季節が変わり、花粉症や寒暖差に悩まされながら、少しずつ気候は安定してきているのかなという日々ですが、
みなさまはいかがお過ごしでしょうか?
そんな中、最近、仕事で患者さん方の話を聞いていて、ふと
「悔しい」って思うって、
意外と意義深いな
って思ったんです(唐突w
通常、感情の話だと、「怒り」や「悲しみ」がメインで語られがちで、
「悔しい」って「怒り」のカテゴリーになんとなく入っているだけで、そんなに注目されてないなと気づきました。
確かに、悔しいって怒りに含まれるとは思います。
でも、厳密には「悔しさ」特有の味があると思い、
今日は「悔しさ」の意義について、整理していきたいと思います。
目次
「悔しい」という気持ち
そもそも「悔しい」っていうのは、
「負けず嫌い」のような勝気で競争心が強く、自信がある人が、自分の目標を達成できなかったときに感じる感情というイメージがありました。
だから、私のようなひねくれた人間は、「悔しい」って人に言ったら、
「あんた、できると思ってたの?」とかって思われそうで、口には出せない感じがあったんです。
トラウマと「悔しさ」
私のブログを読んでくださっている方々のほとんどは、
複雑性PTSDであったり、なんらかのトラウマ的体験を抱えていると思います。
トラウマが複雑で深い場合、一般にイメージする「負けて悔しい!」というような
シンプルな「悔しさ」は感じにくいと思っています。
「悔しさ」だけではなく「自分が率直に感じたこと」については、基本的に開かれていないのが複雑性PTSDですよね。
そのため、複雑性トラウマに関わる「悔しさ」は、もっと複雑で、
自分が本当に達成したかったことではないことも多く、
自己否定の思考のグルグルの行先に
「なんでできなかったのか」「もっと早く抜け出せばよかった」というような自責感や恥、無力感を連れてくるもののように感じています。
シンプルな「悔しさ」の意味
そんなことも振り返っていたら、トラウマに苦しむクライエントさんたちも、
以前は「悔しい」という気持ちはほとんど表していなかったことに気づきました。
それよりも強く圧倒される他の感覚や感情、状態に苦しんでいることが多い。
その前提があると、「悔しい」と思い、
しかも言葉にできるようになったことはすごいことなんじゃないかって注目したくなったんです。
それで、「意外と悔しいって意義深いんだ」と「悔しいと感じられるすばらしさ」を強調したくなりました。
向き合い方の変化
まず、「悔しい」と感じられたということは、その事柄に関して
「穏便に終われさえすればい」という状態ではなくなったということです。
これは、悔しいと感じた事柄自体にとどまらず、対人関係にも派生していると考えられます。
それは、どんなことも、「悔しい」と感じる以上、直接的でも間接的でも他人が関係しているはずだからです。
ほとんどのトラウマは、二次加害も含めて、対人が心の傷に関わっています。
そのため、トラウマが深いほど、人は怖いし、対人関係は不安や警戒心が伴うため、
人に関わらなくなったり、関わっても「とにかく無事に終わればいい」と思いがちになることがあります。
それが変わってきたということが「悔しい」に表れてる。
自分で自分の価値を感じられている
「悔しい」からには、何かの結果や評価や現状に対して
「不満足」「不当」だと感じられているということです。
これは、何であれ、自身の行いはそれなりに価値があると思うことができているということ、
さらに、ご自身なりに努力したことを認識できているから「悔しい」と思えるのだと感じます。
トラウマがあると、自分の行いの評価は全て他人がするものだと思い込んでいる場合が少なくなくありません。
そのような状態から「悔しい」と思えたなら、
自分で自分自身を認め、それが社会的にどの程度評価されるべきか測ることができているということです。
独りよがりでも他人軸でもない、自他のバランスが取れている状態といえるように思います。
大事なことを明白に持てている
「悔しさ」を感じることは、自分が大事にしていることや信念があるからこそです。
先に「トラウマがあると基本的に自分の率直な感覚に開かれていない」と書きましたが、
もっと厳密にいえば、ご自身の率直な感覚は隠しきれないので、なんらかの形では表れています。
「なんらかの形」がいわゆる「症状」のことも多いと思います。
一方、「悔しさ」というのは、さらに健康的でご自身の感覚をストレートに感じられるようになった証ではないでしょうか。
人が「悔しさ」を感じるとき、どうでもいいことではないことがほとんどです。
大事にしているからこそ、信念があるからこそ、がんばったからこそ、起きる反応だと思います。
だから、「悔しい」と感じたら、
「それだけその事柄を大事にしているんだ」「真剣に取り組んだんだ」
と自負してほしいなと思います。
手に入れられる位置にいるということ
「人は自分と近いこととしか比べない」といいますよね。
「お金がない」からといって、アラブの石油王とは比較しないという話が有名です。
同じように、「悔しい」と感じたら、それは手に入る範囲にいるといえると思います。
だからこそ、「悔しい」のですよね。
基本的な対人欲求と自分のペース
ご自身独自で大事にしている事柄に対する思いから、
もう少し、人の反応を広げると、
誰にでも「人と仲良くしたい」「誰かの役に立ちたい」「認めてほしい」という
生きる上でなくすことのできない基本的な思いがあります。
もし、ご自身が感じた「悔しさ」がこういった基本的な思いにつながっているなら、
それは人として当然に抱く反応であります。
一方で、過去のトラウマも含めて、人との関わりの程度や、日々の過ごし方などは、
その人それぞれで合う刺激の量や中身は異なります。
その中で、ときには自分とは反対の特性を「うらやましい」と思うことがあります。
例えば、あまり人と関わることは好きではない人が、知人が多くの人と自然に交流しているのを見たときなどが典型的な例です。
そんなときにもし「悔しさ」に似た感情を抱いたら、
「自分は人として普通の欲求があるんだ」と気づきつつ、
「ただ、私にはそれが多すぎるとツライから自分なりのペースでやっている」と、
ご自身の複数の思いにそれぞれ理解を示してあげられると、
ご自身を適切に理解することができるので、心に余力が生まれるように思います。
パワーに変えられている
「悔しい」という思いにはパワーがあります。
もちろん「悔しい」と同時に「悲しく落ち込む」というような抑うつ的なダウンを伴うこともあると思います。
けれど、「悔しさ」を少なからず感じたら「悲しく落ち込んだ」としても、
「悔しさ」もご自身の中から追いやらずに、気づき続けてほしいなと思います。
これは、自分のために動く大切なパワーになりますし、
ご自身にとっての信念の現れ、
「得たい!」という希望でもあると思うからです。
「怒り」と同様、「悔しさ」は感じるご自身は不快ですし、社会的にもあまり良い受け取られ方はしない傾向があります。
けれど、トラウマが深い人には特に、
大切で回復の証で、今後の方向性を示してくれることもある、
とても大事な感情のように思います。
↓「悔しさ」は味方だ!!
↑久しぶりに心理っぽいこと書いたw
ご自身の中にあるさまざまな感情や考えなどを
誰も取り残さずに見つけていけたらと思います。
今日も最後までお付き合いくださってありがとうございました!
またのお越しをお待ちしております(*^_^*)