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心理雑談

人を追い詰める「ポジティブな白黒思考」 ~「ツライ出来事には意味がある」!?~

 

今日は、人を追い詰める「ポジティブな白黒思考」について、

寝子の考えを述べたいと思います。

 

 

「白黒思考」という捉え方は、

「全か無かの思考」「ゼロか百かの思考」などとも表現され、

『認知の歪み』としてよく取り上げられますよね。

 

「ストレスが多くなる考え方なので変えていきましょう」というときには、

「自分に対するネガティブな思考」が取り上げられます。

 

しかし、「他者を追い詰めるポジティブな白黒思考」もあるのだと声を大にして言いたいという、

寝子のエゴで語っていきたいと思います!

 

 

「白黒思考」とは

「白黒思考」というのは、要するに「決め付け」なのだと私は解釈しています。

「中間」や「グラーデーション」や「余地」がない捉え方を指しているのだと思っています。

 

「決め付けること」と書くと「人を追い詰める」ことが伝わりやすいかなと思います。

 

「白黒思考」

「決め付け」と言い換えたことでネガティブになってしまいますが、

「白黒思考」が必ずしも「不適切な思考」となるわけではないことを付け加えたいと思います。

この記事で取り上げる「他者に対する白黒思考」に対しては懸念があります。

けれど、ご自身の中で例えば

「仕事は決してさぼってはいけない」等の価値観があって、その考えをご自身で選ばれている場合には、

それは「信念」であり、『思考の歪み』と表現してしまうのは不適切になってくると思っています。

この記事では、「第三者が誰かの体験を評価する弊害」を分かりやすくするために

「白黒思考」を「決め付け」と言い換えましたが、

「白黒思考」の全てが悪いわけではないこと、

どのような思考も「選択していい」ということは申し添えておきたいと思います。

 

ネガティブな決め付けも当然ながら不適切で人を傷つけたり追い詰めたりしてしまいます。

 

ただ、ネガティブなものはよく話題になりますし、自他共に気づきやすいものでもあります。

 

「ポジティブな白黒思考」

一方で、「ポジティブな白黒思考」は、発している側は「良かれ」と思って言っていることが多いこともあり、

人を追い詰めていることに気づきにくく、言われた側もモヤモヤしても反論できないことが多く、

目立たない傷が蓄積されてしまうものであると思います。

 

代表的な「ポジティブな白黒思考」を挙げます。

「つらい出来事には意味がある」

「傷ついたから人の気持ちがわかる」

「涙の分だけ優しくなれる」

「終わったことは言っても仕方がない」

「過去よりも前を向こう」

「その出来事があったから今のあなたがある」

etc。。。

 

このような言葉は、時に有効に働くことがあることももちろんあります。

こういった言葉に励まされ癒されることはあると思います。

ですので、全否定する意図ではございません。

 

ただ、私は、ご本人だけが言うことが許されている言葉であり、

他者が安易に口にしていい言葉だとは思っていません。

 

「安易に」がダメなのであって、

関係性や場合によっては、誰かに上記の言葉かけを行うことが適切であることは、もちろんあると思います。

 

その上で、「安易に第三者が本人にポジティブな白黒思考を言う弊害」について書いていきます。

 

「ツライ出来事に意味があった」という言葉を例として取り上げて説明していきます。

 

残酷さ

ご本人が「ツライ出来事に意味があった」と思われることは大事にしていくべき気づきだと思いますし、

その思いに至るまでにさまざまな葛藤や悩みがあったのだろうと思いをはせます。

 

しかし、そう思うか思わないかは、ご本人の自由です。思っても思わなくてもいい。

 

それを第三者が「ツライ出来事には意味があるんだよ」と勝手に決め付けることは、

非常に残酷なことであると思っています。

 

言いたいことはわかります。

 

しかし、第三者が誰かの苦しい体験に対してポジティブ性を見出すのは残酷です。

 

そう言われてしまったら、心に抱えるネガティブな気持ちをもう言えなくなりますし、

「納得しなくてはいけないのだ」と追い詰められた心境になることもあるでしょう。

 

自分が抱えている苦しみや課題に対して、意味を見出すのも見出さないのも自由であり、

それを決められるのは本人だけです。

 

「なんの意味もない」「納得できない」でもいいのです。

 

それを、第三者がわかったように評価することは、本人の気持ちを否定することになる場合があります。

 

雑さ

「ポジティブな白黒思考」には、人の体験や心情に対しての「雑さ」を私は感じてしまいます。

 

仮に「ツライ出来事に意味があった」としても、それだけで済む話ではないと思います。

意味を見出す過程での苦しみや、一部は意味があったかもしれないけれど、失ったことも多かったですとか、

ネガティブな意味しか得られなかったとか、ご本人の体験の中身はもっともっと複雑で、

一言で済ませられることではないと思います。

 

それを第三者が「意味があったんだよ」「それがあったから今のあなたがあるんだよ」と言うのは、

その人の体験を雑に斬って捨てるように感じてしまうことが少なくありません。。。

 

「善意」は否定しにくい

アドバイスするより黙って話を聞くことのほうが大変ですし、

「相手を励ましたい」という善意である場合も多いと思います。

 

先に述べたように、本当に励まされることもありますし、全否定するつもりはないのです。

 

