「反復性うつ病」や「複雑性PTSD」はもちろん、
精神疾患や悩みや苦しみの根本原因は、
ほとんど生育歴が関係していることは抗いがたいことなんだろうと思います。
なので、さまざまな記事で同じ内容を書いてしまっております。
(例えば「気持ちが耕されなかった」とか「自分を労わる」とか「好きな事を大事にする」とか)
個人から普遍性を見出し、見出された傾向や対策を再び個人に還すことを繰り返すことで発展していくのが心理臨床だと思います。
またここで、長引く病と向き合っていらっしゃる方々の回復過程で比較的共通して認められる「しんどい段階」について整理したいと思います。
あくまでも寝子の臨床経験になります。
比較的短めで軽めにサラッといきたいと思います!
「診断名」以外の普遍性
うつ病などの「診断名」を代表とする、ある意味での「一般化」はクライエントさんに必要ですよね。
それによって自分の状態が理解でき、周囲にも説明ができ、
場合によっては有効な治療法が既にあってそれを活用できることもある。
「名前がつく」ということがもたらす効用は、デメリットもあるとはいえ、
治療をするためにはやはり極めて重要だと感じます。
なので、診断名に限らず、自分の状態に名前がついていたり、
ある条件がいくつか重なれば同じ反応になる可能性があるんだ等といった
「一般的に言えること」を知ることは、自己理解に繋がり、ご自身を見守る助けになると思っています。
ここでは、「長引く苦悩」というような、
生育歴での体験が元となっていると考えられる患者さんが大人になって受診し、回復していく過程で、
診断名を問わず、比較的共通して認められる「段階」をまとめたいと思います。
しんどさは病態水準とは別
「回復していく過程」での「共通性」ですので、最も状態が悪かった時期は越えてからの段階になります。
しかし、医学的に見たときの病態水準が以前より軽くなったからといって、ご本人の苦しみが軽くなるわけではないのですよね。。
来院された当初は、寝たきりに近い状態であったり、うつ症状やPTSD症状が著しく、症状を何とか軽減すること、日々をなんとか生き抜くことで精一杯だった状態がやや落ち着くと、
改めてご自身の状態を省みたり、治したいという気持ちを強く持ったりと、意識せずに自然に変化していくことが多いです。
ただ、ご自身の実感としては「良くなっている」という体験というよりは、
「内容が変わったけれど苦しみが変わらず続いている」という場合がほとんどです。
むしろ「寝ているしかない」というようなどうにもできない状態から、
少し考えられるようにまでちょっと回復したあたりが、体感としては最も苦しくしんどいことが多いのではないかと思います。
「確かに前より起きていられるようになったけど嫌なことばかりグルグルしてつらい」
「良いときと悪いときのギャップが大きくて疲れてしまう…」
「“早く働けるようにならないと”と焦りが強くなった」等というように、
少し動き出した思考によって、追い詰められた感情を連れてきてしまうことも多いです。
他にも「イライラするようになってしまって前より悪くなったのではないか」など、不安を強めさせてしまうこともあると思います。
ここでは、回復過程で比較的共通して認められる「悩まされる状態」を上げ、自己理解に繋げられればと思います。
遅れてきた反抗期
以前に「大人になってから自我を取り戻すということ」という記事を書いたとおり、
いわゆる「反抗期」の心理状態が認められるケースはとても多いです。
こちらの記事で詳しく書いているように、
病前は穏やかで寛容だったと認識していた自分に比べて、
「些細なことでイライラする」「他人の行動に批判的になる」などの変化を感じます。
そういった自分を「性格が悪くなった」と誤解してしまい、さらにイライラや自己嫌悪感を強めてしんどくなってしまう過程があります。
病気の回復にも自信がもてなくなってしまったり、場合によっては「前の方が良かった」と思うことも少なくありません。
けれど、「遅れてきた反抗期」の記事でも述べているように、
病前の性格が自分にとって本当に“良い”のであれば、病気になっていないし、幸せの実感があったはずだろうと思います。
イライラしたり負の気持ちを出すことは、出し方を注意する必要があるけれども、感じることは自由です。何も悪くありません。
