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心理豆知識

人に頼ることは簡単ではない!? ~助けが必要な人ほど助けを求めることが難しい~

2021年8月7日

 

今回は、「人に頼る・人に助けを求めることの難しさ」についてのお話しです。

 

「困ったら誰かに相談しましょう」

「1人で抱え込まずに相談機関を利用しましょう」

等とアナウンスがなされますよね。

 

私も心理職としてそう言いますし、ブログにも書くことがあります。

 

けれど、実際は「人に頼る」という対処は、

助けが必要な苦しい人ほど難しいのですよね…。

 

人に助けを求めるという行為は、自分が何に困っていてどうしたいか言語化できなくてはならず

加えて相手の心情にも配慮せねばなりません。

そこまでして助けを求めても、返って傷を増やしてしまう結果になってしまうこともある、

とてもリスキーな行動でもあります。

 

今回は「人に頼ることが難しい」ということについての心理を掘り下げたいと思います。

 

この記事は、「“人に頼りましょう”“1人で抱えすぎないようにしましょう”と言われても、なかなかできない…」という自分に対して、

さらに自己否定や自責感を感じてしまう方に向けて書いていきます。

 

「人に頼れないとしても無理もない」というような自己理解に繋がればということを目的としています。

 

助けを求める難しさ

「人に助けを求める」という対処法は、その人だけで成り立つ対処ではないですよね。

さまざまなストレス対処がありますが、

「人に頼る」という対処は、とても有効である反面で危険性も伴い

「他者」が絶対に必要になります。

 

そうであれば、「基本的信頼感の欠如」の記事で触れたように、

もともと「基本的信頼感」を持っていなければ、

他者に容易に頼ることはできませんし、

ご本人の経験としても助けられなかった経験のほうが多く

余計に難しくなります。

 

多くの「助けられなかった」経験と、それによる心の傷の蓄積は、

人に頼ることを難しくすると考えられます。

 

「自傷行為」の記事で触れたように、

苦しい思いを抱えているほど

健康な人が自然にできている「適度に」人を頼るということができません

 

「助けられなかった」経験

助けを求めれば確実に助けてもらえるなら、誰でも求められているでしょう。

 

人を頼れない人は、「頼っていい」「助けを求めましょう」と言われてもできないから苦しい。

できないのは、その人自身にコミュニケーションスキルがないとか、相談できる機関を知らないとか、

そういうことではないと思います。

 

そうではなく、それまで助けてもらえなかったから、1人でがんばるしかなかったから、

そう安易に出来なくなっているのだと思います。

 

それまで生きてきた中で、助けられることがほとんどなかった場合、

「助けを求めていい」と素直に思うことができなくなり

実際に苦しい思いになる関わりを家族などから受けています。

 

もはや特定できない

自然に助けられることがなく、一人で何とかがんばっていると、

許容範囲をこえるほどのストレスを抱えている状態が普通になります。

 

そうなりますと「誰かに頼る」と思っても、

「軽いうちに」「他者が対応できる範囲のうちに」というレベルを超えてしまっています

 

頼るときには、既に許容範囲を超えてしまっていて、

混乱状態であったり衰弱してしまっていたり

本人も「何をどうしていいかわからない」となっているため、

具体的にできず、気持ちの苦しみを言語化すると極端な言葉でしか表現できないこともあります。

 

 

イメージしやすい例として、

「仕事で人間関係は良いんだけど、業務内容が合わない。どうしたらいいか?」

という内容であれば、適度に気持ちも言語化できるでしょうし、相談された側も応じやすいですよね。

 

一方で、

「毎日何時間もサービス残業が当たり前、休日は何もできない。上司からパワハラとも取れる言動を受けているけど、気にしないようにするしかない。業務内容はがんばっているけれど、この前ミスをしてしまった…。もう二度とミスしてはいけないから、もっとちゃんと仕事をしなくては…」

という状態であったら、前者よりストレスは過大であることは明白ですが、

何を誰に頼れば良いのかわからなくなってしまう心理が想像できるかと思います。

 

「他者にわかるように」と考えるとどう話していいのかわからなくなってしまい、結局話さずに、

どんどん負荷がかかりすぎてしまう状態になることは珍しくありません。

 

対人関係の経験の影響

人の思考や感情などはそれまでの経験の影響を大きく受けます。

対人関係の持ち方も、単独で存在するものではないですよね。

むしろ、家庭環境やトラウマティックな体験の影響を最も受けるといっても過言ではありません。

 

