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性被害サバイバーの1事例 日記

ある性被害サバイバーの話58 ~「父」という猛毒~

 

「ある性被害サバイバーの話」は少しお久しぶりですね。

 

「ある性被害サバイバーの話57」で、約1年ぶりに父親とあったことを記して以来、

具体的な出来事は書いていませんでした。

 

もはや「書く気にすらならなかった」感じでした。

 

「ある性被害サバイバーの話57」の後も、

何度か連絡があったり会ったりはしたのですが、

最近会ったときに、ずいぶん私の調子が悪くなってしまって、

どうにも心のザワザワがなくならないので、ここで書いて少しでも整理したいなと思いました。

 

まとまらないまま、ネガティブな感情を出してしまうかと思うので、

気が向いた方だけお付き合いくだされば嬉しいですm(__)m

 

何も無かった

今までよりは会う頻度や接する頻度は激減しました。

 

「頻度が減ったからこそ1回が目立つ」という要因もあるとは思いますが、

「ある性被害サバイバーの話57」でも書いたように、

彼と関わったときに生じる私自身の反応には以前より対処できていると思っていました。

 

でも、前回会ったとき、父と会っている最中に特に何もなくいつも通りに(それが不快なのだけど)終わったのに、

直後からなんともいえないザワザワ感がおきて、

その後は怒りであろう身体的な不快感が強まっていきました。

 

彼の妄想的なポジティブさ

別の記事で「父親はそれなりに重いASDに間違いがない」と書いていますが、

完全に私の人生経験上の判断でしかありませんが、

「社会的に成功したと自分で思っているASDの人は、根拠無く非常にポジティブに物事を捉える

という特徴が見られる傾向があると感じています。

(これに学術的根拠はありませんので、寝子の経験とだけ受け止めてくださいませ)

 

父親にもこの傾向は認められ、以前から、自分にも将来にも家族に対しても

「まぁうまくいくだろう。オレだから。オレの家族だから」

という楽観的な思考が顕著でした。

 

母の癌がわかったときもそうでした。

 

父の「妄想的ポジティブ物語」

その「妄想的ポジティブ思考」が、父は最近、より顕著になってきているように感じます。

そのことが、私を非常に苛立たせるし、トラウマ反応を酷くさせるのです。

 

具体的な彼の発言として数年前に私に言ってきたものでは

 

「オレは子どもに勉強しろなんて言ったことなかった

そんなこと言わなくたって俺の子どもだったらできると思っていたから」

 

…何をぬかすのかと。

 

確かに「勉強しろ」と口うるさく言っていたのは比較すれば母の方だったけれど、

あなたも「勉強しろ」という圧力をかけていたうえに、

それだけでなく「名の通った偏差値の高い大学に入ることは当たり前だ」と刷り込み続けていましたよね?

 

私は、その場でたまらず、

「よく言うよ!全然違うでしょ!!」

と言い返しました。

 

他には、テレビで虐待のニュースが話題になると「自分の子どもを殴るなんて信じられないな」と言っていました。

 

・・・・・あなたに殴られたこと1度じゃなくありますけど?????

 

これも即座に私が言い返すと、「子どもが何をしたかが問題だ」などとのたまうので、

 

「小さい子どもができることなんて限られている。殴られるようなことであるわけがない」と言い返しましたけど。

 

あ、他にも、彼はギャンブル依存でしたが、それで家庭がもめたときに私と2人になった際、

 

「確かに損することもあったけどオレは家族のためにお金を増やそうとしているだけ。自分のためなんかじゃ1回もない。1回もないんだよ」

 

と、本気で言っていました。

 

でも彼は、ギャンブルで儲かっても1円たりとも私たちに還元してくれたことはありません。

 

1円でも儲かれば、それをそのまま株に費やしてマネーゲームを楽しむことに遣っていました

 

タチが悪いのは、父みたいなギャンブル依存は、儲かってもそのお金で何か買うとかではないのです。

 

ただ「お金をいじくる快感」が楽しいだけなので、物欲はないのです。

 

パチンコが好きな人が、「じゃあ賭けないでパチンコしてれば」と言われてもそれなら楽しくないというのと同じです。

 

だから目には見えない。

父も、自分だけにしか見えない株の内情は他人にはわからないので、そうやって言い切れる。

 

先日

今までも彼の「妄想的な自己に都合のいい物語」はたまに聞いていたし、

そんな彼の特徴もわかってはいました。

 

父と会うと、私の方は

「父のためだけの接待トーク」

になります。

 

別にそこまで気を遣っているわけではありませんが、

私は彼に話したいことは何もないし、聞きたいこともありません。

でも父は私と「話したい話したい」しつこいので仕方なく会っているだけなのです。

 

だから、楽しいわけはあるはずがないのですが、

こないだあった時も「ここまできたか」と「妄想的な自分に都合のいい物語」が披露されました。

 

発言1 「子どものことを一番に考えてきた」

去年、兄とケンカしたようですが、

そのことで「オレは普通より自分勝手だと自覚してるんだよ。

でも子どもたち(兄と私)のことを一番に考えてきたのに(兄に)あんな言われ方したことは許せない」

 

