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性被害サバイバーの1事例

ある性被害サバイバーの話42 ~大学院生活の全体の振り返り~

2021年8月20日

 

前回の「ある性被害サバイバーの話40」で触れたように、

私にとって大学院は、今でも感情の消化ができていない苦しくて悔しくて痛々しい記憶のままです。

 

でも、せっかく「ある性被害サバイバーの話」を書いているのですから、

ここはしっかり書いて区切りをつけたいと思っています。

 

そのために、細かく振り返る前に全体的なことをまず書いてからでないと、全然書けないので、

概略を書いてしまってから詳細に進もうと思います。

 

気分の良い話ではありませんので、不快になりたくないときは読まずに飛ばしてくださいね。。

 

大学院での被害の概略

端的にいえば、ある1人の教授から「授業中に皆の前で私だけ罵倒する」ということが繰り返されたという被害です。

 

その教授は「エンカウンター」と称した授業を持っており、

「エンカウンター」という名の下で「日ごろは言わない攻撃的な発言を他者にする」ということをたきつける授業でした。

 

これは一昔前に流行ったような「自己啓発セミナー」のような

人の心をわざと傷つけることが「啓発だ」と勘違いしている集団だとイメージして良いと思います。

 

今なら、「他者に対して乱暴な発言をするべきではない」と思えます。

 

しかし当時はみな学生ですから、

「他者の悪いと思うところをひるまずに言えることが素晴らしいと評価される授業」があると、

気が強く攻撃的な人たちは増長し、気弱な人はいじめられてしまいます…

 

実際、教授のターゲットになったのは私だけでしたが、

この「他者攻撃」を促進する授業によって、攻撃的な同級生のターゲットにされた生徒の1人は、

学校に来ることができなくなり、留年することになってしまいました。

 

私は皆の前で教授のターゲットにされていたのに、攻撃的な同級生からはターゲットにならなかったのは、

「大学院を卒業して臨床心理士になるんだ」という情熱だけは誰にも負けなかったという気迫によって、

悪意のある同級生を寄り付かせなかったのだろうと思います。

 

そして加害教授のせいとは限らないかもしれませんが、私の学年は同級生同士の仲が良くなかったです。

それは卒業後、みながバラバラになり、集まろうと一度もしなかったことが証明していると思います。

愚かな授業が不仲になった一因であると私は考えています。

 

 

この後の記事で詳しく述べていきたいと思いますが、私は金銭的な事情で留年も退学も不可能でした。

 

仕事と違い、「学校」はそう簡単に辞められる場所ではないのだと「学校」という組織に恐怖心を強めました。

 

それは、その教授もわかっており、「どんなに痛めつけても辞めない」と分かっていたからやりやすかったのだと思います。

 

でも、その加害教授は、仮に生徒が退学しようが精神疾患になろうが何も感じないとは思います。

 

毎週毎週、1時間半の加害教授の授業が2コマで合計3時間、

皆の前で私だけ「人間のくずだ」「人として腐ってる」などばかりを言われました。

 

こうやって改めて思い返すと他にあまり覚えていないのは解離していたのかもしれません。

 

目を付けられた原因

そもそもなぜそうなったかというと、その教授はある種のカリスマ性がありました。

また、入学当初はもちろんそんな変な人だとは思っていませんでした。

 

入学直後から彼の授業がスタートし、最初は「自分に気づこう」というスタンスのものだったのです。

その内容と、私が修士論文で扱いたかったことが一致していたので、私は指導教員にその教授を希望しました。

 

しかし、修士論文の指導教官が決まる6月ころには、入学から2ヶ月経っていてその教授のおかしさに気づきました

指導教員の希望は変更できませんから、結果は、主査に学科長、副査にその教授になりました。

そこで、私は、主査の先生に改めて指導教員をお願いし、加害教授の指導を仰ぐことは一切しないことにしました。

 

それが、気に食わなかったのだと思います。

そのため、1年の始めからずっと嫌がらせを受け続けることになります。

 

不安定だった自分

加害教授以外の大学院当時の私の心理状態を分析したいと思います。

 

まず、心に傷がある人が心理職を目指すというのはよくあるとはいうものの、

生傷を触るようなものなので、非常にしんどい思いをします。

しかも、その仕事に就くわけですから、単に「自己理解」で済む範囲ではありません。

 

あと、私は思い入れが強すぎました

「熱意ややる気がある」といえば聞こえがいいですが、

傍から見ると、「熱意とやる気はみなぎっているが極めて不安定な人」だったと思います。

 

だから根性の悪い教授につけ込まれたのだと思います。

 

彼はターゲットを絞って学生を精神的に痛めつけることが趣味だったのだと思います。

事実、彼によって退学や休学に追い込まれた生徒がいます。

 

やり方は巧妙で、他に被害に遭った学生も含めてやられたことを仮に訴えたところで、犯罪にはならないのだと思います。

 

しかし、卒業から10年以上経った今、改めて、彼のしたことは教員として不適切であり、

少なくともパワハラ、侮辱罪には該当すると思っています。

 

 

私は、「学校」「教員」というものと、つくづく相性が悪い、恵まれないのだなと思います。

 

 

なかなか気持ちの良い終わり方ができず、申し訳ございません。

 

大学院時代は、早々にもう一度精神科を受診することになり、

過量服薬して学校に行くなど、極めて不安定になります。

その中で、家族からの再びの二次加害もあり、加害教授からだけの傷ではないために、

温和に書いてまとめていくということが難しいのですが、

「温和に」と試みていると永遠に書き終わらない感じなので(笑)、

このまま進めていきたいと思います。

 

 

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本当に、終わりが負のままで申し訳ないですが、

それでも最後までお付き合いくださってありがとうございます!

 

次回はエピソードの続きではなく、

大学院で直面したトラウマが能力に及ぼす影響についてまとめています。

 

これからもどうかよろしくお願いいたしますm(__)m

 

 

 

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