こんにちは~。
今日は、気楽に寝子の「心理学的知見」についてのまとめを綴りたいと思います♪
軽く歴史を振り返りながら、心理療法についての心理士目線で書いていくので、
一般の方にはあまりおもしろくないかと思いますが、
それでも気が向いたらお付き合いくださると嬉しいです(*^_^*)
目次
精神疾患の治療法
精神疾患の治療法というのは、長い歴史の中で膨大な研究と試みとを繰り返して発展し続けています。
その歴史の中で、医師など精神疾患界隈が「答えが出た!」と最も歓喜した時代が1990年代だったのではないかと思います。
その時代は、画期的な薬が開発され、見事に症状が軽減したかのように見えたようです。
加えて、それまで「お金を生まない科」であった精神科に、
薬の使用と開発が生まれたことで「製薬会社」とタッグを組めるようになり、
「お金」を生み出すことが可能になりました。
その時代は、精神疾患を「脳の病気」とし、SSRIなどの現在も使用されている脳内物質をコントロールする薬の開発が盛んになった時代でした。
私でも、当時の「SSRIという新薬が誕生した!!」という浮き足立った雰囲気を感じたものです(当時は私は患者側でした)
しかし、結果として薬物療法は一部分の効果に過ぎないことが現在は周知の通りだと思います。
ちなみに、そういった歴史からの反省もあり、精神疾患を「脳の病気」とは精神医学の世界ではいいません。
(たまにバズりが目的なのか、「精神疾患は脳の病気です」とツイートされている医師を見ることがあるような気がしますが、
精神医学の世界ではそのような表現は一般的にはなっていません)
私も精神疾患や心身症を「脳の病気」ということに反対です。
「脳の病気」としたいのは、そう考えられる方自身が、精神疾患に偏見があるのだと思います。
もちろん、世間の偏見は根深いため、「脳の病気」としたらその偏見が軽減されるというのもわかります。
けれども、精神疾患や心身症は、心を、精神的な課題を扱わなくてはいけない病です。
偏見は、本来であれば偏見自体を問題とすべきです。
精神疾患や心身症は、心の状態を気持ちを感情を、大事に主題に置きつづけるべきです。
そのために、脳梗塞などの「脳の病気」とは区別が必要だと考えています。
脳の機能
医学も科学も心理学も、「なんとか科学にしたい」「答えが欲しい」と懸命に研究し続けています。
その中で、「トラウマ反応」として明らかになっている「脳状態」があります。
「トラウマ的な刺激にさらされると扁桃体(情動)が活性化され、
言語野が停止状態になり、
前頭前皮質の機能が著しく低下する」
ことが明らかになっています。
過覚醒になったり感情的になったりしてしまい、
出来事が過去に起きたことだという時間感覚が損なわれてしまっているために、
いつまでも終わりの無い苦しみのように感じてしまいます。
別のパターンでは、
「扁桃体も含めた全ての脳機能が著しく低下する」ことで、
麻痺状態になり、無感覚になり、「離人症」を引き起こします。
単発の出来事ではない幼少期にトラウマを受けた場合には、
とりわけ「情動と思考とを統合する領域や身体感覚を伝える領域が不活性化されている」ことで、
「自分が自分の行動や感情、ひいては自分の人生を取り仕切っている」という感覚そのものが阻害されてしまったまま生き抜いた
ということが概ね認められています。
状態像
先ほどの脳の状態を簡単にいうと、
トラウマ的な刺激にさらされると、
「情動が異常に活性化され、言葉で説明したり考えたりする領域が停止する」ということ、
さらにそれが幼少期からの慢性的なものであると、
「感じた感覚が何であるかを認識しないように脳の一部が機能停止することを学ぶことで、その後も生き抜く」ということになります。
これは「解離」と呼ばれる状態と同じです。
扁桃体(情動)の活性化
まず、境界性パーソナリティ障害とされるような「情緒的な浮き沈みの激しさ」は、
「扁桃体(情動)の活性化」というトラウマによる脳機能によって説明が可能になりました。
注目すべきは、感情的な部分が活性化されることと同時に「言語野」が非活性になるということです。
まさに「言葉では言い表せない」状態であり、だからこそ、
感情に乗っ取られてしまうと通常なら考えられないような罵詈雑言が発せられてしまいます。
どんな言葉も足りないと感じますし、
それを冷静に評価してアウトプットする機能が停止状態なのですから、
まさにご本人も「コントロールができない」となると説明されています。
仕事はできることも
トラウマを抱え、PTSDの症状があっても、仕事はそれなりにできているということがあります。
むしろ「仕事をしているときは嫌なことを思い出さずに集中できる」状態になることがあります。
これは、嫌な記憶を思い出す部位を含んだ大脳辺縁系が意欲や集中力など多機能を担っているために、
