今日はつい昨日起きた「原家族からの爆弾」についてのお話しです。
リアルタイムのことで、
出来事自体はよくある話で大したことではないのに、私自身がかなり不快になったため、内容が気持ちのいいものではないと思います。
お付き合いいただける方だけ、お読みいただけると嬉しいです。
目次
最近の私
最近の私は、すこぶる調子がよく、
前回の記事「私の話51~ストックホルム症候群~」に書いたように、
父に対する気持ちがストックホルム症候群だったと気づいてからは、
なお一層、精神的にゆとりができて、それが仕事にも反映されていました。
ただ、気づいたからといって、
「実家に行かないとな…」と迫ってくるような気持ちや、父母兄に対する負の感情の喚起がゼロになったわけではありませんでした。
それでも、気づかないほど多大に締め付けられ消耗され続けていた精神量をさほど彼らに遣わずに済むようになって、
こんなに私はエネルギーがあったのか
と驚くほどでした。
父からの電話
それが昨日の夜、実家から電話がありました。
以前のように体調が悪ければ出なかったでしょうが、
まぁ、これだけ会うことを避けていれば、そのうち父から電話があるだろう、とは予想していました。
出てみると父が
「兄に出禁くらった」
と言うのです。
このブログでも触れているように、父兄は仲が悪かった。
今も合わないと思います。
でも、母が亡くなったことで、私たち3人は“大人の付き合い”のような一線引いた関係性になることができ、
父と兄も表面上はそれなりにやっていました。
内容
父の話を聞くと、
兄の妻の両親から、毎年お歳暮やお中元が贈られてきていて今まで付き合っていた。
でも本当はそういうただの義務のやり取りは止めたかった。
そう思っていたところに、今年は自分が大嫌いな食べ物が贈られてきた。
それで、電話で“お互いにやめませんか”と話し、その後手書きのハガキも出し、自分としては相手方は分かってくれたと思った。
それを聞いた兄が電話をしてきて
「お父さんは自分勝手。100%あんたが悪い。
あんたの自分勝手のせいでオレに迷惑が全部かかるんだ!もう家に来るな!」
と言われて、不動産の営業電話を切るようにガチャ切りされた。
そうです。
繰り返されてきたこと
内容は、これまでも繰り返されてきたことです。
だからこそ、私は兄に対して怒りと憎悪が一瞬にして再燃しました。
“100%あんたが悪い”
このセリフ、過去にも兄は言ったことがあるし、本気でそう思っているんですよ…。
父は犯罪を犯したわけでもなく、ただ「義務的な贈り物のやり取りは止めたい」と言っただけなのに。
“自己中で100%悪い”と迷いなく人を断罪できる兄の方がどうかしているのではないかという強い怒りが沸きました。
私の言い分
兄は結婚してから私にも誕生日にプレゼントを贈ってくるようになり、年賀状もよこすようになりました。
独身のときはしていなかったし、私も父もそういうことが好きじゃないことを知っているのに。
それを、奥さんや義両親に「良い家族ね」とでも思われたいからなのか、平然と贈りあうことをこちらに義務化してきました。
いらねーよ。あんたからの誕生日プレゼントなんて。迷惑だ。
それなのに、私は文句を言わずに“BDプレゼントの贈りあい”に付き合ってきました。
いつまで彼の機嫌を取るつもりなのか自分でも呆れます。。
また別のときには、「母がガンで亡くなったことを義両親の前で言うな」と父と私に指示し、
それらに対するこちらのストレスは本当に全く考えていないのです。
兄は世間一般に言われている価値観をそのまま内在化した人間です。
結婚した奥様は、さらにその価値観が強い人なのだろうと思います。
今回の件も、お中元やお歳暮に迷惑なのにつき合わされている側の気持ちは全く考えず、
“それが常識だ”
“それに従わない方が100%悪い”
ああ、兄は、本当に何も考えていないんだ、何も成長していないのだと思いました。
私の反応
父からの電話を受け、やはり「会って愚痴でも聞いてくれないか」と言われました。
ストックホルム症候群であろうと、原家族の諸悪の根源は父だったとしても、
私は父を完全には見捨てることはできないことは分かっています。
兄の攻撃性の強さも知っているし、
しつこいですが、大人の対人関係で厳密には対自分ではないことに「100%父が悪い」と本気で思える人間だということも知っています。
そうやって父や私を見下して、それによって傷つく気持ちは痛いほど分かります。。
