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性被害サバイバーの1事例

ある性被害サバイバーの話29 ~母のガンが発覚~

2021年5月20日

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「ある性被害サバイバーの話」では、話の散らかりを避けるために、

家族関係のことを深堀りするつもりはありません。

ただ、この母のガンに関しては、今後もどうしても影響してくるので、

これからの話では母や家族のことに触れる機会が出てきます。

 

回想:浪人3年目 母のガンが発覚

うつ状態のまま、季節が春になり、冬が非常に苦手だった私としては少し上向きになります。

「早く大学院に受かって臨床心理士になりたい」という気持ちが強く、

焦りもかなり強くなっていまいした。

 

そんな中、週2日の派遣を細々と続けていましたが、

母親が乳ガンであることが判明します。

 

母は、もともと肝臓に持病があり、そのことで入退院を繰り返していました。

なので、がん検診も受けていましたが、見つかったときにはステージ3bで、進行してしまっていました。

 

長生きしたかった母は相当ショックを受けていましたし、当然ながら私たち家族もショックを受けました。

 

解説:母との確執

母のガンの発覚は、とてもショックでした。

でも、母に対して強い恨みを抱いていた私は、素直に悲しむことができませんでした。

 

私は母に、「助けてくれなかった」「分かってくれない」「兄ばかり可愛がる」などなど、強いわだかまりを持っていました。

そういう気持ちが強い上に、まだこのときは私は大学院にも受かっておらず身分も不安定、精神状態も不安定でした。

そうしたときに、確執のある親の重い病が見つかると、向き合い方が非常に難しいですね…。

 

一方、母も、私のことを「可愛くない」と思っていたと思います。

今は、それは当たり前のことだと理解できるくらいにはなりました。

 

でも、当時は、「分かり合って、気持ちよく母の看病をしたい」という望みを持っていました。

 

また、母と私という2人の関係性よりも、兄の存在の方がかなりストレスでした。

それは父もそうであったでしょう。母がガンになったことで、

家族の関係性のいびつさがより明らかになっていったと思います。

 

表向きは「家族で母を支えよう」というような空気を共有しながらも、

「ではその主導権はだれか」「どうやっていくのか」等といった争いや、

それぞれの情緒的な傷つきが混在し、

「お互いに協力するために関わらなくてはいけなくなるために、いがみあいが強くなる」という感じでした。

 

回想:フルタイムの仕事に転職

母のガンの発覚もあり、「しっかりしなきゃ」という思いもあって、

週2日の派遣の仕事を辞め、フルタイムの事務職に就きます。

このときは、大学院受験をどうするかよりも、「ちゃんと働かないと」という気持ちになっていました。

 

解説:混乱

私は、いったい何を優先すればいいのかパニックになっていたのだと思います。

「臨床心理士になる。そのために大学院に行くんだ」という気持ちに変わりはありませんでした。

でも、9月の秋受験に備えるよりも、なぜかフルタイムで働き出した。

 

心身は弱いままです。そんなにいろんなことをできない。

その状態で、母に寄り添うのか、働くのか、勉強して大学院を受験するのか…。

 

今振り返ると、とても混乱していたのだろうと思います。

その中で、なぜか「フルタイムで働く」という行動をとった。

 

回想:母の治療

母は、発見が遅れたとはいえ、ただちに余命を告げられるほどではなく、

「厳しいけれど治療をがんばれば長生きも可能」というものでした。

 

母は、肝臓の治療をしていた病院にそのまま乳がんの治療をしようとします。

しかし母も家族も、その病院に対して「肝臓の手術は実験だった…」「ガンを見逃した」という恨みが口から出るほど、信用はありませんでした。

そのため、当時私が登録していた派遣会社の担当の人のお姉さんが看護師さんということで、

乳がん治療を専門にしている大きい病院を勧めてもらい、受診しました。

 

そこから本格的な治療が始まりました。

 

解説:私の気持ち

私は、すごくしんどかった記憶があります。

ただ、あんまり覚えていないのですね、この頃のことを。

 

でも、「もう1人じゃ無理。誰か助けて欲しい」と切実に思っていたのはなんとなく覚えています。

 

とにかく私だけではなく、家族全員がぴりぴりと傷つき余裕がなくなっていました。

母と兄はべったりで、兄から父は攻撃され、ときに私も攻撃され、

ただでさえ大嫌いで居心地の悪い家なのに、それに拍車をかけていました。

 

でも、母が重病ですので、私など何も言う権利などありません。

 

よくわからない心境のまま、リクルートスーツをきて、フルタイムの事務職の面接に行っていました。

 

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フルタイムでも雇用形態は正社員ではなくパートですので、すぐに決まり、時給850円で不動産の事務員として働き始めます。

時給はなんで覚えているかというと、それまで派遣だったので時給1200円前後だったのです。

今回は直雇用のパートで、かなり低い時給になったとそれは記憶していました笑

 

フルタイムで働きだしたはいいものの、さほど日が経たないうちに心身の不調をきたします。

 

次回は、母からの影響について書いています。

続きはこちら

 

 

最後までお読みくださってありがとうございました!

また覗きに来てくださるのを心待ちにしています♪

 

 

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