りで暴走することを留めたかもしれません。

 

いずれにしても、トラウマになる状況ですから当然ながら自分にとってネガティブな思考が起きます。

 

この「思考」も、のちにフラッシュバックとして頻繁に現れます。

 

「思考の歪みを変える」療法として『認知療法』が有名ですが、

トラウマ治療の観点からは、「思考のフラッシュバック」として受け止め、

その思考を変えようとはしないという見方があります。

 

「自分が何か間違ったことをしてしまったのではないか」とグルグル考えてしまったり、

「自分はなにもできない」といった絶望感にさいなまれるなどの否定的な思考をフラッシュバックだと捉えてみるとき、

そう考えた意義が見いだされることがあります。

 

例えば、「危険」を察知し可動化に向かって「怒り」が湧いたとします。

しかし、戦うことも逃げることも許されない状況であれば、

直ちに「怒り」を鎮め、戦わず逃げないで何とかその場をしのぐことが求められます。

 

強い情動を抑えるために「否定的思考」が機能したのかもしれません。

 

これは意識できる過程ではなく、まさに「自動的に」作用しています。

 

今のご自身を苦しめるような「思考」があったら、

「フラッシュバックかもしれない」と捉えてみると、

これまでとは違う気づきや少しの変化が起きるかもしれません。

 

同時に複数のパーツが喚起されると

多くのフラッシュバックは「1つだけ」生じるよりも、

「同時に複数」

および

ドミノ倒し(例;「恐怖」→「怒り」→「自分がおかしいのでは」)」

のように生じていることが非常に多いのが実際だと感じています。

 

先ほどの「思考のフラッシュバック」も、ほとんど同時に何らかの不快な身体反応や感情が起きていることがほとんどです。

 

この反応は、それぞれオリジナルであり、

ご自身の傾向に気づくことそのものが癒しに繋がると思います。

 

ここでは、本来はオリジナルなものであるけれど、

比較的多く見受けられる「複数の反応が起きた場合」について整理したいと思います。

 

対人関係

「人災のトラウマは重い」と言われる通り、

トラウマを抱えた場合に「対人関係の課題」が症状としてあげられています。

 

トラウマの原因が親などの「人」であったなら、

その後の「対人関係」全般がトラウマを喚起させるトリガーになってしまってもおかしいことではありません。

 

それでも、私たちは日々を過ごしていかなくてはならないため、

症状として出るとしても複雑で理解しづらい状態で現れていることは珍しくありません。

 

ここでは、対人関係上で起きがちである「フラッシュバックの複数同時発生」について整理したいと思います。

 

身近な対人関係への影響

機能不全家庭であった場合に、子ども側が抱える葛藤の代表は、

もっとも近い存在で生命を握っている親に対し

「近づきたい」「近づくと傷つけられるから離れないと」

という親密性に対する正反対の生存反応を抱えることです。

 

そのため、大人になってからパートナーや友人など親密さを伴う対人関係において、

「親密さ」がトリガーになり、

「親しくなりたい」「傷つくから距離を取らないと」という真逆の反応が同時に起きることが認められます。

 

真逆の反応がそれぞれ強く喚起されているため、

情緒が不安定に感じられ、ご自身も自分の本心がわからなくなったり、

行動に一貫性が持てなくなってしまって自己不信を深めてしまうなど、

新たなトラウマ体験になってしまうことが少なくありません。

 

同様に、「他者と繋がりたい」と思いながら「人を信用してはいけない」と警戒する部分が「攻撃性」として同時に喚起されることもあります。

あるいは、「親しくなるには何かを差し出さないと」という反応になることもあるかと思います。

 

また「人と関わりたい」と望みながら「人と関わると傷つくために一人でいる」という適応策が強固であれば、

かつて「孤独で寂しかった」ことを再び繰り返していることもあるでしょう。

 

対人関係において、何らかの不安定さで悩んでいるとき、

「複数の反応が対立するように起きているのかもしれない」と考えてみて、

改めて「トラウマ反応であり、今は大丈夫」と少しずつ分けていけると助けになることがあるかもしれません。

 

職場など社会的な場面で

人間は、他者と関わらずには生きていけません。

 

