「子ども支援」が叫ばれることが多い中、
私は「大人だからこそ支援が生きる」部分があると思っています。
そこで今回は、
「親とやっと縁を切って、これから自分の人生を楽しめると思ったのに発症してしまった」
「子どもを産んで可愛いのは本当なのに、なぜか昔を思い出して苦しくなってしまう」等といった
「どうして今?」という大人になってからの病気の発症や苦しみの想起のタイミングを考えることをスタートに、
過去の自分と今を繋げ、
「心の傷を癒す」際のポイントについて整理したいと思います。
目次
発症のタイミングを考える
大人の方の医療臨床を行っていますと、
「やっと親と縁を切って別居して、今は連絡を取らなくなって、これからようやく自分の人生を楽しめると思ったのに、
うつ症状が重くなって全く楽しめない…」
「子どもを産んで育てているうちに自分が親にされたことを思い出して怒りが抑えきれないときがある…」等といった
「どうして今!?」というケースがとても多いです。
そのタイミングの意味を考えてみたいと思います。
「身体」が「安全」と分かっている
大人になり、環境が変わってからの発症や苦しみの増幅は
ご本人にとっては、「良くなるはずなのに」「今は新しい環境になって穏やかに過ごせると思っていたのに」など、
希望が裏切られてしまったような気持ちや、
理解できない自分の症状に苛立ちを感じてしまったり、二次的なストレスをも生じてしまうことが多いです。
けれども、これは
「傷だらけだけれども構っていられなかった環境から、安全な環境になったから立ち止まって手当てができる」
という“身体反応”であるとされています。
「痛みを感じても大丈夫」「傷の手当てができる状況に辿り着けた」という
“安全”を無意識で身体はわかったからこその“手当てをしよう”というサインといえます。
「大人になったからこそ」できるようになったという「今こそ」という意味のあるタイミングなのだといわれています。
「大人になった」という強み
「大人」というと、子ども時代よりも可能性が狭められるというイメージや、
「完成版」といったような子どもに比べて固定的な印象を抱いていることがあるかと思います。
けれども、実は「大人」だからこそ、
無力で誰かに依存しなくては生きていけなかった子ども時代をなんとか生き延びたからこそ、得られた強みを持っています。
その強みの代表は「自分で気づき、考えるために立ち止まることができる」ということです。
大人である今の自分のベースになっているのは幼少期からの経験です。
ただ、生存するために無意識に環境に適応せざるを得なかった時代ではなくなっている、
ということが「大人」が持つ素晴らしい強みであると思っています。
「大人の自分」と「子どもだった自分」をつなぐ
今の自分に気づき、理解し、変わっていくためには、過去を振り返ることが必要になる場合が多いです。
幼少期に苦しい体験が多いと、
“解離”を代表として「自分の人生なのに自分のものではないよう」というような“連続性”の感覚に乏しくなることがあります。
そうしますと、どうしても今の自分の理解が深められず、しんどい状態が続いてしまうことがあります。
そのため、過去の傷が痛み出すことによって、その痛みと今の自分とが話し合いができるようなり、連続性を取り戻していくことができます。
「自分を理解する」ときのさじ加減
「大人になった今だからこそ取り組める」という強みがある一方で、
「大人」になるまでご自身の傷の手当てをする間がないまま長い年月生き抜いたことで、
蓄積された感情がたくさんあることで
たくさんの心の傷が一気に溢れ出したり、反対に何も感じない時期があったり、
これまでの傷が多すぎて、
向き合うと今が立っていられなくなるときや、
逆に感情が雪崩のように溢れ出てただツライだけということも起きていきます。
なので、「なにがなんでも向き合って意識化することがいい」ということではないので、
この項目で、その「さじ加減」について触れたいと思います。
「どこまで振り返っても大丈夫か」
「過去を振り返る」というとき、
過去について雪崩のように感情が湧き上がってくる状態が良いというわけでもないことがポイントです。
ご経験がある方はピンとくるかと思いますが、
例えば「泣く」という状態が、必ずしもストレスの解消になっているわけではないですよね。