「人に頼る」ということも対人関係の一部ですよね。

 

「適度に人に頼る」ことを難しくする要因となる対人関係の経験について、整理したいと思います。

 

上下関係しか経験がない

機能不全家庭に育ったり、犯罪被害に遭うなどの経験の過程で、

心に刻まれた対人関係が「上下関係」しかなかったとしたら、

その後の対人関係も自分を「上か下か」でしか維持できないということがあります。

 

ご本人は、「互いに尊重されていい存在」という経験がありませんので、

他者との関わりのときに「上か下か」という上下関係を自ら生み出してしまったり

不当な扱いを受けても受け入れてしまうといった状態になることがあります。

 

これは、DVやパワハラの加害者にもいえることだと思います。

加害者は対人関係の持ち方が異様で、ある意味では「人に適切に頼ることが出来ない」といえると思います。

さらに、加害者の場合、「強者であることの誇示」は快感を伴い、内面に抱える本題から目を背けさせる効果もあるとされているので、

余計にエスカレートしてしまう傾向があります。

 

一方、被害者になってしまった方が、なかなか被害を訴えられなかったり、

そもそも「被害である」と認識するまでに時間がかかったりすることが珍しくありません。

 

この事象は、「再演」などのトラウマ反応と直結しているケースが多く、過去の対人関係の影響があると考えられます。

 

例えば、家庭環境でもいつも下の立場で八つ当たりされ、ただ耐えるしかなかったら、

「対等に尊重される関係性」など、築けなくて当然です。

下の立場でいることが、その時に生き延びる唯一の対処であったことも少なくありません。

 

注意ポイント

決して忘れてはいけないことは、「加害行為は100%加害者が悪い」ということです。

加害者や被害者の内面については、それが自己理解や感情の整理などの助けになる場合に触れれば良いことで、

決して「被害者側にも落ち度がある」等という主旨では全くございません。

 

同じ意味合いで、「争いが日常」であったなら、

ケンカが耐えない関係性になってしまうなど、

それまでの身近な他者との関係性や育った家庭環境からの慣れの影響を受けます。

 

自分の気持ちへの鈍感さ

「人に頼る」という行動をとるには、まず「自己主張」が必要になりますよね。

これまで述べてきたような環境であったなら、

「自己主張」は認められず、主張すると返って危険な状況になってしまうケースが少なくありません。

 

そのような中で、自分よりも人の顔色を伺うようになり、他者の不機嫌さに敏感で、

その場の空気の悪さや他者の不機嫌さを何とか改善させようと、

率先して不機嫌な誰かの機嫌を取ろうとするようになることが珍しくありません。

 

それ自体は、責められるようなことでは全くなく、むしろそこまで気遣いができるという能力であります。

ただ、他者の不機嫌さや場の空気の悪さばかりに自身のパワーを遣っていると、とても消耗してしまいますよね。

 

そして、このように他者や場の雰囲気に敏感であると、自分のエネルギーのほとんどを他者に向けて消費するため、

自分の内面には鈍感になる傾向があると思います。

 

そのため、実はすごくしんどかったとしても自分のサインには気づきにくかったり軽視してしまったりします。

さらに、自己主張のスキルがあまりないことが重なり、

「人に頼る」という対処が難しくなります。

 

「頼る」ことへの抵抗感

「頼る」という行動をとること自体に抵抗感を持っていることは多いと感じます。

特に精神的なことに対しては、ほかの事に比べて、はるかに強い抵抗感を抱いてしまう傾向があると思います。

 

代表例では、身体疾患であればすぐに病院に「頼れる」のに、

精神疾患や心身症のような症状であると精神科という病院を頼ることに抵抗を感じる、

というのはよく知られている傾向であると思います。

 

このように、「人に頼る」ということそのものに、

罪悪感や申し訳なさ、抵抗感などの否定的な感情を抱いてしまうことは珍しくありません。

そしてそれは、その人個人の問題というよりは、

それまでの環境や日本の文化的な背景も影響し、意外なほどに深く刻まれていることが多いと感じます。

 

罪悪感

「人に頼る」ということに強い罪悪感を抱くことがあります。

「人に頼る」という背後には、

なぜか「甘えだ」「逃げだ」等のネガティブなイメージが付いてまわってしまうことが少なくありません。

 

それは、そういう「学習」を周囲の大人がし続けてしまったのだと思います。

 

