私は「大人に関わりたい」という記事で明言しているように、
成人の精神疾患を専門としています。
そこで、今回は「子ども支援」だけでなく、「大人に関わる」という重要性を強調したく、
「大人のトラウマ」という視点から、
「大人の支援で大切なこと」について書きたいと思います。
精神疾患を抱える一般の人に向けてというより、支援者向けになっており、
大学や大学院の「授業」のような内容になっております(^_^;)
それでも、ご興味を持っていただける奇特な方!
お付き合いいただけると嬉しいです。
目次
「大人を診る」とは
大人は子どもの延長ですので、
当然ながらそれまでの人生があって今に至っています。
「大人」になってから何らかの精神疾患を発症し、
スムーズに回復しない、あるいは典型の状態を示さず診断名が受診先によって変わるなどのケースは少なくありません。
このようなケースは、その背景にトラウマを抱えている可能性があります。
けれど、そうだとしてもその心の傷を不用意に曝けばいいということではありません。
ただ、PTSDでない症状であると、
医療機関もご本人も「今の困りごと」「直近に何があったか」ということに注目する傾向にあると思います。
それは間違ったことではなく、ご本人のニーズを把握しながら今の状態を改善していくことは非常に意味のあることだと思います
ただ、支援者やご家族など周囲の人たちが、
その人が抱える病の奥に「トラウマがあるかもしれない」と想像することは、
ご本人への理解に繋がり、それがご本人の支えにもなるのではないかと思います。
「大人のトラウマ」を考える
ここで、架空事例を参考にしながら、
「大人のトラウマ」を考えてみたいと思います。
Aさんは職場で大声で叱責する上司の下に配属され、不眠や気持ちの落ち込み、食欲不振などが続いたため、医療機関を受診しました。
不眠には睡眠導入剤や心理療法を取り入れましたが効果がありませんでした。
そのうち例の上司と接することがあると叱責でなくとも固まってしまうようになり、
会社に行くことも怖くなってしまいました。
上司への恐怖に、行動療法を取り入れて、
「1日に1回は自分から声をかける」などを試みましたが恐怖は増える一方でした。
半年間休職することになり、その後、例の上司とは違う部署に復帰しましたが、
同僚のちょっとした話し声も「悪口を言われているのではないか」と不安になってしまうようになり、
その職場は退職することになりました。
このケースの場合、来院時の症状は「適応障害」といえるかと思います。
予後は「社交不安症」とも捉えられるかと思いますが、
いずれにしてもここでは「背景」に注目していきます。
そして原因と考えられる出来事は「上司の叱責」です。
うつの一般的な治療をしても回復せず、上司と配置換えをしてもご本人の苦しみは軽減されませんでした。
この事例を元に、支援に際しての注意点とAさんの背景を考えていきたいと思います。
「トラウマ」は聞かれない
医療機関は、診断や見立てのために、
医療機関側から「睡眠は取れているか」「状態が良いときに買い物をし過ぎるなどはないか」等の質問をする必要があります。
それは、患者さんは一般の人ですから、「症状なのか普通の反応なのか」分からないので、
専門機関から聞き出さないといけません。
そういう視点で「大人のトラウマ」を考えるとき、
それがフラッシュバックや解離等のPTSD様症状でなければ、
「トラウマは聞かれない」ということがあります。
「うつ病」や「不安障害」であれば、「今を改善しよう」となるのが一般的です。
「トラウマ」は言わない
加えて、受診先で生育歴などの聴取を行っても、
初回にご本人がトラウマを自ら話すことは先の事例のようなケースではほとんどありません。
ですので、医療機関も気づかないまま進むことがあります。
聞いて話してくれるとしたら「直近のこと」になり、それより以前のことはしばらく話されないことがほとんどです。
それは当然のことであり、そのことが悪いわけではありません。
ただ、支援する側は、いつも「全てを把握できているわけではない」と注意している必要があるということです。
大人のトラウマは重層的
「大人のトラウマ」は、多くの場合、重層的で、
1つの出来事だけではないことがほとんどです。