他にも、「相手を選ばずに自分のトラウマ体験を話してしまう」等という状態にも当てはまりますが、
それらは「追体験」として、再び傷ついてしまうことになっている場合が少なくありません。
重要なポイントは、ご自身の傷の扱いを「丁寧に」と意識してあげる必要があります。
もう少し具体的にするなら、「細部ではなく全体を眺めるような気持ち」で構え、
「どこまで触れて大丈夫か」とご自身に聴いてあげられているかどうか、という感じでしょうか。
近づきすぎても遠すぎても、うまく理解ができなくなるものなのかもしれないですね。。
思い出したくないと思うことを無理に思い出す必要はありません。
人生で起こったツライ体験の全てを総ざらいしなければ回復しないということでは決してありません。
触れられる部分でいいのです。
そして、「過去を癒したいけれど向き合うことは負担が大きい」という間の中で、
その時にできる範囲を模索していくことこそ、
「自分を尊重する」という体験です。
「自分を大事にする」という決意
苦しい環境で育つと、「自分を大事にしましょう」と言われても、ピンときません。
まして「自己肯定感を高めよう」等という取り組みは、あまりに遠い感覚に思えてしまって「自己肯定感をもてない自分はダメなのか」と、
返って自己否定感を増してしまうことさえあります。
なので、「自己肯定感」や「自信」などはわきに置いておいてかまいません。
ただ、「心の傷をケアしていく」というとき、できれば、「自分を大事にする」という決意を、思い切ってすることは有効だと思います。
これまでも述べたように、人は過去の体験を学びとし、慣れた思考や行動のほうに強く引っ張られます。
そのため、回復過程でも幾度となく「自分はダメだ」「どうでもいい」というような否定的な苦しい気持ちが経験されることと思います。
時には、そういった気持ちのまま時を過ごすことも必要な時期もあることと思います。
ただ、その痛みは、自分の意志で獲得したわけではない苦しみであるはずです。
その苦しみがまた苦しみを呼ぶという“負の連鎖”を、「大人」だからこそ断ち切っていける。。
自然に任せているとどうしても自己否定感に傾いていくことは無理もないことです。
そこに引っ張られすぎないために、「自分を大事にする」と意識的に決めることは、
この後の人生の強いバックアップになるのではないかと思います。
「自分を大事にする」という言葉も、気持ち悪く感じられることもあると思います。
「なんだか気持ち悪い」「馴染まない」と感じたら、そんな感覚もひっくるめて、
「それでも大事にしていこうか」と覚悟できたら、
この先の回復過程で起きることもそれなりに乗りこなしていける可能性が高まるような気がしています。
「過去と向き合う」ポイント
「大人」の「強み」を活かして、
過去と今との関係性を理解することでご自身への癒しになっていくポイントに触れたいと思います。
重要なことは、「自動的な反応に気づく」という点に集約されます。
「自動的な反応を意識化する」ためのポイントを整理したいと思います。
「今は大丈夫」と声をかけてみる
激しい負の感情に見舞われたとき、
やはりそれは過去に消化されなかった感情が今に乗りかかって出てきていることが多いです。
その渦に一瞬にして巻き込まれてしまうことも珍しくありません。
そんな苦しい闇に、今の自分が覆われてしまったら、
「今は大丈夫…」
と“今”を意識してみることが有効だとされています。
大丈夫だからこそ出てこれたのかもしれない。。
そして、彼らに命を握られていた無力な子ども時代を生き抜いて、
今は自分の力で「大人」にまでなり、自分の命は自分で守っていけるようになっているのだと思います。
参考
激しい感情の表出や解離などが表れたとき、
“今”を意識できる対処として「身体感覚」に注意を向けるということも有効です。
「バタフライハグ」や「呼吸法」、「手をグーパーさせる」などが有効だとされています。
引き金を見つけていく
身体的および感情の不和は、何かのサインです。
それは過去から引き継がれたもので、今となっては不適切になっていることも多々あるでしょう。
けれども、そのセンサーは、過去から引き継がれた苦しい連鎖を止める重要なキーになっていることが少なくありません。
