小学校から中学1年までは、被害の影響は出ていなかったと思いますが、
あまりいい時期ではありませんでした。
家族や学校教員に対する不信や、居場所のなさなどが顕在化しながらも、
はっきりと認識して対処できる年齢ではないために、いつも陰鬱としていたように思います。
学校では、できのいい兄といつも比べられて、教師に対しても強い不信感を持っていました。
目次
2回目の被害:中学2年の時
学校に関しても教師に対して強い不信感を持っていましたし、
そもそも学校は楽しいところではありませんでしたが、
中2になって、担任の先生が変わり、
「担任によってこんなに学校生活が変わるんだ」と
学校が少し楽しくなり、大嫌いだった「学校の先生」に対して
初めて好感を持つようになりました。
そんな新しい学年が始まって1学期の終わりに被害に遭います。
回想:男性教師からの被害
中学2年の夏休みに林間学校という2泊3日の課外授業がありました。
そこで、3日目の朝に男性教師から性的暴行を受けました。
その林間学校は山登りがキツイから大変だとウワサでしたが、2日目まではとても楽しかったのです。
でも、3日目の朝にそのような被害に遭い、「ああ、楽しかった思い出も全てなくなった」と思ったことを覚えています。
ここで、私は「5歳のときの被害を今でも覚えている。だからこの被害も今後何十年も忘れられないのだろう。ならば今回は言わなければ」と思い、
被害に遭って比較的早く、(というより、私がずっと泣いていたので変に思われていたみたいです)担任の先生に言いました。
解説:被害直後の行動
担任の先生に言えたのは、その担任の先生が女性で好きな先生だったからです。
小学校のころから学校の先生に対しては不信感しかなく一度も好きだと思ったことがなかった私が、
中2の担任の先生のことは初めて好きになった先生でした。だから言えたのだと思います。
幼少期、親に言えなかったことも親を信用してなかったからということを考えると、
日ごろの大人の行いは本当に大事ですね。
子どもが被害に遭ったとき、誰かに頼れるか話せるかは、
その子の周りにいる大人が、その子の信頼を得られているかにかかっています。
回想:学校側の対応
それで被害報告したわけですが、私は「どうせ大した対処はしないだろう」と思っていました。
それでいいと思ってました。大人に期待していなかったのか、被害の重大さをわかっていなかったのか。
そのときの私は「5歳のとき言えなくて消えない傷になったから今回は言おう」だけでした。
しかし、担任の先生は重く受け止め、校長など総出で家に謝罪にくる運びとなりました。
加害者教師も認め、家に謝りにきましたが、そうはいっても二昔前の時代、
学校にクレームは言わないという風潮が残っていましたし、
それ以前に、うちの親が特になにも言わず、校長ともども帰していました。
それなのに、担任の先生が翌日母に電話してきて
「お母さん、あんなんで許しちゃいけないよ!普通は自分から辞めるっていうもんなのに!」って言ってくれました。
さらに校長に「辞めさせろ」と直訴したら「キミは同僚を売るのか」と言われたので
「そんなことをする人を同僚とは思わない」と言い返してくれたそうです。
担任の先生のおかげで、加害教師は「一身上の都合」で異動となりました。
担任の先生、ありがとう!!
一生ご恩は忘れない!!
ただ、学校側の説明には罠がありましたね。
私はまだ13歳でした。
「異動」を「解雇」、最低でも教育委員会には加害教師の行ったことが報告されていると思っていました。
しかし本当にただの「一身上の都合」になっていたことを後に知りました。
事実上、学校ぐるみで加害者教師をかばったのだと2年後くらいに知ります。
解説:学校や大人が行うべき対応について
まず「言えなかったから忘れられなかった」と認識していたこと、
実際は「言えなかったから忘れられなかった」という
単純なことではないですね。
ただ、当時の私はそう思っていたということは、
「言いたかった」「聞いて欲しかった」という気持ちが非常に強かった
ということなのだと思います。
私が後に強く思ったのは、
問題は、加害者教師以上に学校側と親であったと思います。
心理学的にも「事件後のソーシャルサポートが重要」といいますが、
被害自体は防げなくても、その後の社会の手助けの仕方で傷の程度は明らかに変わると思います。
私にとって今でも許すことができないのは、
生徒よりも加害者教員のその後の人生を重んじた学校と、
私の傷に全く向き合わなかった親です。
子どもに対して学校は「悪いことをしたら裁かれる」ことを教える機関だと思ってます。
そうしないと、子どもは「社会とはそういうものなんだ」と思ってしまします。
そういう意味で、担任の先生には本当に感謝しています。
当時、学年主任でもなんでもない、30代半ばの先生が、校長に逆らう、
保護者は文句を言ってないのに文句を言うようにたきつける、
こんなことをすることがいかに勇気がいることか、
私自身がその年になって学校にスクールカウンセラーとして勤めて、
改めてその貴重さに涙が出るほど感動します。
この担任の先生のおかげで、私はこの社会に心の底から絶望しないで済んだのだと思っています。
この先生がいなかったら私は今のように生きていなかったと思います。
解説:「あのときこうしておけば」という自責はつきまとうけれど…
また、1回目の被害時と同様に、
その後ずっと「訴えればよかった」、もっと状態が悪いと
「殺してくれればヤツは殺人犯で逮捕されたのに」という思いが何度もめぐりました。
でも、私だけではなく、被害を受けると後からそう思いますが、
そのときは最善を尽くしたのだと思います。
私の場合も、当時、13歳や14歳で、
仮に訴えたとして、とても耐えられなかったでしょう。
将来のために今がんばることも大事ですが、
そのときにそれなりに立っていられることもすごく大事なことだと思います。
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中学2年のその後、友人の死があり不登校となります。
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