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性被害サバイバーの1事例 日記

ある性被害サバイバーの話51 ~ストックホルム症候群~

 

今回の「ある性被害サバイバーの話」は、最近の気づきについてです。

 

「ストックホルム症候群」という以前に書いた記事を

最近読んでくださった方々からいくつかご感想をいただきました。

 

それを読んで、私自身が驚くことに気づきました。

 

それは「私自身が今もストックホルム症候群だったのかもしれない」ということです。

 

そのことについて、大学院時代のストックホルム症候群の体験や

幼少期から現在までの原家族についてまで、一気に振り返っています。

 

ちょっと話がまとまっていないかもしれませんが、お付き合いくださると嬉しいです。

 

ストックホルム症候群

ストックホルム症候群とは、ストックホルム症候群の記事に書いてある通り、

「生命の危機がある場合に加害者に対して無意識で好意を抱く」というものです。

 

実際は、「生命の危機」とは本人は感じていない場合にもよく起きている記事でも書いています。

 

ここでは一般論ではなく、私自身の体験を書きたいと思います。

 

大学院の教授に

私自身が「ストックホルム症候群だ」と明白に気づいた過去の出来事は、

大学院でのパワハラ教授に対してでした。

 

教授からパワハラを受けていた最初のころ、

私はその教授を「素晴らしい人だ」「この人がいい」という好意的な気持ちを異常に強く持った時期がありました。

 

その後、彼からのパワハラがエスカレートしていく中で、

「この人はおかしい」と思いましたが、そのころには、もう彼からの嫌がらせは私にはどうにも止められない酷いものになっていました。

 

「この先生はおかしい」と思いながら、

どこか、「私だけ個人攻撃されるのは私がおかしいからで、先生の言っていることが正しいのかもしれない」

「彼の言うとおりにすれば、私は素晴らしい臨床家になれるのかもしれない」

「このままの私では彼の言うとおり“人として腐っている”のかもしれない」

等という気持ちも深くなっていきました。

 

そして何より、大勢の同級生や教員の前で人格攻撃を3時間に渡ってされ続けるというのは、単純に精神的に病んでいってもおかしくはない状況でした。

 

そんなある日、私は

 

「先生に謝りにいこう。“あなたの言うとおりにするからもう止めてほしい”と土下座でもして、今まで従わなかったことを謝って、これからは言うとおりにすることにしよう

 

と思い、その先生の教授室がある階へ、階段を上りました。

 

階段を上って、奥にあるその先生の部屋に歩いていこうとしたときに

 

 

「あ、これはストックホルム症候群だ。行ってはいけない。」

 

 

と気づき、元の道を戻りました。

 

私はこのときの光景を鮮明に覚えています。

 

「知識は人を助ける」と実体験をもって身にしみた出来事でありました。

 

 

その後も教授からのパワハラは止みませんでした。私は正常な精神状態ではないまま大学院をなんとか卒業しました。

 

でも、あのとき、「ストックホルム症候群」だと気づかずに、彼に許しを請いに行ってしまっていたらどうなっていただろう…と考えると恐ろしくて震えます。。。

 

体験からの思い込み

「再演」の記事でも触れていますが、

「ストックホルム症候群」と「再演」は密接な関係があると思います。

 

私自身の体験も、大学院の「ストックホルム症候群」は、入り口は「再演」だと解釈可能であり、

20代前半ころの「再演」も経験しており、私の中での印象は、どちらも強烈でした。

 

なんというか、渦中にいるときは気づかなかったとしても、

振り返ったときには強烈な出来事だったと思うし、当時の感情も常軌を逸していたと理解できる。。

 

だから、私自身が自分を振り返るとき、

「ストックホルム症候群」は「それなりの強い苦しい感情を伴う異常事態」だと思いこんでしまっていたのかもしれません。。

 

性被害に隠れて

私の人生を左右したと私が認識しているものは「性犯罪被害」です。そしてそれは家族外で行われました。

 

20代での再演も大学院でのパワハラも、根本的な原因は私の過去の性犯罪被害が関わっています。

 

私の人生は中学生から「性被害者」としての日々となり、そこからどう立ち直っていくかということが、私の全てになりました。

 

 

…だから、原家族の影響に気づかなかった…

 

 

原家族との今

今の私は、ブログで書いているように健康で日々を過ごせています。

 

ただその中で、「実家の父親の面倒を見に行くことが嫌過ぎてできない」と書き始めたのが去年。

 

それまでは嫌でしたけど、

「月1くらいで大量のおかずを作り、片道2時間の道のりをその重いおかずを抱えて、実家に行き、行けば掃除や洗濯をし、父親の話し相手になって、帰ってくる」

ということが日常の一部になっていました。

 

それが去年、ワクチン後遺症になったことをきっかけにできなくなった。

 

そして今、回復し、

 

「いつ行こうか…」「父は夏に弱いから熱中症にならないだろうか…」「掃除を半年以上もしに行ってないので、行くとしたら相当な覚悟でいかないと」等と

 

