中3は、内面は混沌としていましたし、
後から振り返ると解離症状が出ていました。
外的な出来事としては、学校側の「欠席日数減らしてあげる」が
すごく印象に残っています。
回想:「欠席日数2日にしてあげる」
内面ではいろいろありますが、なんとか学校に通い続けます。
高校は、同じ中学の人が1人も来ない、
家から離れているけどギリギリ受験できる場所にある公立高校を選びます。
推薦で行きたかったですがダメだったので一般受験でした。
同じ中学校の人がいない高校を選んだのは、思い出したくなかったから。
同級生になにかあったわけではないですが、
中学時代を思い出させる事柄を避けたかったのです。
このときに覚えているのが学校側から
「2年のときの欠席日数を2日にしておいたから」と言われたことです。
当時は「ああ、そうですか」としか思わなかったのですが、
後になって「それで口止めでもしたつもりか!??こっちは一般受験なんだ!
(当時は一般受験であれば2年のときの内申はほとんど加味されませんでした)。
そんなことで罪滅ぼしした気にさせるくらいなら、正々堂々、事実を書いてくれたほうがいい。」
と少し経ってから憤ったものです。
解説:学校は教育機関ですよね?
本当に、学校が子どもに教えるべきことは、
「欠席日数をごまかしてあげるよ」ということではないのです。
「欠席日数をごまかしてあげるよ」じゃない。
どんなに理由があってもそれで行きたい高校に行けないなら、行ける高校をまた探します。
そうじゃなくて、教育機関は「悪いことをしたら処罰されるんだ」ということと、
「大人は社会は子どもを守ってくれる」ということを、ぜひとも教えてほしいのです。
回想:このころの症状
中学時代は、
授業中などに意識が飛んだり、
自転車でよく事故を起こしていました。
「気がついたら電信柱が目の前にあり衝突する」
「気がついたら看板があって激突する」といった1人事故を頻繁に起こし、
自転車ですので直に身体を怪我し、その都度けっこうな外傷を負っていました。
また、フラッシュバックというか、
頭の中で永遠に被害時の映像が流れていましたね。
急にバっと来るというのではなく、
いつもずっと流れてる感じでした。
この「被害時の映像がエンドレスで流れている」は、
この先何年も続き、私にとってはそれが普通になっていきます。
解説:解離
「意識が飛ぶ」「自転車で事故る」
これは明らかな解離ですね。
気づきにくいかもしれませんが、
解離していると事故に遭いやすいですし、転びやすいようにも思います。
解離という症状は曲者ですよね。
症状が多岐に渡る上に、症状の持続時間が短時間のことも多々あります。
私のように、「ふっと意識が飛んだ」「気がついたら時間が経っていた」というような見逃してしまいそうになる状態も含まれます。
軽い解離の例です↓
解離の例は
・気がついたら時間が経っている
・ツライ話なのに普通にor笑って話す
・ふと怪我に気づいたが、いつ作ったのかわからない
・人から「○○してたね」と言われても覚えてないなどです。
こういう症状がある場合は、外出は誰かに付き添ってもらうなど怪我しないよう気をつけて…#PTSD
— 寝子 (@necononegot) January 28, 2021
解離がありそうでしたら、「車や自転車は運転しない」ことをまず勧めます。
そして、階段を下りるときなどはできるだけ手すりを持つようにしてください。
理想的には、外出時は1人ではなく誰かに付き添ってもらえると安全です。
軽い解離が起きたときの対処法はこちらです↓
解離でぼーっとしたり体に力が入ってないように感じたりするような症状が出たときや不安感には、今、目に見えること聞こえることに意識を向けたり、体の感覚に気を向けることが有効。「足は地面についている」とか、手をグーパーするなど。「今ここは大丈夫」と認識することが対処になります。#PTSD
— 寝子 (@necononegot) February 17, 2021
当時の私は当然「解離」だなんて知りませんから、
自転車にのっては転び、顔を怪我して学校で笑われることを繰り返していました。
でも、そういえば例の担任の先生だけは
「あんた、しょっちゅう怪我してるけど大丈夫?」
と言ってきてくれた記憶があります。
そして、このときはこれをもって、一見は回復したようになります。
しかし、実際の精神疾患の発症と本当の苦しみは、これから4~5年後のことになります。
次回、大学進学とともに本格的に症状が顕在化していきます。
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