みたいなこと言ったんですけど、

 

 

…もう、言い返す気にもなりませんでした…。

 

 

先に述べたことも含めて、彼はウソをついているわけでも言い訳しているわけでもないのです。

 

だから「妄想的」なんです。

 

「本気で」「心から」自分が言っていることが「真実だった」と思っているのです。

 

発言2 「DVするなんて信じられない」

最近のニュースの話題になったとき、

 

「DV(家庭内暴力)ってそんなにあるんかな~?オレの周りには1人もいなかったよ」

「そんなことするの信じられんな~」

 

と、心底「DVなんてする気が知れない」と思っている風だったので、

 

…あなたがやっていたことは

「モラハラで今なら立派な家庭内暴力です。それが当時はそういう知識が広まってなかっただけ」と、

言いたくもありませんでしたが、これは言いました。

 

 

すると

 

 

「うはは!!そうか」

 

 

と笑ってましたよ。

 

…笑い事じゃねぇんだよ…

 

でもね、私だって今さら父に分かって欲しいとか思っていないし、

老人を傷つけたいわけじゃないので、

 

深刻に受け止められても私は嫌な気持ちになるのです。。

 

だから、彼がどう反応しても、私にはただ不快でしかない

 

発言3「昔は今より全てが自由だった」

彼は私と会うと、よく自分の昔の話をします。

今から振り返ると、よほど楽しかったのでしょうね。

そんな楽しかった過去なんてない私にとってはうらやましい限りです。

 

今回もまた彼の「昔話」につきあっていたときに

 

「あの頃は今よりも全てが自由だった。いい時代だった。全てがね全てが今より自由だった」

 

と言いました。

 

私はこの発言がなぜか一番不快感を感じさせるものでした。

 

 

だから言いたくもないのに言ってしまいましたよ。

 

 

「あなたは男だったからでしょうね。

高度成長時代は今よりはるかに男尊女卑で家父長制だった。

あなたたち“男性”が「自由だ!!」と喜んでいた影で、どれほどの女性や子どもなどの弱者が蹂躙されていたことか。

その人たちを踏みつけていた結果の“いい時代”なのだと思う。

 

ああ、あなたみたいな人たちが今、「個人の権利を認めようなんて“不自由になる”」といきまいて反対しているのでしょうね」

 

と。

 

私の気持ち

前の記事でも述べたかもしれませんが、

私は父を言い負かしたいわけでもないし、

私の思いや考えを理解してもらいたいとも思っていません。

 

できればにこやかに穏やかに接したいです。

 

でもそれはがんばらないとできない。

 

彼が“楽しそうに”話すことは、私にとっては琴線に触れる内容であることも多く、

受け流しても言い返してもどう対応しても私はただ不快になる一択なのです。

 

さらに、彼が私の意見を流しても不愉快だし、

かといって真面目に受け止めてもまるで老人を傷つけたようでこれも私を不快にします。

 

 

要するに、何をどうしても私のストレスでしかない

 

 

「今の私」か「過去の私か」

パーツアプローチに出会ったことで、

「今の私の反応ではなくパーツの反応なのだ」と理解できたことは非常に大きなことでした。

 

ただ、その上で、ここ数ヶ月間ときおり考えることがあります。

 

それは、「今の私をとるのか過去の私をとるのか」という視点です。

 

例えば、兄との関係性。

 

お互いに実家を出てからは、だいぶ大人の付き合いができていて、

兄は父とは違ってそれなりの社会性はあるので、話していても不快になることは少なかったし、同年代ですので、話せば楽しいこともありました。

 

でも私が最も嫌い、トラウマの原因となっているのは父でも母でもなく兄なのです。

 

今の私は、つかずはなれず支障なく兄と交流することはできると思うし、

そうすることが穏便で私にとっても良いのかもしれないと思います。

 

一方で、過去の私のためを思うと、今のように関わりを断ったほうが救われるような気がします。

 

心理療法としてのトラウマケアでは、最近は「過去よりも今を生きるのを助ける」というスタイルにパラダイムシフトしています。

 

でも、「過去の自分のために今の自分が行動を選ぶ」という視点があってもいいと考えたりしてす。

 

もちろん、心理療法の「今を生きられるように」という意味は、「今ここにいながら」ということなので、

私が言った「過去の自分のために」ということも過去に居る事にはならないので「でも」じゃないのだと思いますが。

 

 

話し戻りまして、

 

私は父に対してどうしたいのでしょう?