仕事という他のことに使用していると安定していられるということが起こります。
けれども、「仕事ができているから大丈夫」というわけではなく、
リラックスすることは難しく、
仕事以外のプライベートでは症状に悩まされたり対人関係で苦労したり、
仕事でどれほど成功しても自信をもてないなど、苦しみを抱えてしまいます。
脳の機能停止
後述の、
「慢性的なものであると、感じた感覚が何であるかを認識しないように脳の一部が機能停止することを学ぶことで、その後も生き抜く」という「解離」は、
「恐怖からの分断」と考えられています。
トラウマを生じさせたときの感覚を1つで示すなら、それは「恐怖」となるのかもしれません。
「恐怖を分離することで感じないようにし生き抜いた」心身の生命力には本当に敬服します。
ただ、「トラウマ」として人生に痕跡を残し続けてしまうことが治療の的になります。
「恐怖」を感じる脳領域は「喜びや安らぎ」などの感覚と同じ部位です。
そのため、「恐怖」を分離することは同時に「喜び」などの生き生きとした感覚も感じなくさせます。
そして、「自分は何を感じどうしたいのか」という「意識的に統合する」領域が不活性であることは
「私とは」ということがわからないまま漂っているような状態になってしまいます。
「解離」とはまさに、脳領域が連携できずにそれぞれがバラバラであることで生じるようです。
対処法
では、どうしたらいいのか。
心理療法は基本的に「結果論」でエビデンスを出しています。
ただ、「有効である」とある程度は証明されている療法が「なぜ効いたのか」というメカニズムを脳機能の観点から考えると、
その答えは
「停止している機能を活性化させ、異常に活性化している領域は落ち着かせる」
ということになるのだと考えられます。
身体アプローチ
ソマティック・エクスペリエンシングなど
身体アプローチの科学的基礎になった理論が「ポリヴェーガル理論」です。
「身体アプローチ療法」では、従来の「語らせることがカタルシスを生む」というやり方に警鐘をかなり鳴らしています。
なぜなら「言葉では言い表せない体験であり、トラウマの中核は“出来事”ではなく“身体感覚”であるから」です。
過去の出来事を語らせること、過去を思い出させることを強いることは「トラウマの追体験」になってしまい、
「悪化させる」とかなり否定されています。
そして、「脳の領域はそれぞれ別にトラウマを記憶する」ために、
言語的な記憶領域を扱っても治療効果は低いこと、
また「過去にアクセスすることよりも現在に居続けるように助けなければならない」と強調しています。
トラウマを抱えている人は、過去には簡単にアクセスできます。トリガーされることを考えればその通りですよね。
一方で、前頭葉の機能低下などによって「今ここにいる」という感覚が乏しくなっていることこそが治療の目標なのだと繰り返しています。
「語ること」の効果
一方で、私は「神経生物学的パーツアプローチ」を含む「身体アプローチ療法」を学ぶほどに、
逆説的に「語らせる」ことで「効果」があがる脳科学的メカニズムが理解できるようになったのです。
ポリヴェーガル理論でも、「人と支持的に話すこと」の重要性はこの理論の主軸です。
学派を問わず、昔から「語ること」で心の傷は癒えると考えられてきました。
しかし、それが無効どころか有害である場合もあることが最近では明らかになっています。
けれども、やはり「ゼロか百か」ではなく、「語ること」の癒しの効果は一定程度認められてもいます。
それは、「言葉がなかった状態」に「言葉を見つける」ことができることで、
「孤立した秘密」ではなくなり、
言葉によって腑に落ちる「実感」が湧いてくることが可能になります。
「得体の知れない内面への恐怖」が「認識できる自己感覚」に変容することができることがあります。
そしてそれを支持的に話せる他者が居ることは、大脳辺縁系が活性化されて生理反応が変化するとされています。
ただし、「人に聞かせる物語」を司る脳領域と「今の自己認識を身体感覚に根ざして感じ取る」領域は異なるため、
人に聞かせる物語と内部感覚が一致したときに初めてトラウマは統合されて癒されると指摘されています。
難しい言い回しになってしまいましたが、
トラウマを抱える人は「話しても全然気持ちが楽にならない」「嫌なことを思い出しただけで不快だった」という体験と、
「話したら少しスッキリした」「言葉が腑に落ちた」という両方の体験をしている場合がほとんどではないかと思います。
その差は、言葉が上滑りしていたのか、言葉に感覚が適切に伴っていたかどうかです。
効果を分ける最大のポイントは「安心感の程度」だとされています。
認知行動療法
私は、他の記事でも述べているように「認知行動療法」を支持していません。
