こんにちわんこそば
今日は、寝子がずっと前から思っている
「雑な解釈への反論」を述べたいと思います!
一番強く思っているのは
「自己嫌悪するのは自分を過大評価しているから」
という見方への反発です。
そのことを取り上げながら、「親を諦めよう」や「今が大事」などを一方的に斬っていきたいと思います。
もちろん、それらの解釈が意図することは理解しているつもりです。
このような見方によって救われることがあることもわかりますし、
それを否定するわけではありません。
なので、この記事は、同じように上記の言葉に違和感や抵抗を抱いた人だけ、お付き合いいただければと思います♪
「自己嫌悪するのは自己評価が高いから」
「できなくて落ち込むのは自分のことを“できる”と過大評価してるから。最初から“その程度”と自分をわかっていたら落ち込まない」
という主旨の言葉を今でもたまに聞きます。
そして「自己嫌悪するのは自分を偉いと勘違いしているからだ」ということは、
私の大学院のパワハラ教授がひたすら言って、生徒の傷つきをさらに罵っていました。
そういう教えをする心理の人間が少なからずいることも事実です。
そのことがなくても、私はこの「自己嫌悪するのは自分を過大評価しているから」という解釈にずっと違和感がありました。
そして臨床経験を積む中で、
はっきりと「間違っている」と今は反論できます。
「反論」といっても、「そういう人はいない」と全てのケースを断定することはもちろん不可能です。そのような場合もあるでしょう。
しかし、「自己嫌悪=自己の過大評価」と片付けてしまうのは間違いです。
極めて雑な見方
です。
なおかつ、自己嫌悪に苦しむ人をさらに傷つけて、
その気持ちすら封印させてしまうような害のある見解だと思っています。
自己嫌悪することが多い場合のほとんどは、
できないことが許されなかったから、
休むことや間違うことを良しとされなかったから、
できなかったり休んだり間違ったりすると自分を否定してしまうのだと思います。
「自分はできると過大に見積もっているから」ではありません。
「自分にはできるのかできないのか」という視点じゃなく、
「できないとダメ」「それしかない」という自分に対する許容範囲の狭さが原因であることが多いと私は捉えています。
つまり、「自分に対する不寛容さ」が「自己嫌悪」のもとになっていると思います。
そうであれば、「自己嫌悪するのは自分を過大評価しているから」という見解は、
「自己嫌悪すること自体がおこがましい」という気持ちに繋がり、
もっと「自分に不寛容」になってしまいます。
もっと言えば、そう解釈されてしまうと、もうそれ以上何も言えなくなってしまいます。
「そうじゃない」なんて本人が言ったら「ほら、自分のことをわかってないんだよ」なんて返されてしまうことになりかねません。
だから私は、この雑な解釈を嫌ってしまいます。
「自己嫌悪」という気持ちは苦しいです。
ただ、その気持ち自体は、どこか誠実さを感じます。
「ちゃんとしたい」「望んでいるように振舞いたい」等の真面目さや向上心を感じます。
もし、「自己嫌悪」が多くて苦しいならば、ケアすべきは「自己評価の上下」ではなく、
「自分に対する不寛容さ」を理解して和らげていくことではないかと考えています。
「自分を“できる”と思っているから。“できなくていい”と思えば自己嫌悪しない」という見方に救われることもあると思います。
その場合はもちろん、その見方を大事にされていいと思います。
一方で、「どこか違和感を感じたけど自己弁護するのもためらって」ということであれば、
ちげぇよ!雑なんだよ!!
できない自分が許されない環境だったんだよ!!
という反論を、エールの変わりとして送りたいと思っています!