そして、話し始める順序は最近のことからが多く、それをもって「それが発症の原因だ」としてしまいがちです。
けれども実は、直近の出来事こそが「トラウマ反応」であるかもしれません。
そうだとすると、治療法も変わってくることがあります。
事例Aの背景
Aさんの治療が進むに連れて、以下の事実が話されていきました。
中学時代にいじめにあった。そのときに先生が守ってくれず、「気にしすぎだ」で済まされた。
いつもコソコソとクラスメートに悪口を言われてクスクス笑われていた。
小さい頃から両親の仲が悪かった。父親はすぐに大声で怒鳴り散らした。
怒られないようにいつもビクビクしていた。
あまり詳しくは話されませんでしたが、このようなことをポツポツと話されるようになっていきました。(仮定)
見立て
では、上記のエピソードを踏まえて、
改めて「上司の叱責が怖く会社を退職するまでに至った」という現状を考えてみたいと思います。
これは「トラウマ反応」であるのかもしれないと考えることができます。
「上司の叱責」のよって、以前の父親からの暴言の再体験、そこからトラウマ反応が活性化されてしまい、
「同僚の話し声にもビクビクする」といういじめの再体験になっている可能性が考えられます。
そうであれば、「不眠」は「過覚醒」が原因であるかもしれません。
対人に恐怖心を抱え、フラッシュバックが起きているのかもしれません。
だとすれば、少なくとも「怖くてもチャレンジする」という「上司にこちらから声をかける」といった方法は取るべきではないことが分かります。
それよりも、まずトラウマ反応を直接的に刺激しない“安全な”環境整備が重要になるでしょう。
これは可能性にすぎませんが、そう支援者側が考え続けていることはとても重要なのではないかと思います。
ご本人に「トラウマだ」等と言うかはケース次第であり、不用意に乱暴に突きつけていいとは全く思いません。
ただ、もし「トラウマ反応」であるなら、
「それは本当に怖いだろう」
「苦しくて当然だ」
と理解が深まるのではないかと思います。
そしてそれはご本人に伝わると思います。
その伝わりが、トラウマ治療における最も根幹である「安全感」になっていく可能性があると思います。
支援方法
心理療法の発展は素晴らしく、有効性が認められる療法がさまざま生み出され広がっています。
ただ、「成人の医療臨床」を考えるとき、一般的には来院する患者さんの病気や施行する療法を限定していません。
「認知行動療法に特化している」「複雑性PTSD専門」といったように特定の療法や特定の疾患に限定して対応している機関と、
いわゆる「町医者」とされる「クリニック」とでは、支援者に求められることはやや異なると感じています。
この記事は「疾患や療法を限定せずに、あらゆる人が受診するクリニック」を想定しています。
そのような機関での支援者として大事だと思う私の見解を書かせていただきます。
「曝かない」という支援
「大人のトラウマ」は、これまで述べたように、重層的です。
例えば、DV被害を主訴に来院された患者さんが、加害者と離別ができ、シェルターに住みながら次の生活形態を模索している、という過程で、
「幼少期に親から虐待を受けていた」というトラウマが話されることが少なくありません。
このようなとき、支援者が大事なことは、
「ご本人は今何を望み、大事にしようと考えているのか」ということです。
過去の深い心の傷を打ち明けてくれたからといって、
ただちに「では、そのトラウマの傷の治療をしていきましょう」という流れにはならないことが少なくありません。
重なったトラウマ体験の根元に位置する体験は、「話せた。。」ということで、
その人自身は「今の生活を維持したい。子どものころのことは話したくなったら話したいけれど、本格的に取り出したいわけではない」ということは、
成人の医療臨床を行っていると少なくありません。
自戒をこめて、「トラウマは話せた方がいい」「心理療法を行うべきだ」と支援者が決めてかかることは本当に控えるべきだと思っています。
そして実際、必ずしも「根元のトラウマ」を直接扱わなくとも、
「今」の困りごと、気持ち、日常生活を丁寧に扱っていくことで、
状態は安定していけることが大いにあります。
「思考停止」しない
「ご本人の望みに添う」ことはサポートの基本です。
その上で、だからといって患者さんが言うことをそのまま行えばいいということではありません。
