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家族 性被害サバイバーの1事例 日記

ある性被害サバイバーの話47 ~原家族との今~

 

私の個人的な話なので、「ある性被害サバイバーの話」にしましたが、

「まさに今!」の話になります。

 

「ワクチン後遺症」になり、

真っ先に考えたことが「原家族に“もう会えません宣言“しようかな」ということでした。

 

今回はそのことを書きたいと思います。

 

原家族との関係性

母は亡くなり、その後はそれぞれ別々に暮らしています。

表面上は「大人の付き合い」で、父も兄も私も家族関係を継続しています。

 

父は、母がガンになった2年後に父もガンになりました。

けれど父は発見が早かったので、ガンはその後完治できることとなりました。

 

けれども、5,6年前に脳梗塞になりました。

脳梗塞は医者も「運が良かった」と言うほどに、ほとんど後遺症なく過ごすことができ、今に至ります。

 

ただ、この父の「脳梗塞」を機に、

私は父の面倒をみるためにそれまでより頻繁に実家に行くことが通常となってしまいました。

 

それまでは、3ヶ月に1度くらい、掃除などをしに行く程度だったのですが、

脳梗塞後からは、月に1回は行き、

その際に父の好むおかずを大量に作って持って行き、実家の掃除や洗濯、皿洗いなどをし、

その後は父と夕食を食べて、やっと帰れるということが習慣となっていきました。

 

私の家から実家まで、片道2時間かかります。往復で4時間

 

作って持っていくおかずは、2日かがりで作らなければなりません。

 

仕事から帰って下ごしらえをして、

休みの日を1日中料理作りに使い、翌日にその重いおかずを抱えて2時間の道のりを経て実家にたどり着き、

掃除や洗濯などをし、父の会話の相手をする。。。

 

強制されてやっていたわけではありません。

しかし、一度やるとそれが普通になってしまうし、当初は私も純粋に父の容態が心配でしたので、やっていました。

 

そして、まだ若かったから体力がない私でも、今より体力があったのだと、今の歳になって分かります。

 

去年あたりから限界に

もともと、私は原家族が好きではなかったし、

別に父の実家に好きで行っていたわけではありませんでした。

だから、行く前はすごく憂鬱でした。

でも、終わってしまえば「これでしばらく行かなくていい」とスッキリしていました。

 

それが、去年あたりから身体的にも精神的にもすごく負担になっていきました。

 

身体的な限界

まず、「実家に行く前日に全てのおかずを一度に作る」ということがしんどくなり、

「行く1週間前に半分作って宅急便で送り、残りの半分を前日に作ってその日に持っていく」という形に変わりました。

 

その後、「当日に重い食料を抱えて2時間の電車や徒歩で実家に行く」ことがしんどくなり、

「あらかじめ全て宅急便で送って、当日は荷物はなしで行く」という風になっていきました。

 

精神的な限界

1年前あたりから、実家に行って終わっても気持ちが苛立って不快感で数日間占められてしまうようになりました。

それまでは「行くまでは憂鬱だけど、終わればスッキリ」だったのに、

行く前も行った後も不快で仕方が無くなってしまい、本当に不愉快な状態になっていました。

 

当時、「なんでこんなに不快になるのだろう?」と考えて

「実家に行くことが私にとってはトラウマの追体験になってしまうのだ」と思い当たって、

一度は腑に落ちました。

 

実家に行けば、当時のつらかったことを思い出すし、

父との会話でも母や兄のことがどうしても話題になりますから、

私にとっては思い出したくない嫌なことばかりです。

 

そのことに気づいただけで、一時は楽になりました。

 

しかし、実家に行くことが負担なことに変わりはありません。

 

そして今年の8月ころは、兄とは会わないのに「実家にそろそろ行かなくてはいけない」と思うと

「兄への憎しみ」の記事に書いたように、

原家族への憎しみが抑えられないものになっていきました。

 

父と兄

私は、比較的父とは合うのです。

父のASD的な特性は私も持っていることもあり、

兄や母が父のそのような特性を責めることを同情的に見ていました。

 