「親を諦めよう」
これも意図するところは痛いほどわかりますし、
実際にそのように整理した方もいらっしゃることと思います。
繰り返しになりますが、役に立った場合には、私の意見は必要ありませんので、スルーしてくださいね。
「親を諦めよう」「親に何も感じなくなることがゴール」ということに対しての一方的な私の感想です。
誰だって、好きで昔のことを悩んで苦しんでいるわけではありません。
そして、「親」という存在は、諦めるとか諦めないとか、
そういう次元の存在ではないことも多いと思います。
「期待しているから腹が立つのだ」と言うけれど、
期待してなくたって腹が立つことはあるし、
「期待する」ということは「希望をもっている」ことでもあるんです。
なんとか良い方向にいくために「希望を持って」接することが「期待」となることがあります。
それがいけないのでしょうか。。
そんなことはないと思うのです。
そして、「諦める」ということは、何度も何度も期待して裏切られて、という
傷つきの連続によって、ようやく到達する境地でもあります。
フラットなまま、できることではありません。
何よりも「諦める」ことが、必ずしも正解だとは限りません。
傷ついてもストレスを抱えても希望を持ち続けたり、トライし続けたりすることが必要な時期もありますし、
そのような取り組みが誰かにとっての「その人らしさ」であることもあります。
そして何よりも、「親」などの自分の人生への影響を避けられない他者に対して、
負の感情がほとんどなくなることができる状態というのは、かなりの時間が必要だと思っています。
10年後20年後には、今よりも心を邪魔されなくなっているかもしれません。
ただ、そこに至る過程には、自分でも不本意ながらも心をかき乱されてしまうことがあっても当然で、
何もおかしくないと思います。
苦しいですがせめて「もう離れたのになんでこんなに引きずっているんだろう」というような自分を責める方向にはいかないでほしいなと思っています。
きっと、やっと癒せる負の感情や、負の感情が広がった幅だけポジティブな方向へも感情が広がっているのではないかと思います。
ご本人が「親を諦めた」とおっしゃるのはなにもネガティブなことなどありません。
ただ、第三者が軽々しく口にしていい言葉ではないなと自戒をこめて書きました。
「今が大事」
これも、言わんとすることはわかっております。
わかってはいますが、そこをあえて「わからずや」になって反論させていただきます。
「今」は「過去」の連続だ!!
人は瞬間で生きてるんじゃねぇ!!
あ、繰り返しますが、「今を生きよう」という主旨はわかっているつもりです。
そうできる人はそれで素晴らしいと思います。
しかし、
「今」「今」って、
「今」産まれてきたんじゃねぇんだよ!!!!
「今」に至るまでになっっっがい年月があるんですよ!
こっちだって、わかってるんですよ、好きで過去にこだわってるんじゃないんですよ!!
「今」だから、「過去」をやっと癒せることだってあるんだよぉぉおぉおお
何よりも
「終わったこと」じゃねぇんだよぉおぉおぉおおおおお
何が言いたいかって、過去のことで今苦しいことは何も悪くないし、
おかしくもないということであります。
ついでに
「体調は自己管理」も同じ主旨で、私は
大嘘だ
と叫びたいです。
「体調」も「感情」も、自己管理なんてできません。
もちろん、行動はコントロールできないといけないことは多いと思います。
でも、体調不良を未然に防ぐなんてエスパーじゃないんだから不可能です。
できても「軽いうちに気づく」くらいが限度です。
そして「感情」は、いつも勝手気ままなもので、ご本人でも本来はコントロールできません。
感情は自由です。
何が言いたいかというと、自分の体調も感情も、
自分だけで成り立っているわけではないのだと一般の人に叫びたいです。
だから、負の感情がなかなか消えないとしても、その責任を全て本人に向けるのは間違っていると思います。
「健康」だとしたら、それは運が良いだけですからぁあぁああああぁあぁ
あ、以上ですww
いやぁ、ツイッターで流さないただの雑記は気楽だなぁ♪
でもほとんど読まれないの(-_-;)テヘッ
あ、読まれないから気楽なのかw
↓それなのに今これを読んでくださっているあなた様は神様天使様!!!
↑「常連ポイント」を進呈させていただきたい!!
いつも本当にありがとうございますm(__)m
週明けからぐっと寒くなるようですね。
みなさまどうかいつも以上にお体大事にされてください。。
ではでは~~~