最近はネットやSNSで情報を取り入れられるため、例えば初回来院時に
「“~するべき”“~しなければいけない”という思考が強くて、ストレスになっていると思う。その思考を治したい」
と患者さんの方から認知行動療法を希望されることがあります。
この場合、心理士がそのまま「では認知療法を行いましょう」などとしてはいけません。
それは支援者側の単なる思考停止です。
先ほどの「診断するための症状の聴き取りは患者さんに任せるのではなく、医療機関側から聞き出していく」と同じように、
患者さんの訴えは、専門家としてもっと細かく丁寧に聴き取り、アセスメントし、その上で治療内容を決めていかなければなりません。
余談ですが、認知行動療法というのは、非常に有効ですが、あまりに広がっていることもあり、
患者さんも支援者側も認知行動療法(CBT)をやっていれば「何かしている感」を持つことができてしまうのです。
支援者側はCBTをやっていれば「治療的関わりをできている」と慢心してしまうことが起き、
通常の支持的な対話による関わりだけでは心細くなってしまうという心理が支援者側に起きやすいという注意点があります。
しかし、支持的な態度を伝え続けること、
心理教育や解釈を含めた「対話」を重ねていくことは、
何よりも有効で必要不可欠であると考えています。
「なぜ癒えていないか」を考える
重なったトラウマであれば、過去のトラウマが癒しきれていないから今の状態や症状が出たと捉える事ができます。
ただし、繰り返しになりますが、だからといって「過去のトラウマを直接扱わないと癒されません」ということでは決してありません。
「過去の傷が癒えていないから、今の苦しみがある」のだとしたら、
その人は過去に「人に話して傷ついた」という“過去の傷”をも抱えているかもしれないと
支援者は気をつけている必要があるのではないかと思っています。
「過去、人に話しても助けてもらえなかった」という体験があり、
それゆえに、「言わない」とご本人が決めて、これまで懸命に生きてきたというケースがあります。
そうであれば、「言った方がいい」と第三者が安易に言うことは、ご本人への寄り添いが足りないという場合があると思います。
「言わない」という視点
「誰かに話した方がいい」
「トラウマは言った方がいい」
等と、特に専門機関であればなお更に「心の内を話しましょう」という流れがあります。
「言えたか。言えないか」に捉えてしまっている面があると感じます。
しかし、「言えない」ではなく
「言わない」という選択があっていいのです。
必ずしも言わなければ癒されないわけではありませんし、
言えば癒されるわけでもありませんよね。
「安全の確保」
支援の際に、本当に重要なのは「安全の確保」です。
まず相談機関がご本人にとって「安全」となることが何よりも大事だと思います。
「安全」とは、「黙って話を聞いていればいい」ということで感じられるものではありません。
「分かってもらえる」「侵害されない」「心が来る前よりも安心できている」など、
「相談機関がクライエントにとって“安全な場”となる」というのは、ケースが重いほど非常に難しいことです。
その人それぞれに応じた「呼応」を支援者がいかにできるかにかかっていると思っています。
この「呼応」の中に「認知行動療法」などの技法が当てはまることがあるだけで、
特定の心理療法は、それ単独ではほとんど成り立たないと考えています。
単独で成り立つのであれば、そもそも心理士は必要ないでしょうしね。。
支持的な支援者側の態度がベースに充分にあった上で、いくつかの心理療法が有効になるのだと思います。
あるいは、ある療法を支援者とご本人の間で介在していく中で、
療法を通して自分を出せることができ、支援者と関係性ができていき、治療が進むということもあります。
いずれにしても、療法はツールに過ぎず、療法に支援者が寄りかかってはいけないのだと思います。
↓押してくださると寝子がより身を引き締めて職務を行えます!!
↑私の一方的な支援者側の意見にお付き合いくださってありがとうございます!!
いつも押してくださるあなた様!!神様!!天使さま!!
今日から本格的に寒くなるようですね。
みなさま温かく暖かくしてお身体大事にされてくださいね。。
またのお越しをお待ちしております♪