そのため、対人関係での心の傷は、親密な関係性に限定されず、職場などの社会的な場面にも影響を及ぼします。

 

親密さは希薄だからこそ、不安が喚起されることは多々ありますよね。

 

職場や大人数での飲み会といった社会的な場面で喚起されがちな反応の組み合わせに

「注目されることが怖い」という部分と「役に立たなければ居られない」という部分が同時に喚起される場合があげられます。

 

これは別の表現をすれば

「目をつけられることを避けるために隠れる」心理と「無視されることを恐れる」心理ともいえ、

「どう振舞っても落ち着かない」という状態になったり、

「人目を気にしすぎている」と捉えられてしまったり、

「自意識過剰」と結論づけられてしまったりすることがあります。

 

けれど実際は、相反する反応を抱えているため、どうしても安定してその場にいることができないこと、

不安が根底にあるために警戒心が拭えないので気にしてしまうということであると考えられることが多いです。

 

強い衝動の中身とは

対人関係がトリガーになり、先に述べたような広い範囲で反応し続けることと同様に、

何か明白なトリガーが起きた時に、個人の反応として非常に強い不快な感情が起きることがありますよね。

 

ここでは、「突き動かされるような焦り」「自傷行為や過食などの自己破壊的行動」について、

どのようなフラッシュバックが起きているのか考えてみたいと思います。

 

突き動かされるような焦り

幼少期のトラウマ反応として起きる傾向があるのは

「役に立たなければ居られない」という「そのままでは許されない」感覚と、

先ほど触れた「傷つくから関わらないようにしないと」という反応が同時に喚起される場合です。

 

家庭を代表とする「組織」「集団」という環境においてトラウマを受けた場合、

そのほとんどは「ありのままで居る」ことは許されなかった場合がほとんどです。

 

何らかの「役割」を課せられていて、ただしそれを明言されているわけでも一貫したルールがあるわけでもなく、

混沌とした環境下で答えがないままご自身なりに見出した「役割」であることが多いです。

 

そのため、大人になって家族と距離を取れるようになったとしても何かあれば「役に立たなければ」と喚起され、

同時に「関わると傷つくから離れないと」という防衛反応も喚起されることが多々見受けられます。

 

この場合、ご本人の感覚としては「強い焦り」として自覚されていることが多いです。

 

「役に立たなければいけない」と関わろうとする衝動と、

「関わってはダメだ」と留めようとする衝動が同時に喚起された結果、

 

「できるだけ早く短期間で完璧に終わらせよう」という2つの反対の衝動を両立させた思考および行動に繋がると考えられます。

 

この反応が悪いというわけでは決してなく、

このことに気づいていないと「焦り」として不快感を強めさせていることがあるので、

気づくだけで不快感の軽減の助けになることが少なくありません。

 

自傷行為や過食、OD

大人の助けがなければ生きられない幼少期にトラウマを受け、

「誰も助けてくれない」という体験をすると、

「自分は何もできない」という圧倒される無力感と、「人に頼らず自分でなんとかしなくては」という

両極端を抱えることになることがあります。

 

パーツアプローチの観点からは、そのトラウマを受けたときは今より幼い自分であるため、

幼いころに一人でできたことは非常に限られるため、大人の視点からみれば衝動的な対処しかなかったと考えます。

 

そのパーツが喚起されると、「自分は何もできない」が「これ以上は耐えられない」となり、

同時に「自分でなんとかしなくては」とドミノ倒しのように連動し、

自傷行為や過食などの衝動的な行動に繋がっていると解釈されることがあります。

 

ツイッターや別の記事でも触れましたが、

自傷行為などの一般に「不適切な行動化」とされるものは、

その人なりのストレス対処です。

 

そうするしか手立てがない、抑えられない衝動をなんとかコントロールしようと対処した結果であることがほとんどです。

 

パーツアプローチでは、「自己破壊的なパーツ」について

「今の自分よりはるかに幼いころの自分が“助けなきゃ”と出てきてくれている」と捉えてみます。

 

そう捉えてみることで「子どものもの」だと思えたら、その衝動を抱えられるような気持ちになれると説明されています。

 

