なんか、「心理療法トレーニングに迎合していた」と気づいたら、
「書く書く詐欺」だったブログも書けるようになって
Xも発信できるようになって
(すぐ止まっちゃうかもだけど(;^ω^)
目に見えて元気になっている今日この頃
もう!一応は心理の専門職なのに!
と突っ込みを自らに入れつつ、自分に気づくことの難しさが身に染みるとともに、
こういう経験も踏み台にしていこー!
ということで、今日は、
心理士としての自戒を込めて、
支援者側が「トラウマ」を用いることの危うさについて、好き勝手に書きたいと思います🎵
目次
「トラウマ」はパワーワード
いやホント「どの口が言うか!?」って感じで、
私こそ気を付けるべきなんですけど(;’∀’)
ただ、今回の「迎合したトレーニング」で、
たくさんの違和感を感じていたのにそれをなかったことにしていました。
そのうちの1つが
なんでもかんでも「トラウマ」にしてんじゃねぇよ
っていう反発心を実は最初から強く感じていたんです。
それで、支援者側が「それはトラウマです」「トラウマが喚起されたんですね」って、
なんでもかんでも「トラウマ」にもっていくことが、
いかに危ういかを体感したんです。
だから、私は今後の臨床では、より一層「安易にトラウマにしない」と気を付けることを固く決意しております。
それで、改めて考えると、
「トラウマ」ってパワーワード
なんだなって。
精神分析で「それは無意識です」「そう思わないのは気づいてないだけです」っていう、
もはやネタになってる悪しき対応が以前行われていたことがありました。
それと同じだと痛感しています。
ご本人が「トラウマで」って気づいたりおっしゃったりすることはもちろん良い。
ご本人じゃなく、
支援者や治療者側が安易に「トラウマです」ってトラウマばっかりにもっていくのは、
本当に危ないことなんだ。
だって、無意識と一緒で「言ったもん勝ち」だから。
目には見えない。証明できるようでできない。それを専門家が「トラウマ症状です」って言っちゃうと、言われたご本人は否定できない。
「そうなのかな?」って思っちゃうワードなんですよね。
「それはトラウマ」のミスリード
いやホント、私自身の反省を込めて、自戒をこめて、そのトレーニングを受けて、
支援者側がクライエントの反応に対して“トラウマトラウマ”とするのは、
ミスリードだと感じました。
「ミスリード」
これは、心理士など支援者は本当に気を付けないといけない。
トラウマの専門家こそやりがちな「トラウマケア」にもっていくことで起きる弊害を整理したいと思います。
過去の問題になる
当然ですが、誰かのその時の心境や行動の由来を「トラウマ」と決めてしまうと、
それは自動的に「過去が原因」となります。
過去がどうだったかよりも、
「今」に大きなストレス因があるかもしれないことが見過ごされて、
まさに、過去にミスリードされてしまう。
個人の問題になる
そして、「それはあなたのトラウマが」となると、
これも自動的にその場では「個人の問題」になります。
「その場」や「今やりとりしている他者」ではなく、
「私だけの問題」と思ってしまっても無理もない。
そして、また「今」の状況を検討する機会を失っていく。
そうすると、本当はトラウマ症状ではなくても、
トラウマが関係していたとしてもそれがその時の主要因ではなかったとしても、
とにかく「過去の私の体験」に全責任が課せられてしまうんです。
「今のストレス」が見落とされる
そうして、今の目の前の環境や、構造、対人関係が自分にとってどうであるのか、トラウマは脇に置いて、
ただシンプルに今の置かれた環境に自分はどう感じているかが検討されることなく、
ただひたすら「トラウマが反応している」「過去の自分が」「不快感は私の個人の問題」になっていってしまう。
これが「トラウマ」という言葉の罠
心理療法のトレーニングで年単位で迎合してまで得た教訓です。(もっと実になること学べや)
愚痴
トラウマを対象とした心理療法のトレーニングでは、受講生も自分のトラウマが喚起されます。
でも、ここまで連呼されるトレーニングはなかった。
それに言い訳でしかないけど、自分よりはるかに年配でキャリアのある専門家の人たちに囲まれて、善意を前面に出されて、
「ここで感じることはトラウマですよ」ってさまざまな形で連呼され続ければ、
