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心理雑談

「死なない約束」は意味があるのか

 

いやー、もう7月終わるさ!?

 

先月も同じこと書いてるんですけど(^^;

 

なんかね、また微妙に体調不良でね、

仕事は問題ないんだけど、それ以外の時間が干からびてる感じでね。。。

 

でもブログは書きたいよね!

 

ということで、今日はふと思いついた「死なない約束は有効か」というお話です。

 

テーマに反して、サラっと軽い内容でいきたいと思いまーす♪

 

「死なない約束」

この仕事をしていて、昔から教えられることに疑問をもつことはつきものではあるのですが、

しばらく疑念をもっていたことの1つが

 

「死なない約束」を医師や心理士が患者さんとするという対応についてです。

 

これを頻繁に行う治療者もいて、心理士より医師に多いように感じます。

 

それで、私は医療機関が長いこともあり、医師がことあるごとに「死なない約束」というのをしていて、内心

 

「そんなことして意味あるのか?」

 

と思っていました。(今も思ってる)

 

 

なんでかというと、そもそも上から目線な気がするのが第一。

 

「なんでお前(治療者)、そんな大事な約束を結んでもらえるという前提に立ってんだよ」

 

って私が患者なら思っちゃう(←ひねくれの極みww)

 

と思うし、

 

本当に丁寧に言葉を尽くさないと、

「死にたいと思うことが悪い」と思わせてしまったり、

その気持ちを二度と言えなくなってしまうような気持にさせるのではないかと思うので…。

 

 

ちなみに私は、今まで一度も「死なないと約束してください」といったことはありません。

 

でも、この約束は、一定の効果もあるんだろうな、と思うようにもなっています。

 

「待っている」と伝える

「死なない約束」の代わりに私が今のところ行っているのは、

次回の予約をし、いつもよりもしっかりと

「待っていますね」

と目力と共に伝えることです。

 

そしてこのとき、目が合うことが大切だと思っていて、

 

 

合うまで言うぜ?帰さねぇぜ?

 

 

というオーラを出す感じで。

 

 

どうしてかというと、こちらの言葉が聞こえているかということなんです。

 

もちろん、患者さんの聴覚的な問題を言っているわけではなくて、

本当にしんどくて、その気持ちに占められてるときは、

うつむいて、外からの言葉が入りにくくなるものですよね。

 

聞こえてはいても、心には入っていない、という感じ。

 

だから、「目が合って、患者さんのこちらの言葉に対する反応が見て取れた」ということが

ちゃんと届いたということを確認する1つになっていきました。

 

そしてこの対処は、ほんの少しでもそういう雰囲気があったらやったほうがいいと思っています。

 

たいてい「大丈夫だろう」という場合の方が多い。

それでも、

 

 

「待っています」

 

 

「キャンセルしていいから次回予約入れましょう!」

 

 

とした方がいいと思っています。

 

カウンセリングは、言わない方がいいこともありますし、タイミングを待つことも重要だと思います。

 

でも、希死念慮に関しての「次回予約をして“待ってますアピール”する」ことは、遠慮せず(?)行った方がいいと、今は思っています。

 

 

 

「あなたは私に待っていられても何の励みにも支えにもならないかもしれないけれど、

 

私はぁあぁあぁあ

待ってぇえぇえ

いますからぁあぁああああ

 

(心の声)」

 

画一的な対処法はない

そして、「死にたい」と思うことに対する具体的な対処法は、

これは本当にその人それぞれで異なります。

まず、なぜそう思うのかについて、

「現状が原因」であるのか「フラッシュバック」であるのか、

「過去」と「現状」の相乗効果によってであるのか、

対応は変わることは当然ですよね。

 

そして、対処法を知りたいのか、ただその気持ちを話すまででいいのか。。

 

ちなみに「死なないことを目標にしましょう」とかも、かなり違和感があります…。

 

ほとんどの人の苦しみは「死にたくなること」というよりは、

「死にたくなるほど生きることがつらい」のだろうと思います。

 

ですので、その「生きる苦しみ」をどうしたらいいか、

どのような苦しみが「死にたい」思いを連れてきて、

それを気持ちの逃げ道にできるから生きられるのか、

 

そういう「生きていることの苦しさ」に焦点を当てないと、

「死ななきゃいい」というような言葉はズレているように感じます。

 

「死にたい」には大事な役割がある

私がパーツアプローチに傾倒している理由の1つが

「どんな感情も行動もその時の適応策であり、その人を助ける役割がある

という視点を軸にクライエントさんを考える点です。

 

カウンセリングは、こと「共感」や「思考や行動の変容」と考えられますが、

心理士が「共感」するときも「思考や行動の変容」をサポートするときも、

気を付けなくてはいけないことは

 

「ネガティブな思考や感情に関しての過剰な強調(焦点付け)」は慎むべきだと私は考えるようになりました。

 

これも、大学院のころまで教えられてきたことへの疑問から変わった点です。

今は「ストレングス」であったり「レジリエンス」であったり、

本人のポジティブ性を強化する考え方が出てきています。

 