ここ最近は毎日グルグルと嫌な気持ちになっていました。

 

1人ではできない父

父は、以前に記事にしたように、明らかなASDであると思います。

発達障害にも程度があり、全ての人が同じではありません。

 

父の場合、若いときから掃除などが全くできなかった人でした。

 

だから、父1人になった家は本当に信じられないほど汚いのです。

加えて、どうしたらそんなに汚せるのかというくらいに食べカスなどで汚します。

 

実家の掃除は重労働

月に1回、私が元気なときに帰っていたときでさえ、

私は掃除用の手袋とマスクをしていないと、じんましんやかぶれが出てしまうほど、汚い状態でした。

 

今の暑い時期など、ドブの臭いがします。

ハエや蛆虫がたくさん湧いている台所や、便がこびりついているトイレなどを私が掃除していました。

 

それがもう半年以上掃除をしていないのです。

だからこそ心配でもあったし、

「行くなら私自身もその不潔さに耐えられる免疫力をつけていないと」等と考えては、

答えがでない日々でした。

 

自分でできないのなら、ヘルパーさんやシルバー清掃に頼むなど策はあるのに、

決して外部機関を頼らないのも父のような人の特徴ですよね。

 

読者の方からの気づき

そんな風に頭を悩まされていたところ、

数日前、「ストックホルム症候群」の記事を読んでくださった方から感想をいただき、それを何気なく読んでいたら、ふと

 

 

「あれ?」

 

 

と思い

 

 

「私の父親に対する気持ちはストックホルム症候群なのかもしれない」

 

 

と、本当にふっと思いました。

 

 

そんなこと、考えたこともなかった。。

 

 

なぜなら、私は彼らを嫌いだからです。

先ほど触れた大学院の「ストックホルム症候群」の体験もあり、

強烈な感情ではない父親に対するぬるい気持ちが、まさかストックホルム症候群だとは思ったこともなかった…。

 

でも、そう思いついてから、考えれば考えるほど、納得していきました。

 

原家族での私の立場

「父へのストックホルム症候群かも…」と考えると、自然に幼少期のころまで遡っていきました。

 

幼少期から成人まで

「父は外国籍で差別を受け、実母も幼少期に自死し、実父はだらしなく、

父自身も(当時は時代的にスルーされたけれど)発達障害という生きづらさを抱えて」

 

と私は思い、

 

「母や兄に、その不器用さを責められて可哀想だ」と今でも思い続けていました。

 

幼少期は父のことを「母に悪口を言われて可哀想」、

 

大人になってからは「兄に偉そうに説教されて責められて可哀想

 

と思っていました。

 

 

母と兄は絆を深め、母と兄はいつも「正しい」主張をし、

いっつも「私たちは正しい」という一点の曇りのない態度で本気で「自分たち2人は正しい」と思っている人たちでした。

 

その中で、自分勝手な行動しかできない父と、同じく精神疾患を抱えて日々息するだけで精一杯のような私は、

彼らから見下され、非難されていた。

 

同時に、母と兄には父の不可解な行動が理解できなかった

理解できないからこそ、自分基準に考えて「できるはずなのにしない!」と怒りまくっていたのだと思います。

 

私は父が理解できた

 

母や兄のように「普通に」日々を営めることは確かに“正しく”、偉いのかもしれない。言い返すことなどできない。

 

でも、父が器用に生きられないことは、父が選んだことではない。仕方がないことなのに…、と。

 

そして実際に、父と私は比較的ペースが合い、父は兄よりも私を好きだということは明白になっていました。

 

母が兄を溺愛することと反比例するように、

父は兄を嫌い、兄は父を嫌い、父と私は弱い者同士、少しだけは分かり合っているような状態だと思っていました。

 

実際は

しかし、この心情こそがストックホルム症候群だったのかもしれないと思い至りました。

 

性被害に隠れていましたが、私は原家族の中で一番下で権力が最もなく、弱い立場でした。

 

そしてあの家庭に私の居場所がなかったのは事実です。

 

居場所がなかった私が、なんとか居場所を持てるように、家の一番の権力者である父に好意をもった。

 

父は、兄が大きくなってから確かに責められたりしていましたが、そうはいっても父は家庭の中で絶対的な権力者であったことは間違いないのです。

 

兄は今でも、「父親に好かれたい」という呪いをもっていると感じます。反発しても子どもは親に好かれたいものですよね…。

 

父は、「可哀想な人」なんかではなかった

 

なぜなら、高度成長の時代に、給料を全て管理し、母親には最低限の生活費しか渡さなかった。

 

機嫌の波が激しく、いつも彼の機嫌を皆が伺う日々で、

気に入らないことがあれば何日も無視し、不機嫌さを撒き散らし、普通の会話がまともにできなかった。

 

ギャンブル依存のため、お金に汚く、家庭に必要なものも滅多に買ってはくれなかった。

 

