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性被害サバイバーの1事例 日記

過量服薬のその後 ~「症状」は時に癒しのチャンス~

 

前回の記事に書いたように、20年ぶりにODしてしまったものの、

気づきがあり、不快感はおさまったように見えました。

 

でも多量服薬は止まらなかったんです。

 

そして、今月に入り、土曜日に久しぶりに夕方まで寝ていられて、いくら薬を飲んでも長時間は寝ていられなかったので、

それがうれしく、その状態を維持したくなり、また薬を多量に飲んでしまったのです。

 

異常行動

そのまま日曜になり、19時ころから21時過ぎころまで起きた形跡があるけど覚えていない。。

 

そして薬の残効で朦朧としたまま、

記憶のない状態で知人数名に誤字だらけの意味不明な連絡をしてしまっていたのです。。。

 

被害体験よりも深いODのトラウマ

私にとって、ODによる異常行動はOD以上にショックでした。

それはかつて「ある性被害サバイバーの話13」で書いた通り、

私の傷を増やす行為だったからです。

 

ものすごい落ち込み、結局私は20年以上経っても向精神薬を適切に使用することができないということを突き付けられた気がしました。

 

先月のODは、ODだけで異常行動はしていなかったので「20年前とは違う」とまだ思えていたのです。

 

それが、今月は当時と同じ質のことをやってしまった。。

 

ただ、当時よりも圧倒的に軽い行動化ではあり、意味不明な連絡をしてしまった相手の方は良い方なので「酔っていて」と方便を言い、謝罪して、問題は残りませんでした。

 

 

でもものすごくショックでね。。。

 

 

20代の薬物依存だったときと何も変わっていないじゃないかと。

 

 

トリガーは父親だったと思う。でも、その後いくらでも修正できる機会はあったし、生きていればその程度のトリガーはいくらでも起きる。

 

薬を止めたとして、しばらく眠れないでしょう。それも20年前と同じ。。

 

先月は、うつ状態ではなかった。ODはし続けていたけれど、気持ちの落ち込みはなかった。

でも今回は、死にたいと思うまで一気に落ちていきました。

 

 

 

いつもいつもいつも我慢するだけで、治りはしない。。

飲んでも飲まなくても救われない。。

 

 

私はもう治っていると思っていた。少なくとも「うつ病」にはもうならないと思っていた。

 

20代のときはそれより前のトラウマのせいではあったけど、その時も進行形の多大なストレスがあった。

 

今はない。本当に今はストレスはないのに、トラウマ反応、再演、死にたい気持ちが蘇って、その結果、本当に何もない安全な「今」を傷つけてしまった。。

 

ああ、こうやってトラウマは重層化する。。

 

 

そう思い、一気にうつ状態に落ちていきました。

 

フラッシュバック

著しく落ちこんだ後「落ち着こう」「大丈夫」「薬を止めよう」と決心したら、

わりとすんなり正気に戻れました。

 

それは、100%フラッシュバックであったからでしょう。

 

本当のうつ状態であれば「ちゃんとしよう」と決意すれば持ち直せるなんてことはないですからね。

 

 

正気を取り戻した後、服薬は止めたものの不眠はそのままですので、

「服薬はゼロ百じゃなくて、薬を上手に使用できるように、落ち着いたらまたトライしたい

とは思っていました。

 

そしたら週末に、明確な理由のないイライラがあったので、

「このままイライラして眠れないより服薬して寝たほうがいい」と判断し、

適量を服薬しました。過量服薬ではなく、適切な使用をしました。

 

薬の「残効」による身体感覚

それ以上飲むことはなく眠れ、思った以上に効いて翌日まで少し薬の作用が残っていました。

 

「昨晩に飲んだ睡眠薬の効果が翌日も持続する」というのはもちろんたくさん体験済みでした。

 

でも、その日の「ぼんやりした低覚醒の心地よさ」身体感覚

 

あ、これだ。この間のODはこの感覚を維持したくなってしまったことがきっかけだった」

 

と、はっきりとフラバのトリガーを自覚できたのです。

 

そしたら、「も私は変性意識でいたいんだ」と捉えていたけど、

「これもフラッシュバックでは?」と考えてみることができたのです。

 

そうしたら、「フラッシュバックであるなら、この身体感覚を維持した当時はどんな心境だったのか」と振り返ってみると、

「ぼんやりしていたかった」「薬の残効で優しく穏やかになれた」とはっきりと思い出し、

父兄の喧嘩が原因で私と兄が喧嘩して数日経ったとき、

薬の残効のおかげで兄に普通に挨拶できたことを思い出しました。

 

「過去」と「今」の区別

では、今は、薬の残効を頼ってまで穏やかに優しくいる必要があるかと考えたら、

「必要ない」と、明確に過去と現在を分けることができたのです。

 

このおかげで、その後は「不眠への不安」に対して持ちこたえられるようになったのです。

 

「フラバ」が癒しに

「不安に持ちこたえられるようになった」だけでなく、

20代のころ、ODを繰り返していたことに対して20年越しに初めて気持ちの疎通ができるまでに繋がっていきました。

 