でも、20年前は、やっぱりどこか

「暗く苦しい思いほど共感したほうがいい」

「ネガティブなことほど掘り下げた方がいい」

みたいな風潮がありました。

 

これを今も引き続いて行っている心理士も見受けられます。

 

でも、私は、心理士はポジティブな方向にいかにうまくパワーを誘導できるか

誰もが持っている「明るさ」に光を当てられるか

が非常に大事であると思うようになっています。

 

そして「死にたい」にも「そう思うことで何とか生きられる」

「気持ちをコントロールできる」など、意味があるのです。

ただ「ネガティブなだけ」にしてはいけない。。

 

決して「ポジティブが善」という意味ではなく、

心療内科や精神科にいらっしゃる方というのは、

既に充分すぎるほどネガティブな方向に振れているからです。

ネガティブな方に視野がいき、それに占められていて、

ご自身の明るさや光が見えなくなっていることが多い。

だから、心理士はバランスをとる働きをしたほうが良いことが多いと思っています。

 

そして、どんな感情も、その人の全てではなく「一部」だという見方です。

 

「死にたい」も同じ。。

 

「苦しい」「憂鬱」「嬉しい」「楽しい」「おいしい」と同じように、

他の感情や思考と同レベルで大切なその人の思いであると受け止めたいと思っています。

 

 

未開の地

ただ、「怒り」と「死にたい」は、極端な行動に繋がる危険性を持つものなので、

確かに注意しなくてはいけないし、

ご本人は抱えるのはとても大変なものでもありますよね。。

 

最近、「怒り」と「死にたい」は、改めて

 

どうしたらいいかなぁ???

 

と私の臨床課題に上がっています笑

 

 

これまでは、通説通りにやっていたところがあったのですが、

それでは対応しきれないこと、

「怒りは大事」といっても、そうだけど、実際は持ち続けるのは本当にしんどいし、

「怒りを出していい」と言われても、どうすればいいかわからないですよね。

 

「死にたい」も、そこに注目していけば軽減されるものでもない。。

かといって触れなければいいわけでは決してない。。

 

新人のころの熱意と情熱を失った中年の今の自分が、「若いときよりスキルが上がったな」とちょっとだけ思えるのが、

 

 

その場で迷えるようになったこと

 

 

です。

 

 

患者さんの前で、

 

 

「どうしたらいいですかねぇ。。。。。」

 

 

と考え込むことが躊躇せずにできるようになりました。

 

だって、名案が浮かばねぇんだもん!!

 

若いときはそれができなくて、

「頼りないと思われるんじゃないか」とか「自分の勉強不足がバレてしまうのではないか」とか思って、

無理にそれらしいことを言うことで、返って良くなかった気がします。

 

 

患者さんの目の前で本気で考え込むと、人は不思議ですね、患者さんも考えてくれることが本当に多いのです。

 

自分自身の苦しみを「何とか良くなる方へ」とお互いに考え、

もし答えが出なくても「そんな簡単にわからないよな」と納得はできたり、次回も考えていこうと思えたり。。

 

こう書くと、よくある「ご本人が決めること」っていう心理士のあるあるの逃げ口上みたいですが、

そういうことを言っているわけではありません。

 

私たちは、心理学的知識と技術を提供することが責務です。

ただ漫然と「あなたはそう思うのですね」なんていうことを繰り返していていいわけがありません。

 

ちゃんと専門家として知識やスキルを提供したうえで、

それでも「どうしたらいいかわからない」ときには、

 

迷いなく迷っていい

 

と今の私は思っています(また変わるかもw

 

人の生き死はもちろん、感情に対して、カウンセラーができることは何か、ずっと考え続けないとと思っています。

 

それくらい「怒り」と「死にたい」は、一筋縄ではいかない扱いの難しさがあるように思います。

でも、「怒り」や「死にたい」がそれぞれが分断されずに、

他の感情とも手をつないで仲良くなれたら

少し抱えやすくなると思っています。(←こう考えるところもパーツアプローチの好きなところです)

 

 

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なんか、どうも具合がぱっとしないのですよ。。。

 

それで、「おかしいな」と検討した結果

 

 

「来月の心理療法のトレーニングが緊張して不安なのかも!!」

 

という気づきに至りました(;^ω^)

 

それが当たっているかわからないんですけど、それしか思い当たらない…。

 

今まで受けてきたものよりも、本格的で泊まり込みで1週間行うトレーニングが数か月おきにあるもので、来月はその初回なんです。

 

 

それに緊張しているのかなぁ????

 

 

まぁ、様子を見よう。

 

 

なので、そのせいだったら来月中まではブログの更新頻度が落ちるかも。そして9月になったら回復するかも。。。

 

 

こうご期待!!!

 

 

みなさまも、殺人的な暑さですので、どうかお体お大事になさってください。

 

 

またお会いできるのを楽しみにしています(^_-)-☆

 

 

 

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