経済的な部分を握っているという時点で、圧倒的な強者であり、

「不機嫌」というモラハラで支配するという加害者は、父親です。

 

てんかんや国籍の問題で出世ができなかったかもしれないが、それで免罪されることではありません。

 

私は、感情的な憎しみは母と兄に対してのほうが強いです。

その原因は、母は私を好いてくれなかったことに対し、父は私を多少は好いてくれたためでしょう。

 

でも、この家庭の諸悪の根源は父と母の両親であります。

そして、どちらが先の加害者かといえば、それは明らかに父親なのです。

 

母が亡くなってから

母が亡くなってから10年以上が経ちました。

それぞれが別居し、まるでほとんど自立できたかのように感じていました。

 

でも、先日「父への気持ちはストックホルム症候群では」と気づいてから、

私は今でも、原家族の機嫌を取ろうとしていたこと、

私は今でもあの家族に居場所を得ようと努力していたことに気づきました。

 

母が居たとき

母が生きていたとき、私のことを「寝子は女の子なのに何もしないの。でもお兄ちゃんはなんでもしてくれるのよ!」と兄自慢を周囲にしていました。

 

母は私が手伝ったことはなかったことにするし、

母が居るときに彼女がいつも望んでいることをすれば文句を言ってくるという“あるある”な状態でした。

 

だから、私には「役割」がなかったのです。

その家庭に居てもいいと思ってもらえる役割を果たそうとしても、何をしてもしなくても母に否定されるので、

「役割がなくてタダ飯くらってる人」でしかなかった。

 

母が亡くなって

母が亡くなって、もともと兄こそ家事は何もしないのです。

兄は「母のサポート」「母と共に過ごす」だけですから。

 

そこで、私は役割ができた

 

もう否定してくる人はいない。

 

家事をすれば、それなりにストレートに父と兄は感謝してくれました。

 

今も

月に1回、まさに家事的な役割を父に対してこなすことで、

私は原家族に認められたいという無意識の欲求を満たしていたのかもしれません。

 

そしてそれはフラットな心理状態ではこなせないので、父に対するストックホルム症候群が続いていた。

 

さらに、そうやって父の面倒を見に行き続けることで、私は兄の機嫌まで取っていたのです。

 

大嫌いな兄、家族成員の中で最も苦手で傷つけられ、彼の機嫌に怯えていた。。

 

その兄に対し、今でも私はご機嫌をとっていたことに気づきました。

 

そして、今でも私はあの家族の中に居場所を見つけようとしていたのだと愕然としました…。

 

無意識は怖い

無意識は本当に怖い。。

 

自分でも驚きました。

 

父の面倒を見るのは、父への少ないけれども純粋な心配と、罪悪感の軽減のためだと思っていました。

 

でも深層心理ではそうではなかった。

 

 

気づいた今、はっきりと言えることは、もうあの家族に居場所はいりません。

 

 

私は今でも、母に愛されたいと思っているのだろうと思います。

兄ほどではなくとも、せめてもう少し好かれたかった…。

それを今でも諦められていないことは前から気づいていました。

 

でももう、そんなことなら、私が私自身を好いてあげたいと初めて思いました。

 

(よく、「自分で自分を好きに」と言いますが、私は気持ち悪いと思うので、思ったことがなかったのです)

 

父が頭から消えた

無意識」は「意識化」が重要です。

「意識化」することそれだけに治療効果があります。

 

でも、実際は「無意識」って証明のしようがないから本当かどうかわからないじゃないですか?

 

でも、正しく意識化できた場合には、ご本人だけにわかる腑に落ちた感とか楽になった感覚とかが感じられるんですよね。

 

それで、今回の私の気づきなんですけど、

 

「まさか、父に対してストックホルム?」

 

と気づいた日から今日まで、

 

あんなに「いつ行こう?」「この暑さで食べ残しが腐って虫がすごいだろうな…」等と

「父の面倒を見に実家に行かなくては」とグルグルしていたものが、

 

 

消えたのです!!!

 

 

もちろん、多少は頭に浮かびます。

でも浮かんでもそれまでの追い詰められるような感情は伴わなくなったこと、浮かぶ頻度も明らかに減りました。

 

 

だから、「ストックホルム症候群」だったんだろうなとしみじみかみ締めています。。

 

 

 

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自分のことはあまりに気づいていないのだと実感し、正直なところ、情けないなぁと思う気持ちもあるのですが、

でも、心理士だからって自分の全てに気づいているわけではないですからね。

 

なんていうか、クライエントさんにも「早めに気づきましょう」というより、

ゆっくりでいいし、知らなかったこと、気づいていなかったことがあっても「遅かった」と思うことはないかもしれない。。

というスタンスの方が私には合っているかもしれないなーと思ったりした最近の衝撃的な気づきでしたw

 

 

最後までお付き合いくださってありがとうございました!

 

 

今後も見守ってくださると嬉しいですm(__)m

 

本当に暑いので、体調大事にされてくださいね。。

 

 

 

 

 

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