この過程は、「反抗期」という「自立への過渡期」を一般的に歩むべき時期に体験できなかったために、
“今来てくれた”と捉えることがキーポイントになることがあります。
ピリピリとしてしまって、他者にも自己にも不寛容になることはご自身にとってストレスだし、「なりたい自分」とは程遠いのかもしれません。
けれど、この機会にイライラを感じ、適切に出し、改めて「自分」を創造していっている過程として、
そんなご自身に寄り添ってあげることが大切かもしれません。
ご興味があれば、詳しくは「遅れてきた反抗期」の記事をお読みください。
感情の揺れ
「遅れてきた反抗期」の内容とも重なりますが、
程度の差はあれ、回復していくということは、生き生きとした感情が流れ始めることでもあります。
そのため、それまで「低め安定」のようなあまり波がなかったように感じていた気持ちが、大きく揺れることがあります。
始めは「負の感情」の方が先に出るので、イライラや自己嫌悪など、しんどい思いが増えることがあります。
「回復過程」での「感情の揺れ」は、病気の症状のそれよりも行動化が少なくなっているといえるかもしれません。
病気の症状としての「感情制御の課題」であると、自分でもコントロールできないほど爆発してしまうことがあります。それも回復の一部と捉えることもできます。
ただ、病気の症状というより「回復過程での共通した特徴」では、自分や他者を暴力的に傷つけることは減り、
しかしながら内面では時に激しい感情が起きるので、
消化できずに実感としては怒りや自問自答といったグルグルが「長引く」ようになることがあります。
あるいは、それまでは「自分は怒らない穏やかな人間だと思っていた」というケースも多く、
それまで行動化がほとんど無かった上に感情も穏やかで前向きに維持されていたと認識していた場合には、
ご自身の感情の揺れに戸惑い、「遅れてきた反抗期」で触れた「性格が変わってしまった」と思うことも少なくありません。
この「長引き」は、すぐに解消できればいいと思ってしまいますが、今まで抑えられていたご自身の負の感情をたくさん感じ、
更に傷つく行動で解消したり、なかったかのように抑え付けたりすることを踏みとどまり、
ご自身の気持ちをようやく認めていくという作業であると捉えと、
すぐに解消せずにそのまま抱えて一定期間過ごすことに意味があるといえるのだろうと思います。
これは、ご自身の負の感情を「悪い」とせずに、感情に良い悪いもなく感じ、認め、それを始めは「長く」抱えることで、
過去に蓄積された感情の消化と将来的なストレス耐性に繋げていっているといえるかもしれません。
感情は、できるだけそのまま感じながら川に流すように、
「湧いてから感じて過ぎ去っていくもの」という体験をできていけると、思考も和らぎ、感情を味わえるとされています。
「わかってほしい」
冒頭に、「長引く苦しみには生育歴の影響がある」と書きましたが、
このブログでも散々触れていますように、「機能不全家庭」ですと、
基本的に「常に誰からも理解されなかった」という状況に置かれていたことが珍しくありません。
人は、自分ひとりでは自分を理解できません。
そのため、自分で自分を理解できない状態で行動化してしまっている渦中において「誰かにわかってほしい」と熱望し、
結果として行動化が行き過ぎてしまって、自分も他者も傷ついて対人関係が終わってしまうというご経験を繰り返す場合もあります。
こういった激しい行動化はクライエントさんによって程度の差が大きいので一概にいえませんが、ただ、根底にある「わかってほしい」という気持ちは共通して表に出てくるものだと感じます。
「回復過程」では、先ほど触れたように行動化は少なくなり、
今まで支えてくれたパートナーに改めて「わかってほしい」という気持ちが強まったり、
信頼している主治医やカウンセラーにもっと自分のことを伝えたくなったりするという形で現れるように見受けられます。
人が誰かに自分のことを「わかってほしい」と思うことは自然な感情です。
それを「そんな風に望むのはわがままだ」と頭ごなしに否定してしまうことはどうか気をつけて、それはかつて言われた言葉かもしれませんが、感情は自由です。
その上で、行動を選べばいい。