迎合してしまったのも無理もないような気もします(自己弁護w
そして、私ごときが「そうじゃない。この構造がおかしい」と言ったとしたって、
そんなことはそれこそ「それがあなたのトラウマ反応なんです」って返されるだけですからね。
そして、本当に、その人たちはそう思っている。
アセスメントの重要性
それで、私も臨床家として心の底から反省しました。
私も安易にカウンセリングで「トラウマ症状ですかね」「フラッシュバックです」って決めつけてないかって。
「トラウマ」を専門にするからこそ、その人の状態を適切にアセスメントする際に
優先して検討しなければいけないことは、
「今」だ、
と心に刻みました。
真っ先に疑うべきは「今」
トラウマは今に影響します。
今もトラウマに影響します。
いずれにしても、「今」のストレスが少なければ、トラウマ症状も和らぐ場合がほとんどです。
(もちろん、「安全になったから発症した」という場合もあります)
逆に、「今」がストレスフルな環境であったら、それがいくらトラウマ症状に当てはまっても、
過去のことをやっても効果をあげるのは難しいでしょう。
だから、まずは「今」のその人の状況をアセスメントすることが本当に大事だと、痛感して、
心理士として「思考停止状態で“トラウマトラウマ”するの本当にやめよう。まずはちゃんと今のご本人の負担やストレスを聞こう」って、
今回の自分の迎合体験によって深く胸に刻みます。
まず、「今」の状況をちゃんとアセスメントして、それから、トラウマに進めばいい。
一般的には、まずは「今」の減らせる負担は減らせば、余力が生まれるし、余力が生まれればトラウマにもトライできますから。
でも「今のストレス」を見ずに、なんでもかんでも「トラウマトラウマ」という帰着をしていたら、良くなるものも良くならない。
なんなら、「結局私自身が悪いのか」とさらなるトラウマ反応を深めさせ、悪化してしまう。
「自分の反応」は自分だけで発生するものじゃない
最近は「対人関係がもたらす影響の大きさ」を、どの学派も共通して認めています。
学術的にも広く証明されたように、
今の自分の反応は、自分だけで起きるものではない
のですよね。
もちろん、個人の特性や、それこそトラウマ含む過去の体験はそれぞれあるでしょう。
だとしても、自分の反応は、自分以外の何かが要因になって初めて生じるもの。
トラウマが深いと、ただでさえ「私がおかしいのかな」「自分が悪いんだろう」という思考が根付いています。
だからこそ、安易に「トラウマ」とすることは本当に気を付けなければ。。
トラウマも影響しているけれど、「今」の何かが必ず関わっている。
もちろん、「原因は必ず今にある」と言いたいわけではなく。
でも、トラウマを専門にするからこそ、
「今」のその人を見失わないように、
「今」その人が生きている世界をちゃんと知るようにしたい。
そしたら、きっと、ネガティブな要因だけでなく、今にあるポジティブな要因も見つけられる気もする。
とにかく、自分の人生でも自分だけで回ってないのだから、
今だって、自分の反応でも自分一人で起きてるわけじゃないことがほとんどだと思う。
だから、まずは今をアセスメントして、そしてトラウマを見て、どっちかだけに偏らないように…(自戒)
そして、最も大事なことは、何をするにしても、クライエントさんの利益になることが全て。
「今」も「トラウマ」も、テーマに上げるには、それがクライエントの役に立つために。
…つまり、私はそのトレーニングが単純に多大なストレスだったっていうだけの話でした( ;∀;)
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最後に、叫んでいいですか?
も~~~~う!!!
2年半もなんで気づかなかったんだ!!!!
ブログも書けない、本も読めない、体重も5キロも減った、不眠症も悪化してる、大好きだったヨガやジョギングもしなくなってたetc。。。
山ほど気づける要因あっただろ!
それで
「SEは素晴らしい!」
じゃねぇよ!!!
しっかりしようぜ、自分!!!
(あ、でも、SEという心理療法そのものは他の心理療法と同じように臨床のエッセンスになる素晴らしさがあると思います。)
いや~、このネタ続くかも。
次は「迎合とは何か」とか書きたい。。
読んでくださって、本当に嬉しいです。
ありがとうございます(*^_^*)