パーツアプローチでなくとも、衝動的な行動に関して「フラッシュバックかもしれない」と、

「トラウマ」を意識してみることは、

置いておかれた「自分の歴史の一部」を見つけて統合できることになり、

「今」と区別することに繋がり、意味があるかもしれません。

 

気にしてあげたいこと

始めに触れたように、この記事は「トラウマ反応に気づく」ことを目的にしていますので、

フラッシュバック時に行う具体的な対処(例えば「グーパー」などの身体感覚を取り戻すなど)を述べるものではありません。

 

ここでは、「気づく」に際して、適切な気づきの助けになる「気にし方」を整理したいと思います。

 

「フラッシュバック」と信じてみる

フラッシュバックは一般に、トラウマを刺激するようなきっかけ(トリガー)があって生じるとされています。

 

このトリガーは、わかりやすいエピソードとは限らず、時間帯や身体反応などであることもあります。

 

例えば「対処しよう」とすることがトリガーとなり、

「自分にはできない」というフラッシュバックを引き起こすこともあるでしょう。

 

もっとも重要なポイントは「不快あるいは否定的感情はフラッシュバックである」と信じてみることです。

 

「今の脅威に対してではなく、トラウマ反応が起きている」と信じてみる。

 

それだけで少し落ち着くこともあります。

 

そしてさらにできれば、トリガーはなんであったか直前の刺激について検討できると、

ご自身の反応が理解でき、今後に対してもある程度の見通しを持つことができるかもしれません。

 

「悪いもの」としない

気づこうとするときに、

「消えてほしいから正体を知りたい」という気持ちでいると適切な気づきに至りにくくなります。

 

「悪いもの」とせず、「かつてその方法で自分を助けてくれたんだ」と理解したいと思います。

 

トラウマですので、「かつて」のまま、

今はもうトリガーは過去ほどの脅威ではなくなっていることや他の方法があることを知らずに、

ピンチだとフラッシュバックして、

助けようと自分に駆けつけてくれるのだと受け止められたらと思います。

 

そしてきっと間違いなく、過去、その反応によって助けられたのだと思います。

 

詳しくは『パーツアプローチ』の記事に。

 

タイミングを待つ

「時機を待つ」といいますが、

たとえ有効な方法であってもそれが役に立つタイミングがあると感じます。

 

「学んだ通りに実践してもピンとこない」「余計に不穏になってしまう」ということがあったら、

「タイミングは今ではない」というご自身からの知らせなのかもしれません。

 

このような場合は、心の傷と無理に向き合おうとせずに、

心身が落ち着く別の過ごし方を続けるほうが効果的であることがあります。

 

「必要であればいずれタイミングが来る」と構えて、

ご自身の反応を見てあげながら待ってあげられると、心身がのびのびできるかもしれないと思います。

 

「今の自分」を労う

トラウマのケアというと、

この記事もそうですが「かつての自分を理解し癒す」という「過去」にどうしても視点がいきます。

 

ただ、過去そのままにしなくてはならなかった傷の痛みを引き受けてくれているのは

「今の自分」です。

 

かつて切り離した自分の一部を「今の自分が引き受けてあげている」と、

今のご自身への労りを忘れないでいたいなと思います。

 

ほとんどの人は、「今の日常」においてもそれなりのストレスを抱えながら日々を頑張っていると思います。

 

「今のストレス」と共に「過去の痛み」も引き受けていることは、

どれほど労わっても足りないことだと感じます。

 

過去を癒すと同時に、「今の自分」の頑張りや苦労もどうか優しく労って欲しいと思います。

 

「トラウマを癒す」ことが「今の自分」を助けることに繋がることと同じように、

「今の自分」への思いやりは、「過去の傷」の癒しに繋がっていると思います。

 

 

 

 

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季節の変わり目に差し掛かり、寒暖差が例年よりも激しいと感じますが、みなさまご体調はいかがでしょうか?

 

 

梅雨の時期は「真夏に備えてゆっくり過ごすことでエネルギーを蓄える時期」ともいわれていますよね。

 

なかなか思うように休めないこともあるかと思いますが、自分と上手に付き合っていけたらなと思います。

 

 

最後までお読みくださってありがとうございました(*^_^*)

 

 

またのお越しを心待ちにしております♪

 

 

 

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