「昼間」も嫌だった

私はODの理由は「眠れないのが怖いから」だとずっと思っていました。

確かにそれがきっかけだったと思います。

 

でも、それだけじゃなかったのだと「薬の残効がもたらした身体感覚からのフラッシュバック」によって気づきました。

 

昼間もすごくつらかった。

 

しんどさやつらさ、緊張や不安、警戒心などを重く抱えながらも、

それらがないかのように表面的には普通を装わなくてはいけなかった。

 

それを、毎日、精神的な努力でやり続けることはものすごい疲労だったと思います。

薬の残効があれば、がんばらなくても穏やかでぼんやりした理想的な状態になれた。

そして、まやかしであっても平常のときよりも喜びや楽しさを感じられた。。

 

過量服薬による残効に頼らなくては過ごせないほど、当時は大変だったんだと。

 

「本当によく生き抜いてくれた」と、初めて心から過去の自分に感謝してねぎらうことができたのです。

 

「実感」

今まで、頭では「ODしていた過程は必要だった」と考えていたけど、

それは理論に支えられた理屈に過ぎなかったことも、初めてちゃんと分かりました。

 

「そう思うべき」という範囲を出ていなかったし、

私にとって向精神薬中毒だった20代の時期は、犯罪被害を受けたことよりも、トラウマティックになっていたし、

本当は一番思い出したくない時期だったんだ。。

 

頭では当時の自分を受け入れていたけれど、

感情的および感覚的には受け入れられていなかったんだと初めて実感を伴って心から気づきました。

 

 

そしてふと「よく仕事でも“良くなったり悪くなったりしながら良くなっていく”というけれど、それは今回みたいなことなんだ」と、

これも初めて実感できたのです。

 

「症状」の意味

今回のODは、そのまま過ぎていったら、

「またODしちゃっただけ」「トラウマ反応が喚起されてしまった」で終わったでしょう。

 

ポジティブに捉えてもせいぜい「今はすぐに持ち直せるようになった」くらいで、

過去のODの傷についての理解や癒しは起こらないままだったでしょう。

 

そもそも、去年「20年ぶりに治療しようか」と思い、クリニックを受診していなかったら、ODしないで済んだでしょう。

さらには、おととしワクチン後遺症にならなければ実家との付き合いを変えられず、

表面上は彼らと穏便な関係性を維持していたでしょう。

そうだったら、私は今ほど彼らに関して拒絶反応も出ず(気づかず)、フラッシュバックもなく、ODもなかったかもしれません。

そうやって過ごし、表面的には揺れずに済んでいたかもしれません。

 

でも、その代わりに、自分の体力気力が膨大に消費されていることに全く気付かないまま

やりたいことに使用できないまま、一生を終えたと思います。

 

 

私は原家族に対する抑圧された気持ちに気づいたことで、

今までやろうと思えなかった心理業務がふっとできるようになり、

けっこう大変なトレーニングを受けることもできるようになりました。

 

だから、今回、「ODしていた頃の自分」がフラバしたことで、新たに癒しが起こり

そのことで私はさらにエネルギーが解放されたと感じています。

 

そう思うと、気づく前よりも苦痛になってしまった彼らとの問題も、その揺れに意味を感じられるし、抱えられるようになっていけそうだと思えました。

 

症状は時に癒しのチャンス

私が体験した「薬の残効をトリガーとする身体感覚のフラッシュバック」は、ソマティックでいうところの「滴定(タイトレーション」になっていたのでしょう。

つまり、その時の私が耐えられる範囲の感覚であり、

幸運にも「あ、これだ」と気づくことができた。

 

けれど、それ以上服薬していたら持ちこたえられる範囲をこえていたかもしれない。。

 

そう考えると、滴定の重要さがわかると同時に、これを臨床で応用するとなると極めて難しいなとも考えました。

 

でも、フラッシュバックなどの「症状」が出ることで

癒しに繋げられることは希望です。

 

 

フラバは癒しのチャンス!!

 

 

ただ、今回の私の場合でも「回復に繋げられる程度のフラバ」に至るまで

いくつもの過程があるし、意図してできたわけではありません。

だから簡単なことではない。。

 

でも、これからまた時間をかけて、この体験をクライエントさんへの治療に繋げられるようにしたい。

 

 

 

フラッシュバックを代表とする症状や特性は、ただ苦痛でしかないことも実体験としてわかっているつもりです。

ただ、「嫌なだけ」だと私のように実際には認められていなかったり、

症状が起きることにただ恐怖していたりすることにどうしてもなってしまいます。

でも、そこにほんの少しでも回復の実感が伴ったら、

だいぶ違っていくと思うのです。

 

これをどう伝えたらいいか、

どう関わったら「適度なフラバ」を起こして癒しに繋げられるのか。

今後の心理士人生をかけて、

いつかこのブログ上で「言語化だけで」伝えられたらいいなと、

新しい目標ができました。

 

 

 

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今日も最後までお付き合いくださってありがとうございました(*^_^*)

 

またお越しくださることを心待ちにしております♪

 

 

 

 

 

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