今回は闘病の最中でのお話です。
10月から倦怠感や息切れや動悸などの症状に見舞われ、1月からは胃や下腹部の激痛、強烈な倦怠感、高熱が続きました。
でもどれも明確な診断名がつかない状態が続いたことで、
職場を急に休まざるを得なくなったときに説明ができませんでした。
そのときのことから、前から思っていたことをついでに吐き出したいと思います!
「人の悩みを聞く」からって病まない
今回の病気になる前から、ずっと言いたかったことがあります。
それは、
人の悩みをたくさん聞く職業だからって心を病んだりしない!
ということです。
この職に就いていると、「大変ですね」「たくさんの人の悩みを聞くからストレスになりませんか?」というお言葉をもらうことがあります。
加えて、心理士が「病欠」や「体調不良により退職」等となると、
「人の悩みを聞く職業だからメンタルを病んでしまったのだろうか」と
真っ先に職務上のストレスによる体調不良を想像させるようです。
でも、私はこれを否定したい。
なぜなら、それではまるで、クライエントさんの話を聞くことはカウンセラーの心を蝕む、というイメージになってしまうと思うからです。
そんなことは決してない。
クライアントさんからの悩みや苦しみは、聞く側のメンタルを病気にさせるものではありません。そんなネガティブなものではありません。
考え過ぎかもしれませんが「人の悩みをたくさん聞くから病んじゃったんだ…」という見方は、
人の悩みや苦しみに対して「悪いもの」「毒になるもの」みたいな価値観がある気がして、私はすごく嫌なんです…。
そんなことない!人の悩みや苦しみは、悪いものでも誰かを毒するものでもない。
ただ、プライベートで一方的に愚痴を聞いていたりする場合はかなりの負担になると思います。
けれど、心理カウンセリングという構造化された場で扱う場合には、カウンセラーとクライエントが一緒に整理したり消化したりしていく場です。
病むカウンセラー
そうはいっても、私もバーンアウトしたことがありますし、心理士の中にもうつ病などを抱えてしまう方がいることも事実です。
でもそのほとんどは「人の悩みを聞くことが根本的なストレスだったから」ではないと私は考えています。
そうではなく、私のバーンアウトの記事にあったように、
職場の環境因や生活状況(心理士の多くは低賃金&非正規雇用)などが影響したからだと思っています。
ただ、私のバーンアウトの場合のように、どんなに好きで熱意がある仕事でも、業務量が多すぎれば過労しますよね。そういうことは起こり得ます。
けれど、他の仕事で考えれば分かるように、業務量過多で病んでしまった場合、仕事の内容が原因ではありませんよね。
「量」が原因であり、元を辿れば、その組織のマネージメント力の低さが原因と捉えることができると思います。
突然の休職で
熱くなってしまいましたが汗
今回の私の話に戻しますと、私はブログで綴っているように、1月に突然の激痛と発熱で、急に仕事に行けなくなりました。
しかもコロナの影響で、病院を受診しても痛み止めや解熱剤を出されるだけで検査もされずに原因も病名も分からない状態が1ヶ月以上続きました。
その間、職場にも「原因はわかりません…」としか言えなかったわけです…。
職場の受け止め方
そうすると、まさか、というか、やはりなのか、院長や上司が真っ先に疑った病気が
心身症
でしたw
「働きにくいとかある?」「ここ(勤務先)のストレス?」「過労かな」「うち(勤務先)の人間関係で困っている人とかいる?」
と、有り難いことに心配してくださいました。
いやいやいやいやいやいや!!!!
ちがうの~~~!!!!
私の体感としては間違いなく身体疾患なの~!!!!
勤務先が悪いわけじゃ全くないの~!!!!!
もうね、これはなんとかして自分の病が大事な職場や仕事内容のせいじゃないと証明しなければと思いましたし、
でもそうできない現状がやりきれなかったです…。
大声で
職場は大好きであるし、患者さんのカウンセリングをしていることが負のストレスになんて全くなってないし、
冤罪だ!!!(←違うw
と叫びたかったです。
さらにそのときに無念だったのは、叫ぶパワーさえないほどに具合が悪かったという…(泣)
でも、小さい声でもはっきりと「仕事のストレスでは全くありません」とは伝えた。
そして、病名がわかってからは、あちこちに知らせたw
「もらっちゃう」
ついでに思い出した前から私が嫌な見方に、心理カウンセラーのストレスについて
「人の悩みを聞いているとそれをもらっちゃうから、私にはできないの」
等と言う人がたまにいて、内心、イラっときています笑
へー、もらうんだ、ふーん、すごいっすね、エスパー?