そういったメッセージを受け取り続けた結果、

「人に頼ることはよくないことだ」という価値観をご本人が内面化し、

人に頼ることに罪悪感を感じてしまう、

ひいては、自分を大切にすること自体に負い目を感じてしまう心理を生み出すことに繋がっています。

 

自戒もこめて、「大人や世間の手のひら返しってすごいな」って思います。

 

「軽々しく異性と付き合うな。ふしだらだ」と言っておきながら、

ある年齢になると「まだ結婚しないの?みっともない」などと言い出す。

 

「甘えるな。我慢しろ。頑張れ」と言い続けてきたのに、

「病気になる前に人に相談しましょう」とアナウンスし出す…。

 

「逃げたら負けだ」等と「白黒思考」を植えつけておいて、

まるで個人の問題かのように「認知の歪みです」と指摘する…。

 

この世は、真面目に生きていると混乱して付いていけなくて当たり前なのかもしれません。

 

団塊ジュニア世代

特に「団塊の世代」が親である場合、

「甘えるな」「昔はもっと大変だったんだから」等の

「我慢こそ美徳」といった根性論で抑えつけられてしまった団塊ジュニアは本当に多いと日々実感しています。

加えて、40代50代の「団塊ジュニア」は、特別支援教育や精神疾患に関する心理教育が今以上に行き渡っていない時代でした。

さらに「ロスト・ジェネレーション」とされる「就職氷河期」でした。

そのため、「ブラック企業」と言われる劣悪な環境でしか働く場がなかったことなども

「人に頼らず我慢しないと」という価値観がひたすらに強化されてしまう状況下であったと思います。

 

申し訳なさ

罪悪感にも通じますが、存在を尊重される経験が少ないと

「こちらばかりが相談するのは申し訳ない」という気持ちになります。

 

そのため、話すにしても相手にとても気を遣います

 

また、親の不機嫌さに深く傷つく経験が多かった場合では、

「負の感情を出すことは人に嫌な思いをさせてしまう」と心に刻まれて、

自分の悩みを人に言うことができなくなることが少なくありません。

 

八つ当たりの不機嫌な態度と、自身の内面を吐露することは全く別です。

けれど、その区別をできるような関わりをされていなかったことが多く、

「なぜ不機嫌なのかわからない」という混乱ばかりを体験して傷ついてきたことが

「人に悩みを話せない」ことの原因の1つになっていることがあります。

 

ただ、「相談する」ということは迷惑でないどころか、

された側も「頼ってもらえて嬉しい」「私もそういう思いがある」等と聞く人を勇気づけることもあります。

 

それでも、長年「理由の分からない不機嫌さ」を目の当たりにして振り回され、傷ついていた場合には、

人を傷つけてしまうことに敏感になり、

自分のネガティブな気持ちを出すことを自分に許可できなくなってしまうことがあります。

 

極端な頼り方

過去の対人関係を代表とする経験によって、仮に良心的な他者が居たとしても、

ご本人が抱えている苦しみがとても膨大であったなら、上手に出せなくなります。

 

その結果「生きるか死ぬか」のような極端な頼り方になってしまうことが多々あります。

 

「特定の人に依存状態になる」あるいは「限界過ぎても誰にも頼らない」「助けを受け取れない」などの両極端な状態になることがあります。

 

不信感

詳しくは「基本的信頼感」の欠如の記事で説明していますが、

トラウマがあると、自分のことも他人のことも信用できない傾向があります。

 

そのため、「石橋を叩いて壊す」かのように、

人に対する頼り方が「試し行動」のようになり、相手を疲弊させてしまうことがあります。

 

これは、「自分なんて助けられるわけがない」「本当に信用できる人なのだろうか」等といった、

自他に対する不信感が根底にあると見受けられることが多いです。

 

あるいは、極端な言動でしか表現できなかったり、

「分かって欲しい」という気持ちが強く、

なんとか一気に心を満たして安心したいと願う結果である場合もあります。

 

そういった背景により、すごく感情的になってしまったり、試すような行動を繰り返してしまったり、

「自分も相手も苦しくなる頼り方しかできない」ことがあります。

 

二次被害が致命傷になる

苦しい人ほど誰かの助けが必要です。

でも、いくつかの「助け」が差し出されても受け取れないことがあります。

 

その原因の1つに、「全く余力がない」ということがあります。

 

虐待や性犯罪などの犯罪被害はもちろんのこと、そこまでいかなかったとしても、

継続的に苦しい経験を積むと、本当に衰弱します。

戦うどころか、自分を守ることもままならなくなります。

 