父のことは嫌いではありません。

 

だから、できる範囲で面倒をみたいとも思っています。

 

しかし、私が原家族から受けた二次加害の原因は父の責任によるところが大きいことも事実です。

 

そして、父のことは嫌いではないですが、私を苦しめた原家族として許容することはできません。

 

兄に対しては、私は嫌いですし、本当に何の関心もありませんので、私から兄に関わろうとすることは全くありません。

 

しかし、兄は「世間の常識が一番」という価値観で生きていますので、

「家族とは仲良くするもの」「連絡を取り合ってときどきは会うもの」と考えているため、兄は私にもたまに連絡してきます。

 

複雑な気持ち(以前)

去年から今年の夏にかけて、実家に行くことに精神的にかなりのストレスを感じていることに

 

「もう縁を切ろうか」「行くペースを落とそうか」「今月は行くのを辞めよう」

 

等と思い悩むようになっていました。

 

「1ヶ月」って早いんですよね…。

 

問題は、私の気持ちが「どうしたいのか」がはっきりできなかったのです。

 

父のことは嫌いなわけではない。

兄とは「もう関わらない」と決められても、父がいる以上、兄との縁も切れないし、

父は私が行くことを楽しみに待っていることは痛いほどよく分かっているのです。

 

それを振り切ってまで、「行かない」とするほどの気持ちがありませんでした。

 

しかし「兄とは関わりたくない」ということははっきりできましたので、

「父が死んだときのために今から遺産相続放棄の手続きをしておこうか」と、

9月10月頃から思い始めました。

 

父の遺産など、ほとんどありません。

私が嫌なのは、父が死んだ後に遺産を含めた実家の整理などの関わりを兄としなくてはいけないことです。

 

父が死んだら、それこそ兄とは縁をきりたい。兄と面倒な財産分与など話したくない。

そう思い、「相続放棄の手続きはどうしたらいいのか」「その前に実家の私の部屋のものを業者に片付けてもらわなくては」等と、

思い詰めて考えては暗い気持ちになっていました。

 

 

今思うと、それくらい、月1のペースで実家に行くことが限界にきていたのだと思います。

 

 

コロナワクチン後遺症になって

「相続放棄しようか…」等と思いつめていたら、

10月中旬ころから「ワクチン後遺症のようだ」となり始め、

「相続放棄うんぬん」どころではなくなると同時に「実家にはしばらく行けないな」と判断ができました。

 

そして、父に「しばらく行けない」とメールしました。それを聞いた兄から電話がありましたが出ませんでした。

 

その1ヵ月後くらいに、父から電話がありました。その数日後に兄からも連絡がありました。

 

でも私はどちらにも出ませんでした

折り返しの電話もかけませんでした。メールやラインの返事もしませんでした。

 

今までは、実家や兄から電話があると「何事か!?」と慌てて出ていました。

 

しかし、ワクチン後遺症の私は、声が前のように出ず、話すこともしんどいため、電話で話すことが難しい状態でした。

電話だけでなく、かなり重い倦怠感で、本当に全ての動作がしんどかったために「しない」という行動ができたともいえます。

 

「出ない」という行動を初めてできたのです。

 

このことは、私にある種の「安心」を与えてくれました。

 

彼らからの連絡にそこまで過剰に反応することはないのだと。

私が出なくても対応しなくても、彼らは大丈夫であるし、大丈夫でなかったとしても世の中は回るのだと。

 

改めて「会えません」

私は最初のメールに父にも兄にも「話すことがしんどいので電話はできない」「心配することはない」と書いています。

にも関わらず、1ヵ月経たずに電話をしてきた2人をみて、

「ああ、わかっていないのだ」と思いました。

スルーするにしても、あちらから連絡があることは不快なので

連絡しないで欲しいのです。

そこで、次のメールは長文で送りました。

 

「ワクチン後遺症で声を出すこともしんどい。だから会うことはもちろん電話もできません。」

 

そして思い切って

「ワクチンの効果がなくなるとされている半年後まではまず普通にはなれないだろうから会えません」

 

「半年間」という期間を伝えました。

 

健康じゃなくなって

それなりに元気であったときは、なんとなく「限界」を感じていてもなかなか決断ができないものなのかもしれませんね。

 

今回「ワクチン後遺症」になり、今までと同じ生活が難しくなったことで、

私は「大事なことと大事じゃないこと」がはっきりした、

はっきりせざるを得なくなったと感じています。

 

「仕事は辞めたくない」とはっきりと迷いなく思いました。

 

一方で、原家族に対しては「いつ“会えません宣言”しようか」ばかり考えていました。

 

複雑な気持ち(現在)

けれど、私が願う一番の形は、

「心穏やかに優しい気持ちで普通にたまには会って話せること」です。

父はもちろん、私自身が許容できれば兄に対しても理想はそう願っています。

 

だから、今はまだ彼らと今後どう関わっていくかの私自身の気持ちがはっきりできていません。

はっきりできるまで、待とうと思っています。

 

今の段階ではっきりしていることは、

「とりあえず関わらない期間を設ける」ということと

「彼らに今さら私の本音を言うことはない」ということです。

 

「彼らに今さら私の本音を言うことはない」というのは、悪者になりたくないとかでなく、彼らにそんなエネルギーを遣うつもりはありません。

 

母が生きていたときはまだ私は若かったので、期待して、本音をぶつけたこともありました。

 

でも今は、彼らに対する私の具体的な対処がどうであろうと、

表面上は穏便に優しく仲が良いふりをし続けるという決意ははっきりしています。

 

表面上はそうしながら、距離を置いていきたい。

 

かなりの距離を置くとなっても、本心は言わず「転勤で」等とウソをつくつもりです。

彼ら側がそれをどう受け取ろうと、それはどうでもいいことです。

 

ただ、その「距離の加減」を今はまだ模索中です。

 

今の精神状態

「ワクチン後遺症」に苦しみつつも、

精神的には私は最近、明るく平穏になっていることを感じていました。

 

「どうしてだろう?」と思うと、心当たりは「原家族と半年間は関わらないで済む確約をとれたから」かなぁと思います。

 

いつも「そろそろ1ヶ月経つな…」

「再来週に行くとして、おかずの材料を来週買い集めて、木曜と金曜に仕事から帰った後に野菜を切って下準備して、土曜日にあれを作ってその次にあれを…」

等と悩まなくてはいけないことから解放されました。

 

さらに、最近は、父と会話することも負担でした。

先に述べたように、父との共通の会話はどうしても原家族のことになり、

私には心の傷に塩を塗るようなことだからです。

 

それでも、「楽しい」と思っている父に水を差したくはありませんし、

私もその場で負の感情を出したくはないですから、私にとっては会わないのが一番いいのです。

 

…でも、先ほどの触れたように、理想はたまには会って穏やかに過ごしてあげたいです。

 

彼らに対する憎しみをなくしたいです。

 

でも、それは今ではなく、将来の私が結論を出すでしょう。

それに、私が結論を出さなくても、今回の「ワクチン後遺症」のように流れで決まることもあるでしょう。

 

 

こんな風に余裕のある構えができるのは、しばらく関わらなくていいという確約のおかげかもしれません。

 

 

家族に対する感情は、それこそ白黒つけられることではないと思っています。

 

まぁ、自分の人生でも自分でコントロールできないのですから、

親兄弟など他人のことなど良くも悪くも考えすぎないようにしたいものです。。

でも考えてしまうものでもありますよね。。

 

今度どうなっていくかをまた記していければと思っています。

 

 

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今年も気づけばあと1ヶ月ですね。

今年も最後までどうかよろしくお願いいたします!

 

 

 

ワクチン後遺症は、動悸の再発や胃炎など症状が変わりながらも、

重い倦怠感は少しずつ良くなっている気がします。

 

「人参養栄湯」という漢方が効いているようです。

 

飲み続けて良くなっていきたいと思います。

 

今日も最後までお付き合いくださってありがとうございましたm(__)m

 

 

 

 

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