「わかってほしい」という気持ちも大事に大事にしていきたいものです。
不安と抵抗
前回の記事「反復性うつ病に関する一考察」で述べたような生育歴から安心できる環境がなく大人になって発症し、
そこからご自身を見出していくという場合、
「なんとなく良くなってきた気がする」と思えるようになると、同時に「このままではダメだから何か違うことを始めないと」という謎の焦燥感にかられたり、
いいようのない不安感を感じて「この後悪いことが起きるのでは」等と落ち着かない気持ちを抱えることがあります。
これは、大げさに言ってしまえば、「未知の世界を体験し始めたから」と表現できるかもしれません。
人は、「慣れ」の影響を意識している以上に強く受けて日々を生きています。
子どものころから常に緊張したり苦しかったりハードスケジュールをこなさなければ自分を良しとできなかったりしていたら、その方に慣れています。
そのため、心が少しずつ元気になって、「嬉しい」「楽しい」等と感じられるようになると、それは慣れない感情で、不安になってしまいます。
「未知」は怖くて不安です。
でも、その「よくわからないけどなんか不安…」もそのまま時を過ごしていくうちに、
心地よさが未知ではなくなり“慣れ”ていき、ポジティブな感情を怖がらずに楽しめるようになれるのではないかと思います。
「わからない」
最も共通する傾向があり、かつポジティブに捉えられることが多い状態が
「自分が何をしたいか分からない」という患者さんの声です。
これは非常によくお伺いします。
「どうしたいか聞かれても分からない」「この先どうなっていきたいかわからない」etc..
これは「“わからない”という自分の気持ちが分かった」ということで、主体性を取り戻し始めたと考えて良いことが多いです。
「わからない」という状態は健康な状態でもたくさん生じます。
いつもどんなことでも自分の気持ちが具体的ではっきりしているというのも不自然な気がします。
この「わからない」は、うつ状態の「思考力や判断力の低下」による「分からない」とは明らかに異なります。
本当に何度も自分の気持ちを自分で聞いてあげられていて、
その結果「わからない」という声がするので、ご自身でもがっかりしてしまったり不安になってしまったりします。
でも、がっかりすることはなく、ちゃんと自分に聞いてあげられていて、率直な回答を拾えているのではないかと思います。
加えて、「わからない」ということが分かった状態というのは、
よく言われている「白黒思考」がゆるんで「グレーを持てるようになった」ということでもあるのです。
そして、「わからない」に少しがっかりしたり不安になったりするとしたら、
「自分の人生を自分の気持ちに沿って歩いて行きたい」という主体性が備わったからこそであると捉えることができます。
その後の傾向としましては、「こうなりたい!」というような具体的な将来像を抱いたりライフワークと思えるような仕事や趣味を持てるようになったりするというよりも、
「気がついたら日々をそれなりに楽しく過ごせるようになっていた」という回復像が多いです。
そう考えると、私たちは小さい頃から「目標を持て」「行動しろ」等と言われ過ぎて、
何か大きな目標がないとダメだという思い込みがあるのかもしれないと思いを馳せたりしました。
本来は、日々の目先のことを楽しむことから、選ぶことから、将来へ続いていくのですよね。。
目標ややりたいことなんてなくてもいいのに、
それがないことに何か負い目を感じてしまうとしたら、家庭環境の範囲に留まらない呪いかもしれないので、
改めてご自身を大事にケアする気づきにしていけたらと思います。
↓押してくださると寝子の頭痛が軽くなります!
(「頭痛してるんかい!」という突っ込みでも一押しを笑)
↑「押すか押さないか」という行動の選択の試しに!!!
いつもわがままを叶えてくださって本当にありがとうございます!!
関連記事の「遅れてきた反抗期」もご興味があればぜひ♪
ふとカレンダーを見ると今日は七夕なんですね。
せっかくだから軽くお願いでもしようと思います笑
今日も最後までお付き合いくださってありがとうございました(*^_^*)
また覗きにきてくださると嬉しいです
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