けれど、トラウマに特化したPEやSTARなどの認知行動療法を考えたとき、
「改めて語ることができれば、機能停止していた領域が活性化され、活性化されすぎていた領域の調整が可能になることで、
症状の軽減と人生の広がりがもたらされる」
と逆説的にいえるのだと考えるに至りました。
そして、自分の感情や行動を「俯瞰的に」観察するというトレーニングは、
まさにトラウマで不活性化された前頭前皮質を活性化させることになります。
「身体アプローチ療法」や「ポリヴェーガル理論」に対する学びを深めるにつれて、
それらが否定している「認知行動療法」への理解が逆に深まったところがありました。
問題は「そもそも語ることができないケースが多く、その場合に言語化を主軸におくとリスクが高すぎる」ということ、
言語化できているとしても「今に居る」のではなく
「過去に居る」状態で話しているだけであるなら追体験でしかないというリスクを「身体アプローチ療法」側は述べているのだと思います。
選べるようになること
目指すべき状態は
「機能停止状態の脳領域を動かし、活性化され過ぎている脳領域を落ち着かせる」
ことだといえるなら、
大事なことは心理士側がクライエントによってアプローチ法を選べるようになることと、
タイトレーション(定滴)をちゃんとすることであるという姿勢をしっかり持つことができるようになりました。
タイトレーション
タイトレーション(定滴)とは、もともとはソマティック・エクスペリエンシングが最初に用いたのかなぁ(?)と思いますが、
古くは行動療法の「不安階層表」からの曝露と理屈は同じ(内容が異なる)だと思われます。
トラウマの感覚に圧倒されずに、その時に受け止め可能な範囲にとどめるために、一滴づつ慎重に、
不安や恐怖などの感情・身体感覚を感じられるようにしていくことを意味します。
マインドフルネス
最近ようやく「マインドフルネス」という状態がどういう状態なのか、理解ができるようになりました。
そして思うのは、「マインドフルネス」と称していなくても「マインドフルネス状態」になっていたら、
治療効果が起きるのだという考えに今は至っています。
逆に、「マインドフルネス」と称していても、
実際には「マインドフル」になれていない状態は現実には非常に多く、
その場合は「できていない」のも分からないために放置されてしまうこともあるのではないかと思っています。
神経生物学的パーツアプローチの「マインドフルネス」はもちろんですが、
認知行動療法や精神分析、従来の「語らせることによるカタルシス」が効果を持ったとき、
それは「マインドフルネス」状態でできていたからなのではないかと私は考えています。
つまり、「過去に居るまま」話していたのではなく、それは理屈ではなく“幸運にも” 「今ここ」に居ながら、
言語化しながら感情や身体感覚を解放できたから、治療効果が出たのではないかなと最近は考えるようになっています。
これは、例えば「担当しているカウンセラーをすごく信頼している」としたら、
「ここは過去と別の場所」と理屈ではなく感じられるでしょうし、
温かい関心を向けている他者がいることがトラウマの出来事を話しているときに同時に感じられ、
安心と安全を感じながら過去の感情を感じきることができると思います。
しかし、このようなパターンはあるとはいえ、そんなに簡単なものではないのがトラウマの傷であるから、
“意図的に”マインドフルにするスキルが私たち心理士には必要なのだと思います。
「自分の内面を一歩引いたイメージで俯瞰的に観察する」
これがマインドフルネスですが、このときに活性化するのが「前頭前皮質」です。
脳機能の観点からトラウマを考えると、要するに
「前頭前皮質を活性化するといいんだね!」
というまとめになります。
臨床をしていると、本当に人それぞれ合う対処法は異なるし、同じ人でも複数の療法が必要なことがほとんどです。
だから、できる限りあらゆる療法を勉強し、全ての療法に精通するのは不可能だからこそ、
私はそのエッセンスを取り入れて、どんなケースにも対応していきたいと思っています。
あ、ちなみに「ヨガ」などが有効といわれるのも、
「“今”に集中する」という能力を活性化できるからだと思われます。
トラウマを抱えた人は「今」に集中することが難しいので、
「“今”」の体の動きや呼吸に注意を向けることで不活性化されていた部分が活性化されるようです。
↓新年の抱負を語ってみました!
今年は病気することなく勉強し続けたいと思っています。
↑みなさま、あけましておめでとうございます!!(遅いw
今年もどうぞよろしくお願いいたします!!
寒い日が続いていますが、日が少しずつ長くなってきていますね♪
温かくしてお過ごしください(*^_^*)
またのお越しをお待ちしております!