これは例えば感受性が強い方が、人の苦しみに深く反応することに対して揶揄しているわけではありません。人の気持ちは「伝染する」という面があるのは事実です。また、「人を病ませる」ものはあります。その代表が「不機嫌」です。
感受性の強い方が苦しむのは、八つ当たりのような「不機嫌」をばらまく人であることが多いと思います。
ここでは単に一般的な「悩み」について「分かった気」になっている場合に対する揶揄です。
基本的にどんな場合も、正確には相手の方の気持ちをそのまま感じているというわけではないと思います。
人の気持ちは、その人自身にしか抱えられないし、他者が誰かの痛みを正確にそのまま感じることは不可能だと思います。
そういうことをよく理解して、その上で、その人の気持ちを最大限想像する営みが「共感」であると考えています。
つまり、何が言いたいかというと、「もらっちゃう」という言葉には「そこまで人の気持ちがわかる」という傲慢さが見え、まるで普通に心理カウンセリングできるこちらを「冷たい」とマウントしてるという状況がまれにあるのですー。
「トイレになってあげる」
また昔のことを思い出したんですけど、
かれこれ15年くらい前に、私がまだ派遣OLをやっていたころ、私自身も当時は不安定だったことがあり、職場でもいろいろとストレスを抱えていました。
そのときに年上の親切な同じ派遣の方に
「愚痴でもなんでも言ってね。私がトイレになってあげる」
と言われたことを覚えています。
「トイレ」という表現が衝撃的で忘れられません。
当時から私はひねくれていたので、その人は好意で言ったくれたことはわかっていながら、
「トイレということは、この人は人の愚痴や悩みを排泄物と同じだと思っているんだ」
と受け止め、以後、一切その人に何も話さなくなりました。
私は今でも、人の悩みや愚痴、苦しみは、「トイレに流しましょう」なんてものでは全くないと思います。
排泄物ではありません。汚いものでもありません。
言いたいことはわかるのですが、悩んで苦しんでいる人には、ご自身の悩みや苦しみは誰かを病ませるものであると考えたり、まして汚いものだなんて思って欲しくないと切実に思います。。
嬉しいことや楽しいことと同じようにとても大切なものです。
ただ、どうして「人の悩みを聞くと病む」という思い込みが生じているのか考えると、不機嫌や悩みを人を傷つけるかたちで出してしまうことに多々出くわしてしまうからなのかなと思います。
確かに「不機嫌は暴力」と知られるようになりましたし、
不機嫌でなくともプライベートで悩みを聞く側のことを考えずに延々と述べて相手を疲労させてしまう場合は、
「出し方が毒」になると思います。
ただ、それと心理カウンセリングは根本的に構造が異なります。
そして何より、「悩みの出し方」の問題であって、
人の苦しみや悩み、愚痴そのものが「害」であるわけではないと思います。
「出し方」に問題があると確かに相手を蝕むことがあります。
けれど、普通に自分の悩みを誰かに話すことは、
聞いた相手を心強くさせたり、逆に励ますことになったり、聞く側の自己開示を促進したり、関係性が深まったり、
様々なポジティブな作用もあると思います。
当時の叫び
話がそれましたが、3月下旬に患者さん方に会って説明できるまで、
わたしがー
急にー
病休したのはー
身体疾患であってー
心身症でも精神疾患でもない
ましてみなさんの話を聞いたストレスでは全くないんです!!!
と叫びたかったですw
今は誤解も解けてよかった。。
↓手間のかかる一押しをしてくださると喜びのあまり手術の傷の痛みが和らぎます!!
↑寝子の愚痴を読んでくださった上にさらに押してくださるですって!?
いつも本当にありがとうございます!!
今回は(も?)、好き勝手に乱文で失礼いたしましたm(__)m
それでも最後までお付き合いくださってありがとうございます!
またブログでお目にかかれることを楽しみにしております。