「あの出来事があったから今がある」
という言葉はよく聞きますよね。
今回は、
「つらい体験にポジティブ性を見出すこと」
について寝子の考えを大雑把につづろうと思います笑。
ただの独り言です!!
近いうちに「人は意味のないことには耐えられない」という心の基本原則について
記事にしたいと思っているのですが、先に独り言を…笑
「うつ病になったから大事なことに気がついた」
「傷ついたから人に優しくなれる」etc。。
こういった「ツライ出来事にポジティブ性を見出すこと」はよく聞きますよね。
まずこれは、ご本人だけが言うことが許されることです。
他者が本人に言っていい言葉ではありません。
ただ、ご本人がこのように思い、納得して前に進んでいくことは素晴らしいことだと思います。
…ただ、これは本当に私の個人的な考えなのですが、
「つらい経験したから、普通のことのありがたみに気づいた」とか
「あの体験があったから今がある」
という、「つらい出来事を有意義でポジティブなことだった」とすることが、
好きではありません。
けれど、「ポジティブな側面」に注目し、それに気づき、強化することは、私は非常に重要であると考えています。
ただ、その視点が異なります。
つらい出来事の中を生きたなら、
その自分を理解し、気づいていなかった自分のリソースに気づいていくようにすることは
非常に大事だと思っています。
けれど、「あの出来事があったおかげで」と、出来事そのものを肯定することには抵抗があります。
犯罪被害や機能不全家庭で育ったなどの、他者からの理不尽な被害を受けた場合は特に、
その体験をまるっと肯定することは、私は否定的に捉えています。
「人は意味のないことに耐えられない」という心理原則があります。
これは、「認知的不協和」と同じように自動的に働きます。
だから、ツライことがあるほど、人は無意識に意味を見出そうとします。
その最たる例が
「自分が悪かったから」「自分がダメだから仕方ない」
という自分に原因帰属する心理です。
仮に悪かったとしてダメだったとして、理不尽な目にあっていいはずはありません。
けれど、
「とにかく耐えなければいけない」という状況下にあったら、
つらい思いをするのは「自分のせい」と理由をみつけて納得しようとします。
そして、もう1つの代表例が「あのツライ体験が自分を成長させてくれた」といった
「出来事にポジティブ性を見出す」という「意味づけ」なのだと思います。
決して、それがウソだとか、防衛だとか決め付けたいわけではありません。
理不尽な体験であっても、それをその人自身がご自身の成長につなげたケースは多いと思います。
でもやっぱり、それはその人自身のおかげであって、
「出来事」のおかげではないと思うのです。
そこはきっちり線を引きたいと私は考えてしまいます。
「意味のないただの理不尽な目にあっただけ」という事実は、
非常に強いストレスを生じさせます。
場合によっては、そう思ってしまうと耐えられないから、
生きるために、先に述べたような「意味づけ」をして耐えることが必要な時期があります。
全てのケースが同じでは決してありません。
ただ、「理不尽な出来事」に意味づけを行うなら、できれば、ちゃんと行いたい。
私は、「出来事」に意味などないと思っています。
断じて「あなたのために起きたこと」なんて思いません。
そもそも、1人1人の身に起きる出来事に意味があるほど、
この世は平等でもなければ秩序だってもいないと思います。
理不尽な出来事そのものに、意味なんてない。
もし意味のあるものにしたのなら、
それはその人自身がもともとその能力を持っていたということ。
心理は、「まるごと」捉えようとするのは、さまざまな弊害を生んでしまいます。
「出来事に意味はない。理不尽な出来事に他ならない。
ただ、その中で、自分はこうしてこのように思い、考えてきた。」
として、
「自分はこうしてこのように思い、考えてきた」の部分を細かく深く検証することが、
適切な「意味」になるのではないかと思います。
『白黒思考』というのは、「認知の歪み」で有名ですが、
人は「あいまいさ」はストレスになるという心理原則があります。
そのため、「できたかできないか」という分かりやすい「白黒思考」だけでなく、
「つらい出来事も意味があったんだ」と「まるっと白」にするほうが、
短期的にはストレスが減ります。
ただ、長期的には、全てではありませんが、
自分を追い詰めてしまうことになりかねません。
繰り返しますが、つらい出来事にポジティブ性を見出して前向きに生きようとすることが、
悪いわけではまったくありません。
ただ、出来事よりも、苦しい体験に対してそのように捉えることができるご自分に対して、
もっと深めていきたいと私は思う傾向があります。
特に理不尽な被害による苦しい体験に対して、
「あの出来事があったから」とポジティブにおさめるのは、
「理不尽な体験は理不尽ではない」ということと表裏一体です。
これは無意識レベルでも危険性があると思います。
理不尽は理不尽だ!!!!!
私は、性犯罪被害にあったからカウンセラーになろうと思いました。
これはまさに「意味を見出そうとした」典型です。
そうでないと、生きられなかった。
でも、「生きるため」という「意味」でカウンセラーになろうとしたのであって、
「性犯罪被害にあったおかげで今がある」などどは、
微塵も思っていませんし、思ったこともありません。
これね~、言われるんですよ、昔ですけど。
今もこちらが過去を言えばそう返してくることはあるでしょう。
みなさまもご経験あるのではないかと思います。
「でも、その被害があったから夢を持てたんだよね?」
「その親だったけど、ちゃんと育ったんだから」
「つらい思いをしたから人の気持ちがわかるようになったんじゃない?」
…違います。
夢を持ったことも、ちゃんと育ったことも、人の気持ちがわかるとしても、
それはその人個人の特性の結果です。
出来事のおかげではありません!!
「認知の歪み」っていうのは、こういう世の中の「ポジティブな白黒思考」にも広めてほしいものです…。
歪んでるのはそっちだぜ☆
↓えぇ!?こんな意味不明な内容で押してくれるんですか!!?
神様仏様天使様!!!!
大好きです!!!
だんだん何を言いたいのかわからなくなってしまいましたが(^_^;
一言でまとめると、
全部自分のおかげだぜ!!!
ということで、またお会いしたいと思います♪
最後までお付き合いくださったそこのあなた様!!
なんとお珍しい有り難いお方!!
嬉しいです!!
ありがとうございましたm(__)m