なので、「会って話したい」と言う父の希望を無下に断ることはできませんでした。
でも、今までの気づきもあって、「じゃあすぐに会ってあげないと!」とせずに、
「今月は無理だから来月なら…」と日にちを少し空けて返事したことはよかったと思います。
一気に暗い闇の中へ
電話では、これまでよりは落ち着いて対応できたと思います。
けれど、もともと父とも会いたくないのです。
そして、ウソではなく、今月は来週末は出張がある上に、
公認心理師の試験が行われるため恒例の問題解説の原稿をただちにあげなくてはならないなど、
とても忙しいのです…。
そして私にとって、父と会うことは、会うまで「重い宿題が終わっていない」という感覚を抱かせ続けます。
だから「会うのを延期できた」からといって、ストレスがないわけではないのです。
それらのことがグルグルし、
「せっかく自分でがんばって良い状態だったのに、またあいつらに侵害される…」
「死んでくれないかな…。私の人生、いつまで邪魔をするんだ…」
と一気に暗闇へ引きずり込まれていきました。
対処
「全部台無しだ…」
と、電話を切ってからいいようのない不快感や虚無感、激しい怒りが私の中に充満していました。
そこで、ふと、思いました。
「日ごろから患者さんに言っていることやブログに書いていることを自分でやってみようか」
と。
フラッシュバック
まず、私の反応は、ある種のフラッシュバック、感情のフラッシュバックと捉えることができるのだと思います。
別の説明をすれば、文脈効果といって、
「父や兄などの原家族との関わりは私の生活を脅かすほどの不快感を伴っていた」という過去の体験から、
今も同じ身体反応が起きてしまうということが、きっと一番的を得ていると思います。
では、大事なことはここからです。
「今は大丈夫」
私は一瞬にして無自覚に
「またあいつらに平和な日常を壊された」
「兄はいつもいつもそうだった。それに本人は気づいていない。許せない」等という渦の中に引き込まれていきました。
「ちょっと立ち止まって、“今はもう大丈夫”と留まってみましょう」
ということを実践してみました。
すると、
当初の「せっかく築いた平和を壊される」「こうやって突然脅かされるんだ。それは死ぬまで変わらないのだ…」
という思いは、本当に自動的な反応だと身にしみて理解していきました。
「今は大丈夫」
ととりあえず唱えていると、
「ああ、そうだよな。彼らが何と言おうと、彼らとの関係がどうであろうと、私の今の命にはなんの影響もない。
彼らに嫌われようと好かれようと、もう私の日々には関係ないのだ」
と、じんわりと実感していくことができました。
もう一度言いたい。
もう今の私は彼らを必要としていない。
物理的にも精神的にも。
いいんですよ、もう。
彼らの助けが不本意にも必要で、そのために脅えながら居場所を得ようとし続けなければならなかった時代は終わっているんです。
私の人生、もう彼らに邪魔されずに生きていけるのですよ。
芋ずる式に
そこからいろいろ記憶が繋がっていきました。
今回、私は父側に付いていますが、それも毎回のことです。
そういえば、保育園児だったころから、父母がすごく険悪なケンカを何度もして、
そのたびに「離婚だ。お父さんとお母さんのどっちに着いて行く!?」と聞かれたなぁ。。とか。
「子どもの気持ちを尊重する」という大義名分の元で行われる、よくあるダブルバインドですね。
そして、母と兄は強固な絆で結ばれていたので、
大人になってから家庭内でイザコザがおきたときも、
バランス的に私の役目は父のサポートだったんだろうと思いを巡らせました。
すぐに平静にはなれない
ただ、適切な対処を取れたとしても、もう一つ忘れないでいたいことは、
だからといって心に立った波は一気に収まってくれるわけではないのですよね。
結局、寝つくことができませんでした。。。
でも、昔の私はまだ動揺しているけれど、今の私はだいぶ落ち着いているような感覚がしています。
本当にこのブログを読んでくださっているみなさまのおかげで、自分へもそのときにできる対処を取れたと思います。
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↑本当にいつもありがとうございます!
つくづく、人を励ましたり支えたりすることは対面に限らないんだなぁと実感しています!
現在進行形の私の苦しみに寄り添ってくださって本当にありがとうございましたm(__)m
今後もどうかよろしくお願いいたします(^^ゞ