台風が目白押しな季節ですが、少し気温が下がって夏の終わりを感じますね。
今日は「向き合う」という言葉について私なりの解釈を整理したいと思います。
「向き合う」という言葉を取り上げようと思ったのは、
クライエントさん方が
「今まで向き合ってこなかったから治らなかった」
「“会社を休むだけじゃ意味がない。ちゃんと向き合わないと”と親に言われた…」など、
ご自身の現状を「向き合ってないから」と考えてしまうことが多いこと、
逆に、「毒親」に相当する方々は、「向き合っているかどうか」という視点で考えるなら、
「向き合ってない」と考えられるだろうということから、
この言葉は、悪い言葉ではないけれど、深堀して定義してみたほうが苦しんでいる人たちの助けになるような気がしたからでした。
ちょっと哲学的になってしまうところがあるかもしれませんが、お付き合いいただけそうであればぜひ☆
目次
「向き合う」という言葉
そもそも「向き合う」というのはどういう状態なのでしょうか?
哲学的になってしまいますが、この言葉も本質的なことを言っていそうで、
でも結局なんだか実のところよくわからない言葉だと感じています。
「自分次第」とか「自己肯定感」とか、そういう用語と似た性質を持っていると思います。
そこで、「自分に向き合う」という状態を私なりに定義したいと思いました。
私は、クリニックを受診したりカウンセリングを受けたり、このブログを読んだり、ご自身に「向き合っている」場合と、
毒親やパワハラ上司などのような「向き合っていない」場合とを区別することを目的に、この言葉について深堀していきます。
「向き合ってない」という状態
まず、「向き合っていない」とはどういう状態か、私なりに定義します。
私は「向き合ってない」とは、盲信的盲目的な状態だと考えます。
大人になっても自分の状態に気づこうとしないことや、
「全て自己責任」のように思いこんで疑わないような状態だと考えるようになりました。
自分のやり方が正しいと思い込んで別の考え方を否定したり、
理解ができない状況に対して「自分にはわからない」ということを受け入れられずに、他者を自分の価値観に当てはめようとしたり…。
こういった「盲信的状態」を「向き合っていない」と私は定義したいと思います。
「向き合う」という状態
では次に、「向き合う」とはどういう状態か私なりの定義を整理します。
あくまでも心理的な範囲でありますが
少なからず「自分のことに関する知識や情報を得ようとする」状態という結論に至りました。
一般的には、「向き合う」とは「問題を解決しようとすること」とイメージすることが多いのではないかと思います。
けれど、これだと「では解決できないのは向き合っていないから」となってしまいます。
そして、そもそも、
“何を”“誰の”「問題」とするか、
何をもって“解決”なのかによって、
全く事態は変わってしまいます。
たいがい「解決すべき問題」を設定するのは本人より上の立場の人たちだったりするので、
なんでもかんでも「あなたの問題」にされてしまうことはたくさん起きますよね。
そう考えると「向き合う」という定義は「問題を解決すること」では、
それこそ「自分に向き合っていない」上の立場の人たちに都合がよいだけになってしまいます。
ですので、私は「向き合う」ことを「問題解決」と捉えるのは間違っていることがあると思っています。
「向き合う」ために必要な条件
先ほど「向き合ってない状態」として「大人になってから」と書きました。
ここは重要なポイントで、
「自分のことに関する知識や情報を得ようとする」を「向き合う」と定義しましたが、
これはいつでも誰でもできるわけではないのですよね。
「解離」として有名なように、ご自身の反応や置かれた環境について、正しく知ることは非常に難しいことです。
知ってしまったら日々何とか生活することができなくなってしまう時期がたくさんあります。
「子ども時代」がまさにその代表です。
そしてこれこそ、蓄積されると「トラウマ」になるのですよね。
ですので、親から距離を置けるようになるまでや、事件からしばらく経つまでは「分からなかった」というのは、
決して「向き合ってなかった」なんていう簡単な言葉で済ませていいことではないと思います。
これは、まさに「自分の感覚をわからなくすることで生き延びた」ことに注目することが大切で、
そもそも「向き合う・向き合わなかった」という表現がふさわしくないと感じます。
なので、私のような支援者側は言葉のチョイスを気を付けなければいけないと常々思っております。
つまり、「向き合う」ことができるためには、
それができる環境が必要になるのですよね。
ここで、「向き合うための条件」について整理したいと思います。
「良くならないのは向き合ってこなかったから」
臨床をしていると、
患者さんが「今つらい症状があるのはトラウマに向き合ってこなかったから」というようなことを話されることがあります。
私はそのたびに「向き合ってこなかったなんてことはないと思います」と、つい返してしまうことがあります。
まるで「向き合えたのにしてこなかった」みたいな自己像になっていると思うので…。