ただ、「ポジティブな白黒思考」は「善意」「一生懸命な返答」だからこその弊害があることも事実だと思います。

 

「善意」って、受け手にとって「傷つき」「迷惑」「不快」であっても

「感謝しないとな」という気持ちにさせます

なので、表面的には「そうですよね。ありがとうございます」等と返していることが実際は少なくないと思います。

場合によっては「素直に感謝できない自分は性格が悪いのだろうか」等と罪悪感すら抱かせてしまうかもしれません。

 

だから、「ポジティブな白黒思考」を押し付けている側は、

自分のやっていることが実は相手を追い詰めていることに

 

 

気づかない

 

 

気づかないまま繰り返してしまうことが多いのではないかと思います。

 

 

巧妙な「攻撃」であることも

今回の記事で注目しているのは、

あくまでも「良かれと思って」という善意をベースにした「ポジティブな白黒思考アドバイス」です。

 

ただ、「ポジティブな白黒思考アドバイス」の中には、

「話を聞きたくない。終わらせたい」といった浅いレベルから、

「巧妙な攻撃」のような嫌がらせに至るまで、ネガティブな気持ちでも用いられることがあります

 

「ポジティブな白黒思考アドバイス」は、

その「ポジティブさ」と「一見すると善意に見える」という特性から、

瞬時にはわかりにくいですが、要するに「相手に対する決めつけ」です。

 

「決めつけ」である以上、相手側に寄り添っているとは言い難いと思います。

 

もちろん、本当に「親身になった結果」であったり「なんとか励ましたくて」といった「善意」であることも先に触れたようにあります。

 

しかし、「攻撃」として発言者が悪者にならないように巧妙に使われることもあります。

 

少し思い悩んでいることを「考えても仕方がない」と言ったり、

過去のことで苦しんでいるのに「過去にこだわらずに前を向こう」等と言ったりすることが頻繁であれば、

その相手とは距離をおいたほうがいいかもしれません。

 

「黙らされているような気がする」ことがあったら、

自分の考えがおかしいと思わずに、そのような人とは離れたいと思います。

 

 

自分に起きたこと、自分が感じて考えたことは、自由です。

 

 

誰かに評価されることではありませんし、

ましてネガティブだろうとポジティブだろうと他者が決めつけることなど本来は不可能なことです。

 

自分の心はそのままでいい

大事なことは、まず「ネガティブな白黒思考」だけでなく「ポジティブな白黒思考」があるということ、

それは「決め付け」であるために、違和感や不快感を抱いてもなんらおかしいことではないということだと思います。

 

「善意」を全て受け入れなくていい

「ポジティブな白黒思考」を発する側へは特にアプローチ法はありませんが、

そう言われて嫌な気持ちがしたとしても、それは当然であるし、

相手が善意であったとしても、こちらが傷ついたのならそれを表明してもいいのだと思います。

 

 

「善意で言ってくれているのかもしれないけれど、そう思えないし、そう言われると今の自分の気持ちを否定された気がする」

 

 

と思っていいことですし、相手に言ってもいいし言わなくてもいいのだと思います。

 

「善意」を向けられると、受け取らなければ「罪悪感」を生じさせることがあります。

誰かからの善意を受け取れずに「罪悪感」を感じたら、

善意を大切にできる人なのだと思います。

 

けれど本来は、善意でもそうでなくても、

他者からの関わりに対してどう対応するかは自由に選択していいのですよね。

 

「悪意」からは離れよう

先ほど述べたように、頻繁に「ポジティブの押し付け」をしてくる人が身近にいたら、

できるだけ距離をとったほうがいいと思います。

 

「善意」であればまだ話し合いの余地があるかもしれませんが、

どこか「攻撃性」を感じるなら、関わらないに越したことはないかもしれません。

 

「悪意」「攻撃性」といっても、この場合は本当に程度の差が大きいと思います。

 

例えば「人の悩みを聞きたくないからポジティブ返しをしている」

「自分と向き合うことを避けているから思考が動かない」ということであったとしても、

発言した人自身も気づいていないことも多々あります。

 

いずれにしても、ご自身の心に深く侵入させないほうがいいのではないかと思います。

 

専門家としての自戒

この記事を書こうと思ったのは、専門家としての自戒です。

 

前から「ポジティブな白黒思考」に対しては同じ考えを持っていました。

 

(そういえば以前に「つらい出来事に対してポジティブ性を見出すことへの抵抗」という記事を書いていました。ネタがかぶってすみません(^_^;)

 

そんな中で、実は最近、プライベートで「ポジティブな白黒思考アドバイス」に不快感を抱くことがあり、

身をもって久しぶりに体験したことで「私は心理士として同じことを患者さんにしてはいないだろうか…」とわが身を振り返っています。

 

人の苦しみに触れたとき、ただネガティブな方向へ向ければいいということではありません。

しかし、ポジティブにリフレーミングすればいいということでもありませんよね。。

 

思考停止しないように気をつけなければいけないと改めて引き締めるきっかけになりました。

 

 

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最近「サバアレルギー」が突然出た寝子です!!

鯖はもう食べられないかもしれません(関係ないw

 

 

今後も気を引き締めて職務にあたりたいと思います!

 

 

今日も最後までお付き合いくださってありがとうございましたm(__)m

 

またのお越しをお待ちしております♪

 

 

 

 

 

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