そのような状況こそ、本当は誰かからの助けが必要です。

 

けれど、冒頭に述べたように、

「人に助けを求める」という行動は、二次被害を受ける危険性を伴うのです。

 

「普通の人」にとっては「スルーすればいい」「気にしすぎ」で済むような、かすり傷にすらならないことでも、

瀕死の状態の人にとっては、必死な思いで助けを求めて二次被害を受けたら致命傷になりえてしまいます。

 

そのときには「他の人に当たろう」「受け流そう」という余力は残っていない被害者の方も多いのではないかと思います。

 

期待することや希望を持つことは、それが叶わなかったときにダメージになります。

さらに傷つくことを防ぐために、「期待しない」「希望を持たない」ようにして自分を守ることがあります。

 

他者からの助けが、痛みにしかならない時期があります。

 

そのため、苦しいときほど誰かから手が差し伸べられても受け取れなかったり、

助けを求められなかったりします。

 

誰かが悪いということではなく、そういう状態になることはおかしいことではありません。

 

TIC

二次被害の問題は、私たち支援する側の人間は本当に気をつけないといけないと自戒しています。

現在はTICトラウマ・インフォームド・ケア)が広がりつつあります。

TICは「トラウマを念頭においたケア」と訳されます。

ケアに関わるあらゆるスタッフが、「支援対象者にトラウマはないか」という視点を持ちながら関わることで、

二次被害を防ぐことを目的としています。このような対処法の発展によって

二次被害をできるだけ防ぐことができる方向に進んでいる最中です。

 

対処法

ここまで、「人に頼れない心理」について整理しました。

 

でも、「じゃあ、どうしたらいいの?」と考えると、

「どうしたらいいのでしょうね…」となってしまうのも事実です…。

 

ただ、「じゃあどうしたらいいのか?」と「直ちに具体策を出さなければいけない」という強迫観念のような思考は、

時に自己否定の強化や二次加害、場合によっては偏見を生み出してしまうと思います。

 

支援に携わる人間としては、対処法も提案できなければいけないと思います。

けれど、そのことに焦るあまり、返って追い詰めてしまうアドバイスなら、しないほうが良いと

気をつけないといけないなと思っています。

 

…それでも「何か対処法を書かないと」と思って書く私は、立派な「対処法を言わないと!」強迫観念なのかもしれませんが、

カウンセリングも記事も終わり方は大事ですので、「心の持ち方」のような内容ですが以下に対処法をまとめます。

 

相談機関で慣れる

冒頭に「相談しましょう」というアナウンスに対して批判めいたことを書いたばかりなのに恐縮ですが、

専門機関や行政サービスなどの相談機関を利用することは、やはり有用であると思います。

 

相談機関を利用することは主の悩みの解決に限らず、対人関係の練習にもなります。

 

「対等な人間関係」の経験が少なく、どうしても上下関係になってしまったり、

自分の負の感情を表明することに罪悪感や申し訳なさを感じるときは、

「関係性があらかじめはっきりしている対人関係」の場を持ち、

そこで慣らしていくことが有効だと思います。

 

その代表例が「カウンセラーとクライエント」「医師と患者」「行政の福祉職員と要支援者」などであると思います。

 

重要なポイントは、「健全な対人関係」であるという点です。

もちろん、「支援者とクライエント」という関係性の全てが健全であるとは限りません。

しかし、多くは健全に維持される可能性が高いです。

 

それは支援者側には「役割」があるということ、

そして「クライエント」あるいは「要支援者」「患者」という立場が明白になることによって、

ご本人はやっと自分のことを話すことが出来る場合があります。

 

友人関係やパートナー関係のような役割があいまいな「対等な関係」であると、どうしても落ち着かずに、

上下関係になってしまったり、

自分の相談をすることに申し訳なさを強く感じてできなくなってしまいます。

 

けれど、あらかじめ「相談する」という「場の設定」

「医者」「福祉の担当者」などの「関係性が明白」であると、

自分の立場をはっきりできるため、頼ることができることがあります。

 

カウンセリングは通常の対人関係とは異なります。

しかし、カウンセリングも、「対人関係の一部」です。

そこでの体験が他の場面でも反映されるといわれています。

 

ただ、だからこそ、支援者による二次加害には本当に気をつけなければいけないと自戒します。

 

どれだけ「安全な場」を用意できるかが、私たちの課題でもあります。

 

自分を理解する

私のブログの記事をいくつかお読みくださっている方は「またか」と思われるかもしれませんが

(いつもお読みくださってありがとうございます!!大好きです!)

 

知らず知らず、あるいは「分かっていても」過去の苦しい対人関係を繰り返してしまうことが多々ありますが、

それは当然で、やはりご自身を理解することが大切なのではないかと思います。

 

「人に頼る」ことがうまくできないとしたら、

そのような自分をまず「理解する」ことがやはり大事なのではないかと思います。

 

そもそも「人に頼りましょう」という啓蒙は、「あなたがしんどくなり過ぎないために」です。

決して「一人で抱え込み過ぎる自分がダメなんだ」ということではありません

 

ただ、自己否定が強いと、責めているわけではない言葉やフレーズが

「できない自分が悪い」というメッセージのように受け止めてしまうことがあります。

 

そのこと自体も、おかしいことではありません。

 

人は、余力がなくなれば、否定的な方向へ結論付けてしまいます

そういったことも含めて、ご自身の思いや状態を少しでも理解できることが、まずは大事なのではないかと思います。

 

「頼れない」のは人のせい

「自分を理解する」に繋がりますが、人に頼ることができにくい人は、

もともと甘えることや自分の気持ちを表現することを許されなかったことが多いです。

そのため、根本的に自己否定感を全般的に強く抱えています

 

「適度に人に頼れない」ことに関しても、

「自分がダメだからできない」と全て自分のせいだと思ってしまいがちです。

 

けれど、ここまで述べてきたように、そうなったのには自分だけのせいではない背景があります

 

「だからどうにもできない」という意味では決してありません。

 

ただ、自分の何もかもを「自分のせい」と思う必要はないと思います。

「人のせいにしてもどうしようもない」という気持ちになるかもしれません。

でも、自分のせいではないことを「自分のせいだ」と思うことのほうが苦しみを増やしていることがあります。

 

全てではなくとも部分的であっても、

「人のせいは人のせい」とちゃんと理解することは、決して無駄なことではないと思います。

少なくとも、自分で自分を責め続けてしまうことを少しだけでも緩和できるのではないかと思います。

 

同じ状態は続かない

「諸行無常」という「どんなことも同じではいられない。変わっていく」というこの言葉は、

真実であり、苦しい思いをしているときに、少しの支えになることがあります。

 

「人に頼る」ということも、それを直接的に「適度に頼れるには」と考えてしまうと難しいかもしれません。

 

でも、時間の経過ともに自分の気持ちも状態も周囲も変わります。

 

それこそ、「人に頼る」ということは「自分だけ」の問題ではありません。

めぐり合わせもあるので、難しくもあり、ひょんな出会いで救われたりもする不思議な事象でもありますよね。

 

できていること

「人に頼る」「相談する」ことの中には、

SNSでの交流や、ネットを見たり本を読んだりなどの知見に触れることも広い意味では含まれると思います。

 

直接的な人的援助においても、福祉なのか医療なのか家族などの身近な他者なのか、いろいろな種類があると思います。

 

なので実は、他者というコントロールできない側面に対して、

その人なりにご自分に合った資源をちゃんと得ようとされていることがほとんどなのかもしれません。

 

そういった意味でも、「頼れない」と理解することと同時に、

できていることもしっかり拾っていきたいなと思います。

 

 

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いつもいつも本当にありがとうございます!

皆さまに助けられ、頼ることができていて、心から感謝しています。

 

 

私の認知が歪んでいるのかもしれませんが、

「人に頼りましょう」というメッセージは、

場合によっては絶望感すら連れてきてしまうことがなくはないと思っています。

 

なので、「人に頼れなくても大丈夫」と言いたいと個人的には思っています。

けれど、人と関わらずに生きていくことはできないことも事実です。

そして、誰かに迷惑をかけながら、誰かに迷惑をかけられながら生きていくのだと思います。

 

人に頼れても頼れなくても、そのご自身を労い、理解し、大切にしたいと思っています。

 

次回は「人に頼ることは簡単ではない!?寝子編」ということで、

私の頼れなかった体験を書いています。

ご興味があればぜひ!

 

 

連日の暑さで、夏バテが心配です。。

どうか皆さま、心のみならずお身体もお大事になさってくださいませ。

 

 

今回も最後までお読みくださってありがとうございました!

またのお越しをお待ちしております。

 

 

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