 

過去の私だったら、兄とは違って父と関わることは当然のことだと思っていたでしょう。

だから頻繁に面倒を見に帰っていたわけですし。

 

「今の私」は、父とどうしたいのでしょうね。。

 

 

「縁は切れないから距離をとりつつ現状の関係を維持する」がベターだと判断してきましたが、どうなのでしょうね。。

 

 

私の意志

よく「自分がどうしたいのかを第一に」といいますが、今回の件で私がどうしたいかというと、

現実的には、今のような「少ない頻度で父と関わる」になると思います。

 

 

でも本当は死んでほしい。

 

 

父が死なない限り、兄とも本当には縁が切れないのです。

 

私はおととしの病気をきっかけに距離をおいて自分の気持ちがはっきりわかってから

「死んでくれればいいのに」と父に思うようになりました。

 

実家で暮らしていたときは兄に対してだけ思っていました。

 

今回も、憂鬱だった父との再会がせっかく終わったのに、私の心の状態は今まで以上に悪くなってしまいました。

 

「死んでくれればいいのに…」

 

と本気で思います。

 

もちろん、そんなこと思いたくて思っているわけではありせん。

 

ただ、「どう思うかは自由」ですので、そう思う自分を嫌悪したりはしません。

 

けれども、そう思うほどですから、とにかく言いようの無い不快感に心身が占められて、どうしていいかわからなくなっています。

 

 

「死んで欲しい」と思うということは、そこまで私に負の影響を及ぼしているということだと思います。

 

でもその「負の影響」も「トラウマ反応」で片付けることができてしまうので、

そうなると「今の私はどうなのか」わけがわからなくなります(専門家なのにw

 

まぁ、「過去」が「今」を作っているわけですから、

心理療法的な各論がいうほど簡単には「過去」と「今」を分けられるわけはないのが現実なのだとつくづく思います。

 

カウンセリングの限界

こういう心境になると、いつも同時に湧き出てくるのが

 

 

「私の患者さんはもっと大変なんだな…。いや私の患者さんだけじゃなく、トラウマを抱えている人たちは本当につらいんだよな…」

 

 

ということです。

 

 

誰かの痛みはその人だけの痛みであって、他の誰かと比べるものではないことは、この仕事をしているので充分にわかっています。

 

ただ、「家族トラウマは果てしない…」という実感を覚えるたびに、まず自分が担当している患者さん達が思い浮かびます。

 

 

私は、彼女たちの苦しみを少しでも軽くできているだろうか。どうしたらいいのだろうか。。

 

「治療を受ければだいたい○年で治る」と示すことができないものであるし、つくづく

 

理不尽だな

 

と思います。

 

 

そして、自分で自分をケアするために、専門的な知識やスキルを使用することも「疲れた…」と思い、

しようとも思えないときがあります。

今回はそうでした。

 

 

カウンセリングや心理療法って、それらに縁がないような世間の人たちがイメージしているような、軽くて明るくてしかも効果がある、みたいなもんじゃないですよね。

 

私も「カウンセリングを受けられない人へ」という記事で書いたように、

日々仕事をしていて感じることは、効果よりも限界です。

 

私も、今回の父とのことで生じた自分の負の感情に既存の知識で理解したり、

既存のスキルで具体的な対処法を自分に用いたりすることはやろうと思えばできるでしょう。

 

実際、それをやってきました。

 

でも、そういう営みは、疲れるものだし、決して「やればやるだけ良くなる」「大変じゃない」なんてことじゃないですよね。

 

心の傷からの回復におけるカウンセリングや心理療法は、どのような方法をとっても、

日々の地道な努力の積み重ねの上で、本当に少しずつ少しずつ良くなっていくもので、

その過程は、本当に楽ではないことは、このブログをお読みくださっている方々はわかってくださると思います。

 

だから、私がクライエント側として「疲れたからもう心理療法的なものやりたくもない」って思うと、

同時に心理士として患者さん達のことが出てきて、

「ああ、そうだよなぁ。。みなさんも疲れちゃうことあると思うけど、どうだろうか…」

とまた別のスイッチが入ります。

 

 

でも、「心理士としての自分」が流れで出てきて、クライエントさんのことを考えることは、私には救いになります。

 

そうなると、そのときだけは優しい気持ちになれるから。

 

ただ、こういうときはすぐに実父と実兄と亡き実母に対するトラウマ反応に戻っちゃうことが多いですけどね(苦笑)

 

 

先日父に会ってから続く、いいようのない強烈な不快感の正体はなんだろう?と考えたいと思いつつ、

先ほど告白したように「パーツアプローチとかマインドフルネスとか考えるのもやるのももう疲れた」という心境なので、

わからないままです。

 

まぁ、どうせ時間が経てば不快感は無くなっていくでしょう。

 

でも、また同じことが繰り返される…。

 

 

 

 

 

 

最後に取り繕うわけではありませんが(苦笑)

 

支援者は希望を失ってはいけません。

 

そして、「回復できると信じてくれる他者がいること」は大きな助けになるとされています。

 

ということで、私は読者のみなさまに応援してもらっていると一方的に信じて、立ち直るエネルギーにしたいと思います!

 

 

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今回は、面白いエピソードもない上にただ暗いだけで申し訳ないですm(__)m

 

ある程度、コントロールできるようになったと思っていただけに、ショックが大きかったのかもしれません…。

 

でも、こういうことの繰り返しで進んでいくものですよね(言い聞かせw

 

書いて、少し落ち着きました(*^_^*)

 

こんな内容に最後までお付き合いくださって本当にありがとうございました!

 

 

またのお越しをお待ちしております♪

 

 

 

 

 

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