「どうしてこんなにイライラしちゃうのだろう?」「些細なことであるはずなのに固まってしまって何も話せなくなることがある」etc。。。
こういった反応が起こったとき、その前に何があったのか、見渡してみたいと思います。
そしてそのきっかけは、ご自分のどんな体験や記憶や感情を呼び起こしたのか、
気づくことができたらそれだけでだんだんと不快感の程度は軽くなっていけるとされています。
自動反応の“由来”を探る
“引き金”に気づいたら、それに喚起されて増幅した感情はどこから来ているのか、
ゆっくりとさらに自分を見渡してみたいと思います。
人は、現在の経験がどのようなものであるか判断する際に、過去の記憶および経験を“見本”にします。
例えば、「つらくても人に頼ってはいけない。いつも笑顔で」と思い、しんどくても表に出さないとしたら、
その背景には「自分が泣くと母がすごく悲しそうにしたので、泣くことは悪いことなのだと思うようになった」という
“過去の行動見本”が今も引き継がれているのかもしれません。
「自分は価値がない人間だ」と思っていたら、その背景はかつて重要な他者から否定的な態度を取られてしまった体験が多かったために、
それを“参照”して、ご自身の思考や価値観が作られたのかもしれません。
大切なことは、大人になって感じ始めた違和感や不快感を、その一時だけで判断せずに、
その“由来”に少し思いを馳せてみることで、過去の自分と今の自分を繋いでいくことだと思います。
そうすることで、自分を理解でき、理解できたからこそ変えたいと思えば変えていけるのだと思います。
問い詰めない
自分の声を聞いてあげることはとても重要です。
ただし、その聞き方が「こんなに苦しい感情になることはおかしい。なんで?」というように感情に「ダメ」と思っていたり、
「早く解消したい」というプレッシャーにしかならない聞き方であると、
的を射た気づきを遠ざけてしまうことが多々あります。
これは、現実の対人関係場面に置き換えると分かりやすいと思います。
すごくしんどいときに「しんどいです…」と気持ちを言っているのに、
相手に「どうしてそんなにしんどくなるの!?」「どうしたら良くなるの!?」と言われてしまったら、
再び黙り込むしかないですし、更に傷ついてしまいますよね…。
自分で自分の気持ちを聞くときでも同じです。
内容は同じでも、本当に寄り添ってその上で「しんどくなってる?」と穏やかに聴いた上で、
「どうしたら少しは軽くなれるかなぁ?」と心から大事に思って聴いたら、
プレッシャーではなく、ご自身の中に優しさが広がることがあるのではないかと思います。
イメージしづらい場合は、
“一緒に暮らしているペットが居たらその子に話しかけるように”
“子犬や子猫に話しかけるように”
自分に聞いてみると良いといわれています。
選択する
無意識の反応をキャッチして、
今と過去のつながりを理解できるだけで自然に行動も変わっていけることが多いです。
その上で、「思考や行動は自分で選んでいい」という「選択権」を意識できるとさらに助けになるかもしれません。
これまでも述べたように、例えば「休むことが許せない」としたら、
子ども時代に親など周囲の大人の価値観が「休むことは怠けだ」というものであったからかもしれません。
気をつけたいところは、ご自身で選択した価値観や意志ではないかもしれないということです。
改めて選びなおした上で「やはり私は休むより動いていたい」と選択したなら、
同じ結果のようにみえても、その後に体験する世界は全く違った色合いになるのではないかと思います。
改めて、大人になったからこそ、センサーとしての感情を理解し、
その上で“選んでいい”と言い続けてあげていくことが大切なのだと思います。
「自分を大事にする」というと、
「働き過ぎずに適度に休む」等というフレーズが浮かびますが、
それは人それぞれでもあり、同じ人でも状況によって変わってくると思います。
「自分を大事にする」とは、私は「自分を理解すること」だと考えています。
楽な作業では決してありませんが、
「自分を理解しよう」という営みは、今と将来の自分をより良くし、そして過去の自分を救うものだと信じています。
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