【前編】で「自己肯定感」を具体的にし、
【中編】で「自己肯定感をほどよくもつ方法」について書きましたが、
【後編】は、「ほどほどで大丈夫」という主旨のおまけ的な内容です(*^_^*)
まとめ:ほどほどに自己肯定できれば充分
ある程度自分を好きでいることは心の健康には必要です。
「好き」というか正確には「肯定できる」ということでしょうか。
ただ、なにごとも程度問題で、
あんまり自分大好き全肯定っていうのも
それはそれでその人にストレスを生むことがあります。
「自己肯定感」というより「自己評価が高い」ことについて取り上げたいと思います。
(たびたび議論になりますが、「自己肯定感」と「自己評価」は違うことだけれども、
重なる面があって、厳密に分け切れないと思うので、混ざってますがお許しを)
以下は、自分大好きな上司とか知人などが身近にいたら、
「あ~そういう心理なのね」と理解の助けになればという意味と、
「自分好きになれそうもない」という方へ
「それで大丈夫!」というエール
をこめて書いています♪
「自分大好き」なら良いってものでもない
「自分を好きになりましょう」というセリフをよく見聞きしていると、
「好きなら好きなほど幸せになれる」かのように思ってしまいますが、
そうでもなく、あまりに自己評価が高いとストレスを生みます。
ここでいっているのは
「周りの人に自分勝手に振舞って迷惑をかける」という
「周りの視点」のストレスではありません。
「自分が大好き」なご本人の内面に起きるストレスのお話をしたいと思います。
自己評価が高すぎると…
「自分が激大好き!!オレ(私)ってサイコー!!」
と思っている場合、
その人は普通の人であることがほとんどです。
つまり「あんまり自分が好きになれないな・・・」
と思っている人と同じ、
普通の人であることがほとんどです(2回言ったw)。
そうなると、どういう心理が起きるかというと、
自己評価に対して社会的評価が合わない
という事態になるのです。
「オレ(私)ってこんなにスゴイのに、
なんでもっと評価してくれないの!???」
という不満を膨らませてしまう可能性があるのです。
けっこう大切にしてもらっていても、
自己評価が高すぎると満足できない。
いつも不平不満を言っていて、
周囲からは嫌われてしまうし、
本人も常に不満なわけですから幸せではない。
自分を満足させる源を、自分ではなく他人に求めているので情緒が安定しづらい・・・。
ですので、「自分大好き!」という状態も場合によっては幸せとはいえないことが多々あります。
自己評価が低すぎると…
一方で、あまりに自己評価が低い人も逆の現象が起きます。
その場合は
「オレ(私)なんて、大切に扱われなくて当然だよね・・・・」
となり、自分を痛めつけるような、変えたほうがいい環境や絶つべき人間関係を
そのままにしてしまうことがあります。
だから、ある程度は自分を好きになる(肯定できる)ことは必要です。
ほどほどで良い
要するに、程度問題。
だから、「自分大好き」を無理に目指さなくていい。
「自分を好きに」「自己肯定感を持とう」とストレートに目指してしまうと、
そうできない自分を責めてしまって
さらに辛くなってしまうという
本末転倒が起きている状態を見聞きします。
そういうときは、ちょっと視点を外してみましょう。
外に関心を向けてみましょう。
何かをしてみてそれが心地良いか、楽しいか、おもしろいか。
それを感じられれば充分です。
自己肯定感というものは、理屈で備わるものでもないし
直接的に取りにいけるものでもないし
短期間でどうこうできるものはないと思っています。
そもそも、なにがなんでも自己肯定感を持たなくてはいけない
なんてことはないですしね。
なんというか、とにかくゆっくりと休み休み、
「ちょっと散歩行ってみたいかも・・・」とか
「このドラマおもしろいな」とか、
そういう感覚を大切にしていくうちに、
気付いたら「なんとなく自分で大丈夫」
と思えるようになる気がしています。
3回に渡って長々とお付き合いくださって
本当にありがとうございましたm(__)m
「楽しいこと」「うれしいこと」
増やしていきたいですね!(^^)!