今回は、エピソードの続きではなく、私の例を参考に、
知らず知らず「自分が幸せになることは望まれていない」という思考になっていることがあるというお話しです。
これは「成功恐怖」にも通じます。
(「成功恐怖」の詳しい記事はこちら)
私の場合は、明白に存在を否定されるような言葉を言われたことは少ないです。
明確に言われている場合は、「心理的虐待」にあたるかと思います。
ここでは、私のように「はっきりとしないけれど親の態度が否定していた」という微妙なケースの参考になればと思います。
また、具体的な内容がどうであれ、親から楽しいことや嬉しいことを否定されることは、
自覚している以上に心に深い傷を残し、将来への『呪い』となっていることが多いです。
自分のポジティブな感情を応援してもらえないという傷つきは、
分かりにくく気付きにくいため、そのままにしがちです。
けれども、それが「幸せを邪魔する無意識」となっているとしたら、それはとても悲しいことです。
だから意識化して整理できたらと思います。
目次
心理学公認「人の不幸は蜜の味」
心理学用語で、「シャーデンフロイデ」という言葉があります。
私は初めてこの用語を聞いたとき「シャンデリアみたいでオシャレな響きだなぁ!」と、キレイな印象をもちました。
ところが!
この言葉は「自分の手を汚さずに人の不幸をほくそ笑む」という、
全くキレイではない人の心理の名前なのです。
心理用語になっているということは、世界共通なのかなと、ちょっと暗澹たる気持ちになりますが、
人間の心は複雑ですので、あくまで人の心の一部だと捉えたいと思います笑
私の事例を参考に振り返ります。
回想:母はいつも誰かの悪口
私の母は、いつも誰かの悪口を言っていました。
本気で嫌って悪く言っていたのは、父方の親戚。次に多かったのは、母の兄の奥さんの悪口。
次に多かったのは「誰かの幸運に対する批判的評価」でした。
例えば、近所の人が犬を飼ったと聞けば「ふんっ、誰が育てるのかしら」となぜか不機嫌になる。
親戚の伯父さん伯母さんが海外で集めた物を見せてくれたら、後で「あんなのガラクタじゃない」という。などなど。。。
一番悪く言ってたのは父のことですね。
母は、世間体を気にしていたため、「悪口」は身内にしか言っていませんでした。
家で言っていたのは、私たちが「家族という身内」だからだったのでしょう。
同じ理屈で、父に対する愚痴を、自分の兄たち(私からすると伯父たち)にかなり言っていたようです。
母からすれば自分の兄たちは「身内」、それ以外は「よその人」なのでしょう。
解説:悪口は発言者以外の人との関係性にも影響する
自分の味方である親族に、夫の悪口を言い続けると、父と母方の親族たちの仲が悪くなるのです。
母にはその意図はなかったため、父と母方の親族と仲が悪いのは、自分のせいとは全く気付いていなかったようでした。
そして、家庭では、母が父の悪口ばかりを父のいないところで言うので、
それを信じた兄は父と不仲になり、
「お母さんはお父さんの悪口ばっかり言ってる…」と母に反感を持った私は、母と不仲になりました。
母は、「父と兄の不仲」の原因が自分にあることも全く気付いていませんでした。
なんといいますか、「単なる愚痴や悪口」では終わらずに、
さまざまな関係性まで影響を及ぼすのが「親」ですね。
回想:人の不幸に好感をもつ
また母は、どんなに悪口を言っていた人でも、その人のちょっとした不幸を耳にすると「へ~、大変なのね…」と一気に好意的になっていました。
なんていうのでしょう、気が済んだような、満足したような、その「不幸な話」をしみじみと噛み締めるような表情と、
ヒステリックに誰かを批判する歪んだ表情が繰り返されていたことが印象的です。
解説:親の悪口は子どもに影響する
母は、いろいろな不満や不安、ストレスがあったのだということは当時から分かっていたつもりです。
確かに父は、重度のASDだけれどその認識は皆無、「俺は正しい」で、一切なにもしないのに、文句は言う。
何かあっても相談できない。かなり気難しい。多額のギャンブルをし続ける。家庭にお金は最小限しか出さないetc。。
母の苦労は、想像してもしきれません。
けれども、私の母に限らず、親側の背景がどうであれ、そのことと子どもが受けた影響は別の話しです。
例え、親側がどんなに苦労していたとしても、子どもに対して免罪されるわけではありません。
このような中で、私は気づかぬうちに、「人は他人の幸福を嫌う」という思い込みが育っていきました。
回想:態度での拒否
母は、私の幸福を喜びませんでした。はっきりと「調子にのるな」等と言われたわけではないので、気付くのに時間がかかりましたが、
態度で「良く思ってない」「おもしろくない」「聞きたくない」と示していました。
それは私が大きくなるにつれて顕著になっていきました。
かといって、私が困っていることや不幸なことは喜んだかというと、そうではなく、これまでも書いてきたとおり、「できるだけスルー」でした。
兄のことは愚痴だろうが成功だろうが全面的に共感傾聴していましたが、私にはそうではなかった。
解説: 「呪い」と分からなかった
私は、「人の幸せを他人は喜ばない。だから嬉しそうにしてはいけない」と心底思っていました。
それが人の心の真実だと疑いませんでした。しかし、それは母の影響だったのかもしれません。
実は「母の影響かも」とちゃんと気づいたのは、けっこう最近なのです。
それくらい「人は他人の幸福を妬み、不幸を喜ぶ」という思考が根付いていました。
この仕事に就いてから、心理職の人たちに「キャピキャピ感がない」「嬉しそうにしない」等と指摘されて、
「そうなのか、私は嬉しそうにしていないのか」と知りました。
心理士として自己分析は一般の人以上に行い、気付いていたことも多かったにも関わらず、
このことに関しては、自分の振る舞いさえ、それまで気付いていなかったのです。
「他人は自分に興味はない」などと、分かったような気持ちでいたくせに、
ようやく「私は自分が嬉しいことを過剰なまでに他人に隠そうとするんだ」とちゃんと気付きました。
確かに、シャーデンフロイデと心理学用語になっているように、人間の普遍的な心理の1つだと思います。
でも、それだけじゃない。
人の幸せを喜べる人はたくさんいますし、同じ人でも、喜べるときもあればそうでないときもありますよね。
そもそも、よく言われるように、他人がどう思うかを気にしても仕方ない。
けれど、気にしてしまうのは仕方がないことも多いですし、自覚できていないこともありますよね。
ただ、「自分のポジティブな事柄は人は喜ばないからできるだけ不幸でいないと」などとは思うことはないのですよね。
怖いのは、心の奥に根付いた『呪い』は、不幸な方向に自分を誘導してしまうことです。
「人の前では喜ばず、不幸な話をしよう」なんて思っていると、本当に不幸になっていってしまう…。
だから、気付きたいです。
「嬉しいことは喜ぶ」「楽しいことは楽しんでいい」という当たり前の感覚を取り戻したいですね。
今回は、具体的に私の例を出しましたが、
多くの被害者の人に「自分は大して幸せになれない」という意識が見受けられます。
これは、『再演』の記事でも触れていますが、けっこう根深く複雑な心理だと考えています。
なので、『成功恐怖』についての記事で詳しく解説していますので、
「自分の幸せを避けてしまう」「自分は幸せになれる気がしない」といった心当たりがある方は
ぜひお読みいただけると嬉しいです。
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「うつ病」と誤診されることが多いので、ご興味がある方はぜひ!
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