そんなことないのですよね。。
ただ、そう思ってしまうのは当然のことで、
トラウマの代表的な思考は「自分が悪かったから」「自分のせい」という自己否定です。
「自己否定」はトラウマの症状ともいえますし、
当時の生き延びるための対処法でもあります。
一方、話がズレてしまいますが、
「向き合ってこなかった」「向き合わないと」という「向き合うことこそ善」という価値観になってしまうのが
この言葉がはらんでいる負の部分だと感じます。
それはさておき、「自分を知る」ということは、できない時期があるということが大切です。
「外的サポート」が必要
「自分の状態を知ろうとする」というのは、トラウマがある場合、トラウマ的環境から少しでも離れて、
自分で自分に関する選択が許されるようになってからでないとできません。
トラウマの原因を、大雑把ですが「環境」とした場合、
その環境下に居るためには気づいてはやっていけなくなってしまいます。
加えて、「なんで私はこうなんだろう?」「どうしてできないんだろう?」「他の人となんか違う気がする…」と気づいたとして、
そこから適切な自己理解に至るまでには、
外的サポートが必要になります。
外的サポートは、物理的支援だけでなく、情報や知識を含みます。
例えば、毎日すごく怠くて起きるのもやっとでしんどくて仕方がないとします。
自分だけで考えると、「動き過ぎたかな」とか「やる気がない」とかになるかと思います。
けれど、病院で調べてみたら重度の貧血だった。
そこで初めて「自分の体調不良は貧血のせいであって、動き過ぎや意欲の問題ではなかった」と知ることができますよね。
治療法も鉄分を取るなど、「一人で対処しなきゃ」と考えていたときには得られなかった方法がわかります。
トラウマに苦しむ人の多くは、この「外的サポート」がないまま大人になっていることがとても多いです。
ですので、どんなに「自分を知ろう」と向き合っていても、
個人ができる範囲を超えた専門的関与が必要であるから、
それを得られなければしんどさは軽減されないのはおかしくないし、その人個人の問題ではないのですよね。
「向き合う」メリット
「向き合った方が良い」というわけではないと思います。
ただ、「向き合う」という定義を「自分の状態を知ろうとすること」とした場合、
そうしたほうがいいメリットを整理したいと思います。
「向き合うor向き合えない」は、私は意志で決められるものではなく、
客観的に理解しようとできる思考力や感性という能力があるかどうかだと基本的に考えているので、
気づきたくなくても気づかざるを得ない、
向き合わざるを得ないという場合もたくさんあるかと思います。
向き合える場合にはそうする苦労が伴うと思いますので、
それでも良いことがあるとお伝えしたくなってしまいまして、
「向き合うメリット」について整理します。
「心の混乱」が整理される
大人になり、こういったブログを読むなどご自身について知ろうとできる場合、
子どもの頃から、意識していたかは別としてその場でできる適切な行動をとってきたのではないかと思います。
ただ、このブログでも繰り返しているように、自由に振る舞えなかった言動やちゃんと感じられなかった気持ちが多いとトラウマになります。
「自分の反応に率直に居られなかった」という体験の連続は、
「どうしてそんなこと言うんだろう?」「なんで自分はできないんだろう?」「自分がどう思っているかわからない」等といった
心身の混乱が重ねられていくことになります。
「向き合う」という正しい知識やケアを得ることで、
これまでの混乱が整理されていくことができるかと思います。
的を得た情報に触れられると、今までの腑に落ちなかった感覚がスッとおさまって、
不思議とモヤモヤしていた不快感が和らぐことが多々起きることは、多くの方にご経験があることと思います。
大切な人を大切にできるようになる
もう一つ、向き合う大きなメリットは、
「大切な人を大切にできるようになる」ことであると感じます。
例えば、「毒親」とされる人たちは、向き合うことができなかったことで、
本来は大切であるはずのパートナーや子どもを深く傷つけてしまいます。
同様に、パワハラやセクハラの加害者も同じことがいえるように思います。
ここでいう「大切な人」とは「自分自身」も含まれています。
先ほど述べたように「自己否定」は代表的なトラウマ反応です。
今まで、自分を責めることで生き延びてきたために、それを止めることは恐怖を伴います。
けれど、そこに「向き合って」みることは、短期的には痛みを伴うけれど、
トラウマから脱していける大きなメリットがあると思います。
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↑更新が少ないですが、見に来て下さて本当にありがとうございます<m(__)m>
次回は、トラウマの話として「凍りつき」について詳しく書こうかなと思っています!
今日も最後までお付き合いくださってありがとうございました(*^_^*)
またお越しくださることを心待ちにしております♪