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日記

「治った」を目指せない精神疾患 ~身体疾患との違い~

 

手術の傷がいてぇ…。

なんでこんなに痛むんだ…。

気圧???ストレス??

痛いようぅ…。

 

 

「この痛みに触れないと次にいけねぇ」ってなことで、

始まりから意味不明で失礼しましたm(__)m

 

関東は大雨が降っております。

 

今日は私のこの度の身体疾患の経験の感想です♪

あくまでも私の場合に限られた感想です。

 

ここでは身体疾患と比べることで「精神疾患ってつらいよなぁ」という主張になっていますこと、

ご了承ください。

 

「治った」という状態

私は日ごろ、精神疾患の方々のケアに携わっています。

自分自身も精神疾患の経験者です。

なので、精神疾患で当たり前のようになっている状態をあまり疑問に思わないようになっていました。

 

今回、身体疾患になったことで、改めて「精神疾患のしんどさ」を理解することで、

日々の臨床に活かしたいと思っています。

 

私の身体疾患の場合

手術をするほどの身体疾患は初めてだった私は、今回

 

「治るんだなぁ」

 

ということをものすごく実感しました。

あれほど痛くて仕事も急に休まねばならず、起き上がれなかったのに。

 

まだ手術跡は痛むとはいえ、もともとの病巣はウソのように傷まなくなったし、

ものすごい倦怠感も全くなくなって、

元気ハツラツです!

 

こんなに明白に治るのだ、と初めて体験してびっくりしています。

 

精神疾患の場合

精神疾患は、発症もいつだか分からないし、

「治った」という状態を明白に感じられるのは滅多にないと思います。

 

よく「治すより付き合っていく」と表現されますが、

その通りで、目標の設定も「治そう」より「うまく付き合っていくには」となることが多いです。

 

そのため、症状は軽くなったり重くなったりを繰り返しながら自分なりの付き合い方を見出していくことが多いので、

「治った」と明白に感じられたり言ったりできることはないケースがほとんどだなぁと改めて考えました。

 

私の精神疾患は、ほぼ治ったと思います。

でも、それがいつかわからないし、後遺症的な症状(不眠症など)は今も抱えています。

 

「あ、もう元気だ」と明白に感じられて自信を持って安心して過ごせるようになった“ある時期”は存在しません。

気づいたら酷い精神疾患になっていて、そのままズルズル、治ったかどうかより「付き合っていく」となり…。

 

そういう体験しかなかったので、今回の身体疾患で経験した

「治った」

という確固たる感覚は新鮮でした。

 

理解される

そしてやっぱり、身体疾患は対外的に理解されると感じました。

精神疾患だと偏見はもちろんですが、どう声をかけていいかわからなかったり、

相手側に知識がなく「原因はなに?」「治ったの?」等という嫌な思いをしてしまう結果になってしまうことが多々あります。

 

もちろん身体疾患でも程度や種類によって偏見や重さがあると思います。

 

身体疾患の場合

あくまで私が今回経験したことに限りますが、

 

まー理解される笑

 

そして盛大に同情してもらえる笑

 

 

…ほとんど読まれていない寝子ブログだから言いますが、

前から思ってたんですけど、

震災が起きたり、有名人が癌を公表したりすると、

多くの人が一点の曇りもないかのように盛大に寄り添うじゃないですか。

「大変だ」「かわいそうだ」「応援しよう」的に。

(そうじゃない場合もあるでしょうけど)

 

でも、性被害や機能不全家庭の被害になると、

「あなたにも落ち度が」とか「言っても仕方がない」とか、

対外的なトーンが変わる気がしています。

この現象は心理学的に説明ができ、理解はできます。

 

でも、不公平だ!!!

 

と、感情的には思ってしまいます。。

 

精神疾患の場合

精神疾患ですと、対外的な反応はもちろん、

自分でも始めや渦中にいるときは自分の状態が症状なのか何なのか、

わからないことが多いです。

 

後から振り返れば、「あの落ち込み様は異常だった」とか「そういえば何をしてたか思い出せない」とか理解できても、

その時は、思考力も判断力も落ちていますし、体力気力も限界ですから、

自分でもわからないし、説明でできない…。

 

仮に説明できても理解してもらえない。

「今どうすべきか」「今後の見通し」を対外的に示すことができない…。

それによって、どうしても中途半端だったり自己否定感が増すような形で周囲との関係性が切れてしまったりする…。

 

 

ちなみに私の原家族も今回は口だけは心配していましたよ。

少なくとも「へ~」という感じで私の身体不調を偏見なく受け止めていた。

 

あなたたち、私がもっとはるかにつらかった精神疾患のときはそんなんじゃなかったよね~怒

 

という思いは心に留めておきました笑

 

痛みの記憶

「痛み」に関しても、

「治った」と同じくらい身体疾患と精神疾患の違いを感じました。

 

身体の痛み

もうホントに私の今回の身体疾患に限ったことなんですけど(汗)

 

今回、コロナの影響で治療してくれる医療機関に辿り着くまで、

激痛が起きてから1ヶ月かかりました。

 

あの激痛は、当時は

「足の根元から切断しなくてはいけなくなるんじゃないか」

というほどの痛みで、

 

マックスの痛みが治まってからも

「あの激痛がまた起きたらどうしよう。そのときのために何か策を持っていなくては」

としばらくはあてもなく本気で考えていました。

 

また術後少しして「一種の腸閉塞(by主治医)」になり、12時間以上病室でもだえ苦しんだときも

1月の激痛と甲乙つけがたい痛みで、

「こんなに痛いなら死んだ方がいいか、どうだろうか」と

痛み止めが効かずに苦しみました。

 

でも、

 

身体の痛みって忘れるんですね。

 

「出産は痛いけど、痛みを忘れて2回目も産む」と聞いたことがあるけど、

こんな感じなのかなと思いました。

 

あんなに一時期真剣に他国への移住(できないけど)や安楽○まで検討するほど、

「二度とこんな痛みは嫌」と思ったのに、

 

すっかり忘れましたw

 

痛かったけど、もう終わったことです。

 

※ただし、他者から故意に身体を傷つけられた場合などは忘れられることではないと思います。

あくまでも私の今回のケースに限っての話ですので、お許しください。

 

心の痛み

それに比べて、心の痛みは忘れないなぁと、しみじみ思いました。

心の傷って、痛み方もわかりにくい。

手当てもしずらいし、

どこが、何で痛いのか、当事者もわかりずらい…

そしてその時はそれがどれほど深い傷かもわからない。

 

そして消えない…。

 

私の体験としては、

今回の身体疾患の痛みは、強烈なインパクトでした。

二度と忘れないと思ったし、この痛みは若干のトラウマになるのではとすら思いました。

でも、結果として、

 

すっかり忘れられた。

 

手術痕はまだ痛むし、まだ記憶に新しいです。

でも、「またこの痛みが起きたらどうしよう」と考えることはないし、

「治った」と確信できるのです。

 

今まで、心の傷のことを「終わったこと」と言う人は、

ただの意地悪か聞きたくないかなのだろうと思っていました。

でも、

精神疾患になったことがなくて、身体疾患や怪我であるとすごく苦しい思いをしても

「終わったこと」を体験できるから、

精神疾患に対してもそういう発想になるのかな、とふと思いました。

 

 

私は今回身体疾患を経験して、

こんなに体感が違うのだと驚きました。

 

 

私は「治った」と言ってもまだ当分は外来での診察は続きます。

最近よく主治医に「治ったね」と言われます。

それを聞きながら、患者としての私は頷きつつ、

 

心理士としては

「ああ、私はこの先の仕事で、患者さんにこの言葉を言うことはないだろうな」

と心の中でちょっと複雑な気持ちになったりしています。

 

言葉って気をつけなくてはいけないので、

「治りましたね」というセリフは、私の中では無くなっていることにも気づきました。

 

 

もちろん、もっと重い身体疾患やそれぞれの事情などで異なると思います。

ただ、精神疾患を代表とする心の傷に苦しむ方々を今後も支援していく身としては、

それぞれが抱えるしんどさやツラさに慣れてしまうことなく、意識し続けていきたいと思いました。

 

 

 

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関東も間もなく梅雨入りでしょうかね。

「梅雨ストレス」の記事もリニューアルしようと思っています!

 

 

今日も最後までお付き合いくださってありがとうございましたm(__)m

 

またお目にかかれることを楽しみにしております♪

 

 

 

 

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