今回は、どんな場合でも共通して見つけていきたい「その人の強み」について、
軽めに綴りたいと思います。
日ごろ、医療機関で大人の方々の臨床を行っていてつくづく思うのは
「そのような苦しみを抱えながらよくここまで生きていらっしゃった。。。」という敬意です。
今日は、この「どんなに過酷で苦しい状況でも持ち続けられていた“凄さ”」に注目したいと思います。
「強み」とは
福祉や心理では「ストレングス」という言葉があります。
「クライエントが本来持っている問題解決能力や強み、可能性のこと」を意味します。
クライエントを“病に苦しむ弱い人”と見なすのではなく、
クライエントの主体性の重視、支援者と支援対象者との関係の対等性を強調する用語です。
この視点は非常に大事だと日々臨床をしていると痛感します。
特に、精神疾患を抱えていると、ご本人だけでなく周りも「病気の人」「可哀想な人」等といった
「弱さ」にばかり注目してしまう傾向があります。
けれどそれは行き過ぎると
「自分は回復していける」「自分自身でこの先の人生を選んでいける」というパワーを弱めさせてしまう危険性があります。
そこで、自分自身をエンパワーメントできるように、具体的な「ストレングス」を述べていきたいと思います。
日常を送る
「トラウマと解離」の記事でも触れましたが、
どんなに苦しい状態でも酷い環境でも、必ず「日常を送ってきた」自分がいます。
何事もなかったかのように学校や仕事に行ったり、勉強したり、身なりを整えたりetc。。
健康な状態でも疲れているときは日常生活が雑になってしまうことを考えると、
「日常を送る」ということは決して楽なことではないのだと思います。
まして、機能不全家庭で育ったり、トラウマ的な出来事に遭ったりした状態であれば
なんとか日々を送ってきたことはストレングスだと捉えられると思います。
見過ごしてしまいがちですが、そんな自分を労えたらと思います。
積極的な動き
日常を送るだけでなく、苦しい状態や酷い環境に対して勇気をもって自ら動いたこともあるでしょう。
SNSで情報収集したり、病院を受診したり、カウンセリングを受けようとしたり、家を出たりetc。。
病気になるほどの苦しい状態の中では、SNSで情報を収集することも楽なことではないですよね。。
にも関わらず、日常を送ることに加えて、状況を良くするために具体的な行動を何度も取っていらっしゃるケースが多いです。
自分に向き合うことは楽なことではないのに、その大切さに気づき、しんどい状態の中で動くことができたということは、
本当にその人の持つ「ストレングス」なのだと思います。
自分を守ろうと必死になってくれる
トラウマ反応は「安全だと身体がわかってから発症する」という学説があります。
危険なときは、感覚を鈍らせるために解離することで生き延び、
少し大人になり、ストレスや環境の異常さに気づき始めると、頭痛や腹痛などの身体不調で表れたり、暴食したりすることで何とか生き延びることがあります。
そして環境が安全になると、フラッシュバックやうつ状態などが顕著になり、
普通の日常が営めなくなる時期が生じることが珍しくありません。
これらは全て、無意識にいつも自分で自分を守ろうと必死になってくれていた結果なのだと思います。
もちろん、苦しい状況の中で無理をすれば、後にその痛みを心身ともに癒す必要が出てくるので、
そのときだけで済むということではない面はあります。
けれど、いつも自分が自分の安全のために最善の選択肢を選ぶことができるという環境ではない場合がほとんどです。
子どもであれば親に嫌われたら生きていけませんし、
学校生活においても特に小中学校時代は「学校に居場所があるか」は死活問題になります。
実は「ほとんど選択肢がない」という状況が長く続く中で、
それを賢明にも無意識で理解しており、
その中でなんとか自分を自分で守って生きるためにはどうすればいいのか、
どう乗り切ったらいいのかを実践してくれていたのだと思います。
そして「選択肢が持てる」大人になるまで、痛みの手当てのために立ち止まることを待ってくれたのかもしれません。
「知らせる」ことを止めない
トラウマ反応は、
「トラウマ的な出来事を過去のことだとできずに今も起こっているかのように危機に備えている」
と解釈されることが一般的です。
それはPTSDやうつ病や不安障害などの「症状」として認知されています。
その症状は苦しいですし、なくなってくれればいいと思いますよね。。
ただ、「危機に備えてくれている」としたら、症状は「何かを知らせている」と捉えることもできます。
それを優しく辿っていくと、かつての傷ついた自分を発見でき、癒すことに繋がるかもしれません。
今の自分よりもはるかに若い自分が、今でも危機に備えてくれていると考えると、
「健気だな…」と、労わり感謝の気持ちを持てたら、さらに良い方向へ動いていくかもしれません。
「義務を果たしたい」という責任感
トラウマに限らず、精神疾患を抱える場合、
多くのケースで「何もできないことに罪悪感を感じる」という
「休むことも苦しさを生む」事態になることがとても多いです。
このブログやツイッターでも「罪悪感には従わずに、罪悪感を感じたまま休みましょう」といったようなことを何度か述べています。
罪悪感は、過去に植えつけられた洗脳のようなものが原因であることが多く、
「親の面倒をみないといけない」「働いていないと価値がない」等という解くべき呪いであることも少なくありません。
罪悪感は強烈に「罪悪感をなくす行動をしろ」と焦らせる作用があるので、
短期的には罪悪感を生じさせる事柄をやってしまったほうが気持ちは楽になれます。
けれど、長期的にはそれはご自身を蝕んでいく行動であることが少なくありません。
なので、「罪悪感に従わずに、罪悪感がありながらも異なる行動をとっていく」という練習を積み重ねることが必要になることがあります。
一方で、罪悪感は適度であれば「責任を果たす」という機能的な作用も持っています。
例えば「働いていなくて罪悪感を感じる」というとき、
それは見方を変えれば「何か自分なりの役目を果たしたい」「誰かの役に立ちたい」という気持ちの表れであることが多いです。
先ほどの「過去にうえつけられた洗脳のような呪い」の場合でも、
それが不適切な内容や強さであるから無視する必要があるだけであって、
本来の「自分の役割を果たしたい」という思いは素晴らしいリソースなのだと思います。
その使い方を検討していく必要があるだけであって、
「罪悪感を感じる」のであればそれ自体が悪いのではなく、
その奥にある「○○したい」というポジティブな意欲に注目して
大事にしてあげられるといいかもしれません。
「健康になろう」という前向きさを失わない
今回取り上げた「ストレングス」も「エンパワーメント」という概念も、
根本的な理念は「人を病者としてみるのではなく、充分な機能を持った人としての強みに着目し、それを強化できる働きかけをする」というものです。
これは精神医学や心理臨床の最近の流れになっています。
このように学術的に発展してきたのは、
「人はどんなときも健康になろうとするパワーを持っている」ということが証明されてきたからです。
一方で、基礎心理学で、「人は他者からの唱導方向を実現する傾向をもつ」という一説があります。
これは、例えば周囲から「あなたは派手で将来不良になりそうだね」と言われていると、
本当に不良になる可能性が高まるということを意味しています。
もちろんそうではないケースもたくさんありますが、
周囲の人が苦しんでいる個人を「病気の人」「弱い人」とだけしか見ないと、本当にそのままになってしまうという危険性に気付かされます。
だからといって、やみくもにポジティブに見なすことは違います。
「病がありながら、その人らしい健全さや強さを持っている1人の人」という視点を支援者側が持ち続けることは重要なのだと思います。
そしてご自身もご自分に優しい言葉をかけ続けてあげることが大切なのだと感じます。
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↑いつも手間のかかる一押しを本当にありがとうございます!!
一押しごとに感激の涙を流しています!!
季節の変わり目ですね。
台風などで気圧が乱高下していますし、これから陽が短く気温も下がってきますね。
みなさま、体調お大事にされてください。。
そのうち、気圧の変化や湿度も落ち着いて、秋晴れが来るといいですね♪
今日も最後までお付き合いくださってありがとうございました